その三十四
援軍の登場に、地下牢の戦局は一転した。
仁太を容易く追い詰めたライティルだったが、突如出現した魔法使いの一撃──魔法使いなのに何故か蹴り──によって部屋の端まで転がっていった。
「ちょっと威力が弱いわね。ダムダ、あんた手ぇ抜いたでしょ」
不意打ちを成功させたにも関わらずアルミラが不機嫌そうな声で言う。
仁太は耳を疑った。人一人を数メートル吹き飛ばした人間の言葉とは思えなかったからだ。素人目に見ても、あの一撃は十分過ぎる威力のように見えたのだが。
クーゼ村の魔術師ダムダに向けられたアルミラの言葉は、彼女の蹴りが魔術師ダムダによる肉体強化の術式でサポートされていることを示していた。以前仁太も体験したことのある術式で、被術者の身体能力を強化する効果を持つ。反動によるダメージも存在するため、術の解除時にはアルミラにも相応の負荷が掛かるはずなのだが、彼女には反動を恐れる様子など微塵もない。
「全力で蹴ったのに、あいつ死んでない」
「前に七島同盟の連中に頼まれたこと忘れたのか。機海賊団の幹部クラスは生け捕りにしろって言われただろ」
ダムダがため息混じりに言った。彼は戦闘には参加せず、傷ついた仁太を抱き起こしながら怪我の確認をはじめる。
「大したことはないな。これならすぐに治る」
そう言って、ダムダは治癒の術式を掛けた。これも以前経験したことがある。身体強化の類であり、即効性はないが、術式が続く限り肉体の自然回復速度が上昇するというものだ。
「頼まれたって……何年前の話よ、それ。あんたも律儀ね」
そう言いながら、アルミラは二枚の紙片を取り出す。二つの分割された魔方陣が書かれた、魔法を発動するための紙片。アルミラがこれを合わせると、二枚はあたかも一枚にでもなったかのようにぴたりとくっついて離れず、彼女はこれをライティルに向けて投げつけた。
一方、吹き飛ばされたライティルも起き上がりつつあった。不意打ち、かつ魔術で強化された全力の蹴りを受けてなお、大きなダメージを受けた様子はない。
「この威力……魔術かな」
余裕を感じさせる笑みを浮かべながら、ライティルは左腕を構える。
仁太を吹き飛ばした"突風"の機能を使うべく、左腕が展開する。
「術法文明人風情が、装甲人間に勝てるとで──!」
その時、突然ライティルの言葉が切れた。
口を動かすことをやめたのではない。仁太の目には、たしかに彼の口が動き続けるところが見えていた。ただ、声が、音だけが唐突に消えた。あたかも音楽プレイヤーからイヤホンを引っこ抜いたかのような、あまりにも不自然過ぎるぶつ切りの声。
ライティルの声が途切れるのとほぼ同じタイミングで、アルミラの投げた紙片が消滅、その周辺の空間が陽炎の様に揺らめいたことも、仁太の目は確かに見ていた。
続いてライティルの左腕から突風が発生する。
──否、発生した"はず"だった。
しかし、仁太に突風は届かない。前髪一つ揺らされない。先ほどのような風の唸る音も聞こえない。
目の前に広がる光景は奇妙なものだった。確かにライティルの腕から突風は出ていたのだろう。その証拠に、彼の髪は余波で揺れているし、足元に転がる小石や塵などは風に舞っている。確かに彼の周りには、突風の余波が見て取れるのだ。
だが、ある一定の位置を境にして、突風の影響は一切なくなっていた。見えない境界線のこちら側、つまり仁太のいる側では、塵ひとつ舞っていない。それどころか突風に押されてその境まで転がってきた塵や小石が、境界に触れて消滅しているではないか。
そこには見えない"壁"が、確かに存在していた。これがアルミラの使用した魔法の効果であることは、もはや疑いようがない。このような怪現象を起こせるのは、魔法か精霊術かのどちらかであることを仁太は理解していた。
やっと"壁"の存在に気づいたのだろう、ライティルの左腕が機能を止め、少し遅れて"壁"の向こう側の風も収まる。
さきほどまで余裕の表情を浮かべていた装甲人間の少年の顔には、驚愕の二文字が張り付いていた。
パクパクと、ライティルの口が動く。やはり声は聞こえない。が、言っていることは彼の表情が語っている。
『バカな』、といったところだろう。
再度、左腕が展開。風を巻き起こすも、やはり"壁"によって阻まれる。突風によって巻き起こる砂埃も、轟音も、衝撃も、全ては"壁"の向こうの出来事。不思議な感覚だった。まるでテレビでも見ているかのような、そんな錯覚さえ覚えるほどに、"壁"によって分かたれた空間は遠く思える。
「無駄よ。そっちから私達に危害を加えることは不可能。声すら届かない。もっとも、こっちからはやりたい放題だけど」
その言葉通り、アルミラの声は"壁"の向こうにいるライティルに届くようだ。彼は何か喋りながら足元の小石を蹴りつけるが、"壁"が丁寧にそれを阻む。正確には、"壁"に触れた石が突如消滅した。
その姿を、アルミラは嗤う。必要以上に余裕を見せつけるかのような動作で、彼女は袖口から新たに四枚の紙片を取り出した。それを先程同様二枚ずつ繋ぎ合わせ、合計二枚の紙にする。
「魔法とは、世界の力。機械文明人風情が叶うとでも思ったのかしら?」
くすり、とアルミラは小さく笑う。仁太の位置からでは見えなかったが、おそらく彼女は微笑んでいたと思えた。嗜虐に満ちた笑み。
"壁"の向こうのライティルが怯むのが見て取れた。
「……本当はもっとじわじわ追い詰めて泣いて謝罪するまで苛め倒すつもりだったけど、勢い余って殺しちゃいそうだから」
言動とは真逆に淑女でも気取るような優雅な仕草で、女魔法使いは勢い良く二枚になった紙片をを投げつける。
「はい、おっしまい」
結果も見ずに最後仁太たちの方へと向き直る。投げられた紙片は"壁"を超え、少し飛んだ後、術式を発動させた。
"壁"の向こう側が一瞬のうちに氷に閉ざされる。まるで容器の中の水を凍らせるが如く、部屋の半分がライティルごと氷漬けとなった。
続いて二枚目の紙片に書かれた術式の効果が発動。巨大な氷の内、ライティルの周辺を除いた氷が砕け、その大半が"壁"に吸い込まれるように消えていった。
最後には、氷漬けのライティルといくらかの氷片が残った。
質量保存の法則をあざ笑う荒唐無稽な光景だったが、仁太はもはや驚きもなく、ただその光景を受け入れた。
空間跳躍、"壁"と立て続けに見せられては、氷結魔法は"できて当然"くらいに思えてしまうのだった。そんな自分の落ち着き様に、仁太は段々と神隠しの庭という世界に適応していることを自覚させられた。
「それで、そっちの子はどうなのよ」
仁太とダムダの近くまで歩み、床に腰を下ろしつつアルミラが尋ねた。そっちの子とは、セナのことだ。
依然、セナは気絶したまま目を覚まさない。実のところ、セナに放ったギミックナイフのスタンガン機能の威力を、仁太は正しく把握していなかった。動作保証されたものをそのまま使ったに過ぎないのだ。どうせ使う相手は機械人間になるだろうと考えていた、というのもある。
「気絶しているだけのようだ」
それゆえ、ダムダの言葉に一番安心したのは他ならぬ仁太であった。ライティルの脅威が去り、セナの無事が判明したこの時、はじめて仁太は一息つくことができた。
「あの、ダムダさん、アルミラさん。助けてくれてありがとうございました」
二人の恩人に向き直ると、仁太は礼の言葉を口にした。
「ああ、別にいいわよ。さっきも言ったけど、私達が勝手にやったことだから」
「そういうこと。頼まれてもいないことをしたのは俺達のほうだ。お前はむしろ怒ってもいいんだぜ? 余計なことをするな、ってな」
当たり前のように二人は言ってのける。感謝の言葉などに微塵も興味はないという風に。
助けたいから助ける。根底にあるのは仁太がセナに対して向けたものと同じなのだ。ただし、そこには大きな違いが存在する。仁太はこうして他人の力を借りなくてはならないのに対して、彼らは己の力のみで目標を達成できることだ。
彼らのようになりたい。素直に、仁太はそう思ったが、それはきっと敵わぬことであると仁太は知っていた。何人もの協力者を得てもなお、目標を達成することのできなかったのだから。アルミラとダムダは憧れるべき対象であると同時に、仁太の無力さを告げに来た非常な現実でもある。少なくとも仁太はそう考えた。
「余計なことだなんて、そんな……。一歩間違えれば俺まで洗脳されてるところでした。本当に助かりましたよ」
念を押すように感謝の言葉を重ねる。それは感謝の気持ちから来るものというよりは、仁太自身が少しでも気を楽にするためのものであった。感謝は現状の仁太にできる唯一の事であり、それを奪われることだけは避けたいという、卑しい気持ちがあったのだ。
ひと通り礼の言葉を述べたあと、仁太は話題を変えることにした。
「ところで、なぜ助けに来れたんです?」
「来た、じゃなくて、来れた?」
それは二人が助けに現れた時に生まれた疑問だった。おかしな訊き方に、アルミラが尋ね返してきた。
「はい。俺がここで追い詰められてることを、どうやって知ったのか、ということです。来る来ない以前に、俺がピンチだと知る必要があるじゃないですか」
「ああ、そういうことね。見てたからよ。あんたの視界、つまり、あんたが目で見たことを。全部」
「見て……ええ!?」
予想だにしない回答に驚く仁太。アルミラはきょとんとして、
「あら。そんなに驚くところ?」
「そ、そりゃ驚きますよ! そんなことまでできるんですか!?」
「ははは、まあ当然の反応だな。俺も初めて知ったときは驚いたもんさ」
言って、ダムダが笑う。仁太にしてみれば、これは笑い事ではないのだが。
「安心しなさい。今回は音声までは拾ってなかったから」
「……そっちも拾えることに驚きですよ」
魔法は無茶苦茶だ、と改めて仁太は思う。魔法使いにプライバシーという概念はないようだ。
「ま、そういうわけだからこの子の状態について、わかる限りで説明してくれ。洗脳されたってことはわかってるんだが、できれば方法に関しても知ってる限り教えてもらいたい」
仁太が落ち着くのを待ってから、ダムダが床に寝かせたセナを指して言う。視覚情報だけでは、ライティルが得意げに語っていたセナの洗脳についての話は伝わっていない。仁太の口から伝える必要があった。
つい先程のことだというのに、ライティルとの会話がひどく昔のことのように思える。記憶を掘り起こしながら、仁太は説明に適した言葉を探す。
「えーと……、脳を直接弄り、人格を操作したらしいです。傷を付けるのではなくて、作り変えるのだと」
「傷をつけたわけではないと明言したのか?」
「はい。腕を切り落として、その腕を燃やしたあとに別の腕をくっつけるとか……」
「うげぇ……グロテスクな例えね……。気持ち悪っ」
説明を聞いたアルミラが顔をしかめた。一方、ダムダは何か気になるところがあるようで、その表情は険しい。
「……傷ではないとあえて明言しているところが実にいやらしい。野郎、わかってて言ってやがる」
「と、言うと?」
「傷ではないから、魔術では治せないということだ。魔術にできることは自然治癒の力を上げることのみだからな。自然に治らないものを治したりはできない」
切り落とされた腕が生えてこないように、破壊された人格は戻らない。魔術は万能でない。そういうことだった。
「魔法でも無理なんですか?」
「ん? ……ああ、無理だ。魔法は良くも悪くも巨大過ぎるからな。回復魔法というのは難しい」
そう答えるダムダの口調は、少し歯切れが悪い。一瞬、ダムダの目がアルミラに向けられたが、彼女のほうは特に反応を示さない。疑問に思う仁太だったが、その思考を遮るようにダムダが再び口を開く。
「だが、あの装甲人間はまだ生きている。奴には治せるのだろう?」
「そのはずですが……、え、それを訊くってことは、じゃあ……!」
「そうだ」
意図を察した仁太に、魔術師はニッと笑いかける。
「あいつに治させればいい。洗脳には洗脳だ。機械文明のものほど強力ではないが、魔術にだって洗脳くらいはある」
勢い任せでセナに催眠術を使ってでも普通の生活に戻すなどと言っていた仁太にとって、これは朗報であった。
そもそも催眠術などというものがあるという確証すらなかったのだが、その存在が魔術師の口から保証されると同時に、セナに使うまでもないということが判明したのだ。
「じゃ、じゃあ、早速あいつにやらせましょうよ! 地上にいるパステパスの人たちに、今のセナを見せて心配させるわけにもいきませんし」
「それは無理よー」
今まで黙って話を聞いていたアルミラが口を挟んだ。彼女は意地悪く笑みを浮かべながらダムダに視線を送っている。その視線を受けたダムダは気まずそうに目をそらした。
「そいつ、催眠術式は使えないのよ」
「え……、そうなんですかダムダさん? 使えないのに、そんな事言ったんですか……?」
「……ああ。だ、だが、使える奴なら七島同盟にいるはずだから問題無いだろ! なんだその目は、俺は間違ったこと言ってないのに!」
仁太の責めるような視線に耐えかね、狼狽え、叫ぶダムダ。地下牢の中で声が反響する。
意外にも声が響いたことに驚き、三人は思わず口を閉じた。一瞬の静寂の後、はじめに口を開いたのはアルミラだった。
「今の声、外の通路まで響いてたみたいだけど……」
「そういえば、さっきから増援が来ませんね。余裕がなくて考えもしませんでしたが、普通に考えればライティルが部下を呼んでいてもおかしくないはずなのに」
機械人間の情報共有機能とは、彼らの改造された身体に備わった通信機能がもたらす副産物だ。すなわち、彼らは無線機を常備している状態にあり、ピンチに助けを呼ぶことなど朝飯前のはずなのだ。
本来連絡手段を持たないはずの仁太側の増援が現れ、逆に連絡手段を持つライティル側の増援が来ない。考えてみれば不思議なことだった。
「あまり長居しないほうが良さそうだな。アルミラにパステパスまでつなげてもらうこともできるが、どうする?」
「あれ、それはさっき使ったはずですよね? 同じ魔法は一日に一度と聞きましたが……」
「あ、ああ。そうだったな」
ははは、とダムダが小さく笑う。頼り甲斐のある兄貴分に見えて、その実ダムダはうっかりしているところが多いようだった。
「それに、上で戦っているパステパスの人たちに、俺とセナの無事を報告する必要があります。セナがこんな状態なのは残念ですけどね」
今回のパステパス兵たちの本来の目的はセナの救出だ。そのセナが突然島から消えてしまっては、彼らは引き上げるタイミングを失ってしまう。最も、大半のパステパス兵は嬉々として機械人間狩りを続ける気がしないでもないが、ならばこそ仁太がセナの無事を示すことで殺し合いを止めなくてはいけない。
「ついでに付け加えると、私達はいないほうが都合が良いのよね」
アルミラが補足する。
「そういや徳郎のやつがそんなことも言ってたな。ってことは、この子と、あの装甲人間を仁太が一人で上まで運ぶ必要があるわけか」
「ええ、まあ……そうなりますね」
「だったら」
何を思い立ったのか、ダムダは仁太に近づくと手をかざし、術式を施した。
「これは……」
身体の全身に力が漲るような、奇妙な感覚。この感覚には覚えがあった。肉体強化の術式だ。
が、その魔術はすぐに解除された。
「身体能力全般を強化しておいた……って、なんだ。解除された?」
「あ、そうか……」
言って、仁太は鎧の内側の胸掛けポーチを外した。この中に入っているあるモノが、肉体強化術式を解除させているのだ。
「なるほどな。魔術が効かないのはそいつのせいってわけか」
「そういうことです。もう一度お願いします」
「はいよ。……よし、終わった。これで二人を運べるはずだ。あとは装甲人間だな。あのままでは運びヅライだろう」
次にダムダは"壁"に近づいていく。"壁"と言っても、発動時に空間が揺らいで以降は一見何の変哲もなく、先ほどのように"壁"の内側で砂埃が舞っているわけでもないため、どこに"壁"があるのかは素人目にわからない。
それはダムダも同様のようで、"壁"があると思われる位置より少し距離を置いたところで足を止めて、アルミラのほうへ振り返る。
「術式、そろそろ切れた頃か?」
「多分ね」
「おい……」
「冗談よ。足元見てみなさい」
言われて、ダムダが視線を落とす。
仁太も釣られてダムダの足元を見ると、そこには白い靄があった。ライティルを封じた氷から漂ってきた冷気だ。
冷気がダムダのところまで漏れてきているということは、"壁"は消失していることの証明になりうる。術者本人であるアルミラは、特別な知識のいらない単純な方法で術式の終了を見抜いたのだ。
納得したダムダは歩みを再開し、やがてライティルの氷塊の前で足を止めた。
「さて、どうしたものかな。なるべく魔法使いがいたという痕跡を消したほうが都合が良いのだろう?」
「まあ……そうなりますね。魔術の範疇ならば、外の通路で待機しているラストタイガさんに運ぶのを手伝ってもらった、という言い訳ができますけど……」
「なんだ、随分歯切れが悪いな」
「いえ……。なんか、改めてずるいことをしているなって思って」
「今更ねぇ」
呆れたように、アルミラが口を挟んできた。
「私達が良しとしてるんだから、好意は素直に受け取っておきなさい。詳しくは知らないけど、あんたはそうする必要があるんでしょ?」
「そ、それはそうですけど」
「けど、じゃない。必要があるならシャキッとしなさい。それに、あんたがそこの魔術師の女の子に勝ったのは紛れも無い事実よ。一応は格上に勝ったんだから、堂々と胸を張りなさい。私はあんたのうじうじした姿が見たくて助けたわけじゃないのよ」
キツイ言い方ではあったが、アルミラの言うことが正しい。ずるいことをしたなど、まさに今更だ。アルミラたち以前にも、ドウヴィーたちの力を散々に借りている。うじうじした態度は、そんな彼らへの裏切りにも等しい。彼らは仁太のためではなく、セナのために動いている。仁太に選択権などない。
「すみません……」
「そうじゃないでしょ」
「え? えーと……胸、張ります!」
「よろしい」
そう言うアルミラの声は満足気だった。
「自信のない人間は見る側も不快なものよ。実力に見合った自信くらいは常に持ってなさい」
「はい。その、ありがとうございました」
「別に。私が説教したいと思ったからしただけよ」
「あー、話は終わったか?」
退屈そうな声でダムダが言った。アルミラの話が終わるまで空気を読んで黙っていた様で、彼は不満気な視線を送ってきている。
「あ、終わりました、多分。それで、なんでしたっけ」
「こいつをどうするか、だよ」
ダムダが氷解を叩く。コン、コンと良い音がした。
「おー、冷てぇ。やっぱこのまま運ぶのは辛いだろうな」
「寒さを感じなくさせる術式とかないんですか?」
「感覚を遮断するだけならあるにはあるが、霜焼けすんぞ」
「それは嫌ですね……」
「だろ? となると、やっぱ気絶させたほうがいいんかなぁ……」
顎に手を当てて、ダムダが思案する。
その時だった。
「ダムダ!」
アルミラが突然叫んだ。
「そこから離れなさい、早く!」
「な───」
ダムダの言葉が発されるよりも早く、氷塊が内部から砕け散った。
まるで爆散したかのように、氷塊は破片を当たりに撒き散らし、爆煙のように水蒸気が広がっていく。
仁太は咄嗟に腕で顔を庇った。握りこぶしほどの大きさを持つ氷がぶつかるが、肉体強化の影響かさほど痛みは感じなかった。
「な、何だ……!?」
仁太のすぐ隣まで吹き飛ばされてきたダムダが驚き、言った。彼は素早く体勢を立て直し、氷塊のあったほうへと視線を向ける。が、水蒸気で視界が悪い。
「誤算だったわ……意外と丈夫にできてるみたいね」
仁太を挟んだ反対側でアルミラが呟く。仁太と同じく距離が離れていたためか、アルミラも大した影響を受けていはいないようだった。
アルミラが叫んだ直後、仁太も氷塊の異常を見ていた。それは、氷漬けにされたライティルだ。封じられたかに見えた彼の眼球が、動いた。それは、彼の意識が健在であることを示していた。もっとも、氷の牢獄を破ってくるなどとは思いもしなかったが。
事態を理解したアルミラは既に袖口から新たな紙片を取り出していた。
「まったく、手間の掛か──きゃあっ!!」
言いながら紙片を合わせようとした彼女だったが、水蒸気の向こう側から放たれた突風によって阻止された。
ゴォッ!という風の唸る音とともに、彼女の手の二枚の紙片が宙を舞う。肉体強化されたアルミラ、仁太、そしてダムダの三名は踏みとどまれたが、虚を突かれたためにアルミラは紙を離してしまったのだ。
「やば、離しちゃった……!」
「装甲人間を舐めるなよ……ッ」
突風の向こう側から低い声が響く。それはライティルのものだったが、先ほどまでの人を小馬鹿にしたものとは打って変わった、怒りに満ちた声音だった。
突風を発生させている左腕を突き出しながら、ライティルはもう一方の腕、右の掌を仁太たちへと向ける。しかし、洗脳装置を使うわけではないようだ。
伸ばされた機械の四本の指。そこに穴があるのが見えて、仁太は即座にその正体を察した。
「……銃か!」
「死にやがれやァ!」
叫び、ライティルが発砲。
瞬間、仁太は斜め後ろへと跳んだ。突風と、強化された脚力による跳躍によって、仁太は勢い良く後ろへと吹き飛んでいく。仁太の頭に浮かんだ唯一の回避策は、ほとんど賭けだった。
ダムダとアルミラも仁太の叫びからライティルの狙いをある程度読んだようで、各々身体を反らすなど回避策を取っていた。
続いて、壁にたたきつけられた衝撃が仁太を襲う。肉体強化を施されているとはいえ、ダメージがないわけではなく、肺から空気が吐き出される感覚を人生で初めて経験することとなった。
体勢もろくに取れない状況だったが、背中から叩きつけられたのは不幸中の幸いであった。最悪の場合、首から突っ込んで致命傷を負う可能性もあったと、今になって気づく。
突風によって仁太は牢屋の外の通路まで飛ばされていた。爆破された牢屋の入り口から放り出されたのだが、これも一歩間違えていれば壁に頭をぶつけていたかもしれなかった。己の運の良さに感謝しなくてはいけない。
銃弾は命中しなかった。跳弾したかどうかすらわからないが、とりあえず自分に着弾してはいないことだけわかれば回避の成果はあったと言える。
突風は止んでいた。体勢を立て直し、ライティルのいた方へと向き直るが、そこには既に装甲人間の姿はなかった。
「逃げた……? いや、それよりも!アルミラさん、ダムダさん!」
二人の名を叫びながら、仁太は牢屋の中へと戻る。
「無事か、仁太」
「飛ばされて避けるなんて、大胆なこと考えるわねぇ……」
肩口を抑えて膝を着くアルミラを、ダムダが介抱しているところだった。
ダムダは上手く弾を避けたようだったが、アルミラは肩に傷を負ったらしく、顔色がすぐれない。
「アルミラさん……! 大丈夫ですか!?」
「直撃ではないわ……。なんとか大丈夫よ」
「止血は既に終えた。時間が経てば治るだろう。だが……」
ダムダの視線は、牢屋の壁に向けられていた。
そこには、人が通れるだけの穴が穿たれていた。おそらく、ライティルが逃亡のために開けたものだ。
「奴め……まさか逃げを選ぶとは……」
「まあ、無理もないわね。不意打ちでこっちを殺しきれなかった以上、あのまま戦えばあいつに勝機はないもの」
「問題はあの穴がどこに通じているか、だ。逃げに使った以上、こちらを撒けるだけの何かがあると見てよさそうだが……」
ダムダの疑問の答えを、仁太は知っていた。
「……転移……ゲート」
愕然と、呟く。
「なに?」
「転移ゲート……!赤の層へ通じる転移ゲートです!」
あの穴の向こうに見えるのは、先刻サンダバが使った隠し通路だった。その先には、赤の層へ帰還するための転移ゲートがあるはずだった。
ライティルは見ていたのだ。サンダバが隠し扉を使って、この通路に入っていくところを。あの時のライティルは姿を消して、セナの近くで待機していたのだから、見ていて当然だ。
「チッ……まずいことになった。他の層、それも赤の層なんかに逃げ込まれたら捕まえるのは困難だ」
「で、でも……」
仁太はアルミラに視線を向ける。
深手ではないにしても、アルミラは依然苦しそうな様子で、その場から動けにいる。この状態の彼女に戦闘は無理だろう。
この場で動けるのは仁太と、ダムダ。更に、手負いのアルミラと気絶したセナの二人を放っておくことも、まして赤の層へ連れていくこともできない。
仁太かダムダ、どちらか一方はこの場に残る必要がある。
では、どちらが?
仁太がこの場に残った場合、もし機海賊たちが大勢、牢屋へと攻め入ってきてはまず勝ち目はない。いかに肉体強化を施してあっても、ただ身体が強いだけでは数をさばくのは難しい。
この場に残るべきは、肉体強化以外に魔術という武器を持つダムダだ。
結論は早々に出た。
「俺が行きます」
「だめよ」
アルミラが即答した。彼も同じ結論にいたり、仁太が申し出ることを予想していたのだろう。
「さっき負けたばかりでしょ。あんたじゃ勝てないわ」
「大丈夫です。さっきとは、状況が違います」
「肉体強化の術式を受けたくらいじゃない。その程度で勝敗が覆るほど、装甲人間はヤワじゃないわよ」
「それだけじゃありません」
言って、仁太は部屋を見回し、目的のものを見つける。
先ほど外した、肩がけのポーチだ。
「……"アレ"で覆るとでも言いたいわけ?」
「どうでしょうね……。でも、やらなければセナを完全に治すことはできない」
催眠術は魔術にもある。なんとかセナを日常に返すことはできる。だが、それは完全ではない。完全でなくてはいけない。
この妥協だけは、絶対にしたくはなかった。
「死ぬわよ、あんた……」
「でしょうね」
「でしょうねって、あんた……!ちょっとダムダ、あんたもなんか言いなさいよ」
引く気を見せない仁太に、アルミラは助け舟を求めた。
腕を組み、目を閉じて、黙って二人の会話を見ていたダムダが顔を上げる。
「ああ、そうだな……」
何かを決心したように、彼は仁太の目を見て言った。
「殺すつもりで行け。だが殺すな」
「はい」
「んなぁ!?」
素っ頓狂な声をあげたのはアルミラだ。味方だと思っていたダムダに裏切られた彼女は、さきほどライティルが氷の牢獄を打ち破った時以上に驚き、取り乱していた。
「何言ってんのよあんた!」
「なんか言え、と言われたから口を開いたまでだ」
「馬鹿言ってんじゃないわよ!止めろって言ったのよ、私は!」
「お前をか?」
真顔をふっと崩し、ダムダは冗談めかしく言った。
そんなことを言われたアルミラのほうは納得いくはずもなく、ダムダを睨みつける。
「あんたねぇ……」
「そう怒るなって。俺だって怒ってんだよ」
「なによ、逆ギレ?」
「違う違う。あの装甲人間のガキに、だ」
「そんなん、私だって怒ってるわよ!」
「それもそうだけど。だが、俺はちょいと違う」
ダムダの足元の床が、突然ひび割れた。しかし、アルミラもこの程度では怯みはしなかった。
「なぁに、ちょっとした私情だ。さっきまでとは状況が変わったんでな」
「……なによ、それ」
ダムダが一瞬、血の滲むアルミラの肩口に目をやった。そのことに、アルミラは気づいていないようだった。
男二人の意見を変えることができないとわかり、アルミラは大きなため息をつくと、その場にどっかりと腰を下ろして、再度これみよがしにため息をついた。
「わかったわよ、もう。元を正せば私が負傷したのが悪いんでしたねーはいはい。好きにすれば良いわ」
「はい。大丈夫、多分死にませんから」
「はっ。こうなったら恩着せがましくさせてもらうわ。私が助けてあげた命、さっそく無くして来ないでよ」
「努力はします」
苦笑しながらそう答え、仁太は注意深くポーチを拾い上げた。
大変遅くなりました、2の34です。
もはや読者が残っているかさえ怪しい本作品ですが、もし仮にいてくださるのなら更新の遅れ、本当に申し訳ありませんでした。
クレクレはいけないことだとわかってはいるのですが・・・時々でいいので感想くださると読んで下さっている方がいるのだとわかって嬉しかったりします。
お気に入り数=読者、というわけではない気がしてなんというか不安でして・・・。
もちろん、クレクレなどしなくても感想を書いていただけるような作品になるよう、努力は続けていきたいと思っています。
というわけで二章ボス前のインターバルといったところです。
"壁"の向こうにライティルを封じたあと、アルミラが調子に乗ってライティルを精神的に追い詰めるかどうかで何度も書き直した結果が、今回の遅れの原因です。
他にも、ライティルが"壁"を突破しようと目からビーム出したり、挑発に乗って足の爪先が"壁"に触れて消滅したりと、いろいろあったのですが、もともと予定していなかったし、グダグダになりそうだったのでカットしました。
次回、ライティル戦。
今度はあとがきに言い訳書かなくてもいいように頑張ります