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エマのとある一日

それは紛れもなく名匠の手から産み出された逸品であった。

艶やかな輝きを身に纏い光を反射して燦然と輝く様は、まるで大粒の真紅の宝石を並べたかのよう。

そっと顔を寄せてみれば、この季節にふさわしい甘酸っぱい香りと共に、バターに卵、砂糖や牛乳やバニラが完璧な配合で一体となった芳香を胸いっぱいに吸い込んだ。


「あああぁぁぁ~!た・ま・ら・ん!!!!」

「うるさい!」


ガン!ともゴン!とも聞こえる音が室内に響いた。隣室から壁を蹴られたらしい。


「ごめ~ん!!」

「だからうっさいっつってんだろーが!このボケが!こっちは二日ぶりにやっと寝れんだよ!寝させろ!!」


隣室から怒鳴り返されて、エマは口の中でモゴモゴと謝った。

この休憩室と仮眠室は隣り合っており、間の壁はそこそこ薄い。ちょっと大声を出そうものなら丸聞こえだ。だがいかんせん、仮眠室の利用者は疲れはてた者ばかりであるため、一度寝入ってしまえば爆睡してしまう。そんなこんなで部屋割りに対する苦情は意外と少なく、結果的に現状維持されている。


エマは改めて、目の前のテーブルに鎮座している魅惑のスイーツと向き合った。

半年に一度発行されている「これで貴方も食通になれる!老舗からニューオープンまで王都のお店を完全網羅☆あのお店に行ったことのない貴方はモグリ」という情報誌(エマの愛読誌である)の前回の特集「本誌の編集者が選ぶ各ジャンルのお店を格付け!トップテンの栄光はどの店の頭上に輝くのか~」のスイーツ部門で栄えある第二位に選ばれた新感覚スイーツである。常に店内は客でごった返している人気店で十日に一度だけ限定三十個のみ販売される「季節のフルーツタルト・癒しを求める貴女に捧げる極上の一時を」の今月の商品である。ちなみに一度に一人一つのみしか購入できない。

以前から販売日と重なるように狙って半日の有給休暇を申請していたのだが、ようやく今回希望が通って休みをもらえたのである。間違いなくゲットするために、開店の三時間前から店頭に並んだ甲斐あって(それでもエマの前に並んでいる強者が存在した)無事お目当ての品を含め数種類の商品を購入できた。それを大事に抱え職場に出勤したところである。休憩室で今日の戦利品を堪能して英気を養い、その後本日の勤務に入る心積もりであった。


念願かなってようやく対面できたスイーツなのである。

目と鼻で十分に楽しんで、エマはフォークを手にした。

この「タルト」というスイーツが画期的なところは、それまでケーキはふわふわとしてスポンジのようであるという概念を覆したという点にある。噂によるとサクサクとした「タルト」という食べることのできる器の形をしたクッキーのようなものに、しっとりとしたスポンジ、とろける口触りのカスタードと生クリームが敷き詰められた上に、その季節の最高級フルーツがちりばめられているとのことだったが、噂以上の出来栄えである。正に芸術品の名に恥じないとエマは感じた。

見ているだけで口のなかに唾液が溜まってくる。

このままいつまでも眺めていたいのは山々なのだが、あまりゆっくりしすぎると勤務時間になってしまう。

名残惜しい気持ちのまま、意を決してフォークをタルトに挿そうとした瞬間。


身分証明用兼通信用の指輪が回線を繋いできた。


『特魔局局員、”復元の魔術師”に告ぐ。これは緊急招集命令である。速やかに現地に赴き、指示に従い任務を遂行せよ』


いやいや、現地ってどこよ。

指示を出す現場責任者は誰よ。

任務の内容は何だ。


何一つ具体的な情報のない通信に心の中で瞬時にツッコミを入れるのとほぼ同時に、エマの周りに光の粒子がキラキラと光を反射しながら集結しだす。瞬く間に光は円や図形を組み合わせた、いわゆる魔方陣を浮かび上がらせてエマの足元に固定された。

「緊急にもほどがあるっつーの!“空間固定結界”!!」

エマがスイーツに向けて魔力を飛ばしたのと同時に、足元の魔方陣からぐいと引き込まれ、エマの姿はその場から消えた。






「あーあ、こりゃまた派手にやっちまったな」

「どーすんだよ、これ」

「だいたい”勇者“が悪いんだよ。こんな民家がある場所でグレートホーン相手とは言え、大暴れするから」

「しょうがないよ、とにかく時間がないから大至急って命令だったし。余裕があるなら罠を仕掛けたり、細工のしようもあったけど。それでいいって”ロングボウ”も賛成したじゃん」

「過ぎたことは仕方ねえ。問題はこの半分瓦礫の山と化した館をどうやって誤魔化すか、だ」

「ああ、それならばおそらく解決できる」

「あ、もしかして……?」

「次長から”オールリンクリング“を通じて“復元の魔術師”に緊急招集令を出すようだ。次長が転移魔術で呼び寄せるだろ」

「彼女、次長のお気に入りだからなぁ」

「お気に入りってか、後始末係ってか。たまに憐れみを感じるよ」

「じゃあ、俺らもさっさと退散しようぜ。ぐずぐずしてたら騒動に巻き込まれそうだし、何よりこの惨状の原因が俺らだって”復元の魔術師“にばれたら」

「正確には俺らじゃなくて“勇者”が原因だけどな。女の恨みは恐ろしい。さっさと逃げるに限る」

「よし、大至急で最寄りの転移陣に向かうぞ」

そんなこんなで“勇者”一行は転移陣を経由して特魔局本部に帰還した。もちろんそのまま解散とはいかず、報告書に加えて始末書まで書かされたのは言うまでもない。






再びぐんと引かれると共に、足元に地面の感触を感じると、周りの景色もはっきりしてきた。

エマの目前には、観光名所にでもなりそうな風光明媚な景色。を台無しにする瓦礫の山。

後ろを振り返ると、いかにもお貴族様の邸宅の門構えらしきものがぐるりとこの一帯を囲んでいる。そして視線を正面に戻せば、見る影もない瓦礫。

シンプルながらもセンスのあるお洒落な外門と、それにふさわしいすっきりとしていつつも歴史を感じる重厚感のあるお屋敷が、崩れた部分のためにどうしようもない状態になっている。正面から見て左側から四分の一ほどが崩れているため、無事だった部分との対比でより一層無惨感が増しているのだ。


はあぁ、とエマは嘆息した。

おそらく、というよりも間違いなく、エマの任務とやらはこの屋敷の復元である。かといって憶測で勝手に仕事をするわけにもいくまい。

とりあえず特魔局の制服であるフードつきのズルズルとしたローブの袂から支給されている仮面を取り出して装着した。これは顔面の上半分を隠すもので、なかなか精巧な細工物である。フード+仮面+ローブで立派な不審者の出来上がりだ。救いはローブに刺繍されている紋様が世界的に認知されている魔術師のエンブレムで複製不可のため、この格好でいることはこれ以上ないほど身分の保証にもなる。



「“復元の魔術師”さまとお見受けいたします」



振り返ると、この屋敷の家人だろうか、いかにも執事然とした中年の男性を先頭に数名が近づいてきた。

”それらしく“見えるよう、鷹揚に頷いて相対する。



「いかにも私が“復元の魔術師”である。緊急招集命令によりこちらに参った次第だ」

「ようこそお越しいただきました。私はこの屋敷で執事を勤めておりますジェームスと申します。お見知りおきを」

「で?」

「は、本来ならばこのような場所ではなく屋敷の中でゆっくりとご説明差し上げたいところのですが、何分事態が切迫しておりまして。至急この惨状を復旧していただきたい次第なのです」

「と言われてもねぇ。任命書は?それを確認しないことには、私からの返答はしかねる。ついでに至急復元しなければならない事情とやらの説明を。見たところ、この屋敷の持ち主は相当裕福だろう?何も魔術師に依頼せずとも、修繕なり改築なり思うままにすれば良いだろうに」


エマの言葉を受けて家人たちは顔を見合わせた。

ジェームスがそろりと一歩踏み出て、小さく折り畳まれた紙切れを差し出しながらおずおずと口を開く。


「ご指摘はごもっともです。時間さえあればもちろんそちらに頼ることなく補修工事をするところなのですが、実は隣国の伯爵家のご令嬢をこちらでおもてなしすることになっておりまして」

「ふうん。いつ?」

「今日です。ついでに言えば時刻が差し迫っております」

「………………(それであの緊急招集か)」

「タイミングが悪いとしか言いようがございませんが、しばらく前から目撃情報があったグレートホーンがよりにもよって今日この近辺に出没したのです。討伐にいらしてた”勇者“様ご一行に大至急なんとかしてもらいたいと申したところ、瞬く間に退治していただけました。ところが、ご覧のような有り様になってしまいました。隣国とはかねてより国境付近で小競り合いが多く一触即発ではありましたが、先日ようやく協定が結ばれ友好への道を歩み始めたことろにございます。そこであちらの姫君からのお申し出により、こちらの主と親交を深めますことが友好への橋渡しの第一歩になるとのことで、お迎えするところなのです。快く滞在していただけるためにも、屋敷がこのような惨状ではそれもままなりません」

「なるほど。事情は理解した。ちなみにここの主はどなただ?」


一応問いかけてみたものの、実はエマには予想がついている。

というよりも、むしろ確信している。

突然呼び出し、こんなに強引に仕事を割り振る人物は一人しかいない。簡単に人間一人を正確に転移させる能力をもった魔術師も一人しか思い浮かばない。

ジェームスから手元に渡された紙片を広げて目を通す。ビキリとこめかみに青筋が出るのを避けられなかった。



紙片には『大至急修理!見た目だけ直しておいてくれ。ボーナスとして食堂の食券一週間分を支給する』と、走り書きながら流麗な筆跡で記されている。残念なことに、特魔局の印がしっかりと押されているので、任命書として効力を発揮してしまっている。そしてこの見慣れた筆跡。ため息しか出てこない。



「こちらの主はシン・アズドラド・タリスマン様にございます。ただいま件の姫君の迎えに出ております。依頼を出したにも関わらずご挨拶もできず、大変申し訳ありません」

「構わない。……てか、やっぱ次長じゃんか。カネモチの癖に一週間分とかケチすぎる。せめて一ヶ月…」

「なにか?」

「いや、こちらの話だ。大至急、なのだろ。今から術式に入る。一応退避しておいてくれ。それと修復が済み次第、食事を所望する。準備を頼む。言っておくが、私はかなり食べるぞ」

「かしこまりました」


屋敷の家人たちが一定距離離れるのを横目で見ながら、エマは修復部分を確認した。外観だけでいいということだし、範囲も問題ない。

ゆっくりと魔力を集めて集中する。


「万象の理 流れ落つる時の砂

巻き上げ開けよ 定めの扉

廻り廻れ時の砂

我が願いのままに元の姿を現せ」


ぽう、と胸の当たりが温かくなると、魔力がうねり凝って虹色に煌めく蝶を成した。蝶に混じって小指の先ほどの光る球体のような精霊も少数ながら寄って来る。キラキラと虹色の光を放ちながら蝶と精霊は一斉に飛び立ち、瓦礫の周りにまとわりつく。と同時に、そこだけ時間が巻き戻された。

崩れた壁の破片はふわりと浮き上がり、次々とパズルのピースが嵌まるように整然と並び修復していく。瞬き一つの間に、瓦解した屋敷は元の優美な姿を取り戻した。これでエマの仕事は終了である。

肩の力を抜いて大きく一つ息を吐き出すと、ぐぅとお腹が自己主張をはじめた。魔力を消費すると、とてつもなくお腹がすくのだ。しかも今日は昼食代わりに考えていた魅惑のタルトや他に買い込んだスイーツを食べ損ねている。そろそろ限界だ。

早く屋敷の中に行って執事のジェームスとやらに昼食を出させて任務遂行の確認をしてもらい、さっさと近くの転移陣から特魔局の本部に帰ろう。

エマは足早に屋敷に向かった。




「……………………」

ジェームスは呆気に取られた。

敬愛する主の部下にして、今日の窮地を救ってくれた復元の魔術師に要求され、昼食を準備していたのだ。さすがその名の知れた特魔局から派遣されてきた魔術師らしく完璧かつ迅速な仕事ぶりで、お陰で隣国のご令嬢の到着に間に合った。何事もなかったかのように粛々とご令嬢をお出迎えできたのである。

一段落したので、復元の魔術師の元に足を運んで、絶句してしまった。

フード付のローブと仮面のせいで断定はできないが身長や声の感じから、ジェームスは復元の魔術師は成人前後の女性だろうと推測していたのである。女性の昼食としてはたっぷりすぎるほどの量のコース料理を出すように手配していたはずが、復元の魔術師の前には大きな寸胴鍋がどーんと置かれていて、ほぼ空になっている。賄い用の空になった寸胴を前に、頭によぎった可能性を否定したものの、籠に積まれたバターロールの山がみるみるうちに復元の魔術師の口の中に消えていくのをただぼんやりと見てしまった。

「ん、確か執事の……ジェームスとやら。さすが次長の屋敷であるな。なかなか美味な昼餐であった」

「は……、それは何よりにございます」

もぐもぐとバターロールを咀嚼して、よそったスープをごくごくと飲み干すと、なんとも驚いたことに魔術師はさらに食後のデザートまで要求してきた。ジェームスは執事としてのプライドを総動員して「これ以上本当に食べる気ですか」という言葉を飲み込んだ。この様子だと冗談抜きで本当に食べるのだろう。

デザートを大至急で準備するよう厨房に伝えにいくついでに、魔術師から任務遂行の確認するための証明を一筆したためるよう言われたので、ジェームスは準備に向かった。




ガチャリと扉が開く音に、エマは目を輝かせた。

味も質も大満足の昼食は腹八分目に押さえたし、期待のデザートとお茶で締めれば大満足である。帰れば結界で保存したお楽しみの季節のフルーツタルトが待っている。さすが名門なだけあってデザートの準備も証明書類の準備も早いものだと感心しながら、ジェームスが戻ってきたのだと思い込んでいた。


「執事殿、ずいぶん早かった………………」

「おや、その可愛らしい口から、他の男についての言葉が出てくるとは。妬けてしまうな」

「ゲッ」


そこに立っていたのは目が潰れそうなくらいのキラキラオーラを纏った美麗な青年、シン・アズドラド・タリスマンである。

特魔局次長の彼は、濃厚な蜂蜜色の柔らかそうな髪をしている。意思の強そうな瞳は深い森の奥のような緑で、甘くなりすぎそうな顔貌を程よく引き締めていて神話を模した彫刻に彫られたイケメンと名高い神様にそっくりだ、いやそれ以上の男振りだ、と巷では有名なのである。すらりとした長身に、しっかりと厚みのある肩や胸回り、万人が羨む足の長さ。嫌味なほどの容姿を持ったこの青年は、嫌味なほどの身分と肩書きを持っており、嫌味なほどの資産も持っていて、当然ながら嫌味なほど女にもてる。因みに独身だ。数多の女性を渡り歩き、同時進行で複数の女性を侍らせているが、結婚には踏みきらない。現在国内で一番有名な独身貴族である。


彼はその足の長さを存分に活かして一気にエマとの距離を詰めると、さっとエマの手を取り、ちゅうっと口づけた。ぐらりと軽いめまいを覚えて一瞬気が遠くなりかけたエマだったが、気力で踏みとどまった。

ここで気を失ったりしたら、このエロ魔神に何をされるかわからん。(平凡な顔立ちのエマは間違いなく何もされないとは思うが、この男は「目を合わせただけで女を孕ませる」という噂がまことしやかに流れているのだ)

急いで取られた手を振り払い、ローブの下でごしごしと手を拭う。


「何の用ですか、次長。確か隣国のお姫様をおもてなしされてる最中では?」

「君と私の仲じゃないか。何の用かとは、つれないなぁ」


バイ菌が付きでもしたかのように拭われているエマの指を何とも言えない表情でシンは眺めた。


「お姫様を放ってたら駄目でしょう。こんなとこで油売ってる場合じゃないと思いますけど。あ、私、あとデザートいただいて書類受け取ったらすぐに本部に帰りますので。食券忘れないで下さいよ」

「あー、その、何だ、君はこの後の予定は?」

「予定ですか?とにかく一刻でも早く帰りたいです」

「まさかデート……」

「相手いないの知ってるくせに何言ってるんですか。緊急招集のせいで楽しみにしてたスイーツを食べ損ねてるんです」

「デートじゃないのか」


何故かほっとした様子のシン。

エマはさりげなく近づいて腰を引き寄せようとするシンをさらりと避けて、素早く距離を取る。

正直、面倒くさい。

こうなったらデザートは諦めてさっさと帰った方が良さそうだ。


「次長、私、もうおいとまさせて頂きますね。証明書は後で送ってもらえるよう手配しといて下さい」

「え、いやいや、もうちょっとゆっくりしようよ」

「嫌です」

「実は君にちょっとしたお願いが」

「無理です」

「そう言わずに。君にしか頼めないんだよ」

「そんなわけないです。じゃ、私はこれで帰らせていただきますんで。お先でーす」

「ちょっ、待っ……」



「殿下、こちらにいらっしゃいますの?わたくし、待ちくたびれてしまいましたわ」



声に振り返ると、戸口に可愛らしい女の子がいた。生粋のお嬢様といった風貌に、エマはきっとこの子が隣国のお姫様なのだろうと思った。こんな可愛らしいお姫様を放って油を売ってる場合じゃないぞ、次長。全身全霊でおもてなししないといけないところだろう。

ちなみに「殿下」とはシンのことである。


「では、私はこれにて失礼する」


エマはすれ違い様に軽くお姫様に会釈をすると、部屋を出るために足を向けた。ところが、ぐいと肘を引かれて室内に戻されてしまう。体を入れ換えるようにシンが戸口に移動した。

エマの耳元に顔を寄せ、小声で囁く。


「アマリエッタから呼び出しが来てね」

「はっ?!」

「ドレスを注文しているところらしいんだが、どの色にするか迷っているようで」


エマはものすごーく嫌な予感がした。

これ、いつものパターンじゃないか。


「アマリエッタが私を頼りにしているんだよ?行かないわけにはいかないだろう?」


シンは 誰もを虜にしてしまいそうな輝かんばかりの無駄な良い笑顔だ。キラリっと効果音まで聞こえてきそうである。幻覚だが、背後に薔薇の花が飛んでいるようにも見える。


「というわけで、任せた」


ポン、とエマの肩を軽く叩くと、シンは言葉通りその場から消え失せた。魔術で転移したのだ。



そこに残されたのはエマと、隣国のお姫様。

とてつもなくいたたまれない。


次長め!!

いつもいつも女を私に押しつけてアマリエッタ様のところに行きやがって!!

アマリエッタ様を優先するくらいなら、他の女との約束なんて入れるんじゃねーよ!!


心の中でシンを罵倒するエマの表情はきっと般若のごとくだっただろう。仮面で隠れていて幸いだった。

わめき散らしたい気持ちを押さえて、なるべく平静を装った口調を心がける。



「な、なんというか…………スミマセン」

「え?」


隣国のお姫様は、去り際のシンのキラキラスマイルの余韻に浸っており、半ば夢心地の状態だったようだ。助かった。







「で、わたくし、貴女に色々とお尋ねしたい事がありますの」

「………………何だろうか」



応接室に移動して、お互い名乗りあった。エマは規則に従って名前ではなく”復元の魔術師“という称号を名乗り、隣国のお姫様はマーガレット・ジェファーソンと名乗った。貴族の系譜に全く詳しくないエマは、ジェファーソン家がどれくらいの家柄なのかさっぱり見当もつかない。執事が言っていた内容から、多分外交分野で発言力を持つお家のお嬢様なのだろう。

先ほどの執事のジェームスの話ぶりから推察すると、このお嬢様のご機嫌を損ねでもしたら外交的にまずいのではないだろうか。

全く次長ときたら、とんでもない面倒事を押し付けてきたものである。エマは自慢できるほど、気の利いた会話などできないのだ。国際情勢にも疎い。

こういう事こそシンが最も得意とする分野のはずだ。その見た目で虜にし、その知識は多分野で広範囲であり嫌みのない語り口で話題も豊富。

ここでその能力を遺憾なく発揮すべきである。とはいえ肝心のシンはアマリエッタ様のところに行きやがった。ここはエマがどうにかするしかあるまい。くそう。後から追加ボーナスの支給を断固として訴えてやる。



「これですの!」


ジャーンと応接テーブルに出されたのは、薄っぺらい一冊の本。

厚みはないが、装飾が施されていてそこそこの感じの本である。

しかし、どことなく大衆的でもある。こんなお姫様が持っているにしては安っぽい。

表紙を見てみれば『特魔局所属魔術師一覧 大陸歴六四五年改訂版 アズドラド国編』と記されている。


「こ、これは」

「実はわたくし、魔術師マニアなのですわ。伝を頼ってこの本を手に入れましたの。せっかくこの国を訪問するのですから、是非ともこの国の魔術師の方にお会いしたくて」

「………………」


本の存在については、エマも知っていた。数年から数十年に一度発行されるというその本は、機密上の問題から公式には発表されていない情報まで驚くほど正確に記載されているという。その性質上、内容は非公認かつ非公式であり、出版者も表に出てこない。そして拡散を防ぐためか超限定販売で発行部数も少ない。闇のオークションに出品されようものなら、その筋のマニアが金に糸目をつけずに手に入れようとするという。


マーガレットの持ってきた魔術師一覧はきれいに色分けされた付箋が無数に貼られており、読み込んでいる感が半端ない。紙の端がよれていてボロボロになりかけている。


エマはマーガレットの様子を観察してみた。

ウキウキルンルンと擬音がぴったりと当てはまるご機嫌な状態のように思える。次長がマーガレットを置いて去ってしまった事については毛ほども気にしていないようだ。


た、助かった……のか?


とりあえずだが、シンのマーガレットに対する礼を失した態度の影響はないようである。無駄に計算のできるシンのことであるから、エマの所に来る前にきちんとマーガレットにそれなりの対応をしていた可能性が高いが。

それにしても本当にマーガレットはシンの不在を気に留めていないようなのである。先ほどの発言によると魔術師マニアであるらしい。それなのにこの国の魔術師代表ともいえるシンにそれほど興味がないようなのは、これいかに。


「マーガレット嬢は次ちょ……シン殿下と交流を深めずとも良かったのか?」

「よろしいのです。ご挨拶も済ませましたし、この本の通りの方だと確認が取れましたので、後はもう帰国の際にお礼を申し上げるくらいで結構ですわ」

「この本の通りというと」

「ここですわ」


マーガレットは黒い付箋が貼られたページを開いてエマに差し出した。

(……………………なんじゃこりゃ)

さっと目を走らせて見る限り、まず見開きでシンの全身・顔面アップの正面・衣類をはだけた上半身のセクシーショットが掲載されており、さながら写真集のようである。

そのままペラリペラリとページを繰ると、シンの誕生に始まり~年上の女性との初恋を綴った幼少期~身分や才能に悩みつつも、王妃様の侍女に惹かれていく少年期~悩みになんとか折り合いをつけ、外国の外交官婦人との秘められた関係を続ける青年期~博愛の精神のもと全ての求められる愛に応えることを決意した現在までがオトナの女性向けのラブロマンス小説の如く綴られている。もうそれだけで本の半分以上のページを費やしている。その後は数ページに渡り特集としてシンのとある休日一日密着取材の様子や記者との対談の様子が記載されていた。

思わず死んだ魚の目になったエマを誰も責められまい。

なんだかお腹がいっぱいになった。というよりも胸ヤケを感じる。

確かにこの本を読めばシンの情報はほとんど知ることができるに違いない。

シンと個人的に「仲良く」なりたいのでないならば、確かにこれ以上シンと過ごす必要はないのかもしれない。



「先ほどまで殿下とお話をさせていただいていたのですが、記載されている通りの方だと理解しましたので、もうよろしいのです」

「デスヨネー」

「他の方も一通り情報があるのですが」


他の頁をさっとめくると、だいたいにおいてメンバーは一人につき一頁が割り当てのようである。非公開であるはずの出身地やちょっとした裏情報が書いてある。仮面やローブで隠れているはずの髪や目の色といったものまで載っているのだが、恐ろしいことに正しい情報であった。真偽は定かではないもののなかなか興味深い内容だ。メンバーの使用する仮面やローブの微妙な仕様の違いにまで言及してある。


「ここをご覧下さい」

「ん?」


マーガレットが指し示した金色の付箋の頁を開くと、そこにはわずか二行のみでほぼ白紙だった。


『復元の魔術師

詳細不明』



私か!

私だけ情報がないのか!

秘匿されているはずの情報が漏れていることに関しては疑問に思う。しかし、かといって自分一人だけきっちりガードされているのもなんとなく悲しい。仲間外れの気分である。

エマは密かにうちひしがれた。


そんなエマとは対照的にマーガレットは興奮状態のようである。


「まさかトップシークレットとも言うべき『復元の魔術師』様にお会いできた上に、こんなに親しくお話できる機会をいただけるなんて、わたくし、天にも昇る気持ちですの。もちろん殿下について差し出がましいことを申し上げるつもりはございませんわ。それ以上の至福の時間を与えていただけたのですから」

「…………それは何よりだ」


誰もがこぞって既知を得ようとする次長を差し置いて、至福の時間認定をもらってしまった。

そんなに激レアな存在だったのか、私。


「ですから、わたくしと語り合いましょう『復元の魔術師』様。

謎のヴェールに包まれたご本人から直接情報をいただけるなんてわたくしは果報者ですわ」

「そ、そうか」

「ではまず年齢から教えて下さいまし」


マーガレットが質問をはじめた途端、マーガレットの侍女と思われるお付きの女性が筆記用具を出してメモを取り出したのでエマは若干引いた。


「黙秘で」

「何故ですの」

「守秘義務があるからだ」

「それを言われてしまうとどうしようもないですわ。恋人はいらっしゃるの?もしくはご結婚されてるのかしら」

「それも黙秘で」

「好みの男性のタイプは?」

「黙秘する」

「ご趣味は?普段は何をしてお過ごしなの?」

「黙秘」

「んもう!先程からそればかり!」

「仕方ないだろう。我々は他人に個人的なことをあまり知られるわけにはいかないのだ」

「それはそうなのですけれど」

「普段は何をしているのか、という問いには答えても良い。答えは、主に研究をしている、だ」

「まぁ」

「もちろん研究内容は秘密だ」

「……仕方ありませんわね。貴女からお話をお聞きするのは諦めますわ」


エマはほっとした。


「その代わり、わたくしの相談を聞いていただきますわ!」

「へっ」

「お友達にも変に勘ぐられるのが嫌なので、本音で相談できる相手がいないのですわ。ですので、聞いてくださいまし」


えぇ~、とは思ったものの、賢明にも口には出さなかった。

それからのマーガレットは凄かった。

水が堰を切ったかのごとくまくし立てた。相当鬱憤が溜まっていたらしい。

要約すると、親の決めた婚約者がポッと出の身分は低いが愛らしさに溢れる女にうつつを抜かしたと言うことらしい。いつかどこかで聞いたような内容である。深く愛している訳ではないが長年の付き合いでそれなりに情が移った婚約者に対しての愚痴だった。相談と言われた気がするが、徹頭徹尾愚痴に終始した。


エマが半ば白目を剥き魂を飛ばしかけた頃にようやくお開きとなった。いつの間にか陽はだいぶ傾いていた。

疲れはてたエマはマーガレットから「次回何かの式典やパーティーで顔を合わせた時は友達として接してもらいたい」との申し出にうっかり頷いてしまった。色々と疲れはてていたのだ。


疲れた体を引きずるようにして準備された馬車に乗り込み、最寄りの転移陣を利用して特魔局本部の自室に戻れたのはとっぷりと日が暮れてから。

残念すぎることに、食堂が閉まってしまったため、夕食を食いっぱぐれた。そこそこ満足はしていたものの、精神的疲労により身体がカロリーを必要としている。


そんな時こそアレでしょ!

私にはお楽しみが待っている!


気を取り直して意気揚々と自分の研究室に戻ったエマは信じられない光景を目の当たりにした。


「ちょっと次長…………。……コレ、どういうことです…………??」


ドスの効いた声に無表情のエマの前には、シンと破られた空間固定結界と空のケーキ皿と使用後のフォーク。

シンは焦った様子で立ち上がった。



「ち、違うんだよ!そう、誤解、誤解なんだよ!私が君の大事な食料を食べるはずないじゃないか。これはアマリエッタが」

「言い訳無用!!」


エマの怒気に呼応して空間が熱を持ちはじめる。バチバチと火花まで飛ぶ。対照的に足元は冷気により凍りつき、今にも氷漬けになりそうだ。


「エマさん、ちょーっと落ち着こうか」

「これが落ち着けるかぁ!!」


火花が飛び散り吹雪が吹きすさび雷鳴が轟く室内。

この騒ぎは研究棟に居合わせた魔術師があまりのうるささに耐えかねて仲裁に入るまで続いたという。







きっかり十日後、まだ夜も明けやらぬ中に「限定三十個季節のフルーツタルト」と共に店内の商品を全種類購入すると約束させられたシンは店の前に並んでいた。(これから三ヶ月の間、十日に一度並ぶことになった)

元から人気店であったのだが「イケメンがスイーツを買うために並んでいる」「イケメンがスイーツを購入している」と話題になりありとあらゆる年代の女性が殺到し、さらにフルーツタルトが入手困難な有名店になったのは余談である。


★補足説明★

エマがマーガレットのことを「お姫様」と言ったりしていますが、彼女は隣国の王女さまではありません。庶民のエマからしたら、お金持ちの良いおうちのお嬢様=お姫様なのです。そういう感覚での台詞とご理解ください。

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