その四十四
兵士の話す内容に、ベルザルクは驚かずにはいられなかった。
「洗脳が解かれた?」
思わず聞き返すと、眼前の兵士は無言で頷いた。
「馬鹿な……話が違う。あなたは言ったはずです、あの洗脳を解くことが出来るのは、同じ手段のみ、と。そして洗脳装置がこの世界に一つしかない、とも。特殊なパーツを必要とするあの装置に二つ目がないという補足まで付けて」
「ああ、言ったな」
「だったら、これはどういうことです? 正確な情報のみを提供するという契約があればこそ、私はあなたの振る舞いを容認してきたのですよ!」
「せっかちな男だ。話の中途で口を挟まないでくれ。オチを用意しておいたというのに……」
わざとらしく肩をすくめ、兵士はため息をついてみせた。
「……ッ」
その仕草に苛立ちを感じつつも、ベルザルクは一先ず抗議を中止する。"オチ"という言葉には不安しかなかった。
「契約は守っている。提供する情報に偽りはない。が、正確さを保証するのはあくまで渡した段階での話だ。情報の鮮度などいつまでも保たれるものではない……特にこの世界では尚更な。ましてや、私とて全知ではない。私の保証する正確さは、あくまで私の知りうる範囲でのものだと既に承知しているはずだが?」
「あなたの知らないことがあった、と? 見えているはずのあなたが?」
「"見える"のは青の層だけだ。現に勇者くんの生死に関しては……おっと、最新情報だ。彼は生きている。それはさておくとして、私が知っているのはあくまで見ていたことと、奴らが知っていることだけだ」
仁太の生存について、ベルザルクはあえて口を挟むことはしなかったが、内心で安堵した。
そんなベルザルクの様子も、仁太が存命であるという情報にも、兵士は大した興味は示さなかった。
「大体、ある意味ではお前にも責任はあるのだぞ?」
「私に?」
「お前が私の情報に誤りがあったと主張するならば、私はお前の情報に誤りがあったと主張してよいということになる」
「まさか……!?」
その言葉の意味するところには思い当たる節があった。ベルザルクよりも多くを知る眼前の者に対し、提供できた情報は少ない。今回の一件と関わるものといえば、さらに絞られてくる。
先ほど感じた不安は、思わぬ形で裏切られることとなった。
「気づいたか? それこそが今回のオチだ」
「魔法……まさか、あの洗脳を解除出来る魔法が存在したと言うのですか!?」
「ご名答。なあ、実につまらん結末だろう?」
脳を物理的に操作する洗脳を解除できる魔法はない、という見解を眼前の者に伝えたのは魔法の専門家であるベルザルクだった。
広範囲に強大な変化を生み出す魔法の性質上、人体の修復・回復に使える術式は開発不可能、というのが魔法使いたちの共通認識であった。怪我の規模は関係ない。脳を弄られようが、膝を擦り剥こうが、魔法にとってはどちらも解決不可能な問題なのである。
言うなれば回復魔法とは夢であり、幻だった。常識的な魔法使いであれば、実現を目指すことすら諦めるほどの存在なのだ。
その考えこそが誤りであったと、否、誤りになったのだと、目の前の兵士は言っていた。
「くく……どうした? 可愛い島民を殺さずに済んだとわかった島将のする顔がそれか?」
内心に渦巻く感情が顔に出ていたのだろう。兵士はこちらの顔を覗き込むと、とたんに機嫌を直し、邪悪な笑みを浮かべた。
「教えなさい」
「うん?」
「その術式の使用者を答えろと言ったんです」
「教えるとでも?」
「……ッ!いいから答えろ!ベル──」
「おいおいおい、それはまずいだろう」
思わず口を突いて出そうになったベルザルクの言葉を、兵士が遮った。
「聞かれて困るのはお前ではないのか?」
「くっ……」
激情に任せて自身が何を口走ろうとしたのかに気付き、ベルザルクは自身の軽率さを恥じた。言葉の内容は勿論のこと、大声を出すこと自体が問題だ。目の前の兵士の存在を、外の一般兵たちに知られるわけにはいかないからだ。
しばしの沈黙で冷静さを取り戻し、ベルザルクは兵士を睨みつける。対する兵士のほうはそれを真正面から受け止めつつ、なおも反省の色はなく、
「知ってどうする?」
この質問の答えを、兵士はわかっているはずだ。その上であえて尋ねるのは、単なる嫌がらせが目的だろう。
魔法における回復術式というものが実在するとすれば、それは魔術による回復術式などとは比べ物にならないほど強力なものに違いなかった。これは島将という立場から見ても、ベルザルク個人の目的から見ても、喉から手が出るほど欲しい代物だ。
だが魔法の性質上、所有権の譲渡は難しい。術式は使用者を問わず一日に一度限りであり、発動に必要なのは世界の構築式を揺るがす紋様の羅列である"魔法陣"のみのため、この記号さえ覚えている限りは所有権の譲渡とは言えない。すなわち、魔法の術式の譲渡とは魔法陣を伝えることと同時に元所有者が「魔法陣を忘れる」あるいは「二度と使わない」のどちらかがセットでなくては成立しない。
ベルザルクが回復魔法を得ようとするならば、するべきことは決まっていた。
「……わかっているはずです」
「ふっ。まあいいだろう。どちらにせよ、教えるつもりはないのだからな」
やれやれ、とでも言いたげに兵士が首を振った。
「そう睨んでくれるな。忘れているようだから言っておくが、こうして私から情報が得られるだけでも破格の待遇なのだぞ? 私が言わなければ、お前はセナを殺しに向かっているはずだ。仮にセナの洗脳が解けていると気づけたとしても、それが見知らぬ魔法使いの功績だとお前が知る手段はあるか?」
「それは、そうですが……」
「便利屋になったつもりはない。十分なヒントも与えてやったのだ、あとは自分で何とかしてくれなくてはな」
「……」
兵士の言葉は正論だった。反論が見つからない以上、正論だと認めざるを得なかった。
確かに回復魔法の存在を知れただけでも十分な収穫であることに違いはない。それが例え、ベルザルクに屈辱を与えるために開示された情報であったとしても、だ。これ以上の情報を求めては、対価に何を要求されるかわかったものではない。
「……わかりました。あなたの言い分には一理あります」
「結構。だがお前の熱意に免じてオマケしてやることにした」
「オマケ、ですか。……気味が悪い」
「くく…お前のその口の悪さも嫌いじゃない」
口の端を上げ、兵士は一旦言葉を切った。
「オマケというのはちょっとした忠告だ。そう遠くない日、パステパスを含めた七島同盟所属の島に大規模な攻撃が行われる動きがある。今度は第五部隊のような非戦闘員集団ではない。第四、第三、そして第二部隊の連中が部隊長付きで動くようだ」
「第二部隊……特殊な機械人間で構成されていると聞く彼らですか」
「今回のようにはいかないはずだ。精々、兵士の育成に力を注ぐことだな」
そこまで言ったところで、兵士の身体が突如色を失い始めた。それだけではない。顔、腕、鎧までもが蝋のように溶け始めている。
ベルザルクにとっては見慣れた光景だった。驚きはしない。
「一足先に戻るのですか?」
「いや」
「?」
否定され、ベルザルクは疑問符を浮かべた。
「ここでやり残したことでも?」
「それも違う」
「ではどこへ?」
「赤の層だ。少しばかり島を留守にする」
「……な!」
驚き、思わず大声を漏らしてしまう。
「青の層を出るというのですか!?」
「観察したい者がいるのでな。なに、そのうち戻る」
「しかし、これも契約違反です……! あなたは我々とともにいると言ったではないですか! あの人の許しは取ったのですか!?」
あの人という自分の言葉に、ベルザルクは脳裏である男の顔を思い浮かべる。話の流れ上、持ち出さずにはいられなかった存在だが、この男の話を出すことは不愉快で仕方なかった。
「いや。しかし、これは"彼女"の望みでもある。……奴とて納得せざるを得ないはずだ」
だが、眼前の者が持ちだした存在の前には、ベルザルクは言葉を失わざるを得なかった。
「……卑怯だ。我々には確かめる術がないとわかっていて……」
「そういうことだ」
言って、兵士は言葉を切った。もはや身体に、そして身にまとった鎧に色はなく、そこにあるのは人の形をした水のような"何か"であった。
「あなたの言葉、信じますよ」
「疑ってくれて構わんがね。私が帰るまで、死なずにいてくれることを期待しているよ。では、さらばだ」
瞬間、兵士だったものが弾け飛んだ。床にぶちまけられた液体もどきは、しかし床に染みを作ることもなく、まるですり抜けるかのように船室から消え、何一つ痕跡を残しはしない。
こうして船室にはベルザルク一人が残されていた。兵士の残した物質的な証拠は何一つなかったが、数々の言葉がベルザルクの脳に残されていた。
「はぁ。また好き放題言って……」
独りごちる言葉は、しかし最後までは続かず、空気に解けるようにするりと消えて行く。
押し寄せた精神的疲労に耐えかねて、ベルザルクは椅子に腰を下ろした。思わず頭を抱え、特大のため息を吐く。
「コーサ……私は……」
「そうだ、もう一つオマケをやろう」
「!?」
突如、背後から声が響き、思わずベルザルクは飛び跳ねた。
心臓が跳ねまわるような錯覚を覚えつつ振り返ると、そこには床から半身だけ生えた人の姿があった。今度は兵士のものではなく、普段の格好、すなわちコーサと呼ばれた姿で。
「なななななんですかいったい!?」
「もうすぐセナが帰ってくる。衰弱した勇者くんを運びながら、な。せっかくだ、出迎えてやれ。あ、用はそれだけだ。最後にお前の間抜けな声が聞けたのは思わぬ収穫だったがなぁ……ははは!」
言い終わるなり、コーサの姿が弾けた。唖然としたベルザルクだったが、次第に怒りがこみ上げくる。
「あのアマ……」
その次の瞬間、
「どうなさいましたか、ベルザルク様!」
勢い良くドアが開け放たれ、キャルトの兵士が飛び込んできた。叫び声が外に漏れたのだろう。
何事かと焦るキャルト兵に、ベルザルクはなるべく怒声にならないようにと最大限の注意を払いながら指示を出した。
「セナと仁太が帰ってきます。適当に治療の準備でもしときなさい。……私は寝ます、パステパスに着くまでドアは開けないように!」
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