嵐の中で
※まだオープニングです
嵐が荒ぶっている。
暗雲に空は閉じ、時折走る稲妻が閉鎖された世界を明滅させる。暴風が猛り狂って、海洋を生き物のように激しくうねらせていた。
突然、何かが高速で洋上を通り過ぎ、衝撃波で海面を引き裂いてゆく。
叩き付ける風雨を切り裂いて、少年は滑空していた。
海を割る爆音も遥か遠くに。何しろ亜音速で飛翔している。音など後方に流れてしまって、少年の耳には届かない。それとも、音を拾う耳か器官、あるいは認識、脳の一部がやられたのか、判別はつかない。いずれにしろ、能力が保てればそれでいいと少年は思う。
(思考高速化、知覚拡大、認識増強、高速飛行の為の能力行使モデル再構築)
小脳、脳幹へとイメージを焼き付ける。シナプス間の信号を加速する。
神経の断線に、頭蓋の中身が悲鳴を上げた。無視する。痛覚は遮断済み。
(念動感知力場、後方から巨大熱源確認)
戦闘機みたいな水平旋回で軌道を外れると、大樹ほどの太さがある光の柱が海面を蒸発させながら隣を走り抜けていった。巨大な円錐状の跡が、うねる海面に呑まれ、局所的な津波を発生させる。少年はそこに押しつぶされ―――、すぐに元の加速度を保って、突き抜けた。
(さらに熱源確認。1、2、……7、28、53)
後方、側方、上空、前方。喰らえば蒸発は必至。必死。回避は…、間に合わない。
(耐熱、耐圧、対概念、念動障壁全方位全力展開)
一撃で海面を数百メートルに渡って抉る光の柱が、五十三条押し寄せる。
直後、色が消えた。
視界を埋め尽くす白。光の圧搾に障壁が削れていく。過ぎた能力行使に脳が焼き切れ、心が死んでいく。
『もうダメ、逃げようっ!? 座標指定はあたしがするから今すぐ――――』
(意識中にノイズを確認。疎外)
己が内から聞こえる少女の声を、しかし少年は黙殺する。もう誰だかも思い出せない。
光の渦に呑まれて、自分が動いているのか止まっているのかも、わからない。
(自己相対速度、観測不能。荷重制御―――、失敗)
ブヂチチチ、ボグクンッ!!
体中で内出血と筋断裂。右肩と左足が根元から脱臼骨折した。依然として白に呑まれているはずなのに、視界は白く赤く黒く―――、眼球、脳の血流が異常。
障壁が破れて蒸発するのが先か、荷重に四肢が引き裂かれて自身の衝撃波で爆散するのが先か。それとも---
(敵機位置、逆算)
感じ取った敵機の位置を手繰り寄せるのが先だった。
(空間転移)
浮遊感に身を任せ、異空に飛び込む。
―――バフォウ!!
体全体で空を切る感覚と共に開けた視界に入るのは、嵐のみ。しかし少年の超感覚は、闇と暴風の向こう側に、先の熱線を発した敵機のひとつ、宙を泳ぐその背面を確かに観測する。
大きい。全長は、500メートルほどか。
金属質の外殻をした、水棲ほ乳類を思わせる流線型の輪郭。そのヒレや背の突出部は航空力学的な手段で揚力を得るには小さく、しかし、いかなる原理によってか、実際に空を飛翔している。
(解析。未知の物質の外殻に情報強化処理。揚力、推力源、解析不能。周囲の物理法則を限定的に置換しているものと推察。一撃での破壊には、貫通、切断等の概念を付加した少なくとも全長100メートル規模の武装が望ましい)
外れた右肩を念動力で強引に接ぎながら、両腕を振り上げる。
稲光が周囲で明滅して、少年の姿を照らし出す。
否。少年が自ら発光していた。
(電位操作、大規模静電誘導、開始)
突き上げられた両の手が稲光を宿していく。火花を散らし、明滅。
―――――ダガガガガガドガッッッシャア!!
雷鳴が、十重二十重に重なり轟き、辺りを光が塗り潰す。四方八方の雷電が、少年の手元へ殺到したのだ。
(形而上領域から構築済み能力行使モデルをトレース)
頭蓋の中身でパチリ、と音がする。また心のどこかが死んだ。嫌、嫌だ、と少女の声が響く。疎外。ただの雑音だ。気にかけるような神経は残っていない。この手に宿る百億ワットを纏め上げねばならない。現象を固定化、方式は直流、形は剣、切断の概念を付加。脳内の電気信号を加速して引き延ばされた時間の中、ゼロコンマ一秒を争いながら、少年はそれを組み上げる。間に合う。確認した五十三機が再びこちらを捉える前に、全て確実に破壊する――――!!
『やめてッ!! 死ぬ気なのッ?!』
(能力行使モデル、トーマスの灼熱大剣、現出完了)
聞いていない。ただ得物を組み上げる。
雷の剣が出来上がる。直径は1から8メートル。全長は127メートル。
振りかぶる。その切っ先が天を衝く。神に喧嘩を売る如く。
音の速さで突っ込んで、光の速さで振り下ろす。身体のことはワカラナイ。荷重制御が不完全。きっとあちこちグチャグチャだ。
切り裂いた。
得体の知れない動力源が破壊され、不可視のエネルギーが爆散する。船体は粉微塵。今壊したのが母艦のはず。残りの目標、五十二機。空間転移で跳ぶ直前から捕捉済み。
(能力行使モデル切り替え、テスラの大旋斧、構築開始)
雷の大剣が少年の手を離れ、向きと形を変えてゆく。
方式を交流に。形は斧、切断に加え飛翔回転の概念を付加、原理はモーター。
前と後ろの側面に、半月状の刃が一対。
突き上げた右手の上で、全長百数メートルが、フアンのように旋回している。
(現出完了。追尾、操作の機能を添付)
投擲。
旋回速度が上がる。斧は光の円盤と化し、嵐も闇も切り裂き飛びゆく。
轟く爆音が一つ、二つ、五つ、九つ、十六、二十二、三十四――――!!
残り敵機は十八機。高速でこちらに接近中。スピード重視の小型艇。
飛翔する戦斧を手元に引き戻す。
(分解、再構築)
戦斧が、燐光となって弾けた。漂う雷の糸が、再び形を成してゆく。
(フレミングの螺旋槍)
光の粒子は、天を埋め尽くす星のよう。その一つ一つは、長さ一メートルほどの、雷の槍。空を抉らんとばかりに捻じれ狂う。その数、実に108本。
(目標捕捉、全弾一斉掃射)
光条となって放たれた。
四方八方縦横へ、雷の速さそのままに、敵へと向かって落ちてゆく。躱せる道理はどこにもない。108の槍の雷速を、余すことなく感じ取る。さながら自身の手足が如く。
目標命中本数、九十七。撃墜数は十七機。
(唯一の残機、高速で接近中)
向かってくるのは人だった。少年と同じ生身の人間。味方を失い捨て身の突撃。
材質、能力共に不明の、2メートルほどの剣を構えて、時速100キロで突っ込んでくる。残す距離は120メートル。4秒あれば詰めてくる。解析している余裕はない。思考加速も、限界近い。
(トレース、現出。トーマスの灼熱剣)
雷の剣を一振り右手に。筋繊維はズダボロで、関節もあちこち壊れているが、念動力で補強する。敵が迫る。斬り込んでくる。何か、叫んでいる。聞こえるはずもないけれど。
『ダメぇ――――――――――――――――――――――――――――ッ!!』
ひときわ大きく、少年の中で声が響いた。悲痛で、けれど温かみのある。ああ、誰だろう。申し訳なく思うけど、思い出している余裕はない。
交錯。
切り結んだのはわずかに一合。0.5秒で勝負は決した。
少年は残り、敵は落ちる。嵐に呑まれて、消えてゆく。
パチリ、と頭のナカで決定的な何かが切れた。雷の剣が消失する。今の敵は強かった。もう、誰とも、戦えない。今すぐ全てを投げ出して、闇の中へと消え去りたい。
……どうして、戦っていたのだったか。
見上げた空から光が差した。台風の、目なのだ。暖かい風が、天に向かって螺旋を描いて、吹き上げている。
頭に言葉が残っていれば、きれいだな、と思ったはずだ。けれどずいぶん余裕がないから、静かに凪いだ心持ちで、穏やかな気分を感じていただけ。
きっとこれで、終わり。
日差しを、風を、感じながら、目を閉じた。
『後ろォ―――――――――――――ッ!!』
高速で何かか飛来して衝突して爆発して鉄片と爆炎と衝撃波を撒き散らした。
少年が、落ちてゆく。
いかなる理屈か、人の形を保ってはいたが、四肢を躍らせながら落下していく。糸の切れた操り人形みたいにみっともなく、海に落ちて、沈んだ。