露呈
「…………っ、」
ギリ、と骨が軋む音が聞こえるような気がするほど腕を強くねじ上げられ、痛みに思考が遮られた上に嫌な汗がうっすらと浮いてくる。
「ふふふ、心清らかで慈悲深いクロード神父がこのまま口を割らない場合、あなたがどうなるかを教えてあげましょうか?」
耳元に寄せられた美麗な笑顔から発せられるのは粘つくように甘く陰湿な声。
ルーファスがねじ上げたミーシャの手を宝物を愛でるように撫で、ぞくぞくと悪寒が走る。
「まずはこのきれいな爪を一枚ずつ剥いでいくんですよ。全部無くなったら次は――」
「ルー、それは私のものだ。勝手をするな」
テオドールがルーファスの腕を引いて諫め、ミーシャはほんの一時痛みから解放された。
かといってテオドールに感謝なんて死んでもしたくないミーシャは「あんたのものじゃないわよ」と毒吐いてやりたかったのだが、声が喉に張り付いてなかなか出てこない。冷たい鉄格子と双子の隙間で唾を飲んで乾いた喉を僅かに潤すと、ようやく抗議の声が出た。
「あん……たのものじゃ…ないわよ……!」
喉を絞ったのに弱々しい呻きにしかならず、ミーシャはそっと唇を噛んだ。
ふいに肩を強く引かれたかと思うと、テオドールがぐいと顎を掴んで引き寄せた。
「私のものだ」
「…………っ」
つぅっと首筋に爪の先だけを滑らせたテオドールがあまりにも近く顔を寄せて囁く。精一杯顎を引くが、背中の鉄格子が邪魔で慰め程度にしかならない。
「買い手のつかない暴れ馬を調教してみるのも楽しかろうと、私が買い取った」
「その話はあの火災で白紙になっちゃったんですから、その主張は通りませんよ」
冷笑でテオドールを押しやってミーシャの両肩を自分に引き寄せたルーファスに、テオドールは思いっきり舌打ちをして悪態を吐いた。
綺麗な顔立ちを歪めた罵詈雑言を意識の外で聞きながら、なるほどテオドールが不敬罪などとふざけた罪状を申し立てたのは自分が買い受けるはずだった商品のくせにという意識があったせいかと妙に納得がいった。
そしてもうひとつ、腑に落ちた。
(神父様は……私を、みんなを、守ろうとしてくれたんだ……)
こんな男に引き渡すまいとあの孤児院に放火したのだと思うと、きゅうっと喉の奥が締め付けられる。ミーシャはぎゅっと強く目を瞑り今はそんな場合じゃないとその痛みを脇に押しやる。
「これだけの美人だ。もったいないだろう」
「なにを言ってるんです? そういうところ、テオの悪い癖ですよ」
どちらも苛立ちと侮蔑が見え隠れする言い争いが続く。
「この前やりすぎて殺したばかりのお前には任せられんと言ってるんだよ。生かしていけばまだ利用価値があったものを」
ぞわぁっとした悪寒が爪先から脳天まで駆け抜け、本能的な恐怖に鳥肌が立つのを、どれだけ堪えようとしても止められなかった。
わずかな身震いに気づいたルーファスの意識がミーシャに向いた。
「ふふ、怖くなってきましたか? いいですよ。あなたからも神父様に助けてとお願いしてくれると僕らも助かりますしね」
「………寒いだけよ!」
「そうですか? まぁ、いいですけどね」
ミーシャは歯を食いしばって肩越しに睨みあげるが、ルーファスは相変わらず冷ややかな笑顔でさらりと流して、無邪気にクロードに向き直る。
「さぁ、そろそろ宝物の在処を教えてくれる気になりましたかね?」
クロードの視線が一瞬だけミーシャに留まってから痛みを堪えるように強く閉じられる。追い込むように、くふふとルーファスの粘つくような暗い忍び笑いが絡みつく。
「名前、なんでしたっけ。あなたが手懐けてさらっていった首領の黒猫。あなたのために一家を裏切ったのに、あなたは彼のために口を割ってくれなくて、僕がうっかり殺してしまった彼の名は」
ルーファスはもったいぶって言葉を切り、クロードの様子を窺った。クロードは俯いて唇を噛み、沈黙を守る。
「可哀想に……この子にも同じ運命を辿らせたいんですね、神父様」
粘着質な声がクロードにまとわりつき、絡みついていく。
「………――」
クロードの口元がにわかに戦慄くのを見、ミーシャはたまらずに叫んだ。
「神父様! 神父様には、なにか考えがあるんでしょう? だったら私はなんだって耐えられるわ!」
ぐ、とクロードの喉が鳴ったのが見えた。
彼の苦悶の表情がミーシャの胸にまで痛みの波紋を広げ、テオドールとルーファスは双子らしくそっくりな残虐な笑みを見合わせた。
「そう言われると、どこまで耐えられるか試したくなりますね」
「気丈な女ほど、ひざまづかせた時の征服感がたまらなくていい」
「僕は従順な方が好みですけど」
「あんた達の好みなんか、どうでもいいわよ!」
聞いているだけで腹の底から湧き上がってくる不快感を怒鳴り声に混ぜて吐き捨てる。と、背後からルーファスがいびつに歪んだ優美な笑みでミーシャの両腕を絡め取り、肩胛骨のあたりに固定した。眼前には、傲然と見下ろしてくるテオドールが不快な笑みを浮かべている。
「…………っ!」
両腕を背中に回しているせいで突き出すような姿勢になっている胸元に無遠慮にそそがれる粘つくような視線から逃げたくて身じろぎする。だがルーファスは優男のくせにびくともしない。
「………や…めろ……っ」
「それはあなた次第ですねぇ」
クロードの掠れた制止に、ルーファスが笑って応じる。
息を呑む音が、やたらと大きく耳につく。
「ふふふ、今までで一番いい表情してますよ、クロード神父」
瞠目したクロードには目も向けず、テオドールは吸血鬼のようにミーシャの首筋に顔を寄せた。ミーシャはわずかなりとも仰け反って逃げを打つが、逃げきれるはずもなく白い首筋を舐めあげられ、再度全身に鳥肌が立った。
身を捩りながら蹴りを入れようとしたミーシャだったが、気づかれて足首を掴まれてしまう。
「……くっ、……ぅっ……!」
ふりほどきたくて足に力を込めるが、さすがに男女の力の差は覆せそうにない。
「なかなかいい眺めだな」
テオドールは右手で足首を掴んだまま、左手で顎を掬ってミーシャの顔を上げさせた。凶暴さが滲むうっとりとした目に、一瞬縫い止められたように動けなくなる。
「行儀の悪いこの足から調教してやろうか?」
もう一度ふりほどこうと渾身の力を込めてみたが、びくともしなかった。
ミーシャはせめてめいっぱいの力を込めて睨み返す。
「……好きにすればいいじゃないの」
顎を引いて睨みつけたまま、ミーシャは気持ちだけでも負けるものかと凛然とした態度を貫く。
「じゃあ遠慮なく」
上空から獲物を狙って急滑降する鷲のようにテオドールの顔が降りてくる。
けれど降りてきた瞬間、ミーシャは首を伸ばしておもいっきり噛みついてやった。
ぎゃっと踏まれた猫みたいな悲鳴を上げたテオドールが鼻を押さえて2・3歩たたらを踏むのを、ミーシャは冷淡に見下した。
「私は誰にも屈しない。檻に入れられようと、どんな責苦を受けようと、私を心から跪かせることなんか誰にもできない。徹底的に抵抗してやるんだから!」
「あはははは!」
腹を抱えて哄笑を上げたのはルーファスだ。
「クロード! あなた、この子に買い手がつきそうになるといつも『まだ躾が行き届かずに噛みつくんです』って言ってましたっけ。まさか比喩じゃなく本当に噛みつくとはね!!」
腕が放されたが、逃げるなんていう選択はミーシャにはありえなかった。
クロードがいる鉄格子に背を預け、涙を拭くルーファスを横目に、口の中に残る汚い血を吐き捨てる。
「こっの……っ、調子に乗りやがってぇっ!!」
ご機嫌のルーファスとは対照的にテオドールが鼻を押さえながらくぐもった声で呻き、短剣を取り出した。
ぎらりと猛獣の獣の目を思わせる輝きに、本能的に背筋が凍った。
だが、怯える姿なんか、こんな人たちには絶対に見せたくないと迫りくる輝きを睨み返した――その時だった。
「貸金庫だ!!」
悲鳴にも似た、クロードの叫びが響いた。




