戦禍
れん―とう【連投】
新たな読者層と、日間アクセス数を獲得すべく、時間をずらし、日に複数回投稿する試み。
類義語
【蛮勇】【無謀】【浅知恵】【自殺】
嵐を抜けると、戦場だった。
丸く切り取られた青空の下は、戦場だった。
暴風渦巻く戦場の中心は、けれどやはり、戦場だった。
みなが戦っている。
みなが戦っていた。
少年を撃ち落としたのは、透明で、音も熱もない、ミサイルだった。それを放った戦闘機も、やはり不可視。電磁光学迷彩、熱量封鎖、流体制御による完全ステルス。それは百年は後の技術であるはずだった。同じ機体が三十機ほど、隊列を組んで飛翔している。
太陽が爆発したような白光が辺りを包み、それらがまとめて撃ち落とされた。
迷彩が解けて顕わになる頃には、すでに破片。火の粉を振り撒き落下していく。
それをやったモノが、海中深くから浮上してくる。眩いばかりの白色をした、全長二キロはあるクジラだった。それは神代を生きる幻想上の生物のはずだった。
空から熱線が打ち出されて、白色が紅く切り裂かれた。白鯨が溶けるように消失する。
その発生源が、空中から浮かび上がる。滑らかな金属質の、円盤だった。宇宙人の乗り物のような外観で、真実宇宙人の乗り物だった。既存の航空力学を馬鹿にするみたいにカクカクとした軌道で、縦横無尽に飛び回っている。
その船体が、下方から撃ち抜かれた。
やったのは、雷の槍を携えた、少年だった。
(指定空間内の上昇気流と自己の存在情報を融和)
風に乗り、少年は高く、高く、飛翔していく。ほんの少しだけ死んだように眠って、ほんの少しだけ人の心を取り戻した少年は、争いのない別の世界を目指し辿り着く自身を夢見ていた。それは叶わぬユメとわかっていたけれど。
今はただ、空へ。
白雲を抜けた。蒼穹を抜けた。
気流との情報融和を解除。ここから上へは自分で昇る。
自身を囲む球状の空間、直径20メートルを掌握する。
気圧、温度を調整。大気を持っていかないと。
成層圏を抜けた。
無限に広がる闇と、散りばめられた光へと、抜けた。
眼下には、青い球体。途方もなく大きい。
「本当に、青いんだな…」
ずいぶん久しぶりに口を開いた。生まれて初めて喋ったようにも思えた。
そして少年は、理解していた。この瞬間は、この身にわずかに残された、人生最後の安らぎであると。それを意識すると、心の中で、少女のすすり泣く声が聞こえた。もうずっと泣いていたのかも知れない。声をかけなくては、と思う。けれど、ああ、どうしよう。頭がバカに、なってしまって、名前、名前が出てこない。
『コウくん、コウくん…』
呼ばれるのが先だった。
繰り返される名が自分のものだと気付くのに、たっぷり5秒はかかってしまった。
……アタマのナカのダメージは、もう取り返しがつかないらしい。
「なんだよ、みっともない声出すなよ……」
言ってから、みっともないのはおれじゃないか、と思い直す。なんだか切なくて、笑ってしまった。彼女も笑ってくれたらいいと思った。でもなんだか余計に悲しくさせてしまったようだ。言葉もなく、悲哀が、伝わってくる。
彼女がどういう存在で、自分にとってのなんだったのか、少年はとうに忘れていた。けれど、優しくされていたはずだ。ずっと一緒に居たはずだ。だからせめて、最後に、なにか。
なにを言うべきだろう。
謝罪や、別れの言葉は口にするべきでない気がした。きっとまた、悲しんでしまう。
半身として生涯を共にし、自分の代わりに泣き、怒り、笑ってくれた少女に、今、なにを、言うべきか。愛してる? まさか。もっとも許されない言葉だった。彼女の人生を食い潰してしまった自分には、もっとも相応しくない戯言に思えた。
「――ありがとう」
ありきたりな、感謝の言葉。これ以上はなにを言っても、大事な想いを言葉で裂くだけ。
返事を聞けば覚悟が鈍る。少年は終結の準備を始める。
眼前の光を屈折。中空のレンズに拡大するのは、母なる星。青く尊く輝いている。
けれど、その片隅。
西太平洋の真ん中あたり。
濁った白が渦を巻いて、海洋を埋め尽くしていた。
それは巨大な台風だ。自然界ではありえない規模。遥か宇宙から見下ろすそれは、カップから放り出されたアイスクリームのようにも見えた。
これまで、観測史上最大のハリケーンは、直径約300キロ。
今そこで渦巻いているのは、その十倍はあるだろうか。
このまま北上すれば、日本とかいうちっぽけな弓状列島を飲み込むはずだ。
その後はもう、なし崩し。大陸へ上り、地上全てを薙ぎ倒してなお止まらずに、人類の手に余る能力、技術を撒き散らし、新たな力を争いを、絶望を呼び込み膨れ上がって、星を壊して、銀河を焼いて、時間も空間も飲み込んで、セカイを絶無へ還すだろう。
(能力行使モデル新規構築。空間指定、大規模流体制御―――)
渦の中と周囲の海流気流を把握、予測する。
これからぶち込む衝撃に、どこの流れがどう変わるか。
考えられうる異常気象を、余すことなく相殺せねば。
(掌握。モデル構築完了。待機)
救えるものを確実に救って、壊すべき争いを、確実に破壊する。
最初から少年だけを狙ってきたり、強大すぎてパワーバランスを崩してしまう勢力は、すでに撃破した。だからあとは、殲滅するだけ。次の一撃を防げるものは、もうあの戦禍の中には居ない。
(前述モデルを保持、待機のまま、新規モデル構築。特定材質の物質を探知、収束)
闇の中には無数の岩片。
宙を漂う星屑たちが、少年の背後へ集い来たりて、凝固していく。
(情報強化。形状、質量を現在の絶対値へ固定)
頭蓋の中身が白熱していく。これほど大規模な演算は、生身の脳で行えない。だから少年は無謀と知りつつ、意識の手を自身の存在そのものへと伸ばしてゆく。
約束された空っぽの勝利と、自らの死へ向かい、
『もう、止められないんだね……』
彼女の心へ、ゆきついた。
「ユ、キ……?」
最後に呟く彼女の名。それは消えゆく思い出の、穏やかな断末魔だったのか。
口にした傍から溶けてこぼれて、カラの心へ、わずかに滲む。
ひどく、優しい響き。
ああそうだ、彼女に最後の言葉をかけるのだった。でもとっくに能力行使モデルは待機状態に入っていて、余計な思考に裂くところはアタマにもココロにも残っていなくて、
一言、「ごめん……」
結局、謝ってしまった。
それが本当に最後の言葉であり、隠しきれなかった身勝手な本音だった。
『だいじょうぶだよ、続けて…』
言われて、演算に戻る。なんだか安心してしまった。
だいじょうぶと言うのなら、きっとだいじょうぶなのだろう。
『コウくんにしか、できないから…』
そうだ。
『大事な、最後の仕事でしょ?』
そうだ。
(待機モデル保持にエラー、流体予測、不完全)
だけど、足りない。
自分はあまりにちっぽけで、この惑星の一角すら満足に把握できない。
だから。
自身の存在を越えて、セカイの奥へと手を伸ばす。
(全存在包括領域アクセス―――――――――――――――!!)
光の爆風が叩きつけられた。
極彩色の奔流。視覚を通さず、意識に直接叩きつけられるイメージ。
認識をひっくり返して垣間見るセカイの裏側。それは流転する万物の全てだった。
魔術師は言った。アイオーンへの返還、と。
未来人は言った。パラドックスオーバー、と。
異世界の騎士は言った。ディメンジョンハザード、と。
打ち付けてくる光の粒子は、ひとつひとつが、世界の欠片。凄まじい密度の、情報の塊。
あの戦場でぶつかり合っているのは、その多くが、そこにあってはならない技術、法則だ。
情報の衝突はメルトダウンじみた連鎖反応で爆発的に拡散していく。少年に叩つけるのは、その余波だった。
セカイはもう、終わりかけているのだ。
今からこの爆流に逆らって、必要な情報を拾わねばならない。
否、逆らうなど、できようはずもない。
例えるならば、無限の砂漠。砂という砂は、瀑布となって叩きつけてくる。ここでは少年も、少年が欲する情報も、等しく砂粒ひとつに過ぎない。
ならば呑まれる。
掻き回される。
時間を超越した刹那の中、一瞬でも集中を切らせば、自身も世界も見失う。
少年にできるのは、極彩色の濁流の最中において、自分を保ちながら身を任すことだけ。
考えてはならない。
感じて、選り分けねばならない。
受け流す。
粒子のひとつひとつを意味のある形に変換しようものなら、能力の暴発で頭が吹き飛ぶか、情報量に耐え切れず自我が塗り潰される。
だから引き出すのはほんのひと摘まみでいい。探すのだ。この次元、この宇宙、あの星の、ほんの一角。その情報。自身の全てを投げ打ってでも探し出し、掴み取らねばならない。
現実の星の風景をラインに、セカイの裏からその記録を引き上げる。
無限に広がる砂漠から、砂粒ひとつを見つけ出して拾い上げる。
その存在情報を読み込み取り込み脳へと投射するのだ。
(見つけた――――――)
手を伸ばす。
でも、千切れる。
伸ばした手が指先から崩れて、粒子となって散ってゆく。
超風に煽られ、崩れかけの自我が切り刻まれる。
吹き飛ばされる。
砕けて散る。
戻れない。
(あと少し―――――――――――――)
その身が崩れるのは在るからだ。身体の概念など持ち込むな。手なき手、体なき意思の力を以てただアレを掴めばいい。
届いた。
現実の青い星と、握り込んだ砂粒ひとつが、寸分違わず、重なった。あとはこれを、アタマに直接、焼き付けるだけ。あと少し、本当にあと少しで全て終わる。例えこの命を賭してでも。
バヂィッ!! と。
神経細胞に自ら電撃を打ち付ける衝撃に、少年は本当に死んだ。