仮面
一瞬だが空気が凍り、全員の動きが止まった。
「エトナ村の銀行の貸金庫だ。金庫番号も暗証番号も、私しか知らない。私が口を閉ざしている限り、あれは絶対にお前達の手に戻らない」
クロードは白い息をゆっくりと吐き出しながら、張りつめた脅し文句を絞り出す。
「返してほしいならミーシャを無傷で解放しろ」
その形相は聖職者にあるまじき背筋の凍るような冷気を漂わせていた。
双子がどうすると互いの意志を探り合って目配せをし、緊迫した空気が流れる。
「………神父様………」
なにもかもが壊れてしまったようで泣き出したい気持ちを、ミーシャは必死に堪えた。そんなミーシャにクロードはかつてのような穏やかな笑みを向ける。
「ミーシャ、怖い思いをさせてすみませんでしたね。大丈夫、何を引き替えようとも君を守りますから」
格子の間から伸ばされた指が、ミーシャの頬を包み込むように触れる。
「火事のことも、すみませんでした。こんな組織との繋がりを焼き切り、君達を自由にしてやりたかったんです……」
まぶたの裏が熱くなり、鼻の奥と喉に引き絞られるような痛みが走った。ここにあの双子がいなければ、幼子のように声をあげて泣いてしまいたかった。
孤児院は施設の全焼と責任者の行方不明により、全員が別の修道院などに引き取られていった。
(それこそが、あの火事の、神父様の、目的だったとしたら――)
その情景を眺めていた双子の表情が勝ち誇ったものになる。
「暗証番号は?」
問われたクロードは静かに金庫の番号と暗証番号を告げる。
「……満足だろう。約束通りミーシャを解放しなさい」
「お前は信用ならん。偽証でないか確認が取れるまでは預かっておく」
ぎりと歯噛みする音が耳元にかすかに届いた。
同感とばかりにルーファスも大きく頷き、ミーシャをクロードのいる牢に押し込んだ。
「クロード、出かける準備ができたらあなたは銀行まで一緒に来てもらいます。その間、ミーシャさんはここでお預かりしますから妙な気を起こそうと思わないことです」
「馬車の準備ができるまで、せいぜい再会を喜んでおくといい。くだらん嘘なんかつけなくなるくらいに盛大に」
言いたいことを言い終わった双子は互いを牽制しつつも先を争って去っていく。
* * *
ミーシャは彼らが去ったことで緊張の糸が切れてぺたりと座り込んだきり、動くことができなかった。
しんと澱のような静寂が漂い、寒さが肌を刺し、身震いが出た。
いや、それは寒さのせいではなかった。
そっと肩を抱き寄せてくれる腕の、その馴染んだ感触とぬくもりに、それを悟る。
不安と恐怖と後悔が渦を巻いて吐気がしそうだった。
「……ミーシャ、私を探しにきてくれたんですね」
クロードに優しく声をかけられ、もはや涙を留めることができなくなる。
「君の強運を計算に入れ忘れましたね」
クロードは苦笑交じりに髪を、背中を、優しく撫でてくれる。
そのあたたかさに、後悔が波のようにひたすら絶え間なく押し寄せる。
「神父様……ごめんなさい……」
その血判状を警官に届ければグラハム一家全体を一網打尽にできる計画だったんじゃないだろうか。拘束されても、最悪クロードの死体が出るか行方不明が続けば貸金庫は相続手続きが取られ、明るみに出るはずだ。
(神父様が命を懸けて……こんなに姿になってまでやりとげようとした計画を、私がきたことで台無しにしてしまった――)
そう思うと後悔も涙も止められなかった。
ふっと頭上から笑みが零れるのが聞こえた。
「大丈夫ですよ、ミーシャ。貸金庫なんて嘘ですから」
「…………はぃ?」
耳元にこっそりと囁かれて、飛び上がりそうになった。
けれどクロードはしーっと口元に人差し指を当てて穏やかに笑う。
「君を逃がす時間を稼ぐための方便ですよ」
驚愕のあまり、目がちかちかした。
さっきの言葉も今の言葉もどちらも全く嘘に思えないから、余計に困惑する。
こんなに嘘のうまい人だったなんて、知らなかった。
あんなに凄みのある脅しができることも。
……なんだか、遠い。
とても遠い。
ここにいるのに。
こうして、くっついているのに。
「ミーシャ、いいですか。今からこの屋敷の間取りや隠し通路を教えます。十日くらいは稼げますから、隙を見て逃げなさい。彼らが帰ってくれば、今度こそ君の命はないですよ」
幼子に言い含めるように諭すクロードは大好きな神父様で、もうどうしたらいいのか、なにを信じていいのか、わからない。
「神父様は……どうなるの?」
「私はもうしばらく大丈夫ですよ。君が無事に逃げて、助けを呼んできてくれれば助かるかもしれません」
「……っ、……嫌……嫌よ……」
もうしばらく。
助かるかも。
そんなことを言われて、うっかりで人を殺せるような人達のところに彼をおいて、自分だけ逃げるなんてできない。
「ミーシャ、いい子だから聞き分けなさい」
よしよしと頭を撫でられる。
「……子供扱い、しないでよ」
「ふふ、君は私の大事な娘ですよ。いつまでもね」
あたたかい含み笑いと大きな腕に包まれて、ただもう泣くことしかできなかった。




