その四十三
「ありがとう、か」
照れを隠すように、仁太は目を閉じて呟いた。
その様子を見たセナは意地悪でも言うように、
「言葉だけでは不服?」
「十分。"助けてくれて"ではなく、"助けに来てくれて"っていうのも良い。素直に受け取ろうという気になれる」
セナの気遣いに苦笑しつつも、感謝する。結果ではなく選択について、彼女は評価をくれたのだ。これ以上ないほどに嬉しい気遣いだった。
ただし訂正すべき点があった。
「だけどさ、勇者様ってのはやめてくれないか」
「……あれ、駄目? おかしいな……こういうシチュエーションで言えば男の子は思わず了承するものだって萌え豚さんから聞いたんだけど……」
「アイツ……いつの間に馬鹿な知識を吹き込んで……」
思わずため息が漏れる。が、すぐに表情を真顔に戻すと、仁太はセナへとまっすぐに視線を向ける。
「セナ。俺が勇者でもなんでもないことはわかってるんだろ? それに俺のことを勇者なんて呼ぶ必要はもうないんだ」
「……なぜそう思うの?」
「君が俺の名前を呼べるようになったから」
「あ……」
セナは他者のことを名前で呼べない癖がある。日記にも書かれていたとおり、彼女にとって他者を名前で呼ぶことは、わざわざ目標として掲げなければならないほどの大事のようであった。
だが、それも今となっては関係のない話だ。
「さっき普通に呼べたじゃないか。だったら、勇者でも何でもない俺のことを勇者なんて呼ぶ必要はなくなった。……って、セナ?」
見れば、セナは顔を明後日の方角へ向け、仁太の視界に表情が映らないようにしている。その顔は赤みを帯びており、その真鍮を察することは容易であった。
「……今更になって恥ずかしくなった?」
「い、いいいい勢いでというか、雰囲気でというか……あそこはああしたほうが説得力あるかなって……ででっでもなんで私あんな……」
露骨に焦るセナの様子に、仁太は苦笑を浮かべる以外に何をすべきかがわからなかった。
しばらく経ってセナは落ち着きを取り戻したようで、
「ご……ごめん。話、続けて」
「ま、まあ、一度出来たことだし、慣れてくれればいいと思う。とにかく、俺を呼ぶのにそんなアダ名を使う必要はなくなったってこと。
それに、セナのためにも俺を勇者と呼ぶべきじゃない」
「私のため……」
「もし、セナが本当に予見者で、本物の勇者が現れた時、どうするつもりなんだってことだ。君はもう、俺みたいな偽物を勇者なんて呼ぶべきじゃない」
勇者と自ら名乗ったことはない。その上で"偽物"という言葉をあえて使うのは、未練を断ち切る目的もあった。
「ここからは私的な理由だけど……徳郎に言われたんだ、セナの勇者になることで、セナの夢を守ってやれって。俺がセナを助け出すことで、勇者になれってな。もし本当に出来たなら、なんて思わなかったわけじゃないけど、やっぱりそれじゃ駄目なんだ」
実際出来なかったしな、と仁太は苦笑する。
「本物の努力をした人間の横に偽物が並び立って良い訳がない。というか、俺自身が耐えられない。少なくとも勇者だなんて名乗るのも、呼ばれるのも」
「私が、それを望んだとしても……あなたはそう言うの? 私にとっては、来るかどうかもわからない勇者よりも、今ここにいる友人のほうが……」
「だったら勇者なんて呼ばずに名前で呼んでくれよ」
「でも、それをしたら私は……」
セナは言葉をつまらせる。仁太のなけなしのプライドが自身を勇者と呼ばれたくないと思わせたように、恐らくは彼女のプライドが言葉を詰まらせる。
仁太が勇者でなくなることで、彼女には失うものがある。それを、彼女は口にしたくないのだ。
やっとここまできた、と仁太は内心でつぶやく。
そして、仁太は意を決して口を開く。たった今、セナがためらった言葉を。
「俺が勇者でなくなると、周囲からの予見者という評価が失われる」
「……」
視界の先で、セナがビクリと震える。図星であるのは明白だった。
その様子に罪悪感を感じながらも、仁太は言葉を続ける。
「もう一つの理由だろ? 君が俺のことを勇者と呼びたがることの。そうすることで、周りから拒絶されてしまうとそう思ってる、違うか?」
「それは……」
苦しそうにセナが視線を逸らす。
セナが恐れているのは、今の自分の状況が悪化することだ。仁太が訪れたことで彼女は予見者として周囲に認知された。その評価がくつがえり、またも嘘つき少女へと転落することに恐怖している。
彼女は知らない。周りから自分がどう思われているかを。壁を、溝を作っているのは、今や自分だけだということを。
だから、言うのだ。
「そう思ってるのは、セナ。君だけだ」
だから、壊すのだ。
「予見者でなくなったからって、誰もセナのことを嫌いになんてなったりしない。少なくても俺の知ってる人たちは、誰一人として」
「……!」
視線を逸らしたままのセナが、驚いたのがわかった。恐る恐るというように、彼女は視線を仁太へと戻しつつ、
「本当に……?」
「ああ、本当だって。徳郎も、ミアも、タルラもドウヴィーさんもグワンさんも。皆が好きになったのは、いつものセナだ」
「でも、あれは演技であって……」
「今はまだ演技かも知れなくても、あれがセナの理想の女の子だって言うんなら同じ事だ。いつか君がなる女の子は、皆から好かれる女の子ってことさ」
「信じてもいいの……? その言葉」
「ここまで助けに来た俺のことを信じてくれるなら、な」
臭いセリフだ、と仁太は照れ隠しで苦笑する。なんだか苦笑してばかりだ、と更に苦笑しながら。
セナはまたしても顔を背けた。目尻に光るものが見えたのは、きっと臭いセリフに笑ったからだろうと、仁太は自分に言い聞かせる。
「なあセナ。君が思うほど、友達を作るのは難しいことじゃないんだ」
脳裏に浮かぶのは、一人の少年の姿だった。仁太とは似て非なる、遠い世界から来た少年。
「ただそこに居合わせたってだけでも友達になることはできる。それくらい、簡単なことなんだよ。それでもまだ、信じられないか? 俺の言葉……いや、島のみんなのこと」
「……これで嘘だったら、死んじゃいますからね、私」
顔を背けたまま、小さな声でセナが言う。口調は普段のセナのものになっていた。
そうして、彼女は顔をゆっくりとこちらに戻しながら、
「まったく……お節介ですね、あなたも」
「俺なりのお礼だ。セナのおかげで色々と経験ができたからな」
それは、半分は皮肉だがもう半分は本心だった。
自分に足りないもの、自分には持てないもの、自分のやりたいこと。それを知ることができた……気がするのだ。
「……友達作るのは簡単だけど、壊れた関係を戻すのは骨が折れるんだよなぁ」
「はい? なにか言いました?」
「いや。ちょっと独り言」
思わず漏れたつぶやきに、仁太は内心焦りながら答える。
(偉そうに言ったけど、よくよく考えたら俺よりセナのほうが人付き合い上手いじゃないか……?)
などと考え、もはや何度目かも分からない苦笑が漏れる。
と、不意に眠気が襲ってきて、仁太はたまらずあくびをした
「ふわぁ。なんだ、急に眠く……」
「あ、少し長く話過ぎたようです。元々頭も疲労していたので」
「わかったようなわからないような……あ、ダメだこれ眠すぎる……」
「寝てくださって構いませんよ。あとは私に任せてください」
「じゃ、お言葉に甘えて……」
「はい。おやすみなさい。仁……じ……勇者様」
誤魔化すように、小さな声でセナが言うのに呆れつつ、
「……要練習」
「……はい」
仁太の意識はそこで途切れた。
ね、年内に三章いけ…そう…?