第三話 最後の人間
「……いいえ」
ミリアの問いかけに、フォリンは首を横に振った。空よりも深みのある青い色の瞳が、ミリアを見つめ返す。
「私は最後の一人を送り出すまで、ここにいるよ。ここは人間の国だもの」
「……強情ね。ここにはもう、国と言えるような社会なんてないのに」
残酷ではあるが、ミリアの言葉は正しい。ここに暮らすのは、自分で満足に動くことのできない老人ばかりなのだ。
この王都に暮らす人間は、その殆どが老人だ。いくら延命を試みたとしても、老人達はあと十年も生きていられないだろう。フォリンはまだ、十代半ば。彼女はその人生の殆どを、"最後の人間"として生きることが義務付けられているようなものなのだ。
杜人は種こそ異なるが、その社会構造は人間とほぼ変わらない。杜人達は不便な生活を送るフォリンを案じて、自分達の森への移住を何度も勧めてきたのである。勿論、フォリン一人だけという話ではない。杜人側は他の人間達も含めての移住を提案していた。
人間に限らず、ヒトという括りに分類される生物は高度に発達した社会の中で生きていくように進化してきた。それは、衰退し絶滅に瀕したとしても同じこと。一度獲得した社会性は、そう簡単に捨てることはできない。フォリンは愚痴など言わないが、以前杜人が暮らす集落へ彼女を連れ出した時、その瞳が輝いていたことをミリアもマルクも知っている。フォリンへ確かに、健全な社会への回帰を望んでいるのだ。
「……勿論、ミリアさんやマルクさんがそう誘ってくれるのは嬉しいよ。けど……」
いつも。いつもフォリンは、ここで口籠るのだ。
「ここで暮らしてる人達ってさ、最後までここを捨てられない、捨てたくないって言った人達じゃない? だから私……あの人達がいなくなるまで、ここにいてあげたいの」
死にゆく者の、最後の願い。それを叶えてやろうとするフォリンの態度は、賞賛に値するだろう。しかし、それを完遂したとして。フォリン自身に幸せが訪れるだろうか? それが、ミリアの最大の関心事だった。
人間の一生は短い。特に、若い間は様々な経験を積むべきなのだ。勉学、生活能力、戦闘経験……独学で得られるものもあるだろう。しかし、それ以上に。"他人から学ぶ"という行為は大切なはずなのだ。他者との交流は、それこそ若いうちから成されているべきことだ。今はまだ少女と言えるフォリン。思春期を迎えたばかりの年頃。今が一番"心"にとって大切な時期であるというのに、彼女は理想的な社会で過ごすことができずにいる。これは、由々しき事態なのだ。
確かに、近い将来人間はいなくなるだろう。しかし、本当にいなくなってしまうまで。フォリンが天寿を全うするまで、彼女の人生は続くのだ。老人達を送り出した先にある、フォリン自身の人生。それを少しでも豊かにしてやりたいと考えたマルクとミリア。彼らが長い時間をかけて王都にまで足を運んでいるのは、一人の少女を気にかけてのことなのだ。
「本当に、強情なんだから」
今日も駄目だったか、と。ミリアは心の内で溜め息を吐きながら、杖を構えた。彼女は杖をくるくると回転させると、その先端を青空へと向けた。
「今日の勧誘はこの辺りでおしまい。――本題の授業に移るわよっ」
その瞬間、杖の先端が激しく発光し始める。真っ白な光球が、杖の先端部である鎌よりもずっとずっと大きく膨らんでいく。
「妖精を扱えるだけじゃ、生きていけないわよ墓守のフォリンちゃん! 貴女の仕事はもう、本当に無くなってしまうのだから!」
墓守。今のフォリンの仕事。彼女の仕事は、死んだ人間の魂を送り出し、肉体を大地へ還元することだ。稀少な能力ではある。しかし、求められる機会もまた少ないのだ。
「さあ! 私から! 法撃師ミリアから! 法撃というものを盗んで学んでごらんなさい!」
盗んで学べ。これが授業を行う時の、ミリアの口癖だった。