その一
三層世界・神隠しの庭において、層間を行き来する手段は転移門のみである。中でも定期転移門と呼ばれるタイプのものは一定周期で特定の場所に発生するため、層間を移動する唯一の手段として利用されている。偶発型の転移門が落とし穴のようなものだとすれば、定期型は決まった時間に開閉する扉のようなものである。
発見された定期転移門の大半は周辺を人の手により整備され、一般人が利用できるように管理されている。最も、それは緑の層と青の層を繋ぐ転移門に限った話であり、赤の層との定期転移門は当然ながら特別な理由のない限りは利用できない。
第五島ニッククの管理下にある小島・緑門島は、その安直な名前の示す通り緑の層へ通ずる定期転移門の発生する島である。ニックク本島から連絡船に乗り継ぎ、仁太とセナはこの島へと訪れていた。
ニックク本島は温泉の名所であり、海岸沿いにずらりと宿が並び、島内の建造物はいずれも景観を意識して色を統一しているなど、良くも悪くも個性の薄かったパステパスに比べて極端に"非戦闘"の雰囲気が色濃い観光地であった。ほんの数日前に機海賊団と一戦交えたパステパスにいた仁太は、この差に驚きを禁じえなかった。
そんな本島とは更に異なる雰囲気を持つのが、この緑門島であった。
「ここが緑門島……」
草木が生い茂るなか、ひっそりと石畳が島の奥へと続いている。見あげれば視界いっぱいに広がる緑は、ここが緑の層であると錯覚させるには十分すぎるほどだ。潮風が葉を揺らす音が、懐かしささえ覚える小鳥のさえずりと共に耳に届く。
異世界らしくないといえば確かにその通りの、日本のどこかにはありそうな雰囲気の場所であったが、傍らを歩く長耳の少女の姿がこの光景に非現実性を与えてくれている。
(葉っぱで作った洋服でも着てくれれば、なおそれっぽいんだけどなあ)
などと無粋なことを考えている自分に気づき、ファンタジー系のゲームに汚染された自身の思考に呆れた。
気を取り直して、仁太は率直な感想を口に出して見ることにする。
「なんか、神秘的な雰囲気だな。いかにも青の層と緑の層の二つのを繋ぐ扉がある場所って感じがする」
「ですね。コンセプトも、まさにその通りだそうですよ」
「……コンセプト?」
想定外の単語に、仁太は思わず聞き返した。
「はい。神秘的な場所ですよー緑の層との境界ですよー、っていう雰囲気が出るようにと意図的に島の環境を整えたそうです」
「……えっ。……天然じゃないの?」
「そのようです。観光地ですし、ニックク」
「……」
無表情かつ無口になった仁太の様子に、セナは小首を傾げた。
島の中央部に位置する建物は、定期転移門を囲うように建てられていた。神殿を思わせる、これまた神秘的な造りをしていたが、入り口に立つ若いキャトルの男性に「またのお越しをお待ちしております」などと声をかけられてしまっては風情もヘッタクレもあったものではない。
狙いすましたかのように島の中心に位置する定期転移扉の出現場所も、どうせ島そのものを削って無理やり中央にしたてあげたのではないか、と冷めたことを考えつつ神殿もどきの中へ進む。
中の通路は緑と青の炎を灯す燭台が照らしていたが、もはや仁太にこれを美しいと感じるだけの素直さは残ってはいなかった。
一方でセナの方はそわそわとした様子を見せ始めていた。
「もうすぐ緑の層なんですね。ちょっと緊張してきました」
幼く見える外見も相まって、今のセナは遠足に浮かれる子供のようだ。
「私、緑の層は初めてなんです。青の層を不満に思ったことはありませんが、緑の層には一度行ってみたいと思ってました」
「そういえばまだ聞いてなかったけど、もしかして俺に付いてきた目的って……」
「なっ!?」
慌てたセナが首を横に振って否定する。
「そ、そんな旅行気分なわけないじゃないですか! 私はただ、実践するために付いてきたんです」
「実践?」
「はい。仁太は言いました。友達をつくることは難しいことではない、と。その言葉が本当であることを確かめるために、私のことを知らない人たちのところへ行くことにしたんです。あなたの言葉を信じたい……だから自信が、確証が欲しいんです」
「疑り深いなぁ。でも、それなら青の層の別の島に旅行でも行ってさ、旅先で友達作ればよかったんじゃないのか? それとも予見者がどうとかってのは結構有名だったりする?」
「予見者の話は萌豚さんが私を庇うために言いだしたことなので島外には知られてないと思いますが……でも! もし仁太が言うほど簡単に友人が作れなかったら、私は物凄くショックを受けます! 悲しくて引きこもるかもしれませんし、人間不信になるかも知れません! なので、まずは保険として、友人であるあなたに付いていくのが得策だと考えたんです」
「それなら徳郎……はやめておこう、ミアやタルラあたりと旅行でも──」
「いえ……、あの人達は変わったご友人も多いので。その、何と言うのでしょう……いきなり、変った方を紹介されても困りますし。男性同士の絡みの良さを説き合う会合に誘われたことなどもありまして……察していただければ幸いかと」
どこか遠くを見るような目をしたセナがひどく冷静な声で答えた。
「とにかく。そういうわけなので、私はあなたに付いていくことにしたんです。納得して頂けましたね」
「ね、と言われてもなぁ。だったらリーマットさんとでも──」
「……あっ」
サッとセナが目を逸らす。
「おいおい……」
頭を抱え込むセナの様子に、仁太は苦笑した。ぐぬぬ、むむむ、と少し唸ったあと、セナは開き直ったように、
「……聞かなかったことにしてもいいですか?」
「ご自由に」
他愛もないやり取りを提供してくれるセナの存在は、仁太にとってありがたかった。
喧嘩別れ同然の状態で離れ離れになった友人に会いに行くという今回の目的は、深刻な問題ではないが、かと言って気楽な話でもない。仲直りというものは案外勇気のいるもので、特に今回のような自分に非がある場合はなおさらだ。
緑の層を目前に控えたこの期に及んでも、逃げ出したくなる衝動がふっと湧いて出ることを、仁太は自覚していた。そんな心の迷いを紛らわせてくれるのが、セナの存在だった。
本人は否定しているが、やはりセナからは旅行を楽しむかのような"浮かれた"様子が見て取れる。だが、それが逆にありがたい。仁太にはない気楽さを、彼女は持ち合わせている。その気楽さが、会話を通して仁太の心から暗い気分を取り払ってくれた。
ゆえに仁太は、内心でセナに感謝していた。最も、それを口に出すことは彼女の言い分を否定することになるため、心のなかにしまったままにしておく。
そうこうしている内に、通路が終わり、開けた空間に着いた。そこは円形の広間で、天井は通路よりもずっと高く、暗かった。部屋の中央付近には火の灯った台座が四つ配置されており、そこから少し距離を置いた位置に鎧を着た兵士が数人立っている。
仁太たち以外の利用客は各々が適当な場所に立って転移扉の出現を待っていた。仁太たちもそれに習い、空いているスペースで待つことにした。
程なくして、部屋の中央付近に立っていた兵士の一人が声を張り上げた。
「時間です! 転移扉、来ます!」
次の瞬間、台座で囲まれた空間に小さな球体が出現した。毛糸玉程度の大きさの緑色のそれは、小さな爆発でも起こしたかのように光を吐き散らし、やがて直径3メートル程度の光球となって安定した。台座ギリギリまで広がっているところを見るに、あの台座は目安としての役割も持っているようだ。
「光の中に緑色が見えますね。綺麗……」
セナがうっとりと感想を漏らす。もっともな感想だ、と仁太も思う。転移扉を見るのはこれで三度目になるが、落ち着いて眺める事ができたのは今回が初めてのことだった。
白い光の中に移るのは、通じている層の色のようだ。転移扉そのものの大きさは、赤の層から緑の層、緑の層から青の層へ転移した時の二つよりも大きく、ライティルを追って青の層から赤の層へ転移した時のものよりも小さい。サイズにはばらつきがあるようだ。
兵士たちの誘導で、利用者達が整列を始めた。一人ずつ、光の中に吸い込まれるように入っていく。今にも光の反対側から出てきそうな雰囲気でありながら、しかし光の中に入った者はもう出てはこない。
「転移自体は何度か経験したことあるけど、外から眺めてるとちょっと怖くなってくるな」
「実は光の中で消えてたりして?」
「怖いこと言うなよ……」
仁太の前にいた男性が、光の中に消えた。少し待ってから、「よし。次の方、どうぞ」と兵士の合図が飛ぶ。
光の扉を前に、仁太は一旦足を止めた。転移扉を利用することが怖いわけではない。何度も利用したものだ。この躊躇は、転移先に対する最後の躊躇。
(ここを抜ければ緑の層……。ランジャの、ホルドラントのいる緑の層……)
息を呑み、仁太は少し目を閉じてから、決心とともに開く。
「じゃあ、セナ。また緑の層で」
「はいっ」
軽く振り返ってそう言うと、セナは笑顔で返した。
意を決して、仁太は光の中へと踏み出した。
呪!二周年!
やっと三章!
遅ぇ!