第2話の7
「……まぁ、その……あれだ。実際そのおじさんとやらがどこか行ってしまっている今は行くあてもないんだろ? ……お前さえよければ……その、頼まれてしまったって話もあるし、……俺のとこに来るか?」
「え……?」
ぼそぼそっとした聞き取りづらい声ではあったが、少女には確かにその人がそう言ったように聞こえた。素っ頓狂な声をだしてしまったのはもちろんその言葉自体に驚いたということもあるのだが、そのとき少女はもっと別のことを想起していた。
「……じさん……」
そうつぶやいてから少女はハッと我に返る。
「え? なんだって? よく聞こえなかったんだけど」
「な、何でもないって‼」
どうやらその男に聞かれてはいなかったようなのでひとまず少女は安堵した。今朝のこともある上に、基本的に勝気で不器用な性格も手伝って、少女としてはどうしても自分の言葉をすんなりと肯定するわけにはいかなかった。ましてやそれを目の前の彼に聞かれることなど。
「ん……まぁそれならそれでいいけどよ……」
「………………」
再び二人の間に微妙な沈黙流れる。
日も完全に傾ききっていて、すでに外で遊んでいたであろう子供たちも各々の家へとかえってしまった後なのか、住宅街に彼ら以外の人影は見られず、ただそよそよと樹木が風に揺すられる音だけが静かに街を包んでいる。そんな閑散とした雰囲気の中、次に口を開いたのは少女の方からだった。
「さ、さっきのあの言葉……」
「……ん? さっきのって?」
「ほら、だから……家にくるのが……どうとかって……」
「……ああ。それがどうかしたのか? 考えでもまとまったか?」
「言ってることはさっきの人たちと変わんないよね」
「う……それを言われるとつらいものがある……」
自分の言葉に思わず男が首をうなだれる様子と、その人の、つま先がこすれてあちこちすっかり黒ずんでしまっている靴を見て少女はようやく少し気が和らいだ気がした。自然と表情が穏やかになったのだが、少女はそれには自分では気づかない。おそらくそのような精神状態になれたからこそ次の言葉も素直に言えたのだろうが。
「でもまぁ……実際おじさんもしばらく帰ってこれないみたいだし、どうしてもって……いうんなら……それでも……いいけどね」
「え、お前……」
「だから仕方なくだからね。別に行きたいから行くわけじゃないから、勘違いしちゃだめだからね?」
(……な、なんてテンプレなことを言うヤツだろうか…………)
念を押すように少女はそう言いながら男の肩をぺしぺしと叩くのだが、そのとき男が驚愕しながらそんな感想を抱いていることにけして気づきはしなかった。
「へいへい……」
「うん」
「……で、そろそろお前の名前くらい聞いてもいいのか?」
男がそういってきたことで、少女はようやくまだ自分たちがお互いの名前すら知らなかったことに気が付いた。本来であれば会って早々にも気にすべきことであったはずなのに。自分が今のいままでなんの違和感も感じなかったことを少女は不思議に思ったがそれ以上は考えなかった。
「ん、まだ言ってなかったっけ。私の名前はリリカっていうんだ」
「リリカ? 変わった名前だな。俺は早瀬悠里だ。悠里とでも呼んでくれ」
「ゆう……なに?」
「ゆ・う・りだ」
自分の名前だって十分変わってるじゃん。そうリリカは思ったが、ふと気になることがあった。
(ん~……どこかで聞いたことあるような……なんだろうこの感じ……)
「どうかしたのか?」
「え、いやなんにもないよ。じゃあ、ゆうだね」
「じゃあってお前……まあ何でもいいけど」
「うん、ゆ~う」
確かめるようにリリカはそう言って楽しげに笑う。そんな様子に目の前の悠里はため息を小さくついて足を速める。二人が向かう先の場所はもうすぐだ。
「……そういや、お前、ナイフ投げなんて物騒な技どこで覚えたんだ?」
「あれはおじさんのため。おじさんにちゃんと一人前って認めてもらうために」
「……言っちゃ悪いが、それは方向性としては恐らく間違ってると思うんだが……」
「……え? 何か言った?」
「……い、いや、何も言うまい……」
「ふ~ん、変なの。……あ、バッグ! バッグ忘れてるよ、ゆう‼」
「げ……。今から戻るのかよ……」
「今からに決まってるよ‼ 取られちゃうって‼」
「あ~わかったわかった。くっそ~……そんじゃ走るぞ‼」
「いっけ~‼」
そんな二人のドタバタとした会話と足音が、あちこちで暗闇に明かりを灯し始めた街並みに響き渡っていた。