第3話 歪んだ男の理想の愛
午後のジャンは、調子が全く狂っていた。
何度もデータを書き間違え、何度もエラーを起こした。
「クソ……あの野郎のせいだ!」
額に青筋を浮かばせ舌打ちするジャンは、周囲の社員が初めて目にする光景だ。
そして彼らの視線は自ずとジャンとは対照的な上機嫌の瀬戸へ視線が移る。
「ふふふ~ん、ふふ♪」
鼻歌に合わせて軽やかにキーボードを打つ。
カタカタと軽快なリズムが、社員のひそひそ話を尻に敷いて鳴り響く。
この部署は、今まで経験したことの無い異様な雰囲気に包まれていた。
覚悟を決めた上司が険悪な雰囲気を打開すべくジャンに声をかけた。
「一体、何があったんだ?」
瀬戸のキータッチの音以外、全ての音が鳴りやんだ。
「……何も……ないですよ」
ジャンは真っ直ぐ前を向いたまま重々しく答える。
ギシッ……!
鼻歌と軽やかなキータッチの音が突然止み、代わりに油の切れたタイヤの椅子の音がした。
黒い影がツカツカとジャンへ近づき真横に立つと、鼓膜が破れんほどの大声で怒鳴りつけた。
「何もない事は無いだろう! ったく午後一から俺はテメェの尻拭いだ!
何度エラー起こせば気が済むんだよ! ああっ!?」
瀬戸が怒りに青筋を浮かばせジャンを睨みつける。
仕事関係で真面目に怒る瀬戸を初めて見た周囲は唖然とした。
少しの間沈黙したまま俯いていたジャンだったが、彼がゆらりと立ち上がり振り向くと、突然、瀬戸は床へ叩きつけられた。
「もう一度……言ってみろ……」
ジャンは瀬戸の襟元を乱雑に掴み拳を構える。
「……悪かったよ……」
瀬戸は大きく溜め息をついて謝罪するとジャンを軽く払いのけ、自分の席に戻って仕事の続きを始めた。
何事も無かったかのように鼻歌交じりにキーボードを打つ。
(不気味なヤツ…)
ジャンは冷静さを取り戻しながら思った。
なぜなら瀬戸は今まで以上に薄気味悪く笑っていた。
翌日、ジャンは体調不良を理由に8日分の有給休暇を取得した。
通常ならチームと次工程の部署に多大な迷惑がかかるので咎められるところだが、自分が不在でも支障が無いよう計画的に業務を進め、途中で呼び出される事も無いよう完璧に段取りをしていたので、上司はジャンが仮病だと察していても許可を出さざるを得なかった。
ジャンは公休日を含めた10日間全てを”恋人造り”に当てた。
そして、地下室にこもってから今日で7日目になる。
トイレ以外では地下室から出る事はない。
シャワーは7日間浴びておらず、頭を掻きむしるとフケが舞う。
部屋の湿度を極端に抑えて、乾燥肌になっていたから尚更だ。
「よし……あと少しだ」
中腰の姿勢をゆっくり正すとボキッと音が鳴った。
両腕を組んで頭上に上げ、更に天井に向けて身体全体をぐっと伸ばす。
肩甲骨は鈍い音を鳴らした。
「ふう……」
ジャンは腕を大きく振り回し、チラリと横たわる人形に視線を落とす。
無精髭の生えた顎に手をやりながら、電源が入っていない人形の顔をまじまじと覗き込む。
まるで恋人の寝顔を見るように目を細め、人形が横たわる台に腰掛けるとそれを優しく撫でた。
「もうすぐキミは、僕に逢えるよ……」
ジャンは理想の恋人を造る為に、最高級の部品を惜しみなく使った。
まだ血は通っていないが、柔らかく青白い肌。
人間そっくりの肌は医療現場で実際に使用されている人口皮膚だ。
ガラスのように透き通る蒼い眼球は、生きた人間から取り出した物。
使用した部品の中で唯一、生の臓器だ。
ジャンは己の欲望を叶える為に非常な手段をいとわなかった。
恋人を早く目覚めさせたい一心だった。
強引に事を進めたので、ハード面はかなり順調に進んた。
しかし、休暇9日目。
彼はソフト面で暗礁に乗り上げた。
世界最先端の技術を持つ出張先の会社から、盗み出した複雑なプログラム。
ジャンが業務の一環として、会社の資金を使用し実験を重ねて実用化した一辺5mm程のICは、彼の願いを見事に裏切った。
原因はただ1つ……彼の高すぎる理想。
残された時間で、プログラムの誤りを探し取り除き、修正する作業を繰り返す。
時計が0時を過ぎた頃、会社の設備に程遠い地下室でジャンはとうとう息詰まった。
冷たいコンクリートの床にうずくまり、大人気ない悲鳴で泣き叫んだ。
自分が正常な精神ではない事に気づいていない。
彼の周囲には血の跡がある。
アンドロイドが思い通りに起動しない度に頭を激しく打ちつけていた。
割れた額には固まった血がへばりついていた。
アンドロイドには、あらゆるデータが蓄積されていた。
まるでアニメや映画のように、自分の意思を持ち行動する。
何億という人間の表情や行動・心理をそのまま蓄えたデータを元に、ジャンの心を読み適した心地よい言葉を発声し行動する、理想の女が完成するハズだった。
完璧を求める彼は、身体の細部までこだわっている。
この世に二つとない美しい肉体に、やわらかな感触。
ジャンの欲望を隅々まで満たし、巨万の富を積んでも得られない贅沢な官能の夜を、心も身体も惜しみなく与える女が完成するハズだった。
ところが、一番肝心な要素が埋まらない苛立たしさに、ジャンは再び叫び頭を掻きむしった。
プログラムには”無償の愛”が欠けていた。
親が子に注ぐ尊い本能をジャンは造って得られるものだと信じ、疑いもしていなかった。