欲望の箱
「………暇じゃね?」
生徒会室で、アイスをかじりながら呟いた。
今はなんと夏休みだ。夏休みなんですよ。夏休みなんですよ?それなのに、え?なんで学校に来させられて、学校の事務させられてるわけ?
「…………暇なのは会長だけですよ。」
キーボードを叩きながら、翔石君が心底うんざりしたような声を出した。夏の暑さのためか、仕事量の多さのためか、俺の発言がうざったくてかどうかは知らないが………
「いや、今の俺は休憩中っていうやつさ。そして休憩中だというのに面白いことがないから嘆いているんだよ。」
「学校に来てからずっと休憩中なわけですか………燃費の悪いオンボロ車みたいですね。そろそろ本気を出してみては?」
「リッター1キロぐらいしか進まないから、登下校分しかエネルギーがないのよ。これはガス欠しない為の必要休暇?」
「あんた1時間ペースでコーヒー牛乳開けてるでしょうが!ガス欠もクソもないですよ!」
「生きるだけで、人は何かを使うもの。それが定めさ生命の神秘。……うーん、字余り。」
「何リズムとりつつそれっぽいこと言って誤魔化そうとしているんですか。仕事してくださいよ仕事。」
「よし、これから俳句大会をしよう。」
「ねぇ、人の話聞いてくれません?」
俺は仕事中の翔石君、雪さん、宏美を接客用のソファに座らせた。
「ルールは簡単だ。五七五もしくは五七五七七だったらなんでも良い。1人最低一句詠んで、その中から最高なものを1つ、4人で多数決で決める。そしてそれに選ばれた人は、そうだな、俺の対応できる範囲で願いを1つだけ叶えてやるぜ。」
「ふーん………太っ腹ですね。それより季語とかはどうするんですか?形しか指定しませんでしたが。」
「あってもなくても良いよ。ただまぁ、季語があったらテクニカルポイントを貰えるかもなぁ。」
「おいおい、2と3をうろついていた筆者の国語力で、こんなことやったら大惨事になると思わないのか。」
なんともまぁ宏美の質問の鋭いこと………そうなんです。国語苦手なんです。ていうか得意な科目がそんなにないです。
「ま、まぁあれだ。なんとかなるだろ。所詮学生のお遊びなわけで……レベルが高いものなんて求められてるわけがないさ。」
「…………咳をしても1人。」
自由すぎる雪さんの一言!!つーかパクリじゃないか!!
「しかし言っときますが、僕、仕事したいんですけど。こんなの真面目に参加しないかもしれませんよ。」
「じゃあ俳句や短歌で会話をしよう。それに制限時間も儲けよう。十分ぐらい。……うん、そうしよう。」
「自由ですねぇ……わかったよ、それなら良いよ、大歓迎。仕事あるんで席に戻るよ。」
「五本指、使いすぎには要注意、無理ない範囲で適度に休め。」
という感じで、俺たちは席に戻って仕事を再開した。
「狩虎野郎、この会話マジやり辛い。さっさとやめろよおい主催者。」
狩虎野郎ってなんだよ………
「だめでぇーす。決まったものは変わりません。社会のルールさ、従え宏美よ。」
「うるせぇな、まじうるせぇな、うるせぇな。しばき倒すぞ特に顔面。」
えぇ………まぁ、あれだ。これなことでも息抜きになってくれたらそれで良いのさ。PC画面なんかを作業で見続けてたら色々と疲れちゃうからな………頭の体操大事よね。
………それに、願い事を叶えるとか言ってしまったが、今俺には金がない。マンガに使ってしまったのだ。そう、これぐらいのダラダラ雰囲気で報酬の件がうやむやになってくれたら…………
「……………夜の秋 追い重なるは 鈴虫か 無視する君の 涼しき横顔 」
「…………………」
俺は雪さんの方を見つめた。
カタカタカタカタと音を立てながら、雪さんは仕事に打ち込んでいる。
ニヤッ
しかし、その口元に一瞬だけ現れた薄い笑みを俺は見逃さなかった。
ドッドッドッドッ!
俺の鼓動が早まっていくのを感じる。
まさか、こいつ………勝ちに行っているだとぉお!?みんながナァナァ雰囲気の中で!!正気か!?正気なのかこいつはぁああ!!
ガサガサッ
ゴクゴクゴクッ!!!
慌てて俺はリュックを漁り、コーヒー牛乳を開けると一気飲みした。喉から胃へと冷たい液体が流れていくのを感じる。火照った体に良い刺激だ。
ダメだ、慌てるな。慌てちゃあダメだ。冷静になれ………
俺はシャーペンを取り出し、ペン回しをして気分を落ち付けようとした。
ゴトン
しかし落とした。そもそもペン回しできないのを忘れていた。
ダメだ、落ち着け。落ち着くんだ。冷静になれ。
俺は再度雪さんの方を見た。
やはりいつも通り無表情だ。
………しかし、この人は、今まさに勝ちを狙いにきていた。他のあの雰囲気をぶち壊してまでだ。………それほどまでに叶えたい願いがあるというのか!!この俺を不幸にしてまで!!
「……………」
しかし、冷静さを取り戻した俺の頭は非常にクリアだ。
大丈夫だ。慌てる必要はない。……何、俺が雪さんを超える作品を作り出せば良いだけなのだから。この、模試で全国214位をとった灰色の脳細胞をもってすれば造作のないこと!!
「………森の中 苔むした噴水に 座る君 機微も変わらぬ 青蛙の一声 」
「………………」
「残り五分、テレビ欲しいな、雪さん。」
おい!何要望してんだ!まだ勝ちと決まったわけじゃないだろぉ!!
「そういやさ、出せる範囲はどれくらい?がん逃げされると困るからさ。」
だからまだ負けてないからぁ!!まだ半分あるんだからさぁ!!
ズギュゥゥううんん!!!
ぐっ……そんなバカな!!!
突如襲った激痛。それは下腹部を殴りつけるような強烈なものだった。
そんな……こんな時に腹痛だと!?一体何が原因………はっ!!
そうか、冷たいコーヒー牛乳を一気飲みしたあの時か!!
ふっ、だが慌てるでない。言っとくが俺は小さい方の便を6時間、大きい方を2時間我慢したことがある男だ。こんな痛み、5分我慢するなんて簡単で…………
「ぐっ!?」
ズギュゥゥウウンン!!!
加速する激痛!!
これは……いままでのとレベルが違う!!……ストレスと飲みすぎによる相乗効果だ!!クソッ………こいつはヘビーだぜ!!
ちくしょう………なんでこんな目にあわなくちゃいけないんだ!!俺はただ、息抜きになればと提案しただけなのに!!それなのにこの仕打ちはなんだ!!そんなにこの俺から全てを奪いたいのか!!………全てを失うのは自業自得だとでも言いたいのかぁ!!!
「はぁ………はぁはぁ………」
嫌な汗が出てきやがった……ちくしょう。あと2分だ。いや、その前にお腹のタイムリミットが来てしまうかもしれない。………来てしまうじゃあない、[確実に]来る。直感でわかる。
ここからトイレまでは25秒。そして腹筋の決壊が起こるのは1分後………もう時間がない。
どうする?恥を忍んで勝利を渇望するか、勝利を捨てて自尊心を守るか………世の中は非常だ、人はどちらかを捨てなくてはいけないのだから。
俺は腹を抑えながらゆっくりと立ち上がった。
………勝利は捨てる。この俺の唯一の誇りは[漏らしたことがない]ことだけだ。…………それを失ったら、俺はもう立ち直れない。誇りが何もないただのクズ野郎になってしまう。
勝利など良いじゃないか。クズに落ちなければそれで…………
「……………」
俺は挑戦者である雪さんを一瞥した。
あっ………
その時、雪さんはあいも変わらず無表情だった。しかし、なんだろう。少し悲しそうな………戦わずして去っていこうとしているこの俺を非難するような、一抹の悲壮がその眼に宿っていた。
ドクンッ
その時、俺の頭に打ち付けられたような衝撃が走った。お腹にも走った。
………どちらも見捨てちゃダメだ。そうだ、何をカッコ悪いことを言っているんだ。あと十秒ほどで良い作品を完成させ勝てば良いのだ。そしてトイレに行けば良いのだ。
………ふっ、やることが多くて大変だな。しかし、お前相手ならそう難しいことじゃない。勝って、それでいて誇りを失わない。覚悟はいいか?俺はできている。
ダン!!
痛む腹を押さえながら、俺は机に片手を乗っけた。
激しく騒ぎ立てる胃腸。その焦りと喧しさが俺の冷静さを削ごうと必死に働きかける。
勝つ……そして恥も捨てない。
この俺の!!魂のを!!聴きやがれ!!!
「五月雨が 水面をうつす その顔は 細き河辺を 速く走りたい 」
「………………」
「………………」
「トイレ……行けば?」
「センキュウ!!」
俺は急いでトイレに駆け込んだ。
あれだ、どんなに意気込みがあろうと便意にだけは敵わなかったよ………
結局俺は呆気なく負けてしまい、みんなにアイスをおごる羽目になった。
………なんだよ、勝利も恥も捨てちまったじゃないか。あんなに頑張ったのに…………まぁ、俺にはやはり、栄光は不釣り合いってことかな。
シャリッ
俺は笑いながら、アイスの最後の一欠片を頬張った。
ギュルルル!!!
「………諸君、また明日会ダメだ!!もう我慢できない!!」
優雅に別れを告げることなく、俺は家まで走った。
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