第一話 少女と杜人
「フォリン」
ロッキングチェアの上の老婆が、編み物をしながら少女の名を呼ぶ。少女の青い瞳の中に、皺くちゃの顔が映り込む。
「お前はモリビトについて行っても良いんだよ。こんな老人しかいない所にいるよりも……」
杜人《 モリビト》。森に住まう、人間によく似た種族。それでいて、人間よりも遥かに長命な彼ら。寿命は二千年とも言われ、五百年の時を過ごしてもその外見は二十歳過ぎの人間と変わらない。長く生きるからこそ多くの知識を持ち、科学よりも伝統的な法力を重んじる。現代において、最も個体数の多い人型知的生命体が、杜人である。
老婆の細い目を見つめながら、フォリンはその手を握る。老婆の手はまだ温かいが、やはり枯れ木のように脆く、硬く、細い。
「私はここにいるよ。どこにも行かない」
死にゆく人間の国で、最も年若い唯一の少女。フォリンの他は、一人として若者と言える者が存在せず、六十六の生き残りはその全てが老人である王都。少女はそんな老人達を、ただただ"送り出して"いるのである。
「皆がいなくなるまで、ここで見ていてあげるから」
少女がそう告げると、老婆は嬉しそうな、それでいてどこか悲しそうな瞳で頷いた。
◆
王都の入り口に、杜人が一人立っていた。崩れ掛けたアーチ状の装飾を見つめるのは、碧色の隻眼だ。右眼だけが視覚機関として機能しているその杜人は、大樹の幹を彷彿とさせる色のローブを翻しながら門をくぐった。左手に持った長い杖の先、鳥籠を彷彿とさせる金属の容れ物の中には、彼らが尊ぶ法力由来の光が揺らめいている。
王都中心へ繋がる大通りを、杜人は無言で歩いていく。カツカツという靴音が石ばかりの空間に響くが、その音はこの王都を最も忙しく駆け回るそれとはかなり違うものだ。
城の手前に設けられた広場に杜人が辿り着いた時、「あ」と短く声が聞こえてきた。北東方向へ伸びる通りに、金髪の少女――フォリンが立っている。彼女は小走りで杜人の元へやってくると、その端正な顔立ちを見上げたながら口を開いた。
「マルクさん、来てたんですか」
マルクと呼ばれた杜人は短く「ああ」と応えると、ローブの中から小さな箱を取り出した。
「頼まれていた獣避けの腕環ができたからな。これで森での採集が楽になるはずだ」
「え、もうできたの!?」
驚嘆するフォリンの右手に、マルクは腕環を嵌めた。重厚そうに見えるものの重さを全く感じないそれは、間違いなく法力由来の装具である。
「大分獣の数が増えているから、早いほうがいいと思ったんだ」
腕環に嵌め込まれた紅い石に、マルクが右手の人差し指と中指で触れる。その瞬間、紅い石が四方八方に紅の光の筋を伸ばした。
「杜の民が命ず。この者に矢避けの加護を。大地を踏みしめる足には確固たる安定を。背を護るは陽の紅なり――」
マルクの詠唱が終わると、伸びていた光が一気に収束する。光が収まり指を離すと、紅い石は少し控えめに輝いていた。フォリンは右手を頭上に掲げ、腕環を陽の光にかざすと満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう、助かるよ! 最近裏の森の狼が殖えてて困ってたんだ」
フォリンの笑みにマルクも満足そうに頷く。腕環を嵌めた右手を伸ばしながら、暫くの間上機嫌にくるくると回るフォリン。やがて満足したのか回転を止めると、マルクに向き直り、訊ねた。
「ところで、ミリアさんはどこに?」
「ミリアはまた闘技場に行っている」
「闘技場って言ってもほぼ石じゃないですかー」
「遺跡と言いなさい、遺跡と。あれでも昔は沢山の人間で沸いていたんだ」
「ふーん……想像できないや」
フォリンの知る闘技場は、屋根も無く雨ざらしの、観客席の一部が崩落した円形の何かに過ぎなかった。だが、建物本体は朽ちていても今尚法力による結界は潰えていないらしく、闘技場内部でどれだけ暴れても放たれた法撃は外部に害なすことは無い。つまり、法撃法術マニアの法撃師であるミリアにとってはこの上ない"遊び場"なのである。
「さて……ミリアの所に行くか。今日の授業は主に法撃法術だからな」
「はーい」
闘技場へ歩き出すマルクの後を、フォリンが追って歩く。響く足音は二人分。今日の王都は、二人の来客のおかげで少しだけ賑やかだ。