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第2話:異能と怪竜と 後編

 目の前に。もとい、背後にドラゴンがいる。

 そんな恐ろしい非現実を前に──背中にして、齢十八歳の戌亥沢が悲鳴を上げなかった事は立派と褒めて然るべきだろう。

 豪胆であると認めざるを得ないだろう。

 しかし、ネタばらしをするならば別に好き好んで──作戦や意図があって戌亥沢は絶叫を漏らさなかったわけではない。それは単純に、恐怖で言葉が(つか)えてしまっただけのことである。

 かの『ライオンの騎士』ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャのように、風車をドラゴンと見間違えていたのならばどれだけ良かった事だろうか。先ほど、刃連町に気が()れたわけではないだろう、とフォローを入れたけれども。

 やはり狂ってしまったのかと──いっそ狂っていてほしい、と戌亥沢は願う。

 しかし濫読派というわけでもハードカバーの本ばかり読んでいるというわけでもない、どちらかといえば週刊少年ジャンプなんかのコミック誌を愛読している戌亥沢にとって、ドン・キホーテのような『騎士道小説』というものは実に疎遠なジャンルなのである。

 漫画に触発されてドラゴンの幻覚を見るようであれば、戌亥沢という青年の精神はとっくに異常を(きた)しているはずなのだから。

 だからこそ。背後のドラゴンが本物(とはいえ、偽物のドラゴンを見たことがある訳ではない。そもそも『ドラゴン』自体が初見なのである)であると、改めて(あらた)めて自身の目で直視──目視しなくてはならないのである。

 果たして彼に敵意があるかどうかを。検分しなくてはならないのである。

 だが、生憎なことに猫や犬との対話はある程度可能な戌亥沢であれど、対話──対峙するものがドラゴンともなれば事情は大きく異なる。

 人語──日本語は通じるのだろうか? こちらもドラゴン語を使うべきなのだろうか? そもそも会話が可能なほどに高度な知能を有しているのだろうか?

 こんな時にこそ、自分がドヴァーキンでないことが悔やまれる──いや、別に論争がしたい訳ではないけれども。

 しかし散々ドラゴンを怖がっている戌亥沢ではあったが、まだ彼からの直接的な被害は誰も被ってはいない。見た目が恐ろしいというだけで忌避──拒否するというのならば、温厚なドラゴンだって火を吹いて暴れ回らずにはいられないだろう。

 そうだ。見た目だけで相手を差別するなんて、人類の愚かな歴史を繰り返してはならない。それは人間として恥ずべきことなのだ。

 もしかすると、突然にこの平原へと現れた生徒諸君を歓迎ないし案内するべく現れた存在なのかもしれないのだから。それを無為にするというのはいけない──いただけない。

「なぁ、那束。うしろ、見てみろよ。すげーのがいるぜ」

 と、戌亥沢同様に机の下に小さな身体を隠している投刀塚の肩を指先で(つつ)く。敢えて軽口のような語調で話しかけたのは、投刀塚がドラゴンを見るに際するショックを軽減させるため。

 ひいては投刀塚の悲鳴でドラゴンの気を悪くしないため。

 野生の熊と距離を置いて敵意が無いことを示すのと同じように。

 緊張感のない態度は、接する相手からも緊張感を奪うはずなのである。

 言われて、投刀塚はおっかなびっくり振り返る。そして──

「ひっ! ひゃああぁ!? いっ、いぬっ──ひ! ひ!」

 机の下でひっくり返った。正確には、ぺたんと尻餅を突いて腰を抜かした。その眼は──そのぶるぶると震える指先は戌亥沢の背後を指す。

 あまりの驚きように自身の説明が不足したのかと反省する戌亥沢。仮に心優しいドラゴンであれど、事前の説明もなく対面すれば誰だって驚愕して然るべきだろう──自分の思い遣りのなさを悔いる。

 しかし、なんと言った? 『ひ』?

「おいおい、投刀塚。『ひ』ってなん──」

 火。

 視線につられて再度振り返った戌亥沢は一瞬にして答えを得て、そして瞠目する。火、だった。

 体高にして優に6メートルは超えるであろう、身体や四肢の至る所に攻撃的な──威圧的な棘を生やした、モスグリーンカラーの典型的なドラゴンがそこには佇んでいて。今にも溢れ出しそうな炎が口元から漏れ出しているではないか。

 見るからにそれは。敵意に満ち溢れた姿勢である。

「うわっ! わぁああ!?」

「きゃああぁ!!」

「!? やっべぇぞ!?」

 と、想定できるはずだった事態は早くも、時を待たずして訪れる。パニックの伝染──背後に現れた地震の元凶、ドラゴンの存在が全員に露呈する。

 攻撃体勢に入ったと思しきドラゴンからは心優しさだとか親近感だとかの平和的な感情は最早感じられない。この平原の案内役であるという憶測も否定して良さそうだ──いや、あの世への案内役というのならば適任かもしれないけれど。

 そんな軽口を叩く暇もなく、怪竜は大きく息を吸い込む様に頭部を掲げる。その動作の意味を戌亥沢は映画や漫画、ゲームや小説で飽きるほどに学習している。

 自身の犯罪を目撃した発見者を消そうとするのは、犯罪の分野において(その後の罪の軽重が変化するということさえ無視してしまえば)賢い選択だといえる。

 人道的に正しいかどうかはさておき、目撃者を消してしまいさえすれば死人に口無し──勝てば官軍、自身の犯罪を証すものは状況証拠や遺留品を除いて何一つ残らない。

 そんな考えを持っているのかどうかは分からないけれど、ドラゴンはまず第一発見者である戌亥沢から『焼く』腹積もりらしかった。

 そして。ここに居合わせる三十五人全員が彼を目撃している以上──全員が彼の餌食となる事は必然。

 誰も助からない。全員が、死ぬ。

 かくいう戌亥沢にだって死は間近に迫っていた。恐ろしいほどに肉薄していた──あと数秒もすれば、ドラゴンの火炎放射によって戌亥沢と投刀塚はこんがりと焼けた焼肉となることであろう(しかも、焼け具合はウェルダンで)。

 そうなる前にすべき事とは。

 殺される前にできる事とは。

「投刀塚っ! 俺に寄れ!」

 戌亥沢は引き出しの内容物が飛び散る事も厭わず、机をドラゴンへ向けて引き倒す。安易で簡易ではあったけれど、炎という面での制圧力が高い攻撃に対しては有効打となりえる緊急回避。

 戌亥沢は、学習机をトーチカ代わりにしようと考えたのである。学校にあるものというのは、大抵のものが防炎能力を持っていたり、難燃性が確保してあるのだという。カーテンなんかが好例だ。

 ドラゴンの火炎が摂氏何度かは分からない上に、机にまで難燃性が備えられているかどうかは本番まで分からない。予行も予備もない、命懸けのギャンブルに戌亥沢はビギナーズラックで挑もうというのだ。

 そんな命を賭けたギャンブルに、おどおどとした弱気な少女、投刀塚 那束もベットする。フォールドの許されないオールインのポットに彼女は乗った。

 倒された机を大急ぎで乗り越えて一足先に地へと伏せた少女に彼は覆い被さり、万が一に備える。

 果たして。その結果や如何に。

「っっ!!」

「ひぃぃっ……」

 耳を(つんざ)くような咆哮と共に、ドラゴンは炎を噴き出した。凄まじい熱気が頭上を掠め、熱波が体中を包み込む。極限まで熱された空気が背中や脚を焦がすような痛みを引き起こす。

 机を起点に左右に分かれた──流れた火炎が青々とした雑草を焼き払い、地面を焦土へと変えていく。机が燃え尽きるよりも先に焼死しかねない苛烈な烈火。

 やがて、息切れ──もとい燃料切れでも起こしたのだろうか。時間にして10秒にも満たなかった火炎放射は唐突に終わりを告げる。黒炭のように焼け焦げてしまった机の裏に身を潜めていた二人の生徒の生死はというと──賭けの結果はというと。

「あちちち……し、死ぬかと思った……」

 辛勝。

 驚くべきことに。奇跡的に戌亥沢と投刀塚は生きていた。

 ──しかし、この奇跡は神が与えてくれたものでも日頃の行いの良さが奏功したものでもない。戌亥沢即席の盾の前には、同列に整列した机が四つ。

 机の面は四つ上を向いていたわけで。その上を炎が滑って──炙って、大幅に火力の落ちた火炎が戌亥沢擁するトーチカに命中したのである。無論そこにはドラゴンとの距離差も重要な要素として存在する。

 もしも仮にドラゴンがもう一歩、もしくは二歩ほど戌亥沢らへと近寄っていたならば炎が直撃していたのは明白。

 故に死なずに済んだ。焦げずに済んだのであった。

 そして無事にドラゴンの攻撃を防いだ彼らが、次に取るべき行動とは──起こすべきアクションとは言うまでもなく、

「いぬいっ、逃げよう……!」

「おう! ……あちちっ」

 逃走である。初撃は凌いだが、二発目の攻撃を防ぐ自信はない。ましてや反撃もできないとなると、選ぶべき行動は逃走に集約される。

 戌亥沢は素早く立ち上がり、投刀塚の肩を掴んで引き起こす。このタイミングを火炎で狙い撃たれたならば二人は奮闘の甲斐なく死んでしまうだろうけれど、幸いドラゴンは続いて炎を吐く様子を見せない。

 大丈夫。きっと逃げられる。

 と、立ち上がらせた投刀塚の肩から手を離した瞬間だった。さぁ逃げよう、と遁走のフォームを取りつつあった瞬間だった。

 ()()()()()()()

「!?」

 驚いたのは投刀塚。確かにドラゴンを背に向けていたはずなのに。確実に戌亥沢の隣にいたはずなのに。

 どうして目の前に、ドラゴンが立っている?

 一瞬でドラゴンが回り込んできたのだろうか? いいや、あんな巨体が高速で動こうものならば戌亥沢達がソニックブームで吹っ飛ばされることは請け負いだ。ならば、何故。どうして、投刀塚はドラゴンの目の前に立っている?

 どうして、投刀塚が()()()()()にいる?

「なっ、投刀塚! 逃げろ! 逃げろ!!」

 訳が分からず呆然とする戌亥沢と投刀塚であったけれど、先に我に帰ったのは戌亥沢であった。助けに走ることも叶わない距離。

 大声を張り上げて、逃げるように勧告することしかできない。が、ドラゴンは非情だった。

 目の前の獲物に逃げる暇なんて与えるはずがないだろう──炎を吐いて弱らせる必要もない。ただ、大口を開いて噛み付いて、呑み込むだけでことは済む。

 ドラゴンは投刀塚に向かって首を伸ばす。そして、反射的に背中を向け両手を突き出す彼女に噛み付──

「……え?」

 かなかった。

 俯いていた投刀塚は恐る恐る顔を上げて、目を疑う。果たして、彼女に食らいつかなかったドラゴンはというと()()()()()()()()()()()()()()

 まるで開口の限界サイズに合わせた岩を噛まされたかのように顎を震わせて。投刀塚の目の前で涎を垂らしているではないか。

 噛み付くのを止めたのか()めたのか──止められたのかは分からない。だが、どういう訳だか彼は投刀塚を襲わずにいる。

 短い膠着だったが、投刀塚にとっては永遠に続くと思われた時間が過ぎたことだろう。あまりに恐ろしい時間を過ごしたことだろう。

 ついに、ドラゴンが逃げ出した──諦めたように投げ出した。

 翼を羽ばたかせ、上昇し、飛び去っていく彼の姿を眺めながら戌亥沢は今までに何が起こったのかを反芻し、改めて自分と投刀塚が生きていることを実感する。

 生き延びたことを。生を実感する。

「あっ。良かった……あなたたちと……他の人たちも無事みたいですね」

 斯くして空の彼方へと飛び去ったドラゴンと入れ替わりで──不意に徒歩で現れた子どもは、水色の腰まで伸びた髪の毛を優雅に揺らしながら少女然とした無邪気な笑顔で自己紹介をする。

「えっと、ひとまず……はじめましてっ。私はイルロラ──この世界の神様ですっ!」

 色々な疑問が山積みだけれど。

 様々な質問が思い浮かぶけれど。

 ひとつひとつ神を名乗る少女に訊ねてみようではないか。

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