第二十四話
絢は目を覚ました。ゆっくりと、徐々に視界が開けていく。目覚め方でこれは金縛りではないと確信が持てた。金縛りであるなら意識は突然はっきりし、今まで寝ていなかったような錯覚を引き起こす。
それがなかった、普通の目覚めだ。満月が近いのに珍しい。
絢は横になりながら深く息を吐いた。ここはどこだろう。ベッドの上であるのは確かだった。だがそれは自分のものではない。体にかかる布団の重さ、支える枕の柔らかさ、どれもいつもの感覚とは違っている。
体をゆっくりと起こした。ふっくらとした布団から足を出し、ベッドに腰かけるように座った。そこでやっと自分の全体像を見ることが出来た。
ご丁寧にパジャマに着替えられている。それもしっかりと絢のものだ。
辺りを見渡し、絢の部屋とは全く違うことは理解できた。真っ白な部屋、そしてここは病室の様に閑散としていた。部屋の中央にベッドがあるだけの何もない部屋だ。
徐々に回復している意識の中絢は自分の記憶を遡った。確か昨日の夜、圭に家まで送ってもらってから……。
「そうだ!」
一気に頭が覚醒する。あの時、圭は帰ったと思ったら直ぐに戻って来た。そして絢の体を掴み、部屋の中に押し入った。ベッドに絢を放り投げ、頭を押さえて絢を伏せさせた。
「私の部屋……」
記憶が正しければそこはもう部屋としての機能を果たせなくなっているはず。散乱した家具と瓦礫、焦げた様な黒い跡が思い出された。憂鬱な気分になるが絢は頭を切り替えた。
一先ずここから出ようと動き、部屋にあったドアに手を伸ばすと、あっさりと開けることが出来た。どうやら監禁などをされているというわけではないらしい。
そのまま通路に恐る恐る顔を出す。まずは右を確認、突き当たりに新たな扉が見えた。次に左を見て絢はここがどこだかを察することが出来た。
見覚えのある玄関、その横にある奇怪な壺。その奇抜なデザインは一度視界に入れば中々忘れない。これが千五百万円の壺だ。
そう、ここは圭の自宅だ。
「って言うことは……」
絢は廊下に出て正面の扉を開けた。そこにあったのは絢が使ったことがあるバスルームだった。その洗面所で絢は顔を洗った。歯ブラシや洗剤の位置も記憶と合致している。
再び廊下に出て今度は玄関の正面にある扉の前に立つ。ここが圭の家だとすれば、この先にリビングがある。きっと圭がいるだろう。
そこで絢は、どういう顔をして圭に会えば良いのか迷った。だが悩んでも答えは出ず、意を決してドアノブに手をかけた。ゆっくりとドアを押して中に入る。徐々に開いていくドアによってリビングが視界に広がっていく。
「あの……」
恐る恐る顔をのぞかせた絢だが、圭はそこにいなかった。椅子に腰かけているのかと予想していたが圭の姿はリビングのどこにもなかった。窓だけ開いており、風がカーテンを揺らしながらリビングに吹きかけている。
思わず絢は力が抜けてしまった。ここは圭の家の筈だ。近くにあったデジタル時計で日付を確認する。一日進んだだけ。
つまりあの夜は昨夜と言うことだ。時刻は七時半、ここからなら十分学校に間に合う時間である。
だが圭はここにはいない、すでに登校しているのだろうか。圭と初めて会った時もそうだった、朝早い時間に圭は学校に来ていた。つまり今圭がここにいないのは絢に顔を合わせ辛いというわけではなく、普段と変わらない生活を送っているということになる。
それが良いことなのか判断はできなかった。居たら居たで絢は圭を質問攻めに、若しくは正面切って顔を合わせられない状況になっている筈だ。
居ない今、絢は一人残された寂しさに襲われている。だが正直今の圭とどう接していいのか分からない。
何で圭が血相を変えて部屋に押し掛けたのか?
どうやってあそこまで入ることが出来たのか?
何で絢の部屋が無残な姿になったのか?
圭はそれについての答えを持っているのか?
疑問が出てくるがそれを聞いていいのかが分からなかった。この先は踏み込んではいけない気がした。そう、あの洞窟に感じたものと同じ感覚だった。これ以上関わってはいけない。自然とそんな気持ちになった。
「あれ?」
ふとテーブルの上に目が行った。何枚かの皿がテーブルの上に乗っていた。すぐさまそれが朝食だと分かった。先程は圭の存在に気を取られて気づかなかったのだろうか?
近寄って、また驚いた。その朝食はたった今出来たかのような温かさを持っていた。圭が作ってくれたのだろうか。当然だろう、ここは圭の家なのだ、圭しかいない。
だが絢が起きる数分前に圭が家を出たとしても、朝食が出来たのは少なく見積もってその二十分前。冷めるには十分な時間だ。
不思議な事だと思いながらも絢は席について朝食にありついた。美味しかったのが少し複雑だった。
食器を洗い終えた絢は再度部屋を見て回ることにした。人の部屋を物色する様だが(実際物色だけど)それしかやることがない。パジャマ姿のままで外をうろつくわけにもいかないし。
「あれ、今私パジャマなんだよね?」
今一度自分の服装をまじまじと見る。紛れもない、自分のパジャマだ。
「どうやって着替えたの?」
口に出してみた。服を着替えるには着ている服を一旦脱がなければいけない。絢はあの時パーカーを着ていたはずだ。
答えは既に分かっていた。自分の中でその事実を否定したかったのだ。
圭しかいない。この家の住人であり、このあったかい朝食を作った圭しか。
「ちょっと待ってぇ!!!!!!!!」
絶叫した。
「ってことは絢あの人に下着見られたの!? 上下しっかりお揃いのを、あり得ない!? その前に下に何も穿かないで、なんで玄関開けたりしてるの!? あはっ、ちゃっかりセクシーアピール!? 何してんの? それにセクシーって何言ってるの私! あはっあはっ、あははははははッ!!」
最後の方は雄叫びのように顔を押さえて笑い出した。なんだか妙に気分が高揚していた。
一通り笑った後、恐ろしい虚無感が襲ってきた。何だろう、物凄く空しくて泣けてくる。
なんか全部がどうでもよくなってきた。絢はリビングの隅っこで膝を折ってちっちゃく座った。そして先程の自分を思い出してしまい、自虐気味に鼻で笑った。
それがスイッチになり、再びリビングを転げ回った。
「はぁはぁはぁ……」
自分の中にある鬱憤を全て吐き出し、絢は起き上った。リビングは酷い状態になっていたがそれを直すと何かに負けた気がするので見ないことにした。今の行動で汗をかいてしまった。
絢は一旦シャワーを浴びるためにバスルームのドアを開けた。
「あれ?」
そこにも変化があった。朝食と同じようにさっき見た時はそこになかったものが置いてあったのだ。栄凌高校の女子制服である。
これはおかしい、さっき見た時は絶対になかった。そもそも全体が白い壁に覆われている洗面所という狭い空間で、これだけ色の濃い制服が目立たないわけがない。
絢はハンガーに吊るされている制服に目をやった。これも確かに絢のものだ。胸ポケットの下にローマ字で「A.Kagurazaka」と刺繍されている。
圭が持ってきてくれたのか。形容しがたい恥ずかしさを覚えた。
絢は深く考えないようにし、シャワーを浴びるために服を脱いだ。




