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天秤



――私、神父様のお嫁さんになってずっとここでみんなの世話をして暮らすわ!


 意気揚々と宣言する少女。

 その屈託のない笑み。

 無垢な思慕。


 売られるために育てられているなどとは露ほども知らぬがゆえの。


 眩しいほど輝く笑み。

 触れることが躊躇われるほどの無垢な少女の信頼。



 その目映さに目を細め、清浄な神父の仮面をつける。

 そっと頭を撫で「司祭は妻帯を禁じられているんですよ」と笑うと、少女は「えぇ~?」と頬を膨らませた。


 彼女のまわりにはいつも、ステンドグラスを通って鮮やかに色づいた光が溢れていた。





 そんな穏やかで眩しい日々は、過ぎた幸福、束の間の夢だった。

 こうして薄暗い牢の奥で痛みを堪えて死を待つだけの、これが現実なのだ。

 地獄に落ちる寸前に、縋るように神を慕い、善を説く。

 そんな、現実とは対極にある夢を見たに過ぎないのだ。










 見張りに見つからないように、屋敷の間取りや隠し通路を説明するのを渋々聞いているミーシャを眺めながら、クロードはぼんやりと思う。


(……まったく、神様は意地が悪い)


 自分が今までしてきた悪行の数々を思えば神に文句を言えたものでもないが、しかしミーシャを巻き込むことはないだろうと恨み言がこぼれ、所詮は心から神に仕えてはいない偽司祭だと自嘲が浮かぶ。

 ほんの1年だと思っていたのだ。

 クロードには追っ手をかわしきれる自信も算段もあった。

 もしグラハム一家ファミリーを壊滅させることができなくとも、自分の命ひとつでミーシャ達を解放してやれるのなら安いものだと考えた。

 それがまさかルーファスに捕まったばかりか、こうしてミーシャにまで見つかるとは、焼きが回ったものだ。


(あの眩しい夢が、この子の中で現実であり続けるならそれでいいと思ったのに)


 育てた娘達はほとんどなにも知らないまま貴族の屋敷に奉公に出るのだと信じていたが、まれには意地の悪い買請人が漏らすこともあった。そんな彼女らの目に浮かぶ暗い色――それは、クロードの胸の内にひっそりと影を落としていく。

 太陽が似合うミーシャの笑顔が曇るのを想像すると、胸が軋んだ。

 なぜ彼女だけがほかの子と比べようもないほど胸が軋むのか、その理由に思考を巡らせた。けれどクロード自身、明確な答えは出せなかった。色恋に目が曇るほど青臭い歳ではない。

 強いていうならば、憧憬なのだろう。

 光と慈愛に溢れる世界への。

 それなのに、よりにもよって彼女を巻き込み、目の前で己の悪行を暴露する羽目になるとは皮肉なものだった。


(それとも……これはあの子の怨念か?)


 クロードがあの子(・・・)に会ったのは、十年前だ。

 遺体の始末を見守っていたクロードは、無意識に鎮魂歌を口ずさんでいた。すると薄暗い部屋の隅のほうで無表情に血に濡れた手と短刀をボロ布で拭っていた少年が、怪訝に見つめてきたのだ。

 首領カポが黒猫みたいで気に入ったと奴隷商から買ったその少年は物心つく前から暗殺者として育てられていた。的確に急所を捉える訓練として無表情に死体にナイフを突き立てている姿を何度も見たことがある。その姿から少年は氷のように冷徹無比で感情を持たない殺人機械と密かに噂されていた。特に首領は「銃器は音が大きいうえに証拠が残る。それに比べてこの機械は音もなく忍び寄るんだ」と自慢げに語っていた。

 けれどあの時、クロードが「彼の魂が救われますようにとお祈りをしてるんです」と告げると彼の目の奥が揺れたように見えたのだ。

 この子にも心があるのかと、そんな当然のこと思った。


 それからクロードは機会を見ては彼に話しかけた。

 面白半分、興味本位――あるいは、気まぐれ。

 首領の意思には反していたし、それは彼にとって救いより拷問に近いのかもしれなかった。

 けれど硬質な水晶のようであった表情がわずかに揺れるのをみるのが楽しかった。

 まるで人の形の氷を手のひらで撫でて溶かしているような気分のする十年間だった。けれどあの子はいつしかこっそりと草笛の練習をはじめて――小さな笛を与えてやった時には礼も言わずにぷいと背を向けたけれど、肌身離さず持ち歩いている姿は笑いをこらえて素知らぬ振りをするのに苦労したものだ――鎮魂歌を覚えた。

 鎮魂歌を覚える頃には、ようやく不器用にわずかな不満と怒りの表情をみせるようになっていた。それがちょうど、胸のうちで一家に謀反を企てている頃合いで。


 あの子は、一緒にいきませんかと差し伸べた手を、縋るように握った。


(………なのに)


 クロードはあの時握った手の感触を打ち消すように強く拳を握った。

 彼の怨念がミーシャを巻き込んだのだとしたら、なおさら恨みは増したはずだ。

 利用するために首領を裏切らせ、散々利用したというのに、彼を救うためには虚偽の証言すらせず、見殺しにしたというのに。

 なのになにも知らないミーシャには傷ひとつつけることを許さなかった。


(でも。)


 非道だと詰られようと見限られようと。


(私は結局そういう人間で、公平になどできなかったのだから、どうしようもないんだよ……)





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