第1話 ジャン
ジャンは毎晩、自宅の地下室で秘密の創作活動をしていた。
寝る間を惜しんでのそれは、長年温めてきた夢であり理想だった。
ジャンの髪は金色でセミロング。
肌は透き通るような色白で瞳は深く蒼く、常に眼鏡の下にあった。
時計が鳴ると同時に作業を中断し手早く片付ける。
少し後ろ髪を引かれながらも地下室を出ると、分厚い扉を固く閉めた。
暗い階段を12段あがり、ただの壁に見える隠し扉を開けてキッチンに出た。
小さな窓を開けカフェカーテンを風に揺らすと、朝の空気を深く吸い込む。
そしてカーテン越しに近所のバラを眺めながら紅茶を煎れた。
「行ってきまーす!」
今年小学生になった隣人の子供が元気に出かける。
「さて、僕も行くか……」
今日もジャンの一日が始まった。
背広に着替えてネクタイを締めると、徒歩とバスで駅に向かう。
そんな彼を通行人は羨望の眼差しで振り返る。
美しい金髪を軽くなびかせ颯爽と歩く姿は母国で人目を引いていた。
だから、日本では更に人目を引き、異様なほどに魅了した。
女子高生らが道の真ん中で彼を待ち構えている。
今やこの光景は朝の風物詩だ。
さて、ジャンが出張先であるソフトウェア開発会社に到着すると
彼より一回り大きい身体でチョビ髭を生やした、定年の間近な男が足早に近づいてきた。
「やあ、ジャン! 今日も清々しい朝だね! キミのご機嫌は晴れやかに最高かな?」
この男は日本でのジャンの上司だ。
毎朝の度だが、覚えたてのフランス語を披露したいらしい。
一生懸命、語学を学んでる事はヒシヒシと伝わる。
言わずもがな……変な挨拶である事は間違いない。
ジャンは愛想笑いをすると
「おはようございます、部長。とても綺麗な発音ですね」
とフランス語で返した。
気を良くした上司は、彼の肩を抱えるように叩き
「君には、とても期待しているのだよ」
と日本語で気持ちを伝えた。 更に、
「今夜、キミは予定があるかい?」
と耳元で囁いてきた。
「メンバーでいつもの飲み屋なら、良いですよ」
ジャンは再び愛想笑いをした。
すると上司は、少し困ったような顔をして心境を漏らした。
「どうしたら君の壁を壊せるかねぇ……。
日本人のチームワークは君が思う以上に繊細で固い絆なのだよ。
皆が君に期待しているのはわかっているね? だから君は、もっと”自分”を出しなさい」
ジャンは上司の心遣いに感謝し会釈すると仕事場へ向かった。
表情はとても暗かった。
なぜなら、彼の良心が酷く咎めていたからだ。
(僕の目的は、貴社の技術を盗む事なんですよ……部長)
ジャンは心で呟いた。
地下室での秘密の創作を完成させるには、この会社の技術が必要だった。