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束の間の休息

(……この女、どんな神経をしてるんだ?)


 4時間ほど前、唐突にリカードと名付けらた男は、ベッドの上ですやすやと眠っている雇用主の背中を漫然と見下ろしながら考えていた。



 リカードは公演の時間まで休みたいというミーシャに荷物を持たされ彼女が元々泊まっていた宿まで追従する。宿につくなりロビーにいた初老の男が安堵の表情で手を挙げ、ミーシャはありがとうございますと殊勝に頭を下げてそれに応じた。


「彼は私の公演をご愛顧くださってるクリゾリートさん。警官関係のお偉いさんらしいから、時々ああしてロビーとかにいてくれるとちょっと安心なのよね」


 じゃあ勾留もあいつに不服を訴えればなんとかなったんじゃないか、とリカードは思う。その思考を読んだのか、ミーシャは眉を顰め「肩書きがどうあれ、プライベートできてくれてるお客さんだもの。舞台を楽しんでくれること以上は望まないわ」と言った。


「で。あなたの今の仕事は荷物持ち。ちゃっちゃとついてきて」


 不機嫌にそう言ったミーシャはフロントに足を向けたかと思うと、一片の躊躇もなく昨日まで借りていた部屋をキャンセルし、2階道路側に面したツインの部屋に移りたいと告げた。

 フロントがわずかばかり目を丸め、ロビーにいた初老の男が座っていたソファから背中を起こしたが、ミーシャはあっけらかんとして「従者が別室じゃ不便だもの」と言い放つ。それでもまごつく周りの人々に、ミーシャは眉を釣り上げ「護衛が別室だったら万一の事態に対応できないじゃないの」としゃあしゃあと言い放った。



(……一理ある)


 リカードが窓から外に視線を移せば、ひとりの男と目が合った。男はそそくさと去っていったが、多分フォート家に雇われた見張りは他にもいるだろう。


(一理ある、が)


 部屋に入るなり、さっさと浴室にこもって化粧と汗を流し、着替えて出てくるなり今度はあっけらかんと「警護よろしくね」と言い残して寝入ってしまった。

 雇用したとはいえ、素性の知れない男が室内にいてよくもまぁすやすやと眠れるものだ。

 同じ宿に贔屓の警官がいると言っても、リカードが奴らの手引きをするとか、全財産持ち逃げするならその存在は無意味のはずだ。

 そういう可能性を考えないのだろうか。

 それとも、狸寝入りで試しているのだろうか?


――ねぇ、みてあれ。なにかしら?

――見るな。目が合ったらどうする。

――ああいうのとは関わらないのが一番だよ。


 ふいに、リカードの耳の奥にはひそひそと囁く声が蘇って、針で刺されるような痛みに襲われる。

 雨に煙る石畳の街の郊外で、土砂降りの雨と人々の声に打たれて、目が覚めた。

 それが、彼の中にある一番古い記憶だ。

 その後、親切に声をかけてくれた老婦人も、老婦人が案内してくれた警官も、身寄りも身分を証明する物も記憶もないと知ると途方に暮れた顔をした。

 街の人間の、そういう反応が普通だ。

 おそらく夜盗にでも襲われて身ぐるみ剥がれて捨てられたんだろうと警官は言ったが、かといって処遇に困っていた。そこへ偶然罪人の引き取りにやってきた髭面の拘留所長が人手が足りないからと引き取ってくれた。

 ダグは粗野でぶっきらぼうだが、あれで意外と世話焼きなのだ。怪我した犬猫をよく拾ってくる。でもダグはそういう犬猫にちゃんとした名前をつけず、飼い主が見つかったり怪我が癒えるとあっけないほどぽいっと放り出す。リカードを笛吹なんて呼んでいたのも、多分同じことだ。


(それが、この女ときたら)


 図々しく適当に思いつきで名前をつけて、ふてぶてしく寝入っている背中を見ていると苛立つばかりで、窓の外へと目をそらして細い息を吐いた。


(……俺はなぜ、この話を受けたんだろう……?)


 思い返してみても、不思議だった。


 傲慢できゃんきゃんとうるさい女だと思っていた。

 けれど手を差し伸べられた、あの瞬間。

 地獄に差し伸べられた救いの手――そういう既視感に胸がざわりと波立った。


 記憶がなくて不便に思ったことはない。ダグを手伝って看守をする生活にも不満はなかった。けれど、心のどこかで思い出したいと思っていたのだろうか。内容は思い出せないけれど眠るごと悪夢にうなされて目覚めることに、飽いていたのだろうか……。


(昔、どこかで誰かが俺に手を差し伸べた? 俺は、その手を取ったんだろうか――?)


 手を取ったことに後悔がないから、この話を受けたのか。

 それとも取らなかったことを悔やみ、やり直したくて受けたのか。

 それすら、わからない。


 けれどどちらにしろ、もう、引き受けてしまったのだ。



 ミーシャがうぅんと呻いて寝返りを打ち、思わず身構えた。が、目覚めることはなく、すぅすぅと心地のいい寝息が素のオレンジ色に近い色味の唇からこぼれ続けている。


 舞台用の濃い化粧をしている時のミーシャはいかにも豪気で、舞姫と謳われているらしいが、リカードにはとても()などという愛らしさとは無縁に思えてならなかった。けれども、化粧を落とした素顔は意外と純朴で。朝焼けのような赤みがかった金色の髪が純白のベッドの上で波打って広がっている様は、さながら童話の眠り姫――。


「………………ずっと黙ってればいいのに」


 無意識にこぼれた呟きに、眠り姫のまつげが揺れた。


「ふふん、あなたも笑ったらモテるんじゃないの?」


 にやりと小悪魔の笑みを浮かべられ、呻き声が漏れそうになったのを危うく飲み込む。


「………起きてたのか」


 やっぱり試していたのかと思うと、なぜか苦いものが胸の中に広がっていく。


「んー、寝てたわよ。ゆうべ寒くて眠れなかったから、頭すっきりしたわ」


 ミーシャは起きあがって伸びをすると、髪に手櫛を通しながらぼんやりと時計を確かめる。


「孤児院で長いこと子供たちの世話役やってたからね、囁き声や動く気配がするとすぐに目が覚めちゃうのよ」


 一応ただの阿呆ではないらしい、とリカードが思ったところでミーシャは再びにやりと笑った。


「そうそう、そうやっていろんな顔したほうが人生絶対楽しいし、笑ってみたら女の子が黙ってないわよ?」


 言われ、リカードは自分がどんな顔をしていたのかわからずにそっと顔を逸らす。


「……興味ない」


 ミーシャはなにが面白いのか快活な笑い声を上げた。


「でしょうね。だから信用して雇ったんだもの」

(――信用?)


 その単語に心臓がなぜだか不正に脈を打つ。


「そろそろ事情を説明してもらおうか」


 リカードはその居心地の悪さに話題を変えようと鋭い声を出した。



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