第二十七話
疑問には思ってもそれに触れようとは全く思わなかった。絢の思考はこの宙に浮く火の球は幻ではなく、本物の火だと認識していた。
「神社って言うのは神が身を置く場所のことだ」
火の球に呆気にとられている絢をよそに、圭は語り始めた。
「神がいる場所、それはつまり霊力が充満している状態と同じこと。龍脈とも言われている。そして今日の月の様子はどうだったか……」
今日の夜は……
「満月……」
毎日確認しているから分かる、今日は満月だ。
「そう、最も霊力が増幅する日付である満月だ」
圭がゆっくりと振り返る。振りかえりざまに見えた圭の瞳は赤く、鋭い。
「あっ……」
背筋に悪寒が走り、思わず後ずさりする。その時、絢の体を金縛りが襲った。何でこんな時に。
全身の力が抜け、支えられなくなった体は後ろ向きに倒れた。受け身を取ることが出来ず、絢は後頭部をまともにぶつけた。
「動けるわけがない、まだ認識の出来ていない状態なんだからな」
目だけを向けると圭は絢にゆっくりと向かってきている。その表情は恐ろしいほどに笑っていた。
やがて圭は傍に来ると、仰向けになっている絢の両手を取って左手に持った。かなりの握力で両手が軋むように痛い。
圭はその手を絢の頭上、頭を挟んで絢の体と反対の所に持っていった。
体が動かせない絢は抗う術もなく圭のするように動いた。圭の右手が絢の口を塞いだ。
それは助けを呼ぶ手段を断たれたということ。声を出そうにも口から空気が抜けずに、度持った音にしかならなかった。
「やっとこの時が来たんだ、逃がすわけがないだろう。いや――どうせ逃げられないか」
笑っている顔を絢に近づけてきた。しかし、その笑顔は絢が昨日まで見ていたものとはまるっきり違っていた。
圭は楽しんでいる、身動きが取れないこの絢を見て。
何で、どうして?
圭は絢を助けてくれたんじゃないの?
……違う。
疑問は、浮かぶと同時に自然と答えに導かれた。圭が絢の恐れていたストーカーの正体なんだ。そう、全てが演技だったんだ。
わざと自分を不利な状況に置いたことで絢の不信感を解こうとしたんだ。本物なら言う筈がない言葉を並べたことで絢に信用させたんだ。
騙された。
『警戒心がない』
圭に言われた言葉だ。一見馬鹿にした様な忠告の言葉。でも、その言葉すら絢を騙す一つでしかなかったんだ。
思考が中断しそうになる。金縛りで体は全く動かない。でも、今の絢はきっと金縛りでなかったとしても、体を動かす気力は残って無いと思う。
襲ってくる虚脱感。疑っていたのに、諦めていたのに。圭が来てくれた瞬間に絢の頭は圭を信用してしまっていた。
奈落の底に落ちてしまっても、そこに一本の頼みの綱が舞い降りてきた感覚。絢はそれに何の疑いもなく飛びついた。
それが一度消え去った綱だとしても、絢は喜んでそれを信じたんだ。
でも、絢は頼みの綱を握ったはずなのに、その反対側はどこにも繋がって無かった。
その綱は頼みの綱なんかじゃなかった。絶望への切符だったんだ。信じたからこそ、この事実酷い。
いつの間にかに絢は今泣いていた。視界が歪み、頬を伝うものがある。
さっきも泣いたと思う。
あれはうれし涙。
じゃあ今は何の涙?
何で絢は泣いているの?
圭が絢に馬乗りになるように体を動かす。
両手を押さえていた手を離し、絢の服に触れる。
「絶望しろ、何も信じるな。お前はこれから俺と一つになるんだ」
圭の左手が太ももに触れる。くすぐったい様な感覚が襲う。圭の手は徐々に上へと上がってくる。
スカートをたくし上げられる。今度は違う、この人が故意にやっている。圭は本気で絢を襲うつもりだった。
諦めてしまおうか、ふと過った。自力での脱出は無理、助けも呼べない、だって一番信用していた人が犯人だったのだから。
そもそも始めから無理だったんだ。絢は圭の計画にまんまと騙されてしまったんだ。
――あれ何か私、すごく冷静だな。
何故だろう。
――あぁ多分心の奥底では嫌ではないのかもしれない。
絢の知っている圭ならば、昨日までの圭ならば良いのかと思っているのかもしれない。
――そうか、私は圭のことが……。
口が解放さると同時に圭の顔が迫って来た。ほんの数センチ先に圭の顔。同時に下着に手が触れる。目を閉じた。
絢は……全てを受け入れた。
「ガハッ!」
嗚咽が漏れる。絢のものではない、別のもの。うめく様な声を絢の両耳が拾った。同時に圭の左手が触れていた感覚が無くなった。
目を開ける、目の前に圭の顔は無かった。夜空が広がる、煌々と輝く満月が見える。
圭はどこに行った?
「はぁはぁ。危うく見覚えのない罪悪感に苛まれるところだった」
上空を見上げている視界の隅に、誰かがいた。それを認識しようと、無意識に体を動かす。
動かした後に気付いたが、いつの間にかに金縛りが解けていた。
「ようあんた。大丈夫か?」
体を起こした時、正面には圭がいた。だがその姿は今まで絢の目の前にいた圭とは違っていた。大量の汗をかき、肩で息をしている。
あの恐ろしく背筋が凍るような笑みは見られない。
何が起きたの?
なんで今更こんなことをするのかが分からなかった。絢はあなたを受け入れた、あなたに身を預けた。
なのに、なんであなたはこの期に及んで絢を心配するの?
パァン!!
目の前で何かが弾けた。思考が中断されて絢は体をすくめてしまう。圭が両手を絢の目の前で揃えていた。
「危なかったな。意識が飛び始めてる。後少し遅かったらあんたあいつに食われてたぞ」
そう言って圭は絢の頭を叩いた。重い衝撃が頭に響く。これはどういうこと? さっきまでとは態度が違う。
ビシッ!
絢を痛めつけているのは同じでも、やり方が全然違う。
ビシッ!
これは、昨日までの圭だ。
ビシッ!
「んが――――ッ!!」
「うおっ、ビビった」
「何なんですかあなたは! ちょっとここに座りなさい!」
ビシッと目の前を指差す。絢の中で何かが吹っ切れた。あふれ出る感情が一気に爆発する。
「朝起きたらどこにも居ないわ、学校にも行ってもいないわ、自動販売機の前で待ってても一向に来ないし来たら来たで勝手に進んで行っちゃって。挙句の果てにこんな神社で私の事襲いだしたら、今度は汗だくになりながら急に私のこと心配してちょっと優しさ見せたりして。でもそうかと思ったら今度はチョップの連続でぇ――――ッ!!!」
まだまだ!
「怒ってるんです、私! 物凄く! 解放されたら今までの鬱憤が逆流してきたんです。分かります? 冷静に今までの私の心境を分析してみたら、かなり恥ずかしい考えしてるんですよ! もう穴があったら埋まって、二度と出てきたくないくらいの恥ずかしさですよ! あなたにこの気持が分かりますか?」
「しらんよ」
「えぇそうでしょう分かるはずもないでしょうね。結局あなたは加害者であって私は被害者。和解なんてしません決してしません」
「いや俺加害者じゃないし」
「まさかこの期に及んでシラを切るつもりなの! 信じられない!! じゃあ誰が加害者なんですか!?」
「あいつ」
圭は横目で自分の右を見ながら指差した。言い訳だと思ったが、仕方がないので絢もその方向を見た。
「えっ?」
そこにも圭がいた。鐘楼に手をかけ、右のわき腹を押さえていた。服はボロボロになっている。
きっと地面を転がったからだと思う、圭の目の前には何かを引きずったような跡が残っている。




