育ち盛りに旬が来た
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
へーい、つぶつぶ。いきなりだけど、今日はケーキ屋にいかない? いや、セールだからとか特別な理由があるわけじゃないの。ちょっと無性にイチゴが食べたくなっただけ。
――夏のイチゴは旬じゃないものだから、期待しない方がいい?
細かいことは気にしなーい!
ほらほら、もたついているとお店がいっぱいになっちゃう。いこいこ。
う〜ん、ショートケーキに乗っかる冷えたイチゴの感覚、くせになるわあ。な〜んか発作的に食べたくなるの、お店のイチゴって。住み慣れた家の中で食べるより、とどまれる時間が限られている、外のお店でいただく。これ、プレミアムな感じがしないかしら。
――て、あれ、大丈夫? だいぶ汗をかいているみたいだけど。こんな冷房が効いている室内で汗かけるなんて、つぶつぶは本当に汗っかきね。それとも何か心配事でもある? 私の話、どこか変なところがあって気に障ったとか? そうだったらごめんなさいね。
でも、汗をかける状態というのはある意味で健康かもしれないわ。私、昔の経験から、そう強く思うようになったのよ。その時の話、聞いてみないかしら?
まだ小学生の頃。私はおしゃれの「お」の字も知らず、男子達と混ざって遊ぶことに抵抗がない女子の一人だったわ。インドアの限られた空間より、アウトドアの限りない空間に身を置いて、ボール相手にてんてこ舞いすることが、当時の生きがいだったわね。
つぶつぶほどじゃないけど、私も当時から汗っかきの性分。遊び終わった時に、服がぴっとり身体に張り付いちゃうことなんか、日常茶飯事だった。しかも男子みたいに、服の裾とかでごしごし顔を拭うのに抵抗なかったわねえ。おへそとか丸見えだったのに、全然気にしなかった。はしたなく思う母親からタオルを持ち歩くよう言われるまで、ずっと続けていたの。
毎日のように遊び回る私にとって、自分の汗をなめない日はなかったの。でも、夏がいよいよ間近まで迫ってきた、ある日のこと。
放課後から帰るまで、私は男子達に混じってサッカーをしていたわ。日が明るいのをいいことに、学校が終わって近くの公園に集まり、たっぷりと4時間くらい。家が遠くにある子の門限が迫って、お開きになったわ。
ばらばらと帰るみんなにつられて、私も家へてこてこ歩いて行くけど、かすかに違和感を覚えていたの。いつも大量に汗をかく私が、今日はまったくと言っていいほど汗をかかなかったの。
運動量は誰にも負けていない。実際、他の男子達は服をびっちょり濡らして、軽くしぼることができた子もいるくらいだった。それがどうして今日に限って私だけ……。
身体中で火照りがくすぶっている。いつもは心地よく感じているそれも、今は胸を内側から焦がしそうな気味の悪さを感じたわ。早足で家に帰った私は、麦茶をがぶ飲みして、夕飯のそうめんも次々にかき込む。身体もしっかり洗って、早めに床へ入った。
なのに熱は、いつまでたっても引く様子を見せなかったの。
朝起きても、体中が熱い。風邪を引いたにしては意識も足取りも、しっかりしている。念のために体温を測ったけれど平熱。運動直後の状態から、息切れだけを取っ払ったような不可解だったわ。
今日はプールの授業がないのに体温計を使い出し、食べている最中も、氷が入った冷たいコップを腕とかにあてがい始める娘。さすがの母さんもいぶかしげな顔で、「どうしたの?」と声をかけてくる。
私は昨日のことを話したわ。遊んでいる時に自分だけ汗をかかないことと、身体の中へこもった熱が、ずっと引かないままであることを。それを聞いて、お母さんは少し考え込んでいる様子だったけど、ひとまずはいつも通り、学校へ行くことに。
一人だけストーブの間近に居続けているかのような一日だった。でも授業を受けることに問題はなかったわ。汗は相変わらず引っ込んじゃっているんだけど。ノートや下敷きを団扇代わりにしても、涼む効果は出ず。むしろ、温風を吹きかけられるかのようで、たまったものじゃなかった。
こんな状態じゃ、身体を動かす気になれない。それどころか、下手に運動したら悪化するかもしれず、私はいつも遊んでいる男子達の誘いを断り、教室に。珍しい私の姿に、女の子との友達が何人か集まってくる。
久しぶりのガールズトークを楽しむ私だったけど、やがて女の子のひとりが私にこんなことを聞いてきたわ。
「ね、もしかして、小さくなった?」
何が? と聞き返すと、私の背丈のことだった。声を掛けてきた彼女は、伸び盛りの年頃と相まって、クラスでも一番の長身。嫌みかと思ったけど、他のみんなも何人かは同じようなことを感じていたみたい。
「気のせいでしょ!」と適当にあしらったけど、内心では不安でいっぱいの私。下校するまで、なんとなく自分の頭の上をぽんぽんとなでちゃったわ。
家に帰ると、お母さんが台所でカレーの準備をしていたわ。キムチの用意もしてあって、どちらも発汗作用のある食べ物だとすぐ分かったわ。何とかして、私に汗を出させようという考えだったんでしょう。でも、もう汗以上の問題を私は抱えていた。さっきから着ている服が気持ちだぶついているのを感じていたけど、勝手知ったる家に帰ってきてからは、はっきりとした違和感を覚える。
玄関の引き戸、上がり口、台所のテーブル……どれもこれもに、高さを覚えるようになっていたの。学校で友達が話していることは、本当だった。
お母さんも手を止めて私を見ると、一瞬、目を見開く。すぐにいつぞや買った身長計つき体重計に乗せられる私。結果、私の身長は年度初めに測った時より、10センチ近くも縮んでいた。その割に、体重にはほとんど変化がない。
「これはいけない」とお母さんが、裏の庭で土いじりをしていたおばあちゃんを呼びに行く。ほどなく、帽子や軍手を外して飛んできたおばあちゃんも、私の現状を見てうなってしまう。
「あんたは、どうやら今が食べ頃らしいねえ」
突拍子もない言葉に、私は首を傾げてしまうけど、おばあちゃんは洗面所からタオルを一枚持ってくる。私に「ちょっと痛いかもしれないけど、じっとしているように」と告げて、手足をこすり始めたわ。
確かにおばあちゃんの力は強いもの。外側へ引っ張られるたび、皮や肉ごと骨が抜かれてしまうんじゃないかと思ったくらい。でも、私の手足は赤くはなるものの、一片の垢も落とさない。
それを確かめたおばあちゃんは、お母さんにレモンが家にあるかどうかを尋ねる。確保できた端から、絞り器にかけていく。
「あんたは今日、おばあちゃんの部屋で寝な。おばあちゃんも一緒にいるよ。あんたを守らなきゃいけないからねえ」
「何か来るの? 私、どうなっちゃうの?」
「ちょっとねえ、こわーいものがやってくるかもしれないんだ。おばあちゃんの言うこと、よく聞いておきな」
食事もお風呂も済ませた私は、おばあちゃんの部屋へ向かう。戸を開けただけでも匂うくらい、強いレモンの香りが漂っている。この時の私は更に背が縮んでいて、数年前に着ていた小さいパジャマに、ぴったりの体格になっていたわ。
おばあちゃんの部屋の家具たちも、見慣れたものでありながら、ほとんど下から見上げる感じ。まるでガリバー旅行記の小人になってしまったかのよう。
指示されるがまま、すっかり余裕たっぷりになってしまった敷き布団の上へ寝転がる私。その体中に、おばあちゃんは絞ったレモン汁を塗りたくりながら、話をしてくれる。
「人にも、野菜や果物と同じように『旬』ってものがある。汗と一緒にうまみを逃がすまいと内側にとどめてしまうんだ。もう、これは本能って奴といえるだろう。
そいつが来るとねえ、食いしん坊な奴らが、どこからともなくやってくるんだ。手向かいなぞ、できるものじゃない。それこそ作物と同じく、一方的摘まれるだけさ。
だからこちらは、あいつらの鼻をごまかす。食べ頃だったのは気のせいだったと、思い直してもらう。このレモンは、そのために必要なものなんだよ」
先ほどのタオルで拭いた時とは違い、おばあちゃんの手つきは優しく丁寧なもの。丹念に私へレモン汁をすり込んでいく。ほとんどマッサージに近い感覚で、私は大あくび。自然と重くなっていくまぶたに抗うことなく、眠りに落ちていったわ。
気がつくと、私は薄い毛布の中へ潜り込んでいた。部屋の明かりは消されていたけれど、すぐそばからは犬が鼻をならしているかのような、気配がする。それは私のいる毛布の周りを何度か回った後、出し抜けに毛布を引っぺがしてきたの。
暗くてよくは見えなかったけど、毛布の先にかがみ込んでいたそいつは、やはり中型犬ほどの大きさ。けれど、二股に割れた頭を持っていたわ。「ひっ」と声をあげかける私の顔と左腕を、舌のようなものがつつっとなめ上げる。粗いヤスリでこすられたような痛みがあったのを覚えてる。
ほどなく舌を引っ込めた二つの頭が、交互に「くしゅん、くしゅん」と小さくくしゃみをすると、私から離れて、部屋の戸へと走って行く。開ける様子もなしにそのまま溶けるように消えてしまったわ。
「助かったの?」と思うや、また眠気が押し寄せる。目を閉じるまでのわずかな間で、私は自分の身体を見渡してみると、すでに私は大海と化した布団に浮かぶ一滴。それこそみかんの一個にでもなったかのような大きさだったの。
翌朝。私はもとの大きさに戻っていたわ。
おばあちゃんは相変わらず、布団の横に座っている。昨晩はずっと起きていたけれど、この部屋には誰も通していないとのこと。
もう、身体の中からは熱が消えている。それでも安心できない私は、休み時間に外で遊んで、汗をたっぷりかいたことで、ようやく決着がついたと確証を得たの。
それから私は、陽気の割に汗をあまりかかない日があると、寝る前にレモン汁を身体に塗るようにしているんだ。