「キャラメルの思い出」
夕方から降り出した雨は止みそうにない。窓に映るビルの明りが滲んで見える。
部下たちを早々に帰し、今日も一人で残業だ。
俺は連日の残業で疲れ気味になった目をこすりながら、大きく背伸びをした。
夜の十時、今日の仕事も少し目途が付いたところで、小腹がすいてきたことに気がつく。
何気なくデスクの一番上の引き出しを開けると、二粒のキャラメルがあった。
「課長、あんまり無理しないでくださいね」と、部下の子が帰り際に俺のデスクの上に置いていったものだ。
俺はキャラメルの包みを剥がし、口の中に放り込む。
あれ? なんだか懐かしい。急に幼い時のことが瞼に浮かんだ。
小学校一年生の時の誕生日に、母からキャラメルをもらったことがある。
俺はその時無性に腹が立った。
「プラモが欲しいって言ったのに、こんなのいらない!」
悔しくて悲しくて、泣きながらキャラメルを投げ捨てた。
六畳一間のアパートには小さな台所があり、その隅っこにキャラメルの箱が転がった。
母は怒らず、悲しそうな顔でキャラメルの箱を拾いあげると、「ごめんね」と小さな声でつぶやいた。
その瞬間、俺の目から大粒の涙がこぼれた。なんだかとてもひどいことをしてしまったような気持ちになったのだ。俺は思わず母のところへ駆け寄り、思いっきり抱き付いて、ひたすら謝った。
「お母さん、ごめんなさい。やっぱりそのキャラメルちょうだい」
俺はどうしてもどうしても、そのキャラメルが食べたくなったのだ。
母は抱き付く俺をいったん離し、両肩に手をやると、とてもうれしそうな顔で俺を見つめた。
そして思いっきり俺の体を抱き締めた。
その時の温もりは未だに覚えている。
広いオフィスは、自分のデスクの上だけに電気がついている。
時計の針は十一時を回った。
ふと窓を見上げると、雨も上がって窓に映った星が瞬いていた。
部下からもらったキャラメルを、もう一つ口に頬張る。
窓に滲んだ星の瞬きは、キャラメルをくれた部下の瞳にどことなく似ている。
そういえばあいつ、明日誕生日だったな。
キャラメルのお礼にケーキでも買ってあげるか。
連日の残業で疲れていたはずの俺は、軽い足取りで暗いオフィスを後にした。