飛んで火に入る?
「保釈……ですかい?」
「うん、揉み消すより後腐れがなくてキミもやりやすいだろう? 保証人は僕が引き受けるし、保釈金もこのとおり。ね?」
ルーファスはにこにこと人懐っこい笑みで後ろを顎で示す。その一歩後ろで頑丈そうな革張りの鞄を持った男が軽くそれを持ち上げてみせ、髭看守は一呼吸それを見つめると弾かれるように詰所に走って行った。鞄を持った男は髭看守の後をゆっくりと追いかけたが、ルーファスのほうはミーシャの牢の前にまでやってきて笑顔の中に申し訳ないという空気を滲ませた。
「おはようございます、ミーシャさん。昨夜は愚兄が失礼した上に、こんなところに留めおいて申し訳ありませんでしたね」
(愚兄、ね……)
身内に対する謙遜ではなく語義通りの侮蔑が混じっている気がして、鼻白む思いがする。本心が見えないあたり、この男のほうが質が悪い。
「お詫びに我が家でお食事でもいかがです?」
「ここから出してくれるだけでいいわ。あなたのお兄様にお会いしたくないし。慰謝料積んでくれるっていうなら、どこかで食事くらい検討してあげてもいいけど?」
「あはははは、現実的ですねぇ」
快活な笑顔をみているはずなのに、じわじわと嫌な感じが増していく。見た目の雰囲気と肌に感じる雰囲気の奇妙な隔たりに、一言発するだけのことが氷の上を歩くような緊張感と覚悟を要する。
「坊ちゃん、ここにサインをお願いできますか」
髭看守が急拵えで作ってきた書類を差し出すと、ルーファスはさらさらとサインを済ませて「細かいことはあとでちゃんと片づけるから心配しないで」とにこやかにいい添えた。
「おい笛吹、鍵を開けてやれ」
髭看守に促されて、笛吹は無言で鍵束を取り出す。
かちゃんと軽い音で解錠されると、笛吹を押し退けるようにルーファスが割り込んで軋む格子戸を開け、貴婦人をエスコートするように恭しくミーシャの手を取った。
「ときにミーシャさん。お名前から察するに、エトナ村の孤児院出身ですか?」
いきなりの質問に、ぴくりとこめかみのあたりがひきつってしまった。
「………だったら?」
「いえ、クロード神父はその後無事に見つかったのかと思いまして」
「辺境の孤児院のことまで、よくご存じね」
ぴくぴくと痙攣する痛みを堪え、ルーファスをねめつけるが、にこやかな笑顔で受け流される。
エトナ村は何もない村だし、チェファルから相当離れている。いくら新聞に載ったとはいえ――。
「ええ、商いは情報が命ですから。それにしても教会に放火なんて不信心ですよねぇ」
(――放火?)
ミーシャが冷たい懐疑のまなざしを向けると、ルーファスは「あれ?僕の記憶違いでしたっけ?」とわざとらしくとぼけた。
「お食事でもしながら、そういう世間話でもと思ったんですけどね」
にこりと邪気のない笑みに、「罠だ」と思った。
それは、確信と言っていい。
ミーシャがなおあからさまに懐疑のまなざしを向けても変わらない笑みは、ミーシャの反応を楽しんでいるようにも見えた。
罠と知っていてなお飛び込む勇気があるかと聞かれているように思えて、人懐っこい笑みに腹の底から震えが沸き上がるような嫌な感覚がする。だが、ミーシャはその感覚を一度深く息を吐いて振り切り、営業用の笑顔を気前良く大盤振る舞いしておく。
「……そうね、じゃあ今日の千秋楽の後でよければ御相伴に与りましょうか」
「構いませんよ。そのほうがゆっくりできますからね。終演の頃に劇場にお迎えに上がります」
「お願いするわ」
営業用の笑顔に愛嬌もトッピングしてあげたものの、数秒しか保たないと思ったので視線を逸らす。
「あぁ、そうだ。食事は私の従者の分も用意しておいてもらえる?」
「……従者、ですか?」
訝しむルーファスをあえて無視し、
「あなた!」
笛吹の鼻先にびし!と指を突きつける。
「今から私の護衛と荷物持ちに雇ってあげるわ。ついでに不便だから命名してあげる。今日からあなたの名前はリカード。ここよりマシな仕事と名前でしょ」
「やだなぁ、護衛なんて。僕は危害を加えるつもりなんか、」
ルーファスが奇妙に歪んだ笑みで口を挟む。
「あら、何か不都合? 最近手癖の悪い熱狂的ファンに追い回されて困っているのよ」
酷薄の笑みにわざとらしく困惑を混ぜて言い放つと、ルーファスの笑顔の奥で舌打ちした音が聞こえたような気がした。
ひとまず笑顔の形をした鉄仮面をわずかにでも歪ませられたことに満足したミーシャがたった今リカードと命名された笛吹をみると、目を丸くしている以外は感情が読みとれなかった。その隣で髭看守が本気なのかという疑いの目をしているほうが目につくほどだ。
「本当に記憶がないなら、こんなところでうじうじしてないで一緒に来なさい。旅をしてたら記憶に触れるようななにかに出会うことだってあるかもしれないじゃない?」
ミーシャは素直に笑って手を差し出した。
しかし一拍、空白の時間が過ぎた。
髭看守はとんっと笛吹の背中を軽く小突く。するとそれまで感情の伺えなかった深緑の瞳が炎がともったように揺らめいた気がした。くるりと体を反転させた彼はミーシャの手を取らなかったけれども、言葉もなく髭看守に深々と頭を下げたのだった。
ここまでお付き合いくださりありがとうございます♪ 主な人物が出揃いまして、ここで1章終了となります。
引き続き、神父失踪の謎と双子の思惑にお付き合いくださると嬉しいです。