第19話 地下室で_1
ジャンが男型アンドロイドの製作に取り掛かってから
1年と3ヶ月が過ぎた。
今日も”観測史上最高気温”を塗り替える真夏日となった。
人間にとって50度超えは狂気の沙汰だ。
この年の春、前例の無い異常気象が中国上空で発生し
日本をはじめ周辺諸国は真っ先に巻き添えを食らった。
原因は化学物質による気温の上昇だが、それは新たな有害物資を生み出し
二酸化炭素の増加による温暖化とは全く別の次元から気温を上昇させた。
どんなに性能の良い冷房を完備しても、連日上がり続ける暑さにはお手上げだ。
それでもアンドロイドには関係のない事だが…。
ある日、一通の電話が瀬戸にかかってきた。
黙って話を聞いていた瀬戸だったが顔色を変えてすぐに自宅を出た。
昼間の外は、誰もいない。
温暖化の進行を止められなかった報いにより
熱せられたアスファルトや建物の外壁、立ち上る熱気が
人間の皮膚や器官などに重症を負わせていた。
病院へ担ぎ込まれる人数に対応できなくなった現状に
政府は気象庁のデータを元に外出禁止令を発令していた。
「そこのバイク! 左側へ寄って停まりなさい!!」
大きな蜃気楼が立つ誰もいない道路で
パトカーがサイレンを鳴らした。
一台のバイクがまもなく停まると
パトカーの中から耐熱服を着た警官が2名降りてきた。
「君! 外出禁止令発令中だ! この暑さに殺されたいのか?」
「パトカーに避難しなさい、服が焼け焦げてるじゃないか!」
バイクにまたがったままの青年を説得する。
警察官の一人が手を伸ばした時、青年はヘルメットを脱いだ。
「やあ、非情に迷惑な警察官さん。
君たちが俺を引き止めたせいで、バイクのタイヤが溶けてしまった。
このまま走っていればそれなりに何とか辿り着ける予定だったのに……」
「……あ、あなたは」
警察官は慌てて敬礼する。
「瀬戸様、た……大変失礼致しましたぁ!!」
耐熱服で表情は見えにくいが、上ずった声が緊張を伝えていた。
「俺は今とても急いでいるんだ……。
君達には直接関係ないけどね、君達警察の上層部が
余計なことを仕出かしてくれてね……。
俺の大事な人材と連絡が着かなくなったんだよ。
今から俺が言う所へ、即効乗せて行ってくれないかなあ」
警察官は瀬戸を乗せ、ジャンの元へ急ぐ。
あまりにもスピードを出し過ぎたパトカーは
エンジン、タイヤ共にボロボロになり
到着した頃には廃車同然になっていた。
「瀬戸様…ご自宅の様子が何か変ですね」
警官の1人が言った。
明らかに家の様子がおかしい。
フル回転しているはずの室外機から何の音もしない。
ゴンゴンと鳴り響いているのは、近所からの室外機音だ。
「私どもが様子を探ります。鍵をお貸しくださいませんか」
「いや、君達が危険な事をしなくていい」
「ですが……しかし」
「耐熱服を着ていても、ドアの内側じゃ意味を成さないだろうよ」
瀬戸の言葉に2人の警官は引き下がった。
家の中の様子がどんな事になっているのかを
瀬戸は体内センサーで十分に把握していた。
外気温が50度を越える状態で、冷房が止まった密閉空間は
もはや人間が生きられる世界ではない。
窓辺の花瓶が溶けているのだから相当なものだろう。
ブレーカーはONになったままだから
よくぞ火事にならなかったものだと胸を撫で下ろした。
……ブレーカーがON?
「地下室に電気を集中させているのか!」
瀬戸は裏庭へ回り、地味なドアの前に立つ。
センサーの反応は正常だ。
「やはりな……」
鍵を開けた。
1.5m四方の狭い空間に1歩踏み入れると
その床には、地下室へ通じる13段の螺旋階段がある。
降りた先には、随分と頑丈な鉄の扉。
地下室のもう1つの出入り口だ。
ゴォンゴォンと重機が稼動しているようなの音が響いていた。
「あの野郎……あの子をどうする気なんだ」
瀬戸は今日の電話を思い返す。
連絡してきたのは警視総監だった。
2日前にジャンから、娘(小さかったアンドロイド)の協力が必要との
連絡を直接受け、見張りの警官と共に彼女を送り届けたが
その後全く連絡がつかなくなった……
という内容だ。
「どんな事でも俺を介すると取り決めたろ!
ジャンが直接連絡する事自体が変だと思わなかったのか!?
アイツは元・産業スパイだぞ……
通信に潜り込む事なんて造作も無いことだ!」
瀬戸にも油断があった。
まさか小さかったアンドロイドが嘘をつくとは
考えもしていなかった。
彼女は、泊りがけの出張だと瀬戸に告げて出かけ
瀬戸はその言葉を鵜呑みにしていた。
「おい!ジャン!」
瀬戸は鍵をこじ開け、勢いよく作業部屋へ入った。
バタンとドアを開けた振動で、何かがズルッと床へ落ちた。
ジャンの死体だった。
部屋の空調は十分に効いていたが
腐敗は随分と進行し、一部白骨化していた。
彼を見て瀬戸は沸き上がる焦りを急いで落ち着かせた。
「チッ!なんて事だ……。 おい、ミュリエル!」
瀬戸がジャンの腐乱死体を凝視したまま
小さかったアンドロイドの名を呼ぶ。
「お父さん……どうしたの?」
小さかったアンドロイドが微かに応える。
様子がおかしいと感じた瀬戸は声がした方を見る。
フェアリを作った作業台の上で
小さかったアンドロイドが虚ろな瞳で横たわっていた。
薄いシーツを中途半端にかけ
はみ出た身体には何もまとっていなかった。
「……な!?」
瀬戸は呆気に取られて立ち尽くす。
すると、小さかったアンドロイド脇で
不自然に盛り上がっていたシーツがゴソゴソ動いた。
「……誰、アンタ?」
「な……なんだテメェは!?」
瀬戸は額に青筋を浮かべる。
正確には、血管と同様の性能を持つチューブに
いつもより多く潤滑油が流れ、それが人工皮膚を押し上げた。
小さかったアンドロイドの隣には見たことの無い男がいた。




