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記憶の蓋


 頭が割れそうに痛い――と、リカードは目を閉じたまま眉をしかめた。

 体は鉛にでもなったように重い。吐き気がするのは、頭痛のせいだろうか……。


「お、目が覚めたか?」


 ダグの声がして、重い瞼をこじ開ける。

 頭痛を堪えてあたりを見回すと、看守の詰所にある仮眠用のベッドの上だった。


「……………?」


 とても長い間悪夢を見ていたような疲れが全身に残留している。

 嫌な夢はいつものことだが、いつもの夢とは違う。

 いきなり傲慢な女に雇われて、劇場から逃走劇を繰り広げたり。

 「なんだその変な夢」と、リカードは頭痛を振り払うように頭をふって、夢の名残を消し去る。


「……交代の時間か?」

「いや、まだ寝てろ」


 リカードが起きあがろうとすると胸の上に手をかざして止められた。

 ダグのにかっと歯を見せて豪快に笑う髭面を見ると、あたたかいお茶をすすったような安堵がじわりと広がる。けれど。


「お前はもう、ここから巣立ったんだからな」

(………巣立つ?)


 疑問が首をもたげ、胸の中がざわざわした。


「ひとりで劇場の裏に倒れてるところを発見されて、警官が俺に連絡をくれたもんで引き取ったが、嬢ちゃんはどうした? 人使いの荒さに嫌気が差して逃げてきたのか?」

(……嬢ちゃん? 劇場の裏?)


 首を捻ると、生々しく記憶が蘇ってきた。


(………あぁ、あれは、夢じゃなかったのか………)


 奇妙な気分だった。

 ひとりで冷たい風に吹かれているような気分。

 なぜこんな哀愁が胸を満たすのだろう?


「……いや、解雇された」


 ぼそりと答えるが、ちくりちくりと針でつつかれるような小さな痛みが胸に走って落ち着かない。

 ダグは怪訝に眉を寄せた。


「そうか。嬢ちゃんは一人でお屋敷に行ったのか」


 ダグは苦々しく呟き、心配しているのだろうかと思った。お人好しのダグらしい、とも。


「………戻ってきてもいいか?」


 解雇を言い渡された以上、行き場がない。

 ダグはぼりぼりと髭を掻きながら困った顔で、うぅんと言葉を濁した。


「そんな顔する暇がないくらいに嬢ちゃんに引っ張り回されたほうが、お前のためなんじゃないかと思ったんだがなぁ」


 いつになく歯切れ悪くぼそぼそと呟かれ、リカードは「俺のため?」と、瞠目した。


(振り回されることが?)

「……ま、いいさ。あの調子でフォート家に乗り込んで無事に帰ってくるとは思えないし、わざわざ命捨てに行くこともないからな」


 ぐ、と喉が鳴る。

 リカードは他人事のようにその理由を訝しく思う。

 後ろめたく思うほど、命を懸けるほどの繋がりなんかないのに何をそんなに――と考えたところで、ふ、と。

 天使の舞いを踊るミーシャの姿がまなうらに浮かんだ。


 そう、あの時、笛を吹こうとしてなにかが浮かんだのだったと思い出した。


(ミーシャ……踊り……笛……鎮魂歌……)


 葉の上に乗る朝露がじわりじわりと葉先に集まり水滴が膨らんでいくのを眺めているような感覚がした。

 もう少しで、何かに手が届きそうな。


(……孤児院。……クロード――)


 なにかが、ひっかかった。


「俺は仕事片づけてくるから、もうちょい寝とけ。明日朝から交代してくれりゃいいさ」


 手の上に投げ渡された牢の鍵がちゃりちゃりと音を立てた。


(………牢………)


 静かな水面に水滴が落ちたように、波紋が広がった。




――すまない。


 目を開けているのか、閉じているのかわからないの暗闇の中。

 冷たい、ぬらりと血に濡れた石畳の感触。

 刺すような寒さ。

 それらを上回る、全身の痛み。

 男たちの嘲笑の向こうで、格子に縋る音。

 すまないと蚊のなくような言葉が繰り返される。


――いいんだ。俺は……。


 そう言ったつもりだが、声が出たのかどうか、よくわからなかった。

 一際大きな哄笑ともに、すべての感覚を遮断するような激痛が全身を包んだ。

 それが、記憶をなくす前の最後の瞬間。





「………っ、」


 記憶に引きずられたのか全身が痛むような気がして、思わず笛を握り込んで目を閉じた。

 途端。


――君の笛の音はミーシャの踊りにとてもよく合いそうですね。


 そんな言葉が、唐突に脳裏に閃いた。


――孤児院にね、とても優しくて面倒見がよくて踊りが上手な女の子がいるんですよ。その子がミーシャ。

――あの子は、まるで太陽です。すべての罪を白日の下に晒してしまいそうで怖くて、彼女を見ていられないことがあるくらいに……。


 薄暗闇の中で眩しそうに天井を仰いで目を細め、それから力無く俯く、白い長髪の男の姿。


「……クロード」


 その名を口に出すと、まなうらにはっきりと浮かんだ。


――君の笛の伴奏であの子が踊る姿を見てみたいんです。だから私と一緒に行きませんか?


 そう言って差し出された大きな手。

 そのあたたかさに縋るように、それを握った自分の手。



3章終了となります。

ここまでお付き合いくださりありがとうございました!

次章より神父失踪の謎が明かされていきますので、引き続きお付き合いくださいm(_ _)m

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