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勾留

 カッシャ――ァン……と、無情にも冷たい鉄格子の扉が閉められる音が石畳の牢獄の闇に響いた。

 乱暴に押し込まれてよろめいた少女の背後で、頑丈な鍵が落とされる乾いた音が続く。


「ちょっと! なんでこの私が牢屋に入れられなきゃなんないのよ!!」


 そしてさらにその後に続いたのは、甲高い怒鳴り声だった。

 牢の中にあっても仁王立ちで両手を腰に当てた少女は、高い位置できつく結い上げられたストロベリーブロンドの髪にも真紅の口紅を差した唇にも、ルビーのような瞳にも、金糸の刺繍が鮮やかな真紅の踊子の衣装にすら、怒りの炎が燃え盛っているようだった。怒りに震える少女を、しゃらしゃらしゃららんと歌うように軽やかに涼やかな音を立てて揺れる金属片の飾りが彩っている。

 黒いフードを目深に被り、なおかつ目にかかりそうな漆黒の前髪の奥からでもはっきりと感じるほど「面倒臭い」「うるさい」という空気を漂わせながら、看守は書類を繰る。


「……ミーシャ・ライオネル、17歳」


 看守はぼそぼそと読み上げ、確認するように踊子に視線を投げる。少女はそのしなやかで優美なスタイルを見せつけるようにすっと背を反らせて緩やかに波打つ髪を背中に流した。


「あなた、この絶世の美少女にして希代の舞姫の誉れ高いミーシャを知らないの?」


 小馬鹿にするように見下されても、所詮は牢の中。小柄な黒ローブの看守は一切取り合わずに書類に再度視線を落とす。


「罪状――不敬罪及び傷害罪」

「ふっっ……」


 相変わらずぼそっと読み上げられた罪状があまりにも突飛で、一瞬ミーシャは喉を詰まらせた。


「不っ敬罪ぃ~~?」


 ミーシャは詰まった間に不平をたっぷり詰め込んだ声で叫びながら、そんな汚名を着せられる覚えを探して記憶を辿る。







 ソロの踊子ダンサーとして巡業しているミーシャがこの街・チェファルにきて、一週間、舞台での公演は6日目だった。

 最初は公園や大通り、酒場などで披露していたミーシャの舞踏公演は、どこに行っても大好評で回を重ねるごとにファンを増やしていった。チェファルは2層のアーチに囲まれた立派な劇場のある街だが、ミーシャの公演はいまやそれほど大きな劇場でも満員にするほど大好評を博し、アールヌーボー様式のポスターには《希代の舞姫》などのふたつ名が踊る。

 しかしミーシャが欲しい情報はこの街では得られそうもなく、明日は惜しまれつつも公演を最終日とし、明後日の早朝には次の街に立つ予定だった。


 今夜も完璧な踊りを披露し終えたミーシャは、心地のいい疲労感と達成感を味わいながら観客に向けて深く腰を折ってお辞儀をした。

 波の音にも似た拍手喝采を心地よく聞きながら、極上の笑みを作って顔を上げる――とそこへ、神聖な舞台に上がり込む人影を見て思わず眉をひそめる。

 ミーシャの異変に拍手がまばらになっていき、やがて、ひとつだけになった。

 ぱち、ぱち、ぱち、と足取りと同じくゆっくりとした拍手をしながら照明の下に姿を現したのは、やたら豪奢な黒のコートを羽織った青年だった。

 癖のある金髪が灯りを弾いて目映いのが不快で、ミーシャは目を細める。


「いやぁ、素晴らしい舞台だったね」


 端正な顔立ちににっこりと微笑みを浮かべているけれど、青い瞳は冷たくて全然笑っていない。


(……こういう男は警戒するに越したことはない)


 という思考を営業用の笑顔の奥に隠しつつ、淑女のようにスカートを摘んで膝を曲げ、頭を下げる。


「お褒めに預かり光栄です、が……」


 顔をあげた時には、男は目の前にはいなかった。

 それを怪訝に思うよりも前、すぅっと肩に男の指が触れる感触にぞわりと寒気がした。背後から耳元に唇を寄せた男が、肩から肩胛骨を辿り腰へと指を滑らせながら甘い声で囁く。


「どうだろう? その魅惑の踊りを是非私の屋敷で、個人的に――……ご、ふっぅ!?」


 腰のくびれにまで指が滑り落ちてきた時が、我慢の限界だった。

 男の鳩尾におもいっきり肘を叩き込み、よろめいて床についた男の手を、スリットからすらりとした美脚を覗かせて踵でぐりっと踏みつけ、舞台を穢した罪に制裁を下す。


「踊子を遊女と一緒にするんじゃないわよっ!!」









「――あれのどこが不敬だっていうのかしら?」


 思い返してみても自分の非など一切見いだせずに、ミーシャは苛立たしく頭を抱えた。


「えらく気の強ぇ嬢ちゃんだな」


 呆れの混ざった低い笑い声と重量のある足音が看守の詰所から聞こえ、ミーシャはそちらを見やる。

 松明の明かりの中に姿を現したのは、がっしりした体格に無精髭の中年の看守だった。看守というよりは手練れの傭兵に見える。


「相手はあの劇場のオーナーもやってるフォート家のテオドール坊ちゃまだぜ? 観衆の面前で恥をかかされたってそりゃあもう物凄い剣幕で、調書やら整えるのにどんだけ苦労したことか……」


 公演の契約をした時にはマネージャーにしか会わなかったが、オーナーであるフォート家の話は聞いていた。フォート家はこの街を拠点に骨董品や宝石、不動産など、扱わないものはないと言われるほど様々な店を経営している豪商で、王侯貴族ではなかったはずだ。近頃では爵号も金で買えると豪語する輩もいると聞くし、実際のところ豪商の御曹司と貴族のご令嬢の縁談というのはそういう事情もあるらしいという噂は耳にする。


(でも、フォートがそういう成り上がり貴族だったとしても、アレで不敬罪が適用されるなんておかしいんじゃないの!?)


 それほど法に明るいわけではないミーシャはその叫びを念のため心に留めた。


(それに……明らかな成人男性に対して坊ちゃま(・・・・)ぁ?)


 鼻につくあの言動とその敬称だけで人物像がそれとなく伺い知れて陰鬱なため息をつかずにはいられない。


「家柄がなんだってのよ。神は人を平等に作ったのよ。初対面の女の子に、それこそ観衆の面前でいやらしい手つきで触りまくるその坊ちゃまの方がよほど失礼極まりないわよ!」

「おう、神様なんか信じてるのかい。敬虔なる信者を救い賜えってお願いしてみちゃどうだ?」

「バッカじゃないの。神様がこんなことまでいちいち救ってくれるほど暇なら、とっくの昔に孤児なんかいなくなってるわ!!」

「ほう?」

「でもね、神様の教えには正しいことや学ぶべきことはたくさんあるの!」

「じゃあ、坊ちゃまの手に穴あけた傷害は?」

「正当防衛でしょ」

「過剰防衛だ」

「正当よ。おとなしくしてたら今頃間違いなく貞操の危機に晒されるわよ。違う?」


 髭面の看守は最初、打てば響く問答を楽しむふうだったが、だんだん面倒になってきたのか顎をしゃくると論破を諦め、答えの代わりに溜息をついた。


「だいたいねぇ、穴を開けたなんて大袈裟すぎるのよ!!」


 ミーシャは尚も無罪を主張し続けるが、髭看守は取り合わなかった。


「ま、嬢ちゃんがなんと言おうと関係ないんだがな。フォート家をただの豪商と思うなよ。この街では彼らが法律みたいなもんだ。一晩そのよく回る頭を冷やして、せいぜいかわいい謝罪の言葉を考えたほうが身のためだ」

「…………っ!」


 ミーシャは唇を噛んで髭男を睨み上げるが、相手はそれを一瞥すると身を翻した。


「交代の時間まで仮眠してる。その嬢ちゃん黙らせておいてくれや」


 黒ローブの看守は小さく頷いただけだった。




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