アビゲイルの夢。
アビゲイルは、懐かしい夢を見ていた。
それは、母がまだ生きていた頃の幸せな日々の夢だった。
「お母さん」
「…………」
「お母さん?」
遠くに佇む懐かしい背中。
しかし、アビゲイルがいくら話しかけても母が振り返ることはない。
アビゲイルは次第に悲しくなってきた。
だってそうだろう。だってこれが夢だというのは分かっている。分かっているのならば、懐かしい母と話がしたい。一度でいいから声を聞かせて欲しい。
「――……お母さん、これは夢なんだよな」
アビゲイルは少女の姿をしていなかった。
大きなつば付き帽子。腰には小さなポシェット。
【万能の魔女】と呼ばれる成長した彼女の姿だった。
「どうしよう」
アビゲイルは呟く。
「――……目覚めたくない」
そう、これは幸せな夢なのだ。
小さな小屋で、母と娘二人で慎ましやかに暮らしていた頃の、あまりにも幸せな夢。
メリルリ古代迷宮が見せている夢。
そうだ。
あの石の祭壇からあふれ出てきた光。
あれは一体なんだったのだろう。
街道で拾った不思議な少女――エミリアの正体は一体何なんだろう。
普段であれば気になって仕方がないはずの、不思議。
それなのに、ずっとこの夢に浸っていたい。
目覚めたくない。
―― ごとん。
鈍い音を立てて足元に落ちたものがあった。
「これは」
不格好な細工。
むき出しのままに掘られた魔術の記述式や魔法陣。
忘れようはずがない。これは、アビゲイルが初めて作った魔導具だ。
病気の母が氷嚢をこしらえる余裕がないと言っていたのを聞いて、水の魔術と循環術式、それから冷却を司る氷魔法を組み合わせて作った「ぬるくならない氷嚢」である。
氷魔法が魔術の中でも魔力効率が悪く、高度な術式であることは知らなかった。
家にあった魔導書を読みながら、見よう見まねで作ったのだ。
これがアビゲイルが初めて作った魔導具だ。
結局のところ、魔力効率が悪すぎて実用には耐えなかったものだったが。
「……そうだ、私は」
母が亡くなった後、父のもとに引き取られたアビゲイルは最年少で宮廷魔導師団に入団する天才となった。それからたくさんの魔道具を作った。
戦争の道具を作れと言われた。
貴族たちのための娯楽の道具を作れと言われた。
たくさんの動物やモンスターを殺すための道具を作れと言われた。
けれどもアビゲイルが作りたかったのはそんなものではなかったのだ。
ただ幸せに暮らすための、平穏な暮らしのための魔導具が作りたかっただけなのだ。
――すごい。美味しいです、アビゲイルさん!
――こんなの食べたことありませんっ。
――えへへ、幸せですね。アビゲイルさん。
だから。
エミリアと出会ってアビゲイルはひどく救われたのだ。
【万能の魔女】ではなく、ただの友達として接してくれた。
美味しいものを、一緒に味わってくれた。
畑を一緒に耕して、風に吹かれて大麦のお茶を冷やして飲んだ。
そうだ。
エミリアが何者であるかというのは、そんなのは本質ではない。
(早く目覚めなくては……)
緑の光が辺りを包む。
母がゆっくりと振り返る。
懐かしいその顔は、アビゲイルに向かって優しく微笑みを浮かべていた。
そして。
ゆっくりと口を開く。
懐かしい声で、母は言った。
「――アビゲイル。あなたは優しい子ね」
だから、と母は微笑む。
「――あなたのお友達を守りなさい。あの世界樹の生まれ変わり。我らが愛しい女王を」
「――……え?」
どういうことなの。問いかけようとすると、すでに母の姿はそこにはなかった。
その代わり断片的な映像がアビゲイルの脳内に流れ込む。
はるか昔の、まだ世界が神秘に満ちていた頃の光景。
雲の上までもそびえ立つ世界樹。
世界樹を守るようにその上空を飛び回る【神竜】とおぼしき美しく大きなドラゴン。
炎、雷、風、そして氷をまとった四匹の美しい獣。
その中心に立っているのは――そこに立っている、美しい女神は。
「――……エミリア?」
緑の光が強まって――アビゲイルの意識は虚空へと放り出された。
***
「アビゲイルさん!」
「……エミリア」
目を覚ますと、エミリアの顔が目に入った。
なぜだか、とても懐かしいと感じた。
まだ出会ってから長く時間を立っていないはずなのに。彼女と過ごした時間が、きっと、あまりにも楽しかったから。
「よ、よかった。全然目を覚まさないから、 すごく心配したんですよ」
「ああ、心配をかけてすまない」
「わふ。我も心配をしていたぞ。アビゲイル」
「ジョンもありがとうな」
「あ、そ、それよりも聞いてくださいよアビゲイルさん」
「ん?」
「私すごいことが分かっちゃったんです。私、実は――」
「――世界樹を守る女神の生まれ変わりだった、か?」
「そうなんですよさっき夢で見たんですけど……って、アビゲイルさん!?」
「ん?」
エミリアは目をぱちくりと瞬かせる。
「どうして、それを?」
「あーそれはな」
アビゲイルは微笑む。
「私も夢で見たんだよ」
「えー!」
驚かせようと思ったのに、眉毛をハの字にするエミリア。
アビゲイルは思わず吹き出した。
「ははは、やっぱりエミリアはエミリアだな」
「もう何ですか~」
エミリアはぷくっとほっぺたを膨らませた。




