その八
「ごめん、仁太。俺にはもう耐えられそうにない」
裏切りの一言が胸を刺す。
この一言は、今まで掛けられたどんな言葉の暴力よりも重く、鋭く、仁太に突き刺さった。
「もう嫌なんだ。あんな奴らと同じ空気を吸うなんて、それだけで吐き気がする」
傷ついた人間の言葉は、聞いた人間にも傷を負わせるだけの力がある。
彼は傷ついていて、その言葉は彼の心情を吐露しただけのもの。それがこんなにも、仁太を絞め付ける。痕さえも残すほどに。
彼が感じた絶望は言葉を伝って感染する。
だが、仁太にはそれを責める権利がない。そう、権利なのだ。発言するには権利が必要。
その権利を持てない理由は、簡単だ。
最初に裏切ったのは仁太なのだ。
つまり、彼にはその権利がある。仁太に辛い言葉を投げて、傷つける権利が。
例え仁太が彼の唯一の味方であったとしても、一度与えられた彼の権利を剥奪する理由足りえない。
仁太には掛ける言葉が見つからなかった。
・・・そこで仁太は目を覚ます。
見慣れない天井だった。木の天井。昔、学校の宿泊訓練で泊まったログハウスがこんな感じだっただろうか。
「やあ、目が覚めたみたいだね」
声がした。聞いたことのある声だ。
「実に半日だ。君が寝ていたのはね。調子はどうだい、仁太」
声の主はランジャ、そう、ランジャだ。
上半身を起こす。どうやらベッドの上のようだった。頭が少し痛い。
「嫌な夢を見た・・・、あまり良い気分じゃない。それに頭もまだクラクラする」
「そっか。それじゃあ、気分が優れるまではゆっくりしてなよ。転移で随分消耗したみたいだからね。なんにしても、目を覚ましてくれて良かった。君はあまり強い生き物じゃないみたいだから、万が一ってことも考えてたんだ」
痛む頭を抑えながら、辺りを見回す。やはり仁太の知らない部屋だ。隣のベッドに腰掛けたランジャは、砥石を使って愛用のナイフの手入れをしていた。
状況がいまいち飲み込めなかった。知らない部屋に、半日寝込んでいた自分。そういえば、脚の痛みも消えていた。折れたはずの脚に力を込めてみれば、なんと何事も無かったかのように動くではないか。
「お、完治したみたいだね。凄いよねー、それ。あんなに完璧に砕かれてたのに、たった半日で完治させちゃうなんて」
「確かに、さっきまでピクリともしなかったのに・・・ってうわお前ランジャなんで喋って!?」
そう、最大の違和感。それはこの犬獣人が喋っていることだ。
あまりの驚きにベッドから転落しそうになったが、なんとか持ちこたえた。
その様子を見てランジャは笑った。腹まで抱えて、大層おかしそうに。
「ははは、良い反応だ。僕も相当驚きはしたけど、君ほどのリアクションはなかったね」
「どどど、どういうことだよこれ!? お前、実は喋れたのか!?」
「僕だって喋れるよ?ただし、君とは違う言葉だけどね。それくらいの知能、チャカストにだってあるよ」
「だったらどうして?俺の言葉を理解した?それにチャカストって・・・!?」
「一度に質問が多いなあ。まあ元気みたいで一安心だ」
そこで扉が開き、声がした。
「ほほう、すっかり良くなったと見えるな少年。丁度良い、今から説明してやろう」
仁太が声の主のほうへ振り返ると、そこには新たな獣人が・・・いや、竜人が立っていた。
「まずは自己紹介だ。私の名前はホルドラント。ここ、クーゼ村の長を任されておる。見ての通りの老いぼれだ」
ホルドラントと名乗った竜人はそう言って椅子に腰掛けた。
青の混ざったような濃い緑色の鱗に覆われたその老人は、仁太より少し大きい程度の体格だった。頭の後ろで細長い尻尾の先が動いている。仁太の視線に気づいたのだろう、ホルドラントは「失礼、少々落ち着きがなくてな」と一言、尻尾を下げた。
「まずは少年の質問から答えることにしようか。えーと、少年、名前は」
「楠木仁太です」
「おお、そうか。では仁太。なぜ言葉が通じるかについてだが、これはさきほど寝ている君に術を施したからだ」
なんとも興味深い単語が聞こえてきた。
「術?」
「そう、術だ。言語魔術といって、精神干渉魔術を転用したものだ。これに掛かると、今まで通りに言葉を発しようとすると、自動的に共通の言語に脳内で変換されて口に出る。違和感を感じない自然な変換だ。一種の幻術のようなものだな。言語魔術、略して言術」
「・・・」
言わんとすることはわかったが、これは笑うところだったのだろうか。ランジャのほうは気づきもせず、真顔のままホルドラントのほうを見ている。
しばしの沈黙。
耐えかねたホルドラントは顔を赤らめながら咳払いをした。
「さて、ここからはランジャにもまだ話していなかったな。この世界のことを話そう・・・と、その前にしておかなくてはならない話がある」
そう言ってホルドラントは一旦話を切り、一息吐いてから口を開いた。
「君たちは平行世界というものを知っているか?」