第二話 闘技場
見上げれば、ところどころが欠けた円状の青空が見える。ここは、かつて王都の民を熱狂させた闘技場。今となっては土ぼこりにまみれた遺跡と成り果てているが、巨大な建造物の存在感は失われていない。円周上にある客席の一部はその役目を果たせなくなっているが、闘技場を闘技場せしめる中心部、アリーナは健在である。そこにはまだ法力による結界も"生きて"いた。
そんなアリーナの中央に今、一人の人物が立っている。白藤色のローブには幾何学的な装飾がされ、その下には白銀の軽鎧を身に着けている。肩甲骨辺りまで伸ばされた長髪は僅かに波打ち、その隙間からは耳がちらりと覗いている。杜人の特徴の一つである、人間に比べると長く尖った形の耳だった。
その杜人は先端が鎌のような形状になっている杖で前方を指し示すと、小さく息を吐いてから横薙ぎにそれを振るった。すると、杖が生んだ風切り音をかき消しながら突如として火球が出現し、前方へと飛んで行く。火球は燃え盛りながらアリーナに施された結界まで直進すると、結界に触れた瞬間に大爆発を起こした。爆発による空気振動。閃光、熱。そのどれもは結界の外に漏れ出ることはなく、アリーナ内部で収束する。
その様を眺めながら、火球を放った杜人は満足気な笑みを浮かべた。
「うーん! 今日も絶好調っ」
そんな楽しそうな様子の杜人を、なんとも言えない表情で眺めている人物が二人いた。
「……相変わらずだね、ミリアさん」
「恥ずかしい限りだな。敵もいないのに法撃の無駄撃ちばかりして」
比較的原形を保っている観客席から、フォリンとマルクはアリーナを見下ろしていた。マルクは溜め息を吐きながら、法撃を放つミリアの姿を目で追っている。
表情でかなり異なる印象を受けるが、その端正な顔立ちはマルクにそっくりだ。とは言っても、杜人が皆似た顔立ちをしている訳ではない。マルクとミリアは双子としてこの世界に生を受けたのだ。
「法力は無駄撃ちするのではなく、もしもの時の為に貯蔵しろとあれほど言っているというのに……」
法力というものは、適した器があれば"貯める"ことが可能である。法力を貯めた物品はその力を帯び、所有者に恩恵を与える。主に金属や鉱物が器として適しているとされ、先刻マルクがフォリンに与えた獣避けの腕環がまさにそれだ。
「ミリア、その位にしておけ」
アリーナにいるミリアに向かって、マルクが叫ぶ。その声を聞いて、ミリアは口を尖らせながら振り返った。
「……兄さん、早くない?」
「お前が遊び過ぎるのが目に見えているからな。急いで来たんだ」
「ちぇっ。兄さんのケチ」
面白くなさそうな顔を隠さないミリア。マルクは隣にいるフォリンのそれとなく強調しながら、言葉を続ける。
「忘れるな。今日は授業の日だ」
「わかってるわよ! その為に森から出て来てるんだもの!」
マルク達杜人が暮らす森は、人間が主に暮らしていた平地からかなり離れた位置にある。法術による補助が無ければおいそれとは移動できない距離であり、法力の消費も馬鹿にならない。
「――フォリンちゃん! 兄さんうるさいからこっち来て!」
ミリアが客席にあるフォリンに向かって手を伸ばす。すると、ふわりとフォリンの身体が浮き上がった。その様を見てマルクが眉を顰めたものだから、フォリンは少し申し訳なくなった。
「法力の無駄遣い……」
マルクの呟き、ごもっとも。フォリンを浮かせたのは、間違いなくミリア由来の法力――浮遊法術だ。
フォリンがマルクに気を取られていると、額がごん、と何かにぶつかった。アリーナと観客席を隔てる、不可視の結界だ。この結界にはこの通り、触れても害が無いほどに安全性が確保されているのである。
「フォリンちゃーん、結界! どけて!」
ミリアが叫ぶ。フォリンはマルクの視線を感じながら、右手を結界に伸ばした。
「墓守フォリンからのお願いよ。――妖精さん、道を開けて」
フォリンがそう告げた瞬間、彼女の身体がうっすらと光に包まれる。そして、今まで隔たりがあったはずの場所をすり抜け、彼女の身体はアリーナの領域へと入っていく。
「妖精さん、ありがとう。またね」
アリーナに入ってからフォリンが礼を述べると、彼女を包んでいた淡い光は消えてしまった。そしてそのままフォリンの身体はミリアの浮遊法術によって運ばれ、両足は久し振りに大地に触れる。
「ミリアさん、今日も絶好調みたいで何よりです」
「ふふっ。私はいつでも絶好調よ」
長い髪をさらりと手で流しながら答えるミリア。ミリアは法撃法術を行使する法撃師としてならば、杜人一と言っても過言では無い実力を持っている。とはいえ、彼女にはその代償とも言える欠点もあるのだが。
「それじゃあ早速、今日の授業よ! ……と、言いたいところだけど。今日はまずフォリンちゃんに質問」
杖を後ろ手に持ち替えたミリアが、フォリンと距離を詰め、訊ねる。
「……移住のこと、考えてくれた?」
ミリアの瞳は、先程までとは打って変わって真剣そのものだ。兄と同じ色の瞳が、フォリンを静かに見据えている。