第8話 アンドロイドの願望
瀬戸は、アンドロイドの進化に必要不可欠な行動として、ジャンとの外出を勧めた。
単に外へ出るだけではない。
例えば買物をしたり、映画館で映画を観たり、スポーツ観戦したり、少し遠くへ一泊旅行に行ったり……だ。
ジャンはアンドロイドが誤作動を起こして騒ぎになる事は避けたいと言った。
だが、瀬戸はアンドロイドを家に閉じ込めておく事が誤作動に繋がるのだと根気よく説得した。
瀬戸はジャンから幾度も殴られ、倒れ込めば蹴り飛ばされた。
それでも決して説得を止めなかったので、とうとうジャンが根負けした。
その代わりジャンは、瀬戸へ条件を飲ませた。
アンドロイドに気づかれないよう瀬戸が同行し、誤作動した際は瀬戸が責任持って対処する内容だ。
「今日の用は済んだ。 テメェはさっさと消えろ」
ジャンは苛立ちながら機器を片付けている瀬戸の背中を蹴り、帰り仕度を急がせた。
両手が塞がり、前屈みの姿勢だった瀬戸は顔から倒れ、コンクリート剥き出しの柱の角に頬を打った。
この時、パリッと小さな火花が散ったのだが、ジャンは気づかなかった。
瀬戸は左手で頬を押さえたままジャンの家を後にした。
アンドロイド(フェアリ)はジャンに連れられて度々外出するようになった。
挨拶などのマナーを完璧にこなすので近隣住民とのコミュニケーションはそれほど問題無かった。
想定外の事を聞かれると途端に返事を返せなくなるが、英語的な訛った日本語なので、フェアリが外国人だと思いこんだ周囲が何の疑いも無く親切にしてくれたので救われた。
「あ、今の日本語は難しかったわね。 ごめんなさいねぇ」
大抵このように周囲が気遣い、事なきを得ていた。
やがてフェアリは外出先で見聞きした言葉を使い始め、近所の奥さん連中と長話しが出来るようになった。
ある日、初めてお世辞を口にした時は、物陰に隠れて様子を伺っていた瀬戸が驚きのあまり腰を抜かした。
進化が予定以上に速かったのだ。
「あれからまだ……2ヶ月も経っていないぞ……」
瀬戸はつぶやくと、自分の顎を撫でながら考えた。
『これなら、近い内に望みが叶うなぁ……』
瀬戸は最終検査と称して、ジャンの家に寝泊まりする事を申し出た。
当然、ジャンから猛反撃を受けたが、彼の意思は変わらなかった。
そして一切の邪魔をしない条件でジャン宅に住みついた。
2人と1体の、不自然な共同生活が始まった。
「私はいつ大きくなるのでしょうか?」
「……はあ?」
フェアリの前後脈絡の無い質問に、ジャンと瀬戸は同時に聞き返した。
すると、深夜番組に出演している裸の女性を指差し、再び言った。
「ねぇ! 私はいつになったら彼女達みたいになれるの?」
「あ……えっとねぇ……」
頬を真っ赤にした瀬戸が目を激しく泳がせながら言葉を考えていると、ジャンが頭ごなしに叫んだ。
「くだらない! 二度と言うな!!」
ジャンは二人の間でオロオロする瀬戸を蹴り飛ばし、フェアリの胸倉を掴んだ。
「おい! ジャン!! それはあまりにも……!」
瀬戸が止めにかかったが遅かった。
「ゴ……ゴメンナサ……イ」
フェアリは灰色の煙りを出して動かなくなった。
ジャンはフェアリの頭を乱暴に掴み、床へ何度も叩きつけたのだ。
「瀬戸、お前は出ていけ。 お前がいるせいでコレが余計な動作を起こす。
クソッ!プログラムし直しだ……」
「……ジャン」
瀬戸はジャンの目を見て何も言えなくなった。
なぜなら、彼の表情は苦痛に歪んでいた。
”性同一性障害の治療”という名目で研究したがる病院に散々酷い目に遭わされた19才の夏。
当時、女性だったジャンの精神的苦痛は、いつまでも彼(彼女)を離さなかった。
タチが悪いことに、”性”に対して異常な拒否反応を起こすようになっても、誰かを愛し愛されたい気持ちはそのまま残っていた。
だからジャンは、男でも女でも無いモノを愛でる為にアンドロイドの恋人を造ろうと考えた。
ところが、念願の末に完成したアンドロイド(フェアリ)は彼の気持ちに反して性(女性)を持ちたいと要求し、いつまでも言い続けた。
やりきれない思いは彼を狂わせ、拳をフェアリにぶつけて解消するようになっていた。
後先を考える余裕の無いままに。