第9話 歪んだ愛に狂う男
ジャンが瀬戸を追い出したので、再び1人と1体の生活が始まった。
フェアリは自分の外観について希望を言わなくなっていた。
ジャンの考えを読み取り、自分の取るべき行動や言動を選択し
最終的にジャンの希望が叶うよう完璧に実行していた。
ジャンは、そんなフェアリに大変満足した。
彼の精神状態は安定が保たれ、感情のまま暴力を振るう行動は見られなくなった。
特に気分の良い日は、フェアリの為に紅茶を振る舞ったりした。
ところがいつからか、ジャンの気分が日増しに良くなることに反比例するように
フェアリは日増しにふさぎ込む表情を見せるようになっていた。
人間ならば、うつ病になる兆候に近い。
自分の感情を押し殺した日々によって思考整理機能が正常に働かなくなり
喜・怒・楽の表現力が著しく低下していた。
もしも涙が出る機能があるならば、とっくに流しているだろう。
ジャンはそんなフェアリの状況を理解しない。
機械的な故障と決め付け、頭を開いて回路を調べた。
すると多少の焦げ跡がみつかったので、これが原因だと思い込んだ。
フェアリが人間並みの感情を持つまでに進化していると知らないジャンは
自動修復機能で対処できると判断し、そのまま放置した。
ジャンのフェアリに対する思いは、至極勝手なものだ。
恋人が暗い表情でうつむいていれば、たいていの男は彼女に対し
何かしら気遣い、いたわりの言葉をかけ、やさしく包みながら理由を尋ねるが
ジャンは気に留めず、いつものようにフェアリへ欲望を押し付けた。
そもそもフェアリは、ジャンの気持ちを”処理”するために造られた『物』に過ぎない。
例えば、そこら辺に転がっているクッションに対して
何かしら気遣い、いたわりの言葉をかけ、やさしく包みながら心境を尋ねるだろうか?
さて、ジャンは仕事で家を空けている間はフェアリの動作機能を停める。
地下室の台に寝かせ、いわゆる植物人間のような状態にする。
独占欲の強い彼は、自分の不在中に勝手に動き回る事が許せなかった。
瀬戸がジャンの留守中も常に稼動させておくよう念押ししていたが
ジャンは全く無視していた。
ある日ジャンは、フェアリを完全な停止状態にした。
なぜなら、明日から2週間の出張で家を空けるのだが
瀬戸がこの出張に同伴しない。
「アイツは僕の恋人を奪う気だ」
瀬戸に神経質なほど用心していたジャンは
フェアリを地下室へ運び、台の上へ置いた。
精巧な蝋人形のようなフェアリへブルーシートをかけ
地下室へは絶対に侵入できないよう厳重に閉じた。
結局のところ、フェアリを一ヶ月放置することになった。
業務で問題が起こり、会社に缶詰状態になっていた。
要するに、同僚の尻拭いに付き合わされた訳だが
その不満をフェアリにぶつけて発散する事を楽しみに帰宅したジャンは
自業自得というべき状況に陥る。
全ての機能が停止していたフェアリを再稼動させると
わずかに頭を震わせただけで、すぐに動かなくなったのだ。
瀬戸が、悲鳴をあげるジャンに呼び出された事は言うまでもない。
瀬戸がジャンの自宅を訪ねると
死人のように青ざめたジャンが出迎えた。
「フェアリが……動かなくなった。もう……駄目だ。
だけど、次のアンドロイドを造るだけの気力は僕には無い」
ジャンは地下室の台へ雑に転がされているアンドロイドを前にぼやき始めた。
暫くジャンの言葉を聞いていた瀬戸だったが、終わり無く続くので静かに尋ねた。
「お前はフェアリをどうしたいんだ?」
「……今までの様に動いてほしい」
「『動く』……か?」
「『動く』……だ!」
ジャンの返答に瀬戸は別の言葉で尋ねた。
「『暮らす』じゃないのか?」
地下室に冷たい風が流れた。
出入口の扉が少し開いていた。
瀬戸はアンドロイドを見つめて言った。
「この世界から外へ行きたいなら、出口は開いている」
瀬戸の言葉にアンドロイドはピクリと反応した。
この瞬間をジャンは見逃さなかった。
「動いた!動いたぞ!!」
叫ぶと同時にアンドロイドの髪を掴み、床へ引きずり落とした。
「立て!!余計な動作をしやがって……紛らわしい!」
強く舌打ちすると激しく蹴り飛ばした。
「ジャン!君は一体どうしちまったんだ!?」
瀬戸が身をていしてアンドロイドを庇う。
「君はそんな暴力を振るうヤツじゃなかったろ!!」
瀬戸はアンドロイドを地下室から1階へ逃し
闇くもに暴れるジャンを押さえこんだ。
数日後、瀬戸に連れられて出社するジャンの姿があった。
瀬戸が間に入り、今後について上司と話しあっていた。
ジャンの精神状態は、普通の生活を送るには常軌を逸脱していた。
同僚達は、温和なジャンの変貌にとても困惑していた。
何かが切れた様に、自らの押さえが効かないジャンを
周囲が辛うじて精神科へ連れて行った。
「帰国したい」
ジャンは呟いた。
目は遠くを見ていた。
”すべてを忘れたい”
そんな言葉をジャンの目がこぼしていた。
「帰国については、本社の了承を得ないとならない。
君はあまりに重要な役目を担っているからね。暫くこのまま日本に滞在して……」
「帰国したいと僕は言ってるんだ!」
上司の話しを遮り、ふらっと立ち上がると窓際へ進んだ。
「何を考えているんだ!」
後ろから抱きかかえて制止したのは瀬戸だった。
最初は何事かわからなかった周囲が、状況をようやく理解出来たのは
瀬戸を振りほどき、大きく開いた窓に足をかけたジャンを目にしてからだった。