ボタンを押すだけの簡単な仕事です
「ボタンを押すだけの簡単なお仕事です」
そんなバナーをネットで見つけたのは、一週間前のことである。
見るからに怪しい。「自宅で簡単にお仕事!」と同じぐらい怪しい。いや、別に自宅での仕事を否定している訳ではない。しかし、その「自宅でお仕事」広告がエロ動画のサイトにあったら誰だって警戒する。それに広告ならまだいいのだ。クリックしてよくわからんサイトに飛ばされた挙句、ウイルスに感染してました、なんてなったら目も当てられない。
そんなわけで「簡単なお仕事」なんてワードは、はっきり言って地雷である。もはや見えている地雷である。君子危うきに近寄らず。怪しげな広告はクリックするべからず。自ら火の中に飛び込む必要はないのだ。
ないのだが。現在、俺はディスプレイの前でマウスを握り締め、今まさにその限りなく怪しいバナーをクリックしようとしていた。
人間、冒険を忘れてはいけない、なんて言う気は毛頭ない。堅実に生きるのすら難しいというのに、どうしてわざわざ冒険なぞしなければならないのか。狂気の沙汰である。信じられん。人間ほどほどに生きるのが大事なのだ。
が、地獄の沙汰も金次第。金はあって困ることはないし、そもそも、困るほど集まるかも怪しい。学生は金のかかる職業なのだ。なくて困るよりは、有り余って困る方がいい。そしてできるなら、より楽をして稼ぎたい。小市民の心からの願いである。
で、問題の広告である。「ボタンを押すだけ」なんて文字を見たとき、多くの人は一瞬でその「胡散臭さ」を嗅ぎ取るはずである。「女性限定簡単なお仕事」が実際は簡単でも何でもない仕事であるのと同様、「ボタンを押すだけ」の仕事もまた裏に何かあるのではないか、と。実際、その勘は正しい。そして、怪しさ満点の広告は、怖いもの見たさに思わず指が動いてしまう人間とただのバカ、つまり、一人握りの人間によってクリックされるのだ。そして変なサイトへ飛ばされる。
だが、その広告は何かが違った。とは言っても別に、霊感的な何かを察知したわけではない。それはもっと簡単なこと。一言で言ってしまえば、単に見た目が違っていたのである。
例えば、先程の「簡単なお仕事」の広告を思い浮かべて欲しい。その広告は、非常に派手な外見をしているはずだ。ピンク色の文字。見目麗しい女性の写真。過剰なまでの装飾。ギラギラと光らんばかりにその広告は華美な外観をしているはずである。
しかし、件の「ボタンを押すだけ」広告は違った。そのバナーには、単に文字だけが書かれていたのである。それはそれで一種のデザインと取ることもできなくもないが、白地に味気ない黒の明朝体の外観を、デザインしたと呼ぶには少し無理があるだろう。「やれって言われたから最低限やりました」とでも言わんばかりの見た目。ふてぶてしいお役人を連想させる雰囲気が、そのバナーにはあった。
はっきり言って、広告としては最低レベルである。そもそも広告する気がないのだから。来たかったら来ればいいんじゃない? とでも言いたいかのように、その広告には圧倒的にやる気が欠けていた。
が、そんな見た目だからこそ、どことなく安心感を感じるのもまた事実。理性は警鐘を鳴らしていても、直感は大丈夫だと告げるのだ。バカだと言われれば確かにそうだろう。だが、どうしても、俺にはこのやる気のないバナーがただのいかがわしい広告だとは思えなかったのである。
認めよう。俺はバカだ。自ら火の中に飛び込まんとする人間は、馬鹿と呼ばれても致し方ないだろう。バカもバカなりに考えてはいるが、それでも誹りは免れない。今現在、ネットカフェからアクセスするという浅知恵を働かせてはいるものの、その事実が揺るぐことはないのだ。
マウスを持つ手が震えていた。ここまで緊張したのは、大学入試の時以来だろうか。もう三年前になる。思えば、ぬるま湯のような日々を過ごしてきた。今のような、タイトロープを渡るようなスリルある展開とは縁のない日常だった。
そんな日々も、このバナーをクリックしたら変わってしまうのかもしれない。悪い方向に。あるいは良い方向に。そんな予感を感じつつ、俺はゆっくりと人差し指に力を入れた。
――そして、俺の日常は劇的にその姿を変えた。
なんてことはなかった。人生そんな簡単に変わってたまるか。
勇気を振り絞ってクリックした俺の目の前にあったのは、「ご入会ありがとうございます」の文字でも「個人情報を登録しました」の文字でもない。「五月二十二日午後三時」と「時間になったら押してください」という明朝体、そして、ただ簡素に「押す」と書かれたボタンだけ。それがスクリーンに映し出された全てだった。
正直見言えば、かなり拍子抜けした。もっとヤバい状況になることも覚悟していたのだ。高額請求、消えないウィンドウ、ウィルス。思い浮かんでいた想像は、どれも最悪のもの。それらは全て、現れることはなかった。
どうしてだか、俺は少し不安になった。もちろん、面倒事は起こらない方がいいに決まっている。しかし、予想していたことが発生しないというのは、存外びっくりすることなのだ。
だが、ここで油断してはいけない。気を抜いてこの「押す」のボタンを押したとき、今度こそ最悪の事態が訪れるかもしれない。狡猾な罠に引っかかってはいけない。用心こそ、自分を守るもっとも強固な盾である。
もっとも、押さないという選択肢は俺の中には存在していない。現在午後二時五十七分。あと三分で指定された時間になる。確かに恐怖心はあるが、それを好奇心が凌駕している。押したら一体どうなるのか。やってはいけないと言われると、やりたくなるアレである。
残り一分。実際のところ、直接的な被害は俺にはない。引っかかったとして被害はあるだろうが、それを引き受けるのは俺ではない。気の毒だが、火の粉はネットカフェにかぶってもらうことにしよう。
ジャスト。今度は確かな手でマウスを操り、ボタンをクリックした。やはりというか何というか、目立ったことは起こらなかった。飛ばされたページには、やはり明朝体で一文、「報酬三千円をお送りいたしますので、住所を下記フォームにて送信してください」のみ。
ここに来て詐欺かとも思ったが、きちんと暗号化されたページだった。まあ、暗号化されているからと言って完全に信用していい訳ではないが、信頼がおけるのではないかと思ったのも確かだ。少なくとも、詐欺である確率はぐっと下がる。
得体が知れないが、俺はこのサイトに対してある種の信頼感を抱き始めていた。騙そうという気が全く感じられない。住所を書き込めば、本当に報酬が送られてくるのではないか。完全に信用することは危険だとわかりつつも、どことなく疑いきれない。頭の中がグルグルする。書くべきか。書かざるべきか。
意を決し、俺は住所を書き込むことに決めた。だが、俺の下宿先ではない。今回は、友人の一人に生贄になってもらうことにした。つまり、彼の下宿の住所を書くことにしたのである。
卑怯と言いたいのなら言うがいい。いや、やっぱりやめてほしい。傷つくから。ともかく、これで俺が実質的支配を受けることはない。報酬は、まあ、どうにか回収すればいいだろう。あいつはバカだからどうとでもなる。
薄暗くタバコ臭い個室の中で、俺は密かにほくそ笑んだ。頭の中は既に、送られてくるであろう報酬のことでいっぱい。取らぬ狸の皮算用という言葉は、残念ながら俺の語彙データベースからは、一時的に削除されていた。
で、あれから一週間が経過した。ジリジリと日々を過ごしていた俺だが、未だにこれといった変化は起きていない。
やっぱり、俺は釣られたのかもしれない。ネットによくあるちょっとした悪戯だったのだ、あれは。そもそも、あんなにおいしい話がその辺に転がっているほうが変だったのだ。世の中、そんなに甘くできてはいない。
「おい、ちょっといいか?」
そんな諦めムードに浸りつつ昼飯を喰っているとき、その声はかけられた。
忙しく動かしていた箸を止めて顔を上げる。声の主は、あの「ボタンを押すだけ」の住所フォームに、哀れにも住所を書かれた、例の友人だった。
「まあ、いいけど」
特に断る理由もない。特別一緒に飯を食いたいわけではないが、かといって猛烈に拒絶するほどでもない。一緒にいるならば話ぐらいはする。もっとも、話が弾むかはまた別問題なのだが。
俺の返事を受け、友人(ここではAとしておこう)が対面に座ってくる。メニューは日替わり定食B。にサラダ付き。自分が食べているカレーをふと見ながら、俺は経済格差をひしひしと感じていた。
「で、話ってなんだ?」
「いや、まあ、そんなに大したことじゃないんだけどさ」
「じゃあ、なんで話振ったんだよ」
ククッという声が俺の喉から漏れた。Aは少しむっとした様子だった。
「いや、まあな」
それからAは、定食のから揚げに箸をつけ始めた。そして、茶碗の白米をかきこむ。はっきり言って、あまりきれいな食べ方ではない。A自体はそこまで嫌いではない。しかし、Aのこういうところが、俺はあまり好きではなかった。
ぐちゃぐちゃとから揚げと米を咀嚼するA。せめて口は閉じろ、なんてことが言えるはずもなく。Aが嚥下するまで、俺は努めて努めてさりげなく目を逸らし続けた。
とりあえず腹に何か入れたことで一旦落ち着いたのか、Aが口を開いた。せめて全部飲み込んでからにしろよ。
「まあ、相談というかアレなんだが」
「なんだよアレって」
「いや、うーん、まあ変な話なんだけどよ」
「やけにもったいぶるな」
「いや、こっちもどうすればいいかわかんなくてさ」
「大丈夫じゃねえの?」
「おい、まだ何も話してないんだが」
「どうせ大した話じゃないだろ」
「いやでもな」
「誰か死人が出たのか?」
「それはない」
俺には確信がある。どうせあの話だ。この時間、このタイミング。アレだと思わないほうがおかしい。問題は、いかにこちらに都合よく話の流れをこちら持っていけるかだ。
俺は金が欲しい。「あればあるほどいい」なんて拝金主義者みたいなことを言うつもりはないが、貧乏人にはなりたくない。端的に言おう。小遣いがもっと増えればいいな、とは思っている。
「でも、本当に変な話なんだよ」
「そんなに強調すんな。あと口から米飛んでるぞ」
「あ、悪ぃ」
勘弁してくれ。汚いだろ。
ひとしきり口の周りを掃除するとAは語り始めた。
「実はよ、この前郵便受けに、変な封筒が入ってたんだけどさ」
◆
俺の勘は間違っていなかった。Aの話は、自宅に送られてきた正体不明の現金書留についてだった。
中身はきっちり三千円。例のサイトに書いてあった金額と同じである。少なくとも、これではっきりした。あのサイトのボタンを押せば、金が送られてくるということだ。
Aはしきりに不安がっていた。当然だろう。身に覚えのない現金が自宅に送られてきたら誰だって不安に思うものだ。住所が漏れているのか? なぜ送られたのか? これは詐欺なのか? すぐ目の前に落とし穴が待っているような気がして、いてもたってもいられないのだろう。三千円なんてはした金で厄介ごとに巻き込まれるのは、誰だって御免こうむりたいものだ。
で、こういう時の頼れるおまわりさんである。当然Aも警察に通報しようとしていた。模範的小市民である。
しかし、それはマズイ。少なくとも、あの「ボタンを押す」バイトが警察にばれるのは何としても避けたいところだった。あんな「ボタンを押す」だけで三千円がもらえる仕事が、まっとうな仕事だとは考えにくい。限りなくアウトに近いか、もしくは完全にアウトだ。そんな仕事が警察に知られたらどうなるか。検挙から起訴、有罪のコンボで、間違いなく「ボタン」のバイトは消える。それだけはやめてほしい。せっかく見つけたおいしい話なのだから。
そんな思惑もあって、俺はAに対して、ひたすら大丈夫だと話し続けた。心配する必要はない。きっと災難が降りかかることはないだろう。半ば洗脳じみていると自分でも思ったものの、Aはあっさりと俺の言葉を信じたようだった。溺れる者は何とやら。不安で仕方なかったAにとって、俺の言葉は藁どころか、レスキューの救助艇に見えたに違いない。
それとなくその三千円も預かろうかと申し出たが、しかし、それはきっぱりと断られた。何となく安心したためか、もらえるものはもらっておこうと思ったらしい。まったく現金な奴だ。人のことは言えないが。
あれから、すなわち、俺がAを説得できず、三千円を横取りし損ねてから数日後、俺は自宅のパソコンにて、再び例の「ボタン」のサイトを開いていた。
確かに、あの三千円は今、Aの懐に入っている。しかし、たかが三千円である。どうせ、またあのボタンを押したら金は送られてくるのだ。今度は自分の住所に送らせれば、今度こそ金は俺のものなる。簡単な話だ。要はもう一度、ボタンを押しさえすればいい。
指定された日時は、タイミングがいいというか何というか、またしても今日だった。現在時刻16時56分。あと4分後に、三千円が俺のものになる。
「続きまして、政府による刑法改正について……」
つけっぱなしのテレビから、美人のアナウンサーの声が響く。顔が非常に俺好みだ。三千円は何に使おうか。そういえば課題がまだだった。だるい。
「……これにつきまして、民間の団体……」
テレビからはやかましく声が響く。顔は好きだが、声はいまいちだ。アニメ声だったら、視聴率も増えるのではなかろうか。むしろ、声優にニュース読ませればいいのだ。
結局、テレビは消した。電気代節約。ニュース自体に興味もない。そもそも、あんな短時間に別々のことを報道してどうするのか。いや、適当なことを言っているが、あながち間違いでもないだろう。
リモコンの赤いボタンを押すと、時刻は五秒前。慌ててボタンをクリックした。
◆
例のサイトを見つけてから半年近くが経った。今も俺は「ボタン」を押し続けている。
今の俺は、ちょっとした小金持ちだ。理由は無論、例の「ボタン」サイトである。確かに、一回あたりの給金は少ない。一週間に一回程度では、貯まる前に使い切ってい舞うこと請け合いである。
だが、途中から気づいた。どうもあのサイト、ボタンが発生するのがかなり不定期なのだ。必ず押せるのが週に一回。その他にも、平均して週に三回ほどはボタンを押す機会がある。大体時間は五時ごろなので、こまめにサイトをチェックしていれば、ほとんどのボタンは押すことができる。結果、働かずして小金が入るという寸法である。
バイトもやめた。こんなに楽に金が手に入るのに、どうして汗水垂らして働かなきゃならんのか。ばかばかしい。堕落したと笑いたいなら笑うがいい。同じ金が手に入るとして、楽な仕事と苦しい仕事、自分がどちらを選ぶか胸に手を当ててよく考えてみるといい。
それに、あのバイト先の店長が、俺は嫌いだったのだ。ことあるごとに「最近の政治についてどう思う?」なんて聞いてくるのだ。確かに、最近デモやらなんやらで騒がしいが、そんなことはぶっちゃけどうでもいい。そんな質問に毎回答えられる学生なんぞ、この世に存在するわけがないのだ。学生の無関心さを甘く見てもらっては困る。
さて、今日も今日とてサイトのチェックである。既にURLはブックマーク済み。家のパソコンにもスマホにも登録してある。抜かりはない。「ボタン」に人数制限はないようだが、時間切れはある。楽して金をもらうのだから、これくらいの労力は惜しむべきではないだろう。
いつも通りスマホでブラウザを起動し、ブックマークをタッチ。いつも通りサイトに飛び、いつも通りボタンを押す。
はずだった。
目の前には一言。「サイトが見つかりません」
目の前が真っ白になった。だが、そのことを考慮していなかった。明らかにイリーガルなサイトだ。いつ消えてもおかしくはない存在だったのである。
が、そんなことを考えられるはずもなく、ただ俺は茫然としていた。何となく、消えないと思っていた。消えるわけがないと思っていた。サイトに対する一種の信頼というか、名状しがたい親近感のようなものすら、俺はあのサイトに抱いていたのだ。実際、俺があのサイトを利用し始めてから、俺に何らかの被害が及ぶことは一度もなかったのである。
だからこそ信じられなかった、嘘だと思った。電波が悪いのだとも思った。圏外の文字を見て一瞬ほっとしたが、無線LANがしっかりと入っているのを見て再び愕然とした。
確かに、「ボタン」のサイトは消えていた。
だが、俺は諦めなかった。家に帰ると、その日出された課題(時事問題に関連して、死刑についてのレポート。締切翌日)を放り出して、すぐさまサイトの捜索を開始した。あのサイトが消えている訳がない。どこかでしぶとく生き延びているに違いない。俺とあいつの友情は、この程度で切れるものではないのだ。なんて変なテンションになりながら、俺はひたすら探し続けた。あらゆる検索ワード、リンクを駆使し、目についたサイトはかたっぱしから見ていく。五時間が過ぎてもやめることはない。目が痛くなってきて、そう言えば今度の三千円で、ブルーライト軽減眼鏡買おうと思ってたな、とどうでもいいことを思い出しつつ、それでも俺はディスプレイを見るのをやめなかった。
そして、とうとう見つけた。目の前には懐かしくもそっけない明朝体。そして「押す」と書かれた簡素極まりないボタン。指定時刻は17時。求めていたものが目の前にあった。
思わず泣いた。いわば、行方不明だった親友に、十年ぶりぐらいに再会したような気分である。懐かしさすら感じた。三日ほど前にも目にしていた光景だが、失われたと思っていたものである。感動もひとしおだった。
こうしてサイトを再発見した俺は、そのまま寝落ちした。レポート? そんなものより大事なものがある。金が大事だ。安定した給料はレポートををも勝る価値を持っている。学力なんかなくたって、人は金を稼げるのである。
そうして次の日を全て自主休講した俺は昼までしっかりと惰眠をむさぼり、17日にボタンを押した。なんだか、いつもの日常が戻ってきた気がした。
ただ一つだけ気になったことは、報酬が三千円から五千円に上がっていたことだった。
◆
サイト再発見から一カ月、俺をもはや小金もちと呼ぶ人間はいないだろう。報酬は更に上がり続け、今や一回一万円である。何が起こっているのやらまったく見当がつかないが、特に問題は起こっていない。前のバイト先では、勤務年数が長かったり、いい仕事をするようになってきたり、他の従業員が減ってきたりしたら自給が上がっていたが、それとは関係がないだろう。そもそも、「ボタン」を押すことはバイトなのだろうか。議論の余地がある。
もっとも、バイトを辞めることで余っている時間は、今でも持て余している。結局、あれはあれで時間の有効利用だったのかもしれない。少なくとも、まとめサイトを巡回したり、居眠りしたりするよりはよほど有効だったと言えるだろう。
まとめサイトの巡回は、もはや日課になりつつある。暇なのだ。最近は柄にもなくニュースサイトにも手を出しつつある。
が、今日はやることがある。それは、レポートを書き上げ単位をもらうという、学生の主な業務と呼んでも差し支えない行為である。
あのサイトを再発見した翌日、結局レポートは間に合わなかった。一日遅れで提出したが、まあ、出来はお察し、というところである。
結果、俺は評価外、という何ともありがたい評価をもらい、めでたく再提出を仰せつかった、という流れである。クソ喰らえ。
で、現在俺は日本の死刑制度について鋭意勉強中である。ネット最高。ウィキ先生万歳。
ちなみに、日本では、死刑の際、絞首刑が執行されるらしい。死刑囚が縄に首をかけると、床が抜け、それで首が絞まる、というしかけだそうだ。
執行人は三人。それぞれがボタンを押したところで床が抜ける。誰のボタンで床が抜けるかはわからない仕掛けだ。何でも、執行人に対する心理的なダメージを減らすためだとか。もっとも、最近はバンバン死刑執行しているみたいだから、心理的ダメージとか言ってる場合でもないかもしれないが。
ほかにも、法務省のサイトにも行ってみた。が、文字ばっかりで頭が痛くなる。最近目が悪くなったみたいだ。しょぼしょぼする。
だから、一番目を引くデカい文字をクリックしたのも、また当然の選択だったのだ。文字は、素っ気のない明朝体で一文。「死刑関連法案改正に伴う、一般人の死刑関与について」
◆
ただ呆然としていた。だが、当然の報いだ。俺は調子に乗って、一番大事なことを考えるのをやめていたのだ。それはつまり「ボタン」とは何だったのか、ということだ。
あれは、死刑執行のボタンだった。同時刻、何十人という人間が同時にボタンを押すことで、死刑を執行していた。目の前で人が死ぬこともない。死刑はスムーズに進む。
世の中では、割とメジャーな話題だったらしい。もっとも、俺はそれを知らなかった。そんな馬鹿な、と思ったが、そもそも俺は、世の中に何の関心もない人間だった。誰が死のうが、誰が殺そうが、関係はないと思っていた。そして何より、情報を自らシャットダウンしていた。
俺は、人を殺して金をもらっていた。三千円というはした金で人を殺していた。値段が上がっていたのは、辞めていく人間が少なくなってきたからだった。そんなことにも気づかず、俺は自分手を知らない誰かの見えない血で染めていたということだ。クズだ。俺はクズだ。
目の前には、例のサイトがある。もう親近感などという馬鹿げた感情は浮かばない。ただ、恐怖を感じる。このサイトを通して、何人の死刑囚が死んだのか。何人がその手を汚したのか。どれくらいの金が動いたのか。やめよう。こんなことを考えるのは。それでも考えてしまう。自分のしたこと、残した結果。死んでいった名もなき死刑囚の顔が、知りもしないのに頭に浮かんだ。
もう、このサイトに関わるのは避けた方がいいかもしれない。確かに金は欲しい。そして楽だ。破格の条件だ。でも人は死ぬ。顔も見えない人間が。関わりのない人間が。人だ。人が死ぬ。このサイトでは、金と引き換えに死刑囚が死ぬ。極悪人が死ぬ代わりに金が飛ぶ。クズのサイトだ。
関わるべきではない。やめていった他の連中と同様、俺も足を洗うべきだろう。金は欲しいが、それでもやめるべきだ。そうなのだ。きっとそうだ。
「……はは」
口から飛び出た自分の笑い声は、限りなく乾いていた。涙は出なかった。俺がしたのは悪いことで、悲しむべきことだろう。なのに、考えだけが先走って、感情がついていかない。
「……ははははは」
自分が何故笑っているのか、自分でも理解ができなかった。嬉しい訳でも、おかしい訳でもない。それでも、ここは笑うのが一番ふさわしい行動なのだと、そう誰かが囁いている気がした。
「あははははははははははははははははははははははははははははは」
隣の部屋に聞こえるほどの大きな声で、俺はひたすら狂ったような声で笑いつづけていた。
そして俺は、ボタンを押した。
リアリティの欠如は作者の力量不足です。