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港町ヴィラへ!①

 港町ヴィナへの道のりは、街道から始まる。


 王都と各主要都市を繋ぐ、おなじみの街道である。


 街道をゆく旅人を支える宿屋兼食堂『飛ぶ蛙亭』の主人にも、旅立ちの挨拶をすることにした。

 アビゲイルのお気に入りの食堂だ。

 エミリアとも何度も足を運んだ宿屋。温泉まであって最高に気持ちが良い。


 しばらくのお別れにと、ピーチパイとオムライスとグラタンとシチュー、羊肉のオーブン焼きなどなどをテーブルいっぱいに並べているエミリア。

 けれど、『飛ぶ蛙亭』の主人は、


「エミリアさん、大丈夫かい? 食が細くなったんじゃ」


 とそわそわしている。


「心配ないさ」


 かわりにアビゲイルが愉快そうに笑う。


「エミリアの大食は、魔力と肉体が馴染んでいないことによる飢餓に近かったんだ。エミリア自身も魔力のコントロールができるようになってきたし、エミリアの肉体のメンテナンスもこの私が万全にしている──よい方向に転がっているのだよ」

「ははー、そういうものですか」

「むぐ、たしかに私、以前よりは食べる量が減っている気がします……!」

「ははは、それでも大の男の五人前くらいは召し上がっていますね?」

「は、はうっ!」

「いいんです、エミリア様はそのままで……! 美味しそうに食べる姿にファンも多かったのですが」



 エミリアの健啖家っぷりが観られるかもしれない隠れ名所として、少しばかりその筋に有名になりつつあった『飛ぶ蛙亭』である。



「そんなことで有名にならずとも、この店は悪くないぞ?」

「アビゲイル様には、この店を鍛えていただきましたからねぇ」

「ふふ、店主殿の腕がいいからな」



 今や、アビゲイル特製健康プレートは人気の裏メニューらしい。



「おかげさまで、流行らない宿だったうちが街道一の宿屋になんておだてていただくくらいにはなったんですよ」

「ご主人の才覚さ」

「いえ! アビゲイル様の魔導具に助けられてばかりです。それに、その健康プレートも……食べると胃腸の調子がいいとかなんとか」

「裏メニューなのに人気、というのも変な話だ」

「不思議なもんで、裏ってついているほうが客は注文したくなるものなんですよ」


 とご主人。

 なるほど、とエミリアは想像する。


「たしかに、裏ピーチパイとかあったら注文してしまうかもですね……!」

「裏ピーチパイ…………」

「アビゲイルさん?」

「いや、なんでもないよ」

「……?」



 アビゲイルがぽそっと呟く。


「…………なんとなく淫靡な雰囲気でよくないな」

「インビ??」



 エミリアは首を傾げる。

 どういう意味だろうか。いけないこと的な響きだけれど。



「……たしかにとっても甘ぁ~くてこってり~な気がします……!」



 蜂蜜と砂糖がたっぷりかかった、シナモンたっぷりのピーチパイといったかんじだろうか、裏ピーチパイ。エミリアだってこの数ヶ月で、世俗の食事のなんたるかがわかってきた。とっても悪いことをしている気になる食べ物は、たいがい美味しいのだ。



「…………なぁ、エミリア」

「はい、アビゲイルさん?」

「君は、そのままでいてくれ……」

「はあ?」



 まるで女神様のように微笑むアビゲイルに、謎は深まるばかりなエミリアだった。



「ああ、そうだ」



 きれいになった皿をキッチンへ運びながら店主が窓の外を見る。



「庭の琥珀桃の木に、挨拶してやってくださいよ」



 立ち枯れしそうになっていたところを、エミリアが復活させた琥珀桃の木だ。美味しいピーチパイも、その木にたわわに実る桃を使っている。


 ただの琥珀桃の木ではなく、精霊つきの古木だ。

 精霊というのはとても珍しく、神聖な存在だ。

 清らかな魔力のある場所にしか存在しないとされている。

 大昔、世界樹がまだこの世の中心にあったころには、そこらじゅうに精霊がいて、歩くのに邪魔だったとかいう笑い話もあるけれど、今はもう昔の話だ。



「……ああ、我らが神子」

「桃の木さん!」



 すらりとした男性が、優しく微笑んでいる。

 琥珀桃の木の精霊だ。

 最近やっとエミリアも気がついたのだけれど、かなりの「顔が良い」部類に入ると思われる。髪の毛がごわごわした木の根っこっぽい質感だったりするところ以外は、バザールを歩けば「きゃー!」なんていう声があがるような見た目だろう。

 修道院にいた頃には、人の顔のことなんて気が回らなかった。


「私の顔になにかついていますか?」

「いえ! ごめんなさい、ジロジロ見てしまって」

「もっとご覧になってもいいですよー、美しいでしょう?」

「自分で言うのか」

「ははは、魔女殿はツッコミがするどいなぁ」

「……前に会ったときとキャラが違う」

「私とて目覚めてしばし経つので。桃を食べに来る子どもらと心を通わせると、当世風の言葉もおぼえるでしょう」



 精霊はカラカラと笑った。

 アビゲイルにとってはこの水蜜桃の精霊もまた興味深い研究対象だった。

 精霊という存在そのものも、エミリアに妙に親しげな表情を見せるところも。


「……神子、か。そういえば、前にも言っていたな」

「え、そうでしたっけ?」

「ああ、そのはずだ」


 エミリアが木を蘇らせたときに、開口一番にこの精霊は小さな聖女見習いを「神子」と呼んでいた。



「神子は神子ですからね。懐かしい、我らが母の魔力をあなたからは感じます」

「母って……世界樹の女神様、ですか」

「ええ、そうですよ」



 水蜜桃の精霊は、懐かしそうに目を細める。

 かつてこの世界にも、たくさんの精霊が生きていた。

 そんな賑やかで、魔力に満ちた日々のことを思い出しているのだろうか。



「あのぅ」



 エミリアは、この宿屋の庭先に住まう精霊に訊ねてみる。

 ずっと気になっていたことだ。


「なんですか、愛しい神子」

「その、私……自分がその、世界樹さんとか神竜さんの力を持って生まれたって……あんな不思議な夢を見ても信じられないんです」


 エミリアの本心だった。

 ただの、天歌教の修道院の落ちこぼれ聖女見習いのはずの自分が、そんなとんでもない出自を持っているなんて………正直、とても混乱している。ずっと混乱している。


 そんな生まれと力を持っているのならば、もっともっと人のためになることをしなくてはいけないのではないか。

 おだやかで、おいしくて、優しい生活を自分が享受しているのは間違っているのではないか。

 そう考えると、ひどく不安になってしまうのだ。



──お前は人の役にたちなさい。

──それができるのは、お前が天歌教に拾われたから。

──カナリエラ様のように、カナリエラ様の思うままに、それがお前の、お前達の、



「存在する、理由……」



 エミリアがぽつりと呟く。

 しかし、帰ってきた言葉は想像していないものだった。



「……あっははは! 何だ、そんなことを気にしていましたか。神子よ!」

「え? ……ふぇ?」



 端正な顔面に似合わない、大口を開けた大笑い。

 水蜜桃の精霊は、可笑しくてしかたがないというように笑った。



「あの御方が、あなたにそんなことを望むはずもありませんよ」

「そ、うなんですか?」

「ええ、ええ! きっと、こう言うのではないですか。

 『心を遊ばせ、魂を自由にするために生きなさい』……とかなんとか。人の子たちが楽しく暮らしているのをみるのが、何より好きな人でした」



 そうなのか、と肩透かしを食らった気分になる。

 でも、たしかにそうだとエミリアは思う。

 もしも、自分ではない誰かが、自分の魂を持って生まれ直したとして。だからといって、今のエミリアの思い通りに生きてほしいなんて思わない。

 ただ、楽しく幸せに暮らしてくれればいいと、そう思う。



「……ありがとうございます、少し気が楽になりました」

「それはよかった」

「えへへ。それで、安心したらなんだか」

「お腹が空いた?」

「はい、それです」



 魔力のコントロールも体力も充実してきたとはいえ、気持ちが揺れるとあの食べても食べても空腹になる感覚に襲われてしまうのだ。

 まだまだ、未熟者だなぁとエミリアは気を引き締める。



「では、これを」



 水蜜桃の精霊は、自分の枝から瑞々しい果実をいくつか分けてくれた。



「旅に出るのでしょう? 道すがら、喉を潤して腹を満たすのにちょうどいいでしょう」

「わあ! ありがとうございます」

「桃か。長期保存には向かないが、うん、食べ慣れたものを持っておくのは悪くないね」



 アビゲイルとエミリアで、何日かぶんずつの桃を受け取る。

 船に乗ってしまえば、魔導具の大容量ポシェットも使えなくなってしまうらしいから、持てる分だけいただいた。



「船旅というのは、はじめが肝心ですよ」



 いよいよ出発というときに、『飛ぶ蛙亭』の亭主が早口で教えてくれた。



「船というのは色々な方が乗り合う、不思議な場所ですから。はじめによい出会いがあれば、船旅は楽しいものになるかと」

「ご主人、詳しいのだな」

「ええ、実はずっと船のコックをしていました」



 なんでも、大陸間の交流が乏しいこの世界で、『世界を股にかける船』に乗っていたのだと、懐かしそうに言っていた。

 船の限られた食料で、船員を元気づけるような食事を提供する──善良で、人が良さそうで、料理が上手なご亭主によくにあう職業なように思った。


 それにしても、ご亭主が元は船乗りなんて。

 よく知る人の過去というのも、意外と知らないものだ。



 エミリアは少し自分を恥じた。

 意外と自分は、人に興味をむけてこなかったのかもしれない。人は誰でも、色とりどりの過去を抱えている──そんなことに、エミリアも気がつく日が来るのだけれど、まだまだ旅の途中なのだ。


 さて。

 この旅では、どんな出会いがあるのだろう。

 数日の旅の後にたどり着いた港町ヴィラは、磯と花の香りで満ちあふれていた。

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