ヤンさんの災難
ヤンさんて誰やねん。
商店街、といっても高級店ではなく、活気のある市場と表現した方がしっくりくる。
表通りから一本奥に入った通りにあるその店の名は「ヤンさんの店」。店主の名前はヤン。何の捻りもない。そのまままである。しかし店舗の八割方は店主の名前を冠しているので、この世界ではこれがスタンダードなのだ。
その通りの店にはアズドラドでは見かけない野菜や果物などが所狭しと並べられていて、他国との交易が盛んであることが見てとれる。
表通りの高級店とは取り扱っている商品が違うので、雑多ながら面白い品揃えということもあり、地元民はもちろん観光客や旅人にも人気がある。平日休日問わず賑わっているのが日常だ。
「ヤンさんの店」は主に雑貨を取り扱っている。普段使いの小物から使用方法が不明なものまでごちゃごちゃと積まれているので、下の方に埋もれている商品が欲しければ雪崩がおきるであろうことは想像に難くない。ところが陳列方法を変えよう、という発想はない。
何故ならば、滅多に売れないから。
下の商品を取る必要がないから、必然的に雪崩は起きない。
物珍しい商品にひかれて、覗いたり(とれそうなものであれば)手に取ったりする客はいるものの、それだけなのである。買わないのだ。
よって、「ヤンさんの店」はいつも開店休業状態だ。
よく経営がなりたっているものだ、と近所の店主連中はちょっと不思議に思っているのだが、ヤンさんは貸部屋もしているのでそちらでどうにか生計を立てているのだろうと思われている。
ヤンさんはしばしば仕入れと称して旅に出ているようである。その度に店に新しい珍品が陳列されるので、そこまで羽振りは悪くないと目されている。
そんな「ヤンさんの店」は今日も今日とて、閑古鳥が鳴いていた。
ヤンさんは日常のことなので特に気にすることもなく、商品にはたきをかけている。売れなくても清潔感は大事にしたいのだ。
ふと人の気配がして振り返ると、店の入り口に人影が見えた。
「あいや、お客さんイラッシャーイ。スキなだけ見ていていいヨー。欲しくなたらコエかけてチョーダイねー」
客は全身がすっぽりと隠れるタイプの旅装をしていて顔などは全く見えない。ただすらりと背が高く、しなやかで隙のない動きをしている。
物珍しげに周囲を伺ったあと、滑るようにヤンさんの前にやってきた。
「そなた、店主か?」
「そうよーワタシがヤンさんアルヨー」
「ヤンドルゴルジ・スレインだな?」
「あ、あいやー」
首根っこを掴まれて、ずりずりと店の奥の控え室に引き摺られた。
「あいや、ダレか助ケテー」
「騒がない方が身のためだぞ」
「ス、スミマセン……」
控え室の椅子に強制的に座らされ、ヤンさんはせわしなく視線をさ迷わさせた。
出入り口は一つ。ヤンさんを引き摺ってきた男が仁王立ちして前を塞いでいる。
うん。逃げ場はない。
ヤンさんは逃亡を諦めた。人生、時には諦めも肝心だ。
目の前の人物が旅装のフードをぱさりと払いのけ、容貌が明らかになった。
「あ、あいやー…………」
ヤンさんは細い目をこれ以上ないほど見開いた。
はらりと流れる黄金色の髪。男であるのに見惚れるほどの美貌。かといって女性的であるわけではなく、とにかくとんでもなく造作が整っている。
そしてヤンさんはこの美貌の持ち主を知っていた。というよりも、おそらくアズドラド国民のほとんどがこの男を良くも悪くも知っている。その出自、美貌に能力、噂やスキャンダルやゴシップにも事欠かない。何につけても話題になるのだ。
「殿下が、こ、このような場所に何の用事アルカ」
「おや、私のことを知っていてくれたとは。嬉しい限りだね」
「アイヤー」
「下手な芝居はいいよ。西国訛りではなく、普通にも話せるのだろう?」
ヤンさんは細い目をますます見開いた。そしてぞっとした。
自分の演技は完璧だったはずだ。この界隈では誰一人としてそのことは知らないはずなのに。
穏やかな微笑を浮かべるシン・アズドラド・タリスマンの目に見えぬ圧力で呼吸が苦しい。
「ほ、本日殿下は私などにどのようなご用がおありなのでしょうか……?」
「これについてなんだけどね。心当たりがあるだろう?そなたが著者であることはわかっているのだ」
ひぃ、と声にならぬ悲鳴が出かかった。
シンが取り出したもの。
あくまで非公式かつ非公開で、裏の業者に依頼して秘密裏に作成している本である。公になろうものなら冗談抜きで消される。
だから用心に用心を重ねて、どこにも情報が漏れないように細心の注意を払っていたのだ。
恐怖のあまりヤンさんの顔色は青を通り越して白になりつつあった。膝が震えて止まらない。ヤンさんは死を覚悟した。
そんなヤンさんの様子を目にしてシンはくすりと笑った。途端に圧力は霧散する。
「あぁ、勘違いをしないでもらいたい。私は君を処罰しに来たのではないのだ」
「では一体……」
「だから、これの著者なのだろう?」
「著者というか何というか……はい、著者です。間違いありません」
目の前に動かぬ証拠として『特魔局所属魔術師一覧 大陸歴六四五年改訂版アズドラド国編』の見本版があった。
ヤンさんはアズドラド国内におけるこの本の作成者である。先代からなんとなく受け継ぎ、約十年に一度ほどのペースで刊行している。綿密且つ確かな情報に裏付けされたその本の信憑性は、一部の好事家及びマニアに絶大な支持をうけ、発行部数は少ないものの庶民からすれば目が飛び出るほどの高値で発売されている。その儲けでヤンさんは潤沢な財産を手に入れているのだ。
書かれている内容としてはマニアの心をくすぐる非公開情報をちりばめつつ、ご本人様達の内情に踏み込みすぎないギリギリのラインを狙っていたはずだった。
そこらへんの見極めが一番難しいのだ。
だって、やりすぎると逆鱗に触れて消される。
魔術師たちはある種の特権階級であり、雲の上の存在であり、超法規的存在なのである。
ヤンさんのような小市民を消すことなど、赤子の手を捻るようなものだ。重ねて言えば、魔術師が罪に問われるどころか、ヤンさんの方が「魔術師に消されるようなことをやらかした」として罪に問われかねない。
そんなこんなでヤンさんはとにかく気を使って『特魔局魔術師一覧』を作成していた。
しかし何かお気に召さなかったのだろう。
ヤンさんは我が身が一番かわいい人間である。
殿下の怒りを鎮めるべく、電光石火の勢いでスライディング土下座をした。
「ほんっっっとうにスミマセンでしたぁぁ!!殿下のお気のすむようにいたしますので、何とぞ、何とぞ平にご容赦をぉぉ~!」
「いやいや、さっき言ったよね。処罰しに来たのではないよ」
「では一体どのようなご用件で」
「だから、その本だって。ちょっと手直しを入れてもらいたいのだ」
「はぁ」
「この人物についてなんだけどね」
「失礼します」
シンの手元を覗きこんで、該当のページを確認する。
「ああ、一番新しく魔術師になられた方ですね。初出ということで、とりあえず基本情報を中心に掲載する予定にしておりますが」
シンの芸術品のように美しすぎる爪先が指し示しているページには、『復元の魔術師』の情報が記載されている。
“『復元の魔術師』
・大陸歴六三九年に魔術師として叙任される。
・女性
・黒髪に琥珀色の瞳
・第三都市出身
・とにかく大食漢として知られる。
・特魔局のローブや仮面の意匠は紫色の鬱金香
・『豪剣』の恋人であった。『豪剣』亡きあとも彼を一途に思い続けているらしい。(以下略)“
「こ、これが何か……?」
「何か?じゃなーい!!」
「ひぃっ」
「何なんだい、こんなにたくさん個人情報載せちゃって!し、しかも『豪剣』の恋人だったとか!今も思い続けているだとか!確かに彼女は一途な面も持つ、とてもとってもとっっても素晴らしい女性だ!だがしかし!思い続けてる、とか!羨ましいったらありゃしないんだよ!彼女の素晴らしさは私だけ知っていればそれでいいのだ!」
「あ、あいやー」
「こんなモノ世に出すわけにはいかないだろう!そうだろう!この部分は全て削除したまえ!」
「…………アイヤー」
「何か不満でもありそうだな」
「滅相もございません」
少々落ち着いて来たのか、シンはゴホンと軽く咳払いをした。
「何もタダで削除をしろと言うつもりはない。彼女がいかに可愛らしく魅力的であろうとも、それについて追加しろと言うつもりもない」
「はぁ」
「先ほども言ったが、彼女の素晴らしさは私だけがわかっていればそれでいいのだからね。そこで、だ。交換条件を出す。彼女については、『復元の魔術師』という名前以外は全て削除にしたまえ。代わりにこの私が一肌脱ごうではないかッ」
「へっ?」
「この私についての特集記事を組めば良いのだ!あること無いこと、赤裸々に全てさらけ出してみせよう!」
あることは兎も角、無いことはさらけ出されても困る、とヤンさんは心の中で突っ込んだ。記事の信頼性が失われてしまう。
しかも特集記事と言われても。製本は目の前。予定している発行部数は、既に予約時点で完売している。発売日はずらせない。
困った。
何かもう頭の中が一杯で、思考速度が急激に遅くなっているのが自分でも分かる。
どうするのがベストなのだろう。
「この私に全て任せれば良いのだ。さぁ、入って来たまえ!」
ヤンさんが目を丸くしていると、ぞろぞろと五人ほど入室してきた。
それからはまるで怒濤のようだった。
拉致されるように別の場所に移され。
いきなり脱いで半裸になった殿下をカメラマンが撮影し出し。
同行していたインタビュアーが殿下の半生を聞き出し。
ライターがそれを元にあっという間にラブロマンス小説さながらの記事を書き起こし。
秘密裏にしていたはずの裏社会の印刷業者とその場で打ち合わせを超特急で行い。
結論から言うと、予定通りに出版できた。
内容は、殿下のお陰で大幅なボリュームアップをしたため、当初よりも随分と(ある意味)濃いものになった。
ヤンさんは大物購入者から消されずに済んだ。
特魔局所属の魔術師からも葬られずに済んだ。
心底ホッとした。
気になる新刊の評価はまずまずだった。
殿下本人公認のロングインタビューが良かったらしい。
特殊な立場にいらっしゃる殿下だからこそ可能だったのであって、先にも後にもこの一回だけだろう。
魔術師一覧の次回刊行は約十年後である。ヤンさんはそれまで地道に情報入手を行うのみだ。
しばらくは平穏で今まで通りの日常を過ごす予定…………であった。
「シン様ぁ、こちらの商品はどういったお品ですの?」
「ああ、それは東洋の装飾品でカンザシと言うのだ。女性の髪に差す飾りだね。髪をまとめるのに使うらしいよ。ほら、貸してご覧。つけてあげよう。君の艶やかな美しい髪になんて似合うんだろう」
「まぁ、シン様ったら」
「わたくし、このような界隈に足を運んだのは初めてですわ」
「君のような高貴な女性には馴染みのない場所かもしれないね。しかし私は、君のような素晴らしい女性にこそ、様々な体験や経験をしてもらって、人生の糧にしてもらいたいと考えているのだ」
「シン様……。そんな風にわたくしのことを考えていて下さっていたなんて嬉しいですわ。それにしても、護衛を撒いてきてしまいましたが、よろしかったの?」
「私がついているのだから、心配いらないよ。それとも何かい?私が護衛では不満かな?」
「そんなわけありませんわ」
「女神のような君を守る栄誉を私に与えてはくれないだろうか」
「シン様ったら」
「シン様、これはどうやって使えばよろしいの?」
「それは望遠鏡と呼ばれる遠眼鏡だよ。ほら、こうやって使うのだ」
「シン様は何でもご存知なのね。あら、よく見えませんわ」
「ははは、そうだろうね。それは名前の通り遠くを見るためのものだからね。このような狭い場所向きではない」
「残念ですわ」
「せっかく私と共にいるのだから、遠くを見たいなどとつれないことを言わないでおくれ。こうして隣にいる私のことだけ、その美しい瞳に映してくれないだろうか」
「まぁ、シン様ったら」
これである。
殿下は何を思ったのか、だいたい十日に一度のペースでヤンさんの店にやって来るようになった。
女連れで。
毎回違う女性である。同じ女性は二度と連れてこない。
そして毎回いちゃついている。友人、という距離感ではない。肩を抱き、腰を引き寄せ、顔を寄せて笑いあったかと思うとキャッキャうふふしてチュッチュしている。
人の店で止めて欲しい。
羨ましすぎる……のも独身彼女なしのヤンさんからしたら仕方ないのだが、ここは連れ込み宿ではないのだ。節度をもった振る舞いを求めたい。
しかし殿下相手には事実上無理なので見てみぬ振りをするしかない。
いつまでこの苦行に耐えればいいんだろう。
羽振りが良い殿下のお陰でかなり懐は潤いつつあるが、精神的にげっそりだ。
早く可愛い嫁欲しい。
贅沢は言わない。せめて彼女が欲しい。可愛くなくても多少性格が悪くても大目にみよう。
ヤンさんは黄昏た。
ヤンさんは知らない。
人生のこの先、シン殿下が『ヤンさんの店』をすっかり気に入り、定期的に訪れるお得意様になるということを。
シン殿下と一緒にいる女性を見続けた結果すっかり女性不信に陥り、一生を独身で終えるということを。
「エマは西国訛りで話せるんだったっけ?」
「どーしたんですか次長、藪から棒に。話せますよ~」
「ちょっとだけ話してみてくれないかい?」
「いいですけど。あんまり上手じゃないですよ。うろ覚えなんで」
「構わないよ」
「ワタシ、エマ言うマス。趣味は美味的ご飯たくさん食べることアルよ~。好きな男のタイプ、求ム誠実!」
「………………ぐふぅっっ!」
「………………(また次長がおかしくなってる。いつものことだけど。皆、こんな男のどこがいいんだろ。顔か?金か?)」
「…………………フフフフ(西国訛りで話すエマ。か、可愛すぎる!しかし内容が心に突き刺さる!)」
誠実さに疑問が残る自覚はあるらしい。
★作中でとにかく「あいやー」と言わせたかった。
★シンはヤンさんのお店で、さすがにそこまでの事はしていません。軽く口にチューくらいかと思われます。