その三十七
再び大地を蹴って加速する。放たれた矢のごとき仁太、その矢尻は鉄をも斬り裂く脅威の刃。
狙うはもう一方、すなわちライティルの左脚。それを絶つことで、ライティルの機動力はほぼゼロになるはずだ。
距離は一瞬で迫る。一旦は離れたはずの標的は、すでに眼前だ。
と、仁太の接近に気づいたのだろう。膝をつく形でなんとか姿勢を保っているライティルがこちらへと振り返る。
防御が不可能だということを理解した彼が仁太に対して行える行動は迎撃しかない。しかしパニックからの復帰が遅すぎた。接近を許した今となっては風腕を展開することも、仕込み銃を構えることもできない。
苦し紛れに放たれた振り返りざまの右の裏拳など予想の範疇だ。仁太は回避行動を取る。超振動ナイフの製作者に対して、かつて赤の層で行ったのと同じスライディング。高すぎた裏拳は当たらず、片膝を着いていることで位置の下がっている左脚にはこちらのナイフが届く形で装甲人間の横をすり抜ける。
成功。確かな手応えを感じる。背後では体勢を崩したライティルが裏拳の勢いを支える両の足を失ったことでそのまま転倒する。
そのはずだった。
「……つッ!?」
痛覚が腹部の痛みを知らせる。痛みは一瞬で、すぐに去っていく。しかし何らかの攻撃を受けたことは間違いない。
(まさか仕込み銃? あの体勢から!?)
だとすれば危険だ。
仁太はスライディングの体勢から跳ね起き、すぐさま左に跳ぶ。直後、視界の隅が一発の銃弾を捉える。
幸い、遮蔽物はすぐ近くにあった。戦場となっている場所はちょっとした広場になっているが、元よりここは森なのだ。
滑りこむ様に木の陰へと身を隠すと、三発目の銃弾が右肩を浅く抉った。さらに四発目が背後の木に当たる音が聞こえたが、貫通には至らなかったようだ。
開いた左の手で右肩に手をやる。腹部同様に痛みは一瞬で引いたし、腹部に被弾したときよりも痛みは少ない。実際出血量も大したことはなく、傷が浅いことは素人の仁太でも分かった。
問題は腹部だ。こんなにも生々しく朱に染まった衣服はドラマ以外では見たことがない。おそらく、かすり傷では済んでいない。
痛みを感じていない理由はわかっている。ダムダに施された術式のおかげだ。被弾時に痛みを感じたのはダメージの度合いを知らせるためのものだろう。便利な、もとい器用な術式だなと仁太は感心する。
青の層でダムダから受けた術式は三つ。
一つは最初に受けた肉体強化術式。人の身には余るほどの身体能力を発揮できるようになる術式で、多くの無茶が可能だが、術式の解除とともに反動が来る。
二つ目は視力強化の術式。装甲人間ライティルに挑むと宣言した仁太にライティルが施した追加の強化術式だ。これにより視力は跳ね上がり、通常は目で追えないような高速の物体も目で追うことができる。飛来する銃弾を見ることはできるが、見てから回避できるものではないのが残念なところだ。
三つ目も視力強化同様に追加の術式で、脳に対する強化術式のようだった。思考力を強化するものだが、あくまで思考速度の強化であって、頭が良くなるものではない。冷静かつ迅速な判断を行うための術式と説明されたことから、痛覚の遮断はこの術式によるものだと仁太は判断した。
追加の二つは肉体強化術式の補佐にあたるものらしく、肉体強化がハードウェアを強化するものならば、これらは強化された肉体をより効果的に操るためのソフトウェア強化といったところだ。
思考速度の強化は、常時でも多少の速度強化があるが、真価はそれとは別にある。
意識を集中。すると、時の流れが遅くなったかのような錯覚が訪れる。ダムダから受けた説明のとおりであった。
目を閉じ、肉体の制御に向ける意識を取り払い、意識を全て考え事に回すことで思考速度を跳ね上げる。これこそが思考速度強化術式の真価とも言うべき効果だ。
この効果を使用した場合、術式解除時の反動が倍加するため極力使用を控えるようにと言われているが、今はそうも言ってられない。なにせ、仁太には時間がない。
状況を整理する。
現状、仁太は一見有利に見えるが、実のところはそれほど優勢なわけではない。
超振動ナイフによって移動力を奪われたライティルはこの場から逃げ出すことは不可能なはずだった。それが仁太にとって有利な点だ。
一方、ライティルにあって仁太にないものがある。制限時間だ。
仁太の持つ戦闘力は、全て他者の力の上に成り立っている。武器であるナイフは今もなお刀身を震わせるための術式で魔力を消費している。術式を一時的に止め、魔力の消費を抑えるのに必要な刃状の鞘はライティルに近い地面に突き立てられている。回収に行けば銃弾による熱烈な歓迎を受けることは間違いない。
三つの強化術式も同様だ。身体に流し込まれた魔力が付きた瞬間、恩恵を失うどころか反動のおまけまで付いてくる。そうなれば仁太には万に一つの勝ち目もない。
速やかに勝利し無くてはならない。しかし、
(なりふり構ってられないのは向こうも一緒ってわけか……)
仕込み銃の解禁。地下牢の戦闘では使用を躊躇っていたそれを、今は惜しげも無く四発も放ってきた。
残弾数はわからないが、甘く見積もるべきではない。今も五発目を放つため、こちらが木の陰から出る瞬間を待ち構えていることだろう。
この状況で、どう動くか。
いつまでも木の陰に身を隠しているわけにもいかない。ライティル側に隠し玉がある可能性も否定できないし、強化術式が切れれば仁太は一巻の終わり、さらに戦闘の音を聞きつけた赤の層の住人たちが襲撃してくるのも時間の問題だ。
一手だ。次の一手で勝負を決める。
意を決し、仁太は開眼する。身体に力を込める。そうして集中状態を解除すると、体感する時の流れが一瞬で正常に戻った。
(勝負だ、ライティル……!)
声には出さず、心中でつぶやく。軽率な発言を敵の耳に拾われて、こちらの動きがバレる危険性を考慮しての判断だった。
最後の一手、その行動を開始する。
短めですが、遅すぎる更新速度を誤魔化すための苦肉の策ということで一つ…