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 すまない、と蚊の鳴くような弱々しい声が闇に沈む声が耳の奥に蘇る。

 何度も、何度も。


「……クロード……」


 リカードは広げた自らの手のひらを見つめる。

 そこに、あの時の感触が残っているような気がした。


 クロードの命令で首領カポから血判状をかすめ取って逃げたのは、夜と朝の狭間の時間だった。秘密の抜け道から出て見上げた空が目を刺すほどに青くて、その光を遮ろうとして、ようやく気づいた。闇の中で、ずっと手を引かれていたこと。幼子でもあるまいに、ずっとだ。


 首から下げた小さな笛がキラリと光った。

 葉の上にじわじわと集まった朝露が、同じように小さな金色の光の欠片をまき散らしていた。

 草の匂いが混ざった風がふわりとクロードの髪を靡かせていた。

 薄暗い夜の闇の中で任務の遂行のためにしか出ることのなかった彼には、どれも――眩しすぎた。

 けれど、その眩しい光を遮る影があった。

 ……背中。

 白い神父服の、広い。

 その背中は、空の青さに目が慣れるまでずっとそこに存り続けた。






(いいんだ、俺は……)







 あの青い空、草の匂いが混ざった風。


 彼はその背中に向かい、笛に息を吹き込んだ。

 旋律なんてなにもない。ただ、警笛のように高い笛の音。


 首領に怒られないよういつもひっそりと小さく吹いていた笛の音が、伸びやかに風や青空に混ざりこんで、消えていく。

 最後まで息を吐ききったあと、自然と肺を満たしたのは、ひやりとした空気。

 振り返ったクロードは、驚いたような、困ったような顔をしていた――。








「おぅ、悪ぃがちょっといいか?」


 ダグに声を掛けられ、唐突に現実に引き戻された。

 振り向くと、ダグの後ろにはぴしりとした警官服を身にまとった初老の男が立っている。


「こんな時間にすまないが、少し話を聞かせてはくれないかね?」


 こんな時間、とは今何時なのかよくわからないが、その初老の男の声には緊急事態を示すように張りつめていた。


「覚えているかね? 私はクリゾリートという者だが」


 リカードはその名前を頭の中で反芻し、宿のロビーにいた男かと思い当たる。するとクリゾリートは少しだけ口角をあげ、ベッドの前の丸椅子に腰を下ろした。


「質問は今夜の舞台のことだ。あれが演技ならばこれまでにない迫真の舞台なのだがね――さて、あれは迫真の演技なのかそれとも……?」


 組んだ両手を口元にあててリカードをしっかりと見据える姿は、拒否することを許さない空気に満ちていた。


「彼女は舞台の後、いまだに宿に戻っていない。支配人に確認させてもらったが、荷物はまだ宿に残ったままだ」

「フォート家に、招かれて……」

「そうだ、あの(・・)フォート家の双子が揃って、しかもずいぶん熱心に招待していたそうだね」


 あの(・・)


「彼女は自分の意志で招待に応じ、屋敷に留まっているのかね?」


 少なくともミーシャは自らルーファスの招待を受け入れたし、自分からテオドールについていくことを選んだ……と考えたリカードは、しかし自分で自分にいいわけをしているように感じて閉口する。


「脅迫による招待、あるいは誘拐……と、いう可能性はないかね?」


 まっすぐなそれは、息が詰まるような視線だった。

 蛇に睨まれた蛙の気分とはこんなものだろうかと思った。


「……………」


 重い沈黙に自然と汗が浮いてくる。と、ふと視線が緩んだ。


「そう警戒しなさんな。お前さんに害は及ぶまいよ。我々は現在、君の証言次第でフォート家の家宅捜索に入る準備を進めているところだ」


 なおも沈黙するリカードに対し、クリゾリートは制服の上着についたポケットに手を入れた。反射的に身構えたリカードの背中にダグが手をおいて宥める。


「これまでフォート家は表立って警察に踏み込む隙を与えなかった。テオドールでさえ。だが今回、こんなものが私の手元にあってねぇ――」


 彼がポケットから取り出して見せたのはミーシャが舞台の最後に投げた、腕輪バングルだった。

 そのひらひらとしたチュールがついた皮製の腕輪の内側には、見落としてしまいそうなほど細く小さな文字が書かれていた。


『助けて』


 と。


「さて、これは冗句なのか、それとも真に救いを求める声なのか……あの舞台では判断し難いと御上おかみが渋っているんだ」


 クリゾリートはそう言って笑った。ほんの少し、眉の歪んだ笑みだったが。






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