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神隠しの庭  作者: シルフェまたさぶろう
第二章 予見者と勇者様
59/77

その三十五

 空が赤い。その空は、ライティルが今までに見たどんな空よりも赤かった。

 センサーが普段示さない様な数値で気温を知らせてくる。遠方からはときおり地鳴りのような音が響き、そこに奇妙な鳴き声が混じることもあった。

ライティル=ディグリアが赤の層を訪れたのは、今回が初めてのことだった。

 不快な場所だった。騒がしく、暑く、息苦しい。ここはライティルの好みとはかけ離れている。一刻も早くこんな場所からは立ち去りたいところであったが、現状はライティルに選択の余地を与えなかった。

 まず、ここが赤の層であること。機械人間は基本的に青の層へと集結しており、いわば赤の層は勢力圏外だ。一部、機海賊団と何かしらの協定を結んだ者たちも存在するものの、大半の住人は敵だ。

 そう、敵なのだ。暴力を良しとする無法者たちの住まうのが、この赤の層である。彼ら無法者たちにとって、世界には味方か敵の二種類しか存在しない。敵とは獲物でもある。当然、味方ではないライティルは獲物として扱われる。ライティルの身体である義手、義足、そして鋼のボディーすらむしり取り、貧相な知能をフル稼働して鉄の棒にでも加工して武器とするのだろう。

 そんなことはごめんだ。若くして優秀な技術者であるライティル=ディグリアがこのようなところで命を落とすなど、冗談ではない。

 本来であれば、装甲人間のライティルは並の獣人ごときに遅れを取りはしなかった。だが現在、ライティルの身体は万全とはいえない状態にまで消耗していた。氷による拘束を解くために、ライティルが払った代償は大きかった。


 魔法による瞬間凍結。所詮は術法文明などという後進文明の奇術、と侮っていたライティルにとって、その威力は予測をはるかに上回るものだった。抵抗するまもなく、身動きが取れなくなっていた。強化人間程度であれば、ここで意識を失っていたことだろう。並大抵の装甲人間でも意識を保てるか怪しい。

 だが、上位の装甲人間であるライティルはかろうじて意識を保つことができた。おかげで脱出のための策を練る時間を得ることができた。

 意識があることを悟られないように気をつけつつ、ライティルは思考した。この氷の牢獄を打ち破る手段を。

 しかし、自身に備わった機能のなかに、この牢獄を打ち破れるものはなかった。もっとも、それは正規の用途、正規の出力であれば、の話だ。

 ライティルの出した答えは、全身の機能を想定出力を超えて使用しての瞬間最大出力。いわゆる力押しだ。

 普段のライティルであれば、まず出し得ない選択であった。こういった馬鹿げた戦法は第二部隊の領分である。

 馬鹿げているとわかった上でこの選択をしたのは、単純に他に手がなかったということもあるが、それ以上にプライドの問題であった。

 魔法ごときに屈したまま終わることだけは、絶対に許せなかったのだ。

 上位の装甲人間である自身に備わっている能力を総動員し、各部の異常加熱とリミッターを解除してのフルパワー駆動でやっとのこと氷を砕くことに成功したが、この無茶は相当堪えた。

 様々な部分が想定を超えた出力に悲鳴をあげ、下手をすれば義足が機能を停止していたかもしれないほどだ。

 幸い、氷を砕いた際に敵三人には隙が生まれた。よもや脱出するなどとは思っていなかったのだろう。ライティルも慢心ゆえに不意を突かれたが、それは敵も同じ事であったようだ。

 放熱の影響で損傷していた突風発生装置"風腕"だが、この状況では最善の一手と判断して展開。壊れることを覚悟して起動。敵を吹き飛ばし、その後は追撃せずに速やかに逃亡を図るつもりが、敵三人はこれに耐えてしまった。出力不足を疑ったが、確認する余裕はない。

 風腕を解けば、敵は間違いなく反撃をしてくる。そのため、ライティルは風腕を維持しつつ、別の手段を使用せざるを得なくなった。

 仕込み銃。奥の手だった。だが、これも失敗に終わったという他ない。必殺として放った銃弾は、しかし敵を殺すことはなく、3発の内2発も避けられる大失態となった。

 資材不足や加工の手間などから機海賊団における銃器・銃弾は貴重品であり、上級装甲人間であるライティルであっても気軽に使用できるものではない。3発と言えども、貴重なことに変わりはない。そんな秘蔵の銃弾を失い、しかも相手を仕留めることに失敗したのは反省すべき失態である。

 しかし、効果がなかったわけではない。足止めには十分な成果があったと判断し、ライティルはすぐさま逃げの行動へと移る。

 牢屋からの脱出ルートには、ゴブリムが使用した隠し通路を選択した。通路から脱出して部下と合流したいところだったが、魔術師が風に耐え、銃弾を回避した時点でその選択肢は破棄せざるを得なかった。

 実の所、あの拠点は、かつて何者かが住み、その後なにゆえか棄てられたとおもわれる島を拠点として再利用しただけであり、かつてその島に住んでいた者たちのことも知らなければ、島に隠された様々な仕掛けについても把握しきれていない。隠し通路も、ライティルの知らない仕掛けの一つであった。

 壁を破壊して隠し通路に入り、全力で走る。二人ほど横に並ぶのが限界の細く暗い通路が続く。やがて人工物と思しき螺旋の石階段をが現れた。暗い道であったが、装甲人間クラスともなれば暗視機能程度は標準装備されているため、問題はない。

 石階段を降った先には通路があり、その先にはあったのは地底湖だった。

 辺りに灯りもなにもないというのに、湖面は怪しげな輝きを放っている。水面に警戒しつつも急ぎ足で近づいたライティルが覗きこむと、湖底には太陽を思わせる丸い光源が見えた。

 光球の正体を知るべく、ライティルは自身のもつデータを検索する。強化人間クラスにも配られる一般知識のデータ内に、目の前の光球の正体を示すものがあった。転移ゲートだ。場所と持続時間から考えるに、これは定期転移ゲートと呼ばれる、一定周期で発生する転移ゲートだとわかった。

 光の奥に揺れる、炎のような赤色の光は、ゲートの行き先が赤の層であると告げていた。

 赤の層。暴力を肯定する狂人たちの集う世界。そのほとんどが道理の通じぬ無法者ばかりだが、少数ながらも機海賊団と協定を結んでいる者たちもいるらしい。

 危険な場所ではあったが、緑の層に逃げこむよりも遥かに都合が良い。何より、転移先が開けた場所であれば、仮に魔術師たちが追ってきても容易に撒くことができるかもしれない。

 ライティルは湖に身を投げる。金属の身体は水に浮くことはないが、装甲人間クラスには水中で活動するための最低限の機能が備わっている。

 海賊をやっておきながら、体長の何倍もの深さを持つ水に沈むのは初めての経験であった。しかしライティルに恐怖はなかった。

 着水した次の瞬間には、ライティルは不思議な感覚に包まれた。視界が白に染まり、水中にいるとは思えない、暖かな浮遊感のような、しかしどこか歪んでいるようでもある、そんな形容しがたい感覚だった。

 2,3秒の後、再び身体に別な感覚が襲いかかってくる。それが水中にいる感覚なのだと理解する頃には、ライティルの両の足は湖底に降り立っていた。

 後方3,4メートル、さらに上方数メートルの位置に、先ほどと似た光球があった。しかし、光球の上には覆い隠すような岩の天井があり、さらに光球の奥に揺らめくのは青色の光が見える。

 転移前同様に水中だったが、周囲の景色が明らかに違う。ここが赤の層であるとライティルはすぐに理解した。初めての転移は、あっけなく終わった。

 少し湖底を歩くと、上方から転移ゲートとは別の光が差してきていることに気づいた。機械の脚に付いた小型スクリューを使い、ライティルは機械の体を浮き上がらせる。

 湖面から慎重に顔を出し、周囲を見回す。案の定、岸のところにゴブリムの姿があった。その横には、筋肉の塊とでも形容すべきゴリラのような獣人数名の姿がある。データベースで検索すると、あれはタイラーンと呼ばれる種族であるとの情報が得られた。まともにやりあうには分が悪い相手である、ということも分かった。

 慎重に別の岸を探し、そこから上陸。そのまま近くの密林へと姿を隠し、ライティルはその場を後にした。


 こうして今に至る。

 先ほどの無理が祟り、光学迷彩も使用出来なくなっていた。その他、いくらかの機能が十分に機能しないことも確認済み。

 幸い、通信機能は生きていたが、近くに機械人間がいないことがわかっただけで、大した成果は得られなかった。

 機械人間の通信機能は単体でも十数キロの範囲をカバーでき、さらに各々が中継点となることで、衛星を打ち上げたりアンテナ等を設置しなくとも広範囲をカバーできるというもので、青の層ほどの機械人間の人口であれば、ほぼ全域をカバーできるといって良い。が、当然ながら人がいなければ通信可能範囲には限界が生まれる。

 戦闘をするにしても、この身体は既に限界が近い。ライティルの見立てでは、並の獣人4,5人程度であれば対処できる程度の力は残っているが、連戦は厳しく、また強力な個体と相対しては敗北も有り得る。戦闘中に予期せぬ不具合が発生する可能性もあり、そうなれば並の獣人にすら負けかねない。

 ライティルに残された選択肢は二つ。無事だった右腕の洗脳装置で住人を配下に置いて匿わせるか、赤の層にいる"誘導係"に連絡して保護してもらうかのどちらかだ。

 右腕の洗脳装置は一対一であれば強力だが、一体多の戦闘では隙が大きすぎる。左腕の風腕が万全であればやりようもあったのだが、出力と安定性の低下した現状では風腕は極力使用をしない方向で行く必要がある。単独行動している住人が都合よくいればよいのだが、この危険な赤の層で単独行動を取れる者はそう多くないため望みは薄い。

 よって、二つある選択肢の内、片方は望みが薄い。どこにいるともわからない連絡員を探しつつ、可能であれば洗脳できる住人を探す、というのが今後の方針となる。

(あいつらに頼るのは実に不愉快だけどね……)

 自分がこれから頼る相手のことを考え、ライティルは苦虫を噛み潰したような顔になった。

 連絡員とは、機海賊団第一部隊所属の中でも特に優れた機械人間が任される役で、緑の層、赤の層に転移してきたばかりの機械人間たちを誘導するのが主な仕事としている。

 黙々と仕事をこなし、対応も全てが機械的で、意思の感じられない人形のような存在。ライティルは彼らを、人の形をした誘導灯だと考え、ひどく嫌っていた。他者の意思をねじ曲げることに快楽を感じるライティルにとって、意思を持たぬ者は自分に何も与えることのできない退屈な存在だからだ。

(それよりも、だ)

 周囲にひと気のないことを確認しつつ、ライティルは木の影に腰を下ろす。

 疲れを知らない機械の身体と言えども、精神的な疲れまでは軽減できない。意図的に脳からストレスを排除することも装甲人間クラスの機械人間にはできるのだが、自身の意思を曲げることはライティルにとって不愉快なことであるため、したことはなかった。

 疲れの原因は、赤の層にいるという緊張もあるが、それ以上に大きいのは追跡者の可能性だった。魔法使い、あるいは魔術師が自分を追ってきている可能性がある。

 先程の不覚の理由は魔法使いが奇襲してきたという点にある。魔法は強力な攻撃手段であり、虚を突かれては如何に装甲人間といえども為す術はない。ゆえに、追跡の可能性が0でない以上、先手を取られない様、常に意識する必要がある。それが重圧となってライティルを緊張させる。

 こうして足を止めたのは、移動しながらよりも一箇所にとどまりながらのほうが自分に接近する者の存在を察知しやすく、迎撃もしやすいと踏んだからだ。赤の層の地理情報は持ち合わせていないため、下手に動いて逃げ場所のないところで迷いこむよりは、まずは追跡者の可能性に対処するほうが得策である。

 周囲の警戒をしつつ、ついでに身体の破損状況も詳しく確認しておく。機械の身体にとって、予期せぬ不具合は命取りになりかねない。

 と、その時だった。遠くで地面の草を踏みしめる音……すなわち足音がしたのを、ライティルの耳が捉えた。それは次第に大きくなり、確かにこちらへと近付いて来ていた。

(こちらの位置がわかっている……?)

 迷いなく、足音の主はライティルへと近づいてくる。ただし、足音は一人分のみ。魔術師か、魔法使いか、あるいは住人のいずれかが、一人でこちらへと近づいてくる。

 住人であれば好都合。先ほどの魔術師であっても、なんとかなるだろう。

 危険なのは、あの女魔法使いだ。魔法一種につき一日一度の制約のため、先ほどのような空間隔離や瞬間凍結を使われることはないが、他にどのような攻撃魔法を持っているかわからない。

 足音はライティルの背後、背中を預けている木の裏側から聞こえてくる。ライティルは立ち上がり、敵の姿を目視するために木の陰で身構える。

 木の裏側は開けた場所になっている。ライティルの装備は遮蔽物に弱いため、休む際にあえてこの場所を選んだ。敵はここで迎え撃つ。

 これは賭けだ。相手が魔法使いで、今この瞬間にこちらの射程外から魔法を打ち込んでくれば大打撃を被ることになるが、住人や魔術師であれば、洗脳して支配下におくことで今後の活動が楽になるというメリットがある。

 もっとも、賭けに負けた場合…‥すなわち、敵があの女魔法使いであった場合でも、ライティルに得るものがないわけではない。

 不意打ちであろうと、女魔法使いはライティルに土を付けたのだ。先ほどの不意打ち返しもあわせて、一勝一敗。ドローだ。

 プライドの高いライティルは、決着をつける場を心の片隅で欲していた。

(今度こそ屈服させる。俺の右手にかかれば魔法使いだろうと肉人形も同然。それにあの女はなかなかの上玉……色々と楽しみがいがありそうだ)

 赤の層から無事帰還できた暁には、あのエルヴィンよりも酷い辱めをしなければ気が済まない。装甲人間に挑んだ愚かしさを後悔できるよう、意識を残して身体の自由を奪う暗示を掛けて、何度も犯し続けてやる。屈辱に耐えかね死を願うようになるまで追い詰めて、その上でさらに───。

 腹の底から湧き上がる黒い欲望を抑えつつ、ライティルは身構える。全ては勝利してから考えること。そもそも、相手が女魔法使いであると決まったわけではない。今すべき事は妄想ではなく警戒だ。

(さあ、誰だ……? 誰が来る……!?)

 女魔法使いか? 魔術師か? あるいは住人か?

 足音はすぐそこまで迫っている。

 が、魔法が発動する気配はない。ライティルは変わらずその場に存在し、突如炎上することもなければ、足元が消失することも、あるいは周囲もろとも跡形もなく虚空へと消えることもない。

 内心、がっかりしている自分に気づいたライティルだが、一応警戒を解くことはしない。

 唐突に、足音が切れる。

 短い静寂。一拍置いて木の陰から姿を現した追跡者の正体に、ライティルは驚いた。

「……なんだ、君か」

 少年だった。拠点の地下でセナに勝利した少年。確か、勇者様などと呼ばれていたか。

「驚いたよ。まさか君が来るとは思っても見なかった」

 落胆を隠そうともせず、ライティルはこれみよがしにため息を吐いてみせた。

 小細工一つで魔術師に勝利する度胸は確かに勇ましくもあるだろう。しかし、ライティルからすればおもちゃを手にしたただの少年だ。心の奥底で魔法使いへのリベンジを望んでいたライティルにとって、魔術師や獣人にも劣る少年の登場は肩透かしにも程がある。

 びしょ濡れの少年の手にはコンパスのような物体、そして一本のナイフ。

 コンパスもどきの正体は探知機だ。セナを探すときに使ったものを、ライティル用に設定しなおしたのだろう。

 おそらく氷の牢獄から脱出する際に、髪が数本抜け落ちたのだろう。あの場には魔術師もいた。探知機の設定を変えるのは造作も無いはずだ。

 少年自体は大したことはないが、探知機の存在は無視できない脅威だ。探知可能期間が切れる数日後まで、敵はライティルの位置を把握し続けることができるのだ。一方的に相手に位置を知られるのだから、不利でないはずがない。

 とはいえ探知機を持って現れたのが少年一人であったのは好都合だった。相手がこの少年であれば、探知機を奪うのも破壊するのも実に容易い。もし魔法使いが来ていたら、ライティルは彼女の姿を見ることすらできずに遠距離から魔法で狙い撃ちされたはずなのだから。

 もっとも、"好都合"なのは、このまま少年が戦闘を仕掛けてきた場合に限る。

 現在、ライティルと少年の間にはそこそこの距離がある。加えてライティルの身体は万全ではない。

 ここで少年が回れ右をして全力で逃走を始めた場合、ライティルは少年を追わなければならないが、しかし場所が悪い。木々のせいで視界が悪く、直線距離でもないため下手に義足の出力を上げても、木に体当たりをかます羽目になる。いずれ追いつくにせよ、大きく時間を取られてしまい、激しく消耗することとなるだろう。

 そういうわけで、ライティルが最小の消費で最大の利益を生むためには、目の前の少年が愚かにも戦いを挑んでくる必要があるのだ。

 なんとしてでも、このまま逃げられる訳にはいかない。

「もしかして君、俺と戦うつもりでここまで来たの?」

 挑発。それが、ライティルの思考が弾きだした最善策だ。

 先ほどの戦闘から見て、この少年は少年らしい青臭さの持ち主だった。短絡的で、感情的で、無謀だが、そのくせ実力が伴わない。たかだか女を洗脳した程度のことで激昂し、ナイフ一本で魔術師と装甲人間に勝負を挑むなど、本来ならば無謀にも程がある選択だ。

「あれかな、セナの代わりに俺がお前を倒してやる~ってとこ? ははは、熱いねぇ! 青いねぇ!」

 先程よりも芝居気の強い仕草を意識する。露骨に相手を見下し、女の名前を出せばこの少年が激怒するはずだ。

「せっかくだからお話でもしようよ。俺がセナとどんな愉しいことをしたか──」

「もういいって、そういうの」

 上機嫌で挑発を続けるライティルを遮るように、少年が口を開いた。

 低い、とても低い声で、少年は言う。

「下手な挑発、無理にしなくていいから」

「……なに?」

「俺に逃げられると困るんだろう? だから口を動かすことに必死になる」

 分を弁えない少年の言動に、ライティルは苛立ちを感じ始めた。あろうことか、強化人間未満のガキが、装甲人間に生意気な口を聞いている。許されることではない。

 挑発を返されて怒ることの恥ずかしさに、ライティルは気づかない。予期せぬ少年の言葉に、ライティルは冷静さを欠いていた。

「へぇ……逃げる気はない、と」

 面白いことを言う。挑発の手間は省けたのは確かだが、まさかこれほど愚かとは。

「逃げないで何する気? まさか、その手に持ったナイフで、今度は俺に勝つつもり?」

「まさか……か。意外と物分りが悪いんだな、装甲人間って」

 小馬鹿にする様に小さく笑い、少年が走りだす。

 ここまで追ってきた疲れのためか、セナと対峙した時よりも動きが遅い。生身の身体ゆえの不便に、ライティルは同情すら覚える。

 走りだすと同時に、少年の手にしていた探知機は勢い良く放り出され、背後の茂みの中に消えた。少年を無視して、投げられた探知機の破壊を優先することもできたが、ライティルはあえて少年の迎撃を選択した。小煩いハエは先に叩くに限るのだ。

「君こそ──」

 嘲るように、ライティルが叫ぶ。

 風腕を展開。

「成長のない奴だね!」

 少年との間に木々はない。風腕を使用するには十分過ぎる状況だといえる。

 仮に少年が賢い人間であったならば、広場に出ず、周囲の木々の合間を縫って来ティルの背後に回りこむように走るべきであった。その程度のことさえも思いつかない少年を、ライティルは完全に見下していた。

(ただ突っ込むばかりの下等人間め!)

 起動。突き出した左腕が唸る。自壊しない程度に抑えつつも、ただの人間を吹き飛ばすには些か過剰な出力に調整。先ほどのようなヘマはしない。

 荒れ狂う突風が走り、少年の身体を飲み込む。耐えられるはずもなく、少年の身体は後方へと───

「……あれ?」

 吹き飛ぶことはなかった。少年は両の足を大地に付け、その一撃に耐えてみせた。

「そんな……! なぜ耐えられる!?」

 出力は十分な威力に設定されている。それは間違いない。

(あり得ない……! 鍛えた成人男性にだって耐えられない威力にしたはず!?)

 だが、少年は耐えている。風に押し負けて少しずつ後退してはいるが、吹き飛ぶ気配は、ない。

 なぜ耐えられる? どんな鍛え方をしたとて、生身の人間には限界がある。その限界を超えた出力に耐えられるのは、人を超えた身体能力を持つ獣人か、あるいは魔術の───

(そうか、肉体強化術式!)

 この時、ライティルは理解した。拠点地下での出来事、その本当の原因を。

 風腕に敵の三人が耐えたのは、風腕の出力が不安定だったからではない。あの時、既に三人は肉体強化を施されていたのだ。

 つまり、少年は現在、生身の人間の限界を超えた身体能力を有している。風腕に耐えうるだけの強力な身体能力を。

 走るのが遅かったのも、演技だ。ライティルが風腕を使わなければ適当な距離で加速し、こちらの虚を突く魂胆だったのだろう。

「本当に小細工が好きだねぇ君は!」

 もはや出し惜しみする場合ではない。右腕を構え、指先の仕込み銃を発砲。貴重な弾丸が、また一つ消費された。

 しかし、放たれた弾丸が抉り取ったのは、人肉ではなく土だった。

 風腕に動きを拘束されたはずの少年が左に跳び、弾丸は空を切って地を抉ったのだ。

 風腕の範囲外へと出た少年は、爆発的な加速をもってライティルへと迫りくる。大地を蹴って土を巻き上げ、先ほどとはまるで別種の生き物のような速度で少年は駆ける。

 予想外の事態にライティルは焦りを感じていた。雑魚同然と見下していた少年が、並の獣人に近い身体能力を有している。さらに、少年はこちらの風腕と仕込み銃、そして洗脳装置の存在を知っている。思っていたよりもずっと厄介な相手だ。

 再度、左腕を少年へと向けて風腕を発動。出力を数段階上げる。理論上、身体能力に特化した獣人すらも吹き飛ばすか、そうでなくとも動きを封じられるほどの強力な風力だ。

 放たれた風が轟音とともに走る。

 しかし、突風が少年を捉えることはなかった。

「跳ん……ッ!?」

 少年、跳躍。

 魔術によって強化された脚力が、少年の身体を砲弾のように大地より撃ち放つ。左右ではなく、上への回避行動。

 鳥型獣人のように翼を持つならばいざ知らず、ただの人間が宙空へと退避するのはあまり賢い選択とはいえない。滞空中はろくな回避行動も取れず、着地には多かれ少なかれ隙が生じる。それゆえ、ライティルは無意識の内に、少年が空中へと逃げるという選択肢を思考から排除していた。

 想定を超えた回避行動にライティルは一瞬呆気にとられたが、すぐさま我に返ると少年を迎撃すべく、少年の姿を目 追おうとする。空中では踏ん張ることができない。風腕に耐えることなど到底不可能だ。

「……ハッ、調子に乗って! 墓穴だよ、それは!」

 風腕を停止、腕部は展開したままの状態で少年へと狙いを定め──

 その時、少年の胸のあたりでキラリと光を反射するものが見えた。

(何かを投げた!?)

 咄嗟に首を横に逸らしたライティルの髪が数本、宙を舞う。

 銀の軌跡。おそらくは、刃。ナイフの刃だ。

「チィッ……!!」

 唯一の武器の投擲。再びの予想外の行動に、ライティルは怯んだ。

 装甲人間唯一の弱点とも言える頭部。完全な機械化が許されていない装甲人間の頭部、そこへの刺突は、いかにライティルであっても避けなくては危険だった。

 ライティルの頭部の仕様は、多少の強化によって衝撃への耐性は高めてはあるが、その反面、斬撃あるいは刺突には滅法弱い。

 知ってか知らずか。少年の攻撃は、当たっていれば有効打であった。

(こいつ、わかっているのか!?)

 トスッ、と背後でナイフが地面に突き刺さる音が聞こえた少し後に、更に大きなドスッという着地音が耳に届いた。

 一見無謀に思えた少年の跳躍は、しかし見事に成功した。一瞬の隙が、相手の賭けを成功させてしまった。

 ライティルの頭上を飛び越して着地した少年だが、跳躍前よりも距離を詰めている。

 勢い良く反転した少年が走りだす。

 遅れながらも振り返り、風腕を構えるライティル。

 だが、そこでライティルは再び目にする。動作を終えた少年の右腕を。

 そして、こちらに向けて飛来する"何か"を。

(またナイフ……ッ!?)

 目を抉らんと襲い来る刃を、すんでのところで避けようと頭を逸らす。

 今度はナイフに気づくのが遅すぎた。完全な回避はできず、刃は右耳を抉り取って背後へと消えた。

 痛みはない。一定以上を超えた痛みが生じた時、痛覚は自動でカットされる。機械人間の基本的な機能の一つだ。

 直撃を避け、大きなダメージには至らなかったが、十分過ぎる隙を晒すこととなったのは事実だ。

(ナイフは二本あったのか!? いや──)

 その隙を逃すはずもなく、少年は一気に接近していた。その手に握られるのは、

(三本目のナイフ!)

 少年の手に、逆手に持ったナイフの柄が見えた。最初に少年が持っていたものと同じデザインだ。三本全てがスタンガンナイフなのか、あるいは二本はダミーなのかはわからないが、ライティルには、たとえ頭部に命中したとしてもスタンガンは効かないため、気にかけるほどのことではない。

 少年の動作は、一回目の投擲後、残りの滞空時間に二、三本目のナイフを取り出し、振り返ると同時に一本を投げたといったところだろう。ただの少年にしては手際が良いほうだといえる。

 接近した少年は、既に風腕を使うにはリスクの高いほどの距離まで近づいていた。もはや風腕での迎撃は困難な距離だった。

 展開した腕を元に戻し、ほんの数メートル先にいる少年への対処を思考する。もはや少年の攻撃範囲がライティルを捉えるまで一秒もない。

 偶然か、あるいは狙ってか、少年の攻撃はライティルの弱点を狙っていた。もし、少年がライティルの弱点を知っていたとすれば、この状況はもはや楽観視出来るものではない。

 ゆえにライティルは思考する。慢心が招いた現状に対する最善手を。

 意識を集中する。一部の標準機能を除き脳の強化を許されていない装甲人間のライティルだが、持ち前の優れた頭脳を持ってすれば、常人の数倍の速度で思考を展開する程度のことは容易い。

(こうなると逃げることはできない。でも、洗脳装置を一発刺しちゃえば俺の勝ちは間違いない。必要なのは、洗脳装置を確定させる状況……少年が隙を晒した状況。どうやって隙を生じさせるか? 単に攻撃を回避しただけでは、今の少年の速度なら、こちらからの反撃を受ける前に距離を取ることが可能だろう。避けるんじゃダメだ、弾く、あるいは受け止めなくちゃあね。……弾く? ……ははは! なぁんだ、簡単じゃないか!!)

 二度の投擲ナイフに集中力を奪われていたがゆえに、単純な事実を見落としていた。

 機械の身体にナイフは通用しない。唯一の弱点である頭部を除いては。それは逆に言えば、頭部以外であればナイフなど恐れる必要はないということ。仮にスタンガンナイフであったとしても、それは変わらない。

 少年がこちらの弱点を知っていようと、知らなかろうと、関係ない。ライティルはただ、冷静に頭部さえ守ればいいのだ。

 腕部による、頭部の防御。ナイフを通さぬ鋼鉄の腕で、頭部を守りさえすれば、ナイフは決して頭部に届くことはない。

 少年が眼前に迫る。静かに怒りに燃える眼光が、ライティルの頭部へと突き出される。ナイフを持った手が、迫る攻撃の時に備えて構えられる。

(間に合え……!)

 ライティルが、機械の腕に指令を送る。

 ここで少年が更なる加速を残していたとしたら、この防御行動は間に合わない。

 そして、少年は──

「あはッ!」

 これ以上の加速を残してなどいなかった。

 その証拠に、防御行動は間に合った。二本の腕が、確かにライティルと頭部と少年との間を遮り、鉄壁の防御となってナイフを迎え撃つ準備が整った。

 この時、勝負は決した。

 遮断される視界。だが、その直前にライティルは見た。既に攻撃動作に入ってしまったナイフを。

「俺の勝ちだ!!」

 勝利への確信に、ライティルは思わず声を上げた。

 その直後に、金属と金属がぶつかり弾き合う、小気味良い音が響く。


 はずだった。

 しかし、いつまで経ってもその時は来ない。

 腕に感じるであろう衝撃も。体勢を崩した少年が地を転がる音も。

 聞こえるはずの音が、来るであろう感触が、起こるであろう現象が、何一つ、ない。

 明らかな異常事態。少なくとも、ライティルの思い描いた展開とは異なる自体が起きている。

 だが彼は、自身の勝利の要である両の腕をどけようとはしなかった。

 実際のところ、彼はこと戦闘に関しては素人だったのだ。

 強力な機械の身体を持ち、優秀な頭脳を持っていても、部下の機械人間から集めた戦闘データを持っていたとしても、自分自身の実戦経験などは片手で数える程度しかない。

 彼は知らないのだ。実戦で起こりうる不慮の事態を。敵が繰り出す機転を。

 戦いにおける定石しか知らず、実戦で起こりうる偶然の要素など考えたこともなかった。

 ゆえに、この異常な状況であっても行動を起こさない。それどころか、この状況が彼にとって異常だということにすら思い至らない。

 そんな中、ただ一つ耳に届いたのは、少し長めのただただ耳障りな金属音。

 不意に身体が傾く感覚に襲われるその時まで、ライティルは自身の勝利を信じて疑うことはなかった。


ほぼ月一更新と化していて非常に申し訳ないです…。


ボス戦と言いつつボス視点です。

機械人間側の視点なので、仁太側の視点ではわからないことを、特に機械人間の仕様について自然に説明する機会だと思ったのですが、結局あんまり書けませんでした。

情報を必要に応じて小出しにするのは後付け設定っぽくて嫌なのですが、かといって読む側も黒歴史ノートみたいな設定の説明ばかり読まされても楽しくないでしょうから…加減が難しい。

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