その四十二
「セナ!?」
仁太の驚く声が響き渡る。
目に映ったのは天井を背景にした、仁太を見下ろす一人の少女の顔だった。
場所は機海賊団第五部隊拠点の地下に存在する地底湖のほとりのようだ。
「はい、セナです」
そう言って、少女は微笑む。その顔は紛れもなくセナリアラ・イアラのものだった。
にこりと微笑む少女の顔を見ながら、しかし仁太は警戒を強めた。
仁太が気絶させたセナはダムダ達が面倒を見ているはずだ。目を覚ませば暴れることは間違いなかったため、ダムダの魔術で覚醒を妨げるという手はずだ。
そのセナがここにいて、仁太を助けた。それはつまり、セナが洗脳状態ではなくなっていることを意味している。
最も妥当なのは、仁太が去った後に催眠術を使える魔術師がダムダたちの元を現れセナの洗脳を押さえ込んだということだが、確証はない。
ならば探りを入れるべきだ。
「セナ、二人は……ダムダさんとアルミラさんはどこだ?」
「湯屋魔女様と付き人様ですか?」
一瞬、何を言っているのか理解できなかったが、魔女というのがアルミラで、ダムダが付き人のほうなのだろうと仁太は判断した。
「そう、その人達。セナの面倒を見ていてくれるはずだったんだけど、ここにいる?」
「その二人でしたら、あとは私に任せると言って帰ってしまいました」
「帰った?」
「はい。あ、そうだ。これを勇者様にと」
セナが取り出したのは折りたたまれた紙片だった。
差し出されたそれを受け取るために手を動かそうとして、身体がまだ動かないことに気づく。
セナも気づいたようで、紙を広げて仁太が見えるようにした。
「ありがと」
「どういたしまして」
そこには魔術によるものと思われる、怪しく輝く光の文字が並んでいた。内容は、
『戦いを邪魔した"お詫び"、もう一つサービスしといてあげる ──アルミラ』
これだけだった。あまりにも言葉の足らない、いかにも意味有りげな文章。
(サービス……)
まず気になったのが、この単語だ。
(何かしてくれたってことだよな、これ……)
つまり、仁太が赤の層へ行っている間に何かをしてくれたということだろう。
気にかかるのはそこだけではない。
(この文章、書いたのは恐らくダムダさん……けど、名前はアルミラさんになってる。ってことは、アルミラさんがさらに何かしてくれた……)
閃きが訪れたのはその時だ。ドクン、と心臓が一際高い音を立てる。
「そうか……」
「?」
呟きが漏れ、それを聞いたセナが不思議そうな顔をする。この閃きが彼女に関することだと気づいた様子はない。
仁太は思い出す。ライティルを追って地下牢を出る前よりも前……ライティルが氷漬けになっていた時、ダムダとした会話の内容を。
『……ああ、無理だ。魔法は良くも悪くも巨大過ぎるからな。回復魔法というのは難しい』
今にして思えば不自然なやりとりだ。専門家であるアルミラがいるにもかかわらず、魔術師のダムダが説明したことは勿論、アルミラは同意の言葉や素振りといったフォローを一切行なっていない。緑の層での二人は魔術と魔法の話題で言い合いになるほどの仲だったのだから、ダムダが魔法について話すときにはアルミラも口を挟むのが自然な流れではないか。
重要なことは、
(アルミラさんは無理とは言わず、それでいてダムダさんに対して否定もしていない)
それはつまり、
(何かあるんだ、セナを救える術式が。そして、それを使わせたくなかった理由も)
だから、
(サービスってことは……!)
その結果が、この状況なのだと理解した時、
「ぷっ……はは、ははははは!」
仁太の口から溢れだしたのは笑いの爆発であった。
笑いを呼んだのは、決して喜びだけではない。そこには様々な感情が込められていた。正の感情も、負の感情も、全て入り混じった結果がこれだ。
目尻に熱い雫が浮かび上がった。一筋では留まらず、何度も何度も線を引くそれを拭う手は、今は動かない。
突然笑い始める自分の姿が、セナの目にどう映ったかなどどうでも良かった。視界は再び滲み、彼女の顔は見えなくなっていたのも幸いだった。
ひとしきり笑った後、仁太の感情はひとつの言葉となって、漏れた。
「かなわないなぁ、やっぱり」
その言葉を持って、全ての感情は収まり始めた。いつまでも笑っていては、セナに要らぬ心配をかけるだけだからだ。
笑いが収まるのを待って、セナの手が仁太の目尻の雫を払った。そうして明確になった視界の先に待っていたのは、先ほどと変わらないセナの顔だった。
「何か面白いことでもありましたか?」
「ああ。……傑作だ」
笑うしかなかった。笑わずにはいられなかった。仁太が成功しようが失敗しようが、セナは助かったのだ。まさしく茶番だった。
そんな仁太に、セナは困ったような笑みを浮かべた。
「その……話してもらえませんか? 私、キィーシスに着いたあたりから記憶がなくて」
「あ、ああ。ごめん、一人で盛り上がっちゃって」
「いえ。その……辛くなければでいいですけど」
遠慮するように放たれた一言に、仁太はまたも自嘲気味に笑う。
セナは気づいている。こちらの笑いの意味に。
「別に。失敗したと思ったら、実は全く関係ないところで問題は解決してたってだけの話さ」
「それが傑作……なんですか?」
「そりゃそうさ。全く無意味なことに全力を出して、その全力だって人からの借り物で……結局俺はなにもしちゃいない。それどころか、助けようとしたはずのセナに逆に助けられまでした。とんだピエロだ」
ははは、と乾いた笑いが漏れる。話していると虚しさがこみ上げてくる。それでも口は止まらない。これが自分の悪癖だと理解しながらも、止めることができない。
チャカストの友人と同じように、セナもまた、仁太の言葉を黙って聞いていた。彼女が内心で何を考えているかなど、想像したくもなかったが、想像に難くなかった。
ただ、言葉を遮られないのは仁太にとって好都合であった。このまま本題に入れる、と。
「セナ。俺は君に言いたいことがあってここまで来たんだけど……今がまさにピッタリのタイミングだ。ご覧のとおり、俺は勇者でもなんでも──」
「勇者様」
突然、セナが口を開いた。
声自体はそれほど大きくはなかった。ただ、思わず言葉を止めてしまうほどの気迫があった。
笑顔もなく、困惑の表情もなく、ただ真顔のまま、少女は言う。
「……いえ、仁太」
言い直され、仁太はハッとなる。「"ごっこ遊び"は終わり」という彼女の言葉が脳裏に響く。
「さっき、あなたから聞いた言葉で確信したわ。日記、見たんでしょ? それに、この話し方も見せてるでしょうね。……記憶にないのって嫌なものね」
「セナ……」
「少し黙って聞いて。今度は私の番よ」
睨まれたわけでも怒鳴られたわけでもない。セナは淡々と言葉を発するだけだ。しかし、その言葉には不思議な強制力があった。
「私、自分のことが好きじゃなかった。今でもそう。元いた世界では生きることに精一杯で、自分を変えるなんて考えたこともなかった。でも、白い世界で一冊の本を拾ったの。言葉も何もわからない本だったけど、絵を見ればなんとなくわかった。そこに出てくる女の子は、すごく明るくて優しくて、可愛かった」
言いながら、セナは顔は天井へと向ける。何かを見上げるように、あるいは仁太から表情を隠すように。
「こんな女の子になれたらいいなって思ったわ。でも、多分同時にこうも思ったの。こういう女の子なら周りに好かれるな、って。純水のような憧れの中に、一握りの不純物が混ざったような気分って言えばわかってもらえるかしら。こんな汚い心があるんだと気づいてしまったら、もうおしまい。本の中の女の子は決してこんなことは考えない……だから私はこの子にはなれない、そうわかってしまった」
少女は一息ついて、言葉を続ける。顔は変わらず上を向き、仁太の位置からでは見えない。
「それでも私は演じたわ。いつかあの子のように人から愛される女の子になるために。その動機がある限り、絶対にあの子にはなれないってわかってたのに。
……もう気づいてるでしょうけど、日記の内容と違うでしょ? あれも私の汚い心の現れなのよ。あの日記、人に見せること前提で書いてるの。私がいなくなった後、誰かがあれを見つけることを想定してね。嘘八百ではないけど、読んだ人間に嫌われないように、そういうふうに書いてある」
そこまで言って、セナは顔を下へと向けた。苦笑を浮かべながら。
「質問。それでも、あなたは私に憧れると言ってくれる?」
「……もちろん」
問いかけに、仁太は即答した。
「俺が憧れたのは、なりたい自分を演じる努力をするところだ」
理由なんてどうだって良かった。自分にはできなかったことをセナはやってのけた、という事実が大事なのだから。
そもそも、マンガやアニメなどの空想に憧れた自分がとやかく言える問題でもなかった。
「ありがと。否定されたらもう少し長い話になるところだったわ」
言って、セナは苦笑ではなく微笑みを浮かべた。
「正直に言って、私は今まで自分の行為を無意味だと思っていたわ。動機と理想に矛盾がある限り私はあの子になれないし、演じることは人を騙すことになる。何も得られず、何も与えない……そう思ってた。さっきまではね」
「さっきまで……?」
「私はあなたに憧れを与えられていたと知った。無駄だと信じてきた努力は、あなたを動かす力になれた。誰かに何かを与えた時点で、それは無駄ではなくなる……そういうものだと思わない? 私は思うわ」
仁太は無言で頷いた。セナの行為は無駄ではない、そう思ったからだ。
だが、それを見たセナは意地悪く口元を歪めた。我が意を得たり、とでも言わんばかりに。
「墓穴を掘ったわね」
「は?」
「あなたを否定する材料が揃ったってことよ。さっき言ったわね? 自分のしたことは無意味だったって」
「い、言ったけど……?」
「私は嬉しかった」
何故か勝ち誇ったように、セナが言う。
わけが分からずぽかんとする仁太に向け、少女はダメ押しをするかのように、
「私は嬉しかったと言ってるの。あなたが何をしに行ったのかは知らないけど、こんなにぼろぼろになるまで何かをしたのは私のため? それとも自分のため?」
「これは……セナのため……半分くらいは。もう半分は自分のため」
「素直でよろしい。仮に100%あなた自身の為だったとしても、私は嬉しかったけど」
問いかけの意味が無い気がしたが、仁太はあえて口には出さないことにした。下手に喋ると逆手に取られる気がしたからだ。
「どちらにせよ、あなたを動かしたのは私が無駄だと信じてきた行為。あなたの一言と行動で、私は自分の行為に自信をもつことができた。報われた……ううん、救われた気がする。それがたまらなく嬉しいの。
わかる? あなたの行為は、あなたの努力は、私という人間に救いを、喜びを与えることに成功しているのよ?」
「あっ……」
セナの意図に、仁太はやっと気づくことができた。遠回りをしながら、彼女は確実に仁太の逃げ道を奪っていたのだ。
「だから言ったでしょ? 墓穴だって。あなたが掘ったその穴に、私が蹴落としてフタをしてあげるんだから」
すでにセナの笑みからは意地悪い雰囲気も、勝ち誇った様子も消えていた。それはパステパスでの生活の中で何度も見かけた、自然な笑顔だった。
「助けに来てくれてありがとう」
その一言で、救われた気がした。
後悔も、妬みも、諦めもスッと消えていく、そんな感覚のあと、仁太の中に残ったのは一つだけ。
「あなたの行動は決して無意味なんかじゃない。ね、勇者様?」
確かな達成感だけだった。
事ある毎に自虐を始めるキャラとして設定したせいで仁太が勝手に反省文を書き始めたりして面倒ですがそれも後少しの辛抱で…
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