その七
しんと静まり返った廊下、村長室の扉に立った仁太は、すぐに扉を開ける気にはなれなかった。
別に威圧感があるとか、不可思議な近寄りがたさを持つといったわけでもない至って普通の木の扉であったが、どうしようもない不安感が気を重くさせた。言うまでもなく、ロックス達の手厚い歓迎のおかげである。
とはいえ、いつまでもこうしているわけにもいかない。一息ついて、仁太は扉をノックする。
コツンコツン、という音が廊下に響き、少しして中から老いた男の声が返ってきた。
「どうぞ、入りなさい」
「失礼します」
その穏やかな声音に背中を押され、扉を開く。
村長室という名に反して、最低限度の生活用品だけが置かれた質素な部屋だった。その奥の、穏やかな昼下がりの日差しが差し込む窓辺に、揺り椅子に腰掛けた竜人・ホルドラントがいた。
入室者の姿を見たホルドラントは少し驚いた様子で、しかし紛れも無い歓迎の意思を見せながら微笑み、立ち上がって仁太の元へと歩いてきた。
「おお、仁太じゃないか」
「お久しぶりです、ホルドラント」
心中でほっと一息つきながら、仁太は会釈する。恥ずかしさから少々ギクシャクとしてしまったが、そのことをホルドラントが気に留めた様子はない。
「ふむ、手も足も付いてるな。無事で何より。さあ、こっちへ」
言って、ホルドラントは来客者用と思しきソファを示す。仁太がそれに従うと、ホルドラントは揺り椅子には戻らず対面のソファに腰掛けた。
「いやはや、無事な姿を見れて一安心だよ。アルミラの調べで君が青の層に転移したとわかった時は随分と肝を冷やしたものだ」
「シルムーさんにも聞きました。村のみんなには随分と心配を掛けたようで……」
「まあな。しかし偶発型の転移扉に巻き込まれたのでは仕方あるまい。皆もそのことはよくわかっているから、誰も君を責めたりはすまい」
仁太の脳裏にホルドラントの娘の顔が浮かび上がったが、当然ながら口にはしない。
「ところでシルムーと言ったな。もう会ったのか?」
「はい、イーノ村で。運良くここまで送ってもらえました」
「そうか。では、青の層での出来事などは話したんだな?」
「……? 話しました」
「ならば話題を一つ飛ばすことができる。君の口から聞きたい気持ちもあったが……」
「え……、何かまずいことでもありました?」
「いや。シルムーは他人の話が大好きでな。これから数日間は君の話に彼女流の脚色を加えたものを繰り返し聞かされることになるだろう」
げっそりとした表情で、ホルドラントがため息を付いた。
竜の獣人ドラグラである彼の頭部は竜そのものであったが、人間と大差ないほどに多彩な表情ができるようだった。
「失礼。君に愚痴っても仕方のないことであり、関係のないことでもある。彼女に話題を提供したのが君でも、だ」
わざとらしく疲れたような顔で批難の視線をホルドラントが向けてくる。苦笑してみせると、ホルドラントは満足気に「冗談だよ」と告げて表情を元の温かいものに戻した。
さて、と彼は話題が切り替わることを言外に告げる。
「さて本題だ」
「本題?」
帰ってきたばかりの仁太に対する本題が、これまでの会話とは別にあるというのだ。
「ああ。実を言うと、君はものすごーーーーく、良いタイミングで帰ってきてくれたのだ」
「良いタイミング、ですか……」
またもロックス達の顔がチラつき、仁太の額に嫌な汗が浮かぶ。
「うむ。君にはある行事に参加してもらいたいのだ。ロックスとエーテリアの二人とともにな」
「……」
「いやぁ、本当に助かった。元々二人でも参加させるつもりだったのだがな、うら若き乙女の二人旅は危険すぎるとシーダダのやつが言って聞かないのだ。せめて男の一人はいないと不安だ、とな」
(ああ、それで……)
話が見えてきた。つまり、ロックス達の態度の理由はこれだったのだ。
蓋を開ければなんとくだらない話だろう。その行事に参加したくないがゆえにロックスと結託したエーテリアが父であるシーダダをそそのかし、やっとサボりまでこぎ着けたところへ仁太が帰ってきてご破産となったという、たったそれだけのことだ。
いや、本人たちにとってはくだらないからこそ、あの仕打ちだったのかもしれないが。
「まったく、あの親馬鹿にも困ったものだ。ロックスもエーテリア乗り気だというのに、それを親が止めるなど無粋の極み。ある文明の言葉にも"可愛い子には旅をさせよ"とあるというに……」
「それで、どんな内容の行事なんですか?」
「ん? ああ、そうだった、まずはそれを伝えて君の意思を聞かねばな」
(これだけNOと言いづらい雰囲気にしてから言うのか…)
という素直な感想は当然口には出さない。
「かつて私が発案した……らしい……行事、その名も十村巡り!」
と、ホルドラントは一拍空けてから、
「……改め、十村半巡り、という」
「半巡り? それに、らしいって……」
思わず仁太は聞き返す。
するとホルドラントは気恥ずかしそうな顔をして、照れ隠しなのか人差し指の長い爪で頬の鱗を掻いた。
「うむ……。私が発案者らしいのだがどうも記憶が曖昧でな。それはさておくとして、十村半巡りというのは名の通り、我がクーゼ村を含む十村を、各村々の齢十六から十八までの若者のみで旅するという行事のこと……だったのだが」
「だが?」
「前々回の開催時に、十では多すぎる、あまりにも負担が大きい、という不満の声が若者たちから挙がり、村長同士の話し合いで仕方なく半分である五に減らすことになった。故に半巡りなのだ」
(……どこの若者も似たようなもんなんだな)
仁太が内心で呆れる間も、ホルドラントの話は続く。
「各村々のことを知ってもらう目的もあるにはあるが、一番の目的は仲間と旅をしてもらうことにある。距離は半分になり、たった数日間の旅になろうと、得るものはきっとあるはずだ。村の中に篭っているだけでは得られない物が、な」
そう語るホルドラントの顔は、一人の娘を持つ父親のものであり、真に子を想う教育者のものであり、人生の先輩たる老人のものに見えた。その内の二つは、仁太の世界では見ることのできなかったものであり、仁太が欲していたものでもあった。
現実世界の教師たちから嫌というほど感じた邪な感情は見られない、真っ直ぐな老竜人の提案はこれ以上ないほどに魅力的なものに思えた。
だから、
「改めて問おう、仁太。十村半巡りに行ってはくれないか?」
その問に対する答えを考える時間は不要だった。
「行きます。行かせてください」
「良い返事だ」
満足気にホルドラント頷いた。
そこで、仁太はふと気がかりなことを思い出した。それは仁太側の本題にも関わる重要なことだ。
「ところで、さっき"うら若き乙女の二人旅"って言ってましたけど、あの……」
思わず口ごもってしまった仁太の言葉の続きを、ホルドラントはすぐに察したようで、彼はぽんと手を叩いた。
「おお、そうだった。ランジャのことだろう?」
「……はい」
「彼は今、この村にはいない。君が村を去ってから数日間、少し思い悩んでいたようなのでな。私が相談を申し出ようと思った矢先に、自ら青の層に行くことを決意してその日のうちに旅立っていったよ」
「!」
ランジャが青の層を訪れていたという事実に、仁太は雷に撃たれたような衝撃を感じ、続いて妙な脱力感に襲われた。
──最低だな、君は
最後に聞いたランジャの言葉。そこから、彼の心境は何らかの変化を遂げたらしい。それは考えても見なかった──否、考えないようにしていた可能性の一つだった。
同時に、仁太がクーゼ村に帰還するにあたって用意した覚悟は行き場を失い、またの機会を待つことになったことも意味していた。謝る相手がいないのではどうしようもない。
そんな二つの感覚に翻弄される仁太の様子を、楽しげな様子でホルドラントが眺めていた。
「ふふ……若いというのは良いことだ。私ほどの歳ともなると悩む前に答えが出るか、あるいは諦めが来てしまう」
「何も良くないですよ! ったく、他人事だと思って」
「いやいや、良いことじゃないか。大いに悩め少年。悩むことは思考の旅だ。悩んだ分だけ、得るものがある」
「またそんなことを言って……」
「いじわるを言ったつもりはないぞ? 何なら私が知恵を貸そうか。人に相談することでも、やはり何かを得られるはずだ」
相談。その単語を聞き、仁太の脳裏に浮かぶ言葉があった。
「……自信を持つこと」
「ほう、それは?」
「青の層で知り合ったおじいさんに言われた言葉です。ランジャと仲直りするために、俺がするべきことだと」
「ふむ。なるほどな」
ホルドラントは言葉を切り、関心したように頷いた。
「少々解決策に寄りすぎた助言ではあるが、それも良いだろう。私から言うことがなくなってしまったな」
「どういうことなんですか? 自信を持ったところで、俺にはランジャに認めてもらえるだけの力なんて……」
「悪いが答えまでは教える気はないよ。なに、別に難しいことではない。ただし君が気付くにはしばらく時間が掛かるかも知れないがな」
「……やっぱり意地悪してるじゃないですか」
不機嫌そうに言ってみるが、ホルドラントはかえってその様子を楽しんでいるようだった。
「悩めといったはずだぞ、仁太。おそらくその老人も、私が答えを教えることを望みはすまい。だからこそ悩め。あるいは自信を手に入れろ。そうすれば、ランジャの気持ちも見えてくるだろう」
「自信、ねえ……」
「時間はたっぷりある。十村半巡りから帰ってくるころにはランジャも戻ってきているだろうから、それまでの間に何とかしてみなさい」
「うーん……まあ、努力はしてみます」
「それでいい」
早速自信のなさ気な仁太の言葉だったが、ホルドラントはそれを責めようとはしなかった。
当初の目標は先延ばしとなり、当面の目標が新たに設定されたことで、
「……あ!」
無意識に優先順位を下げていた事柄が仁太の脳裏に浮かび上がる。凶暴な二人の獣人の前に置き去りにしてきた、同行者の少女だ。
決して悪意があったわけではないのだが、自分のことだけで頭がいっぱいになった結果、彼女のことを忘れていたのも紛れも無い事実である。
「今度はどうした?」
「すみません、同行者がいました……! 今連れてきます!!」
言うなり、血相を変えた仁太は慌ただしく駈け出す。
転びそうな勢いで走り去る仁太の姿を、ホルドラントは呆れ返った目で見送った。
「君は責任も持つべきだな」
正直5でもまだ多い気がします