その三十ニ(微修正)
微妙に書き足し忘れた場所があったのでちょこっと修正しました。
詳細はあとがきへ
「あれ……勇者…‥様?」
と言った。
爆発音にも、隠し扉の立てる音にも、サンダバとの会話にも起きなかったセナが、あっさりと目をさましてしまった。
予想だにしない事態に仁太は固まった。混乱し、思考が乱れる。
とりあえず、即興の笑顔。他にどういう顔をすればいいかわからないが、そもそも笑顔の作り方が頭から飛んだ。今の自分の顔を客観的に見たら、多分噴きだすだろう。
それだけでは間が持たない。何か話す必要がある。この際、気の利いた言葉とか、気取った言葉を並べ立てるのはやめだ。とにかく、何か言わねばならない。
「や、やあセナ。一日ぶり」
発言してすぐに仁太が後悔したのは言うまでもない。
しかし、相手はセナなのだ。
「あ……、はい。一日ぶりですね、勇者様。お元気でしたか?」
むしろこのくらい間の抜けたやり取りのほうがセナにはあっているのだろう。彼女は至って普通に言葉を返してきた。
小さくあくびをして、そのあと伸びをするセナ。ジャラリと鎖が音を立てる。
「今、それ外してやるからな」
「いえ、大丈夫です」
パキン、という音が牢屋に響く。その音を聞きながら、仁太は目の前の出来事にあっけに取られた。
あろうことか、囚われのはずのセナがあっさりと足輪を外しているのだ。
パキン、パキン、と。両手、両足、わざわざ四肢に取り付けられていた縛めをあっさりと解き放つ。
ふと、セナのお尻のあたりから金属音が聞こえ、仁太がそちらへ目をやると、そこには鍵の束が落ちていた。
「そういうことか。セナ、逃げようと思えばいつでも逃げれたのな……」
どうやって手に入れたのやら、その鍵の束でセナは自らの鎖をとっくに外してあったのだ。のんきに牢屋で居眠りしていたのも、この安心感から来るものだったのだろう。
「はい。でも、待ってましたから」
「うっ……。い、いいから行くぞ。さっさと船に戻って、ベルザルクさんを驚かせてやろう」
待っていた、と直接言われるのは少し照れくさかった。別に仁太を待っていたとは言っていないあたり、機海賊団の隙を突けるタイミングに来てくれるなら誰でも問題なかったのだろう。そうだとわかってはいるのだが、やはり面と向かって言われると、あたかも自分に向けられた言葉のように感じられて、仁太は堪らず顔を逸した。今の自分は、きっとにやけているだろうから。
手を差し出し、セナが立ち上がるのを補助する。「よい…しょっ」と小さな掛け声と共に、セナが立ち上がる。足の上に乗っていた鎖が床に落ち、音を立てる。続いて、セナは軽く埃を払った。
これで、出発の準備は整った。
「さ、行こう」
仁太が出口の方へと向き直る。後はセナと共にラストタイガと合流するだけ。意外とあっけなかったが、帰るまでがなんとやら。一応、気を抜く訳にはいかないと、自分に言い聞かせる。
──その直後。仁太の身体は十数センチほど前方へとスライドした。
不可解な出来事だった。
「……ん?」
"何が起きたか"は、わかった。身体が前方へ、そのままの体勢でスライドした。一瞬の出来事だ。
問題は"なぜ起きたか"なのだ。
常識的に考えて、人がそのままの体勢で横へスライドするなどということはありえない。氷の上ならばまだしも、ここは岩を掘って作られた人口の洞窟、そしてその中に作られた一室。床は多少整えられているとはいえ、結構な摩擦が生じるはずだ。それに、湿っているわけでもない。
セナに押された、という可能性も、限りなく0に近い。どのように押されれば、この岩の床を滑ることができる? 摩擦が邪魔をして前方につんのめるはずだ。
もっとも、仁太が思考するまでもなく、答えを示すものを彼は持っていた。
胸のあたりに熱を感じる。とある物が熱を発しているのだ。
これが熱を放つ時は、ただ一つ。その物体に隣接したものが魔力を帯びた時、だ。
つまり、仁太の不自然な動きの原因は、魔力。魔術の術式が仁太に施されたことは明白だった。
となれば、後は簡単だった。仁太が知りうる限り、この状況で、先の仁太の動きを引き起こせる術式を知る人物は一人しかいない。
嫌な予感が全身を駆け巡る。
「セナ……?」
仁太は振り返る。思わず、恐る恐ると。
「あれ?」
不思議そうなセナの顔。彼女は両の手の平を交互に見ながら、小首をかしげていた。
「どうして勇者様が吹き飛ばないんでしょう?」
セナが言い終わるのを待たず、仁太はセナの方を向いたまま後ろに飛び退いて距離を取った。距離を取らずにはいられなかった。
直感が告げていた。この少女の近くにいるべきではない、と。目算十数メートル。結構な距離が離れるまで、仁太は走った。
急に距離を置いた仁太のことを気にする様子もなく、セナは何か考えているようだった。"なぜ仁太が吹き飛ばなかったか"について考えているのは間違い無いだろう。
仁太には、目の前で起きたことが理解できなかった。
小首を傾げるセナの姿は、仁太の知るセナの自然体そのものだ。それでいて、彼女の言動は、口調こそ平時の彼女のものだが、内容は彼女に似つかわしくない物騒なものだった。
「な、なあ、セナ……?」
「はい。なんですか、勇者様」
「お前、今、俺のこと吹き飛ばすって言ったか?」
「そのつもりだったのですが、どうも失敗しちゃったみたいです」
けろっとした表情でセナが言う。さも当然のことであるかのような物言いだ。
仁太の額に大粒の汗が浮かぶ。目の前の少女は、仁太の知るセナとは何かが決定的に違う。
「……もう一つ質問。なんで俺を吹き飛ばそうとした?」
「そうするように言われたからです」
「……ッ! 誰にだ、教えろセナ!」
仁太はたまらず叫んだ。少女の様子に、仁太はこの島に来てから一番の恐怖を感じていた。
理解出来ないものを前にすると、人は恐怖を感じるという。まさに、今の仁太が抱く恐怖の正体はこれだった。知っているはずの少女が見せる、信じられない一面に、仁太は恐怖せずにはいられない。
一方で、突然声を荒らげた仁太にも一切動じない様子で、セナは、
「ご主人様に、です」
そうニコリと可憐な笑みを浮かべながら答えた。
その返答に、仁太の全身に悪寒が走る。
「ごしゅ……なんだよそれ!?」
怒鳴りつけるように、セナに問う。
だが、仁太のその疑問にセナが答えるよりも早く、別の声が響いた。
「──こらこらこら、あっさりばらしちゃ駄目でしょ」
部屋の隅、仁太から見てセナのいる場所の左隅に当たる空間が、突如揺らめいた。蜃気楼のような不思議な光の屈折が起き、やがて揺らめきは人の姿を成し、セナの元へと歩んでいく。
最後には、セナの傍らに一人の男が立っていた。
「いけない子だね、セナは。相手が無能だったからいいようなものだけどー」
柔和な笑顔を浮かべた、利発そうな少年だった。声も若く、見た目も仁太と近しい年齢であることを伺わせる。貴族の真似事でもしているかのような洒落た服装に、絵本にでも出てくるような海賊帽子を被る、それでいて優等生とでも形容すべき雰囲気をまとっている。
彼は優しい口調でセナを咎めながら、少女の肩に手を置く。すると、セナは嬉しそうに顔をほころばせ、頬をうっすらと明けに染め、
「は、はい……すみません、ご主人様」
甘い声で呟いた。それは仁太が今までに聞いたことがないような、女の声だった。
「まったくもう。お陰で俺まで姿を晒すはめになって」
「あう……」
「はは、まあいいよ、そう落ち込まないで、セナ。今回は取り返しの付くミスだから、許してあげよう」
そう言って海賊帽の少年はセナの頭を撫でた。嬉しそうに目を細め、「は、はい!」と健気な返事を返すセナ。
そのやり取りを唖然と眺めていた仁太だったが、ふと我に返った。
仮に日記帳を見る前であったなら、仁太はこの光景を"セナが敵のスパイだった"と解釈しただろう。
だが、仁太は確かに見た。嘘偽りのない言葉で綴られたはずの、少女の日記を。
だったら結論は一つだ。
「……違う」
「ん?」
仁太の呟きに、海賊帽の少年が気をとめた。
「そいつは、セナじゃない」
きっぱりと、仁太は言い放った。
それを聞いた海賊帽の少年は、
「ぷっ……く……っははははは!!」
こらえきれないように笑い出した。
明らかな侮蔑に、しかし仁太は怯みはしなかった。
「偽物か催眠術で操ってるか……どっちにしても、そこにいるのは"セナ"じゃない」
「あはははっ、なるほど! そう来るんだ。後進文明の子は想像力が豊かでいいなぁ。あ、ちなみに、偽物ではないよ?」
「だったら催眠術だ! とにかく返してもらうぞ、その子を待ってる人が大勢いるんだ!」
「催眠術でもないんだけどね。それに、返してもらうって? 彼女は自分の意志でここにいるんだよ? それをどこに返すっていうのか、わからないな」
「そうですよ、勇者様。私は望んでご主人様のもとにいるんです。パステパスへ行ったら、ご主人様から"ご褒美"がもらえなくなっちゃいます」
「ほら、このとおり。嬉しいこと言ってくれるよねー、この子」
そう言って、海賊帽の少年は、セナの腰に手を回し、彼女をそっと自分の方へと抱き寄せる。抵抗もなく、セナがそれを受け入れると、今度は少年の手がおもむろにセナの胸へと伸び、
「……あ…んっ」
セナの口から吐息が漏れた。
「てっ……めえ!!」
次の瞬間、仁太は駆け出していた。硬く拳を握り、血走った目を海賊帽の少年に向けて。
だが、その拳が届くことはない。それ以前に、仁太は駈け出してすぐに後方へと倒れ込んでいたのだから。
何が起きたのかは、遅れて理解できた。左胸の辺りに激突した大きめの岩石の勢いに負け、転倒したのだ。
ドーナ兄弟が作った防具が大きくヘコんでいる。この防御力がなければ、痛手となっていただろう。
もっとも、今問題なのは岩石を当てられたことではない。その岩石がどこから撃ちだされたものか、ということだ。
「やめてください」
先ほどとは打って変わった冷たい声音で、セナが言い放った。怒りに満ちた目で、仁太を睨みながら。
岩石は、セナの足元から仁太めがけて斜め上方へと射出されたものだった。丸く繰り抜かれた地面は、岩石が元々存在した場所だ。足から魔力を流し、足元の岩石を適当なサイズに削り、弾として打ち出したのだろう。
「ご主人様に危害を加えるつもりなら、殺しますよ」
「なっ……」
仁太は言葉を失った。いくら操られているとはいえ、これは容赦がなさすぎる。
「てめえ……セナになんてことさせんだ!?」
「わっ、俺に振るの?」
「当たり前だ! 今ので俺が死んだら、セナは人殺しになってただろ!?」
「そうだけど、それなにか問題あるのかな? どうせセナはこれからもいーっぱい人を殺すことになるんだけど?」
「これから、なんてあると思ってるのか? 仮に俺が駄目でも、誰かがきっとセナを助けに来て、お前を殺す。そうなればセナは元に戻すはずだ。その時、セナが苦しむことに──」
「ぷっ……ははははははははは!」
仁太が言い終わるよりも早く、海賊帽の少年が笑い声を上げた。
「そっか! そうだよね、まだ説明してなかった! ごめんごめん、笑ったりなんてして」
「何がおかしい!? こっちには探知機だってあるんだ。逃げられると思ってるのか?」
「探知機って魔術の? あれなら回復術式の制限上、精々三日が有効期限だよ。それに、逃げたりなんてしないって」
「なに?」
「必要ないからさ。この子は元々、ベルザルクに連れて行かせるつもりだったんだから」
「そうなればセナの催眠術を解かれておしまいだ。何考えて……」
「だからそれを教えてあげようっていうのに、君もせっかちだなぁ」
心底楽しそうな様子で、海賊帽の少年はセナを抱き寄せながら笑う。セナも海賊帽の少年に体を預け、うっとりと目を閉じた。その様子が、仁太の神経を逆なでするが、グッと堪えて海賊帽の少年の言葉の続きを待つ。
「……どういうことだ?」
「解けないんだよね、これ。いや、厳密には"解く"って表現は正確じゃない。この子に施したのは洗脳……脳を直接、物理的にいじくり回した、完全な洗脳だから、催眠術とは根本的に違う。あれ、ちょっとよくわかってないって顔してる? そうだねー、例えばさあ、足をざっくり切り落としたとするじゃん? そこに新しい足を移植して、前の足は燃やして消し去る。これを脳に対して行った、ってとこかな」
海賊帽の少年の口元が残酷に歪む。
「な……っ」
「あはは、いい反応。もちろん、厳密にはざっくり切り落としてーなんて大雑把なことじゃなくて、繊細にこねくり回してあげたから、傷なんて何もないよ。大事な大事なエルヴィンの女の子だからね、慎重に、慎重に……」
「ハッタリだ! そんなロボトミーみたいなことで、都合よく性格が変わるわけない」
「それは君の世界での常識だよね? ところが俺の世界ではどこをどう弄れば人格を操作できるかとかって技術はとっくに完成してる。ごく一部の人間しか知ることを許されないトップシークレット……それを装甲人間クラスの身でありながら解き明かしたのが、この若き天才、第五部隊副隊長ライティル・ディグリアってわけさ。あ、自己紹介まだだったね」
「そんな……、嘘、だろ……? できるのか、機械文明なら、そんなことが……?」
「意外と簡単に納得してくれたね。もっと屁理屈をこねて否定してくるかと思ってたんだけど。まあ、そういうことだから安心して。彼女の脳は一切傷がない。あたかも"最初からそうであった"かのように、手直ししただけだから」
笑いながらライティルが上げた金属製の右手から、何本もの細い線が伸び、小さく火花を散らした。
「この右手、俺の作ったこいつで、優しく脳を撫でであげるとね、セナが可愛らしくさえずるんだ。ほら、こんな風に」
音もなく、無数の線がセナの頭に刺さると、セナが小さく痙攣し、すぐに収まった。
「あふぅ……んっ……はぁ……」
「さっきは俺に心から隷属することと、俺のされる全てのことを悦びとして捉えるように書き加えただけなんだけど、今度はどうしようかな? リクエストある?」
「や、やめろ……!」
「うん、わかった」
あっさりと、ライティルは右手の洗脳装置から伸びる線を引っ込めた。同時に、セナが力なく崩れ落ちる。床に倒れ伏したセナの身体は立ち上がることはなく、不定期な痙攣が続くのみで、
「あ……ぁう……」
と小さな呻き声が漏れでていた。
「セナ……ッ!?」
先ほどとはまた違った形でで、セナの様子は異常だった。それを見た仁太の顔から血の気が引いていく。駆け寄ろうとする仁太だが、先程受けた胸の痛みに怯んで思わず足を止めてしまう。その間に、ライティルはセナを抱き起こす。
「君がやめろ、なんて言うから……かわいそうに。君の世界、コンピューターとかないの? 書き込み途中で電源落とすと危ないでしょ」
「書き込み途中でって……今ので、まさか、セナの脳が壊れ……」
「そのとおり。記憶領域には手を出してないけど、人格はもうむちゃくちゃ。ほら、」
「うぇ……?」
ライティルがセナの顎を持ち上げると、うつろな目が虚空を見据え、口から一筋のヨダレを垂らすエルヴィンの少女の顔が顕になった。明らかに思考をしていない、まるで心だけ砕かれた人形だった。
「こんなふうに。それにしても、セナはこんなになってもまだ可愛いなぁ。まだまだ余裕で抱ける。むしろ、こっちのほうが興奮するね」
「だっ……!? てめぇ!」
「あはは、冗談。……じゃないんだけど。あ、脳の方は冗談だよ」
言うなり、ライティルの右腕から線が伸び、セナの頭に突き刺さる。
再び大小入り混じった痙攣をはじめるセナの身体。
唐突な出来事に、仁太は唖然としてその光景を見ていることしか出来なかった。壊れたセナを、これ以上どうしようというのか、それが気になって足が動かない。下手に邪魔をするれば、また繰り返しになる。
「懸命な判断だね。仮に今、僕を倒しちゃったらその子は一生中古のダッチワイフになっちゃうから。それに、書込み中に引きぬくのが危険だって言うなら、バックアップを取るのも基本だからね。ほら、」
「ん……」
ライティルの腕の中のセナが痙攣を止め、目を覚ます。まるで眠りから冷めただけのように、彼女の瞳に光が戻る。だが、
「……ご主人様?」
その言葉に、仁太は再び絶望をつきつけられた。
「ご覧のとおり、元通りさ」
「……ッ! 何が元通りだよ! お前が洗脳したときのままだろ!」
「あははは、声を荒げないでよ。これがこれからの彼女の基本状態になるんだから、わかってくれないかな?」
「くっ……! おいセナ!」
「はい、なんでしょう勇者様」
仁太に呼びかけられ、セナは初めて視線をライティルから逸らした。つい先ほど仁太を殺すと脅した少女の様子は、普段と変わらないいつものマイペースなセナに戻っていた。仁太には、それがたまらなく不気味に思える。
「聞いただろ!? お前、頭いじられてるんだぞ!?」
「はい、知ってます」
「お前の横にいる男は、お前を無理やり従わせてるんだ!! わかってるんなら、どうして……!」
「どうして、と言われましても。私は今とっても幸せなんですよ? ご主人様に頭を弄って頂いて」
「その幸せは偽りだ! 本当のお前はこんなこと望んでなんて……!」
「問題ありません。今ではこれが本当の私ですから」
「目を覚ませセナ! そう思わされてるだけだ! あの糞野郎がお前に──」
仁太の必死の叫びを遮るように、ヒュンッという音が耳元でした。続いて、耳に痺れ。背後で岩石の砕け散る音を聞き、やっと仁太は今起きたことを理解した。
「今の言葉、聞き捨てなりません。ご主人様の悪口はやめてください」
「そんな……セナ……!」
「まだ言うようでしたら、今度こそその耳をもぎとります」
「う……」
力なくその場にへたれ込む仁太を、ライティルは笑った。まるで愉快なショーでも眺めているかのような笑い方だ。
「まさかこの期に及んで正気に訴えるとは! 君も懲りない子だね。催眠術じゃないって言ったでしょ? セナに取り戻すべき正気なんて残ってない。それが今の正気なんだから」
言いながら、セナの身体をまさぐるライティルと、それを悦びと共に受け入れるセナの光景は見るに耐えない。
仁太の視線が床に落ちる。
打つ手がない。仁太の心に、その事実がずっしりとのしかかる。それはあまりにも重すぎた。
「それにしても意外と尽くすタイプなんだね、セナって。殺せと命じた覚えもないし、殺しに対する良心の呵責を取り除いた覚えもないんだけど、まさか自発的にここまでするなんて。君もこんなふうに愛されてたの?」
「……」
「あらら、しゃべる気もない、か。ねえセナ、どうなの?」
「勇者様は私の大事な友人です。私が今までに女として愛した人はいません」
「俺のことは?」
「心からの服従です」
「うん、いい笑顔だ。またあとで愛してあげるよ」
「ああ……嬉しいです! また抱いていただけるのですね……夢のようです」
「でもその前にやることができた。そこで倒れてる君の友人を殺して欲しい」
会話を聞き流していた仁太だったが、その言葉に顔を上げた。
「んな……」
「お、聞いてたんだ? ちょっと気が変わって、セナの中の良心を消すのはやめにしたよ。俺はありのままのセナが愛しい。エルヴィン、容姿の美しさだけかと思ったけど、存外、内面も業物のような美しさを持っているようだから、それを消してしまうなんて無粋だよね?」
「ありのままだと!? 散々いじっておいてよくそんなことを……!」
「ははっ、まあまあ。そこで、セナを完全に変える最後の一手、実際に人を殺すことで、彼女は完成すると思うんだよ。そこで君の出番、というわけさ。いいよね、セナ? 殺せるよね?」
「はい……。勇者様は大切な友達でしたが、ご主人様のことを傷つけようとする悪い人です。それに……」
「なんだい?」
「ご主人様が褒めてくれるなら、私、頑張れます……」
「ああ、一杯ご褒美をあげよう。だから、さあ! 頑張って!」
「は、はい!」
嬉しそうに、セナが頷く。真っ赤な顔で、小さく「ご主人様が褒めてくれる……ご主人様が……」と呟いているのが、仁太の耳にも届いた。
──殺される。それでも仁太は立ち上がれずにいた。抵抗する気力は残っていない。このままセナに殺されるのが自分の運命なのだと、諦めの言葉だけが響く。
赤の層でゴリラ獣人──イムケッタたちタイラーンに殺されることに比べれば、セナに殺されるのは何倍もマシだ。
セナが仁太を大事な友人と言ってくれたのは嬉しかった。洗脳で無理やり聞き出されたとはいえ、言葉そのものに偽りはないはずだ。
仁太もまた、彼女のことを友人として憧れていた。日記を通じて知った、彼女の愚かしい真っ直ぐな生き方は、仁太にとって理想の生き方に思えた。セナは予見者という妄想を全力で叶えようと生きた。この神隠しの庭で、夢に生きたのだ。そして仁太を助けるという自己満足の結果、こうして生きながらにして死んだのだ。
そう、セナは死んだのだ。今、目の前にいるのは、セナであってセナではない。
それでも身体はセナなのだから、やはりセナに殺される、というのは間違っていない。思考がこんがらがってきた。とにかく、セナは死んで、今から自分もまた、セナに殺される。それが事実。
ここで死んだら、仁太は勇者という役の途中で死んだことになる。全力でサポートしてもらって、なにが勇者なのやら、と自嘲する反面、それでも確かに、偽りながらも勇者なのだ。少女を救うために、悪の軍団に挑んだ勇者。
それでいいではないか。なりたかった、夢想した、勇者としての死。それの何が悪い?
「……なあ、なるべく痛くないように殺してくれよ」
「駄目駄目!セナ、なるべく痛めつけて殺してね。そこの彼の四肢を岩で粉々に砕いて、もぎ取って、それでもまだ殺してはいけないよ。ゆっくり、ゆーっくりと、悲鳴を楽しみながら殺すんだ。それは必要なことだから」
「と、いうことらしいので、痛くしますね、勇者様」
無慈悲な宣告。ふと、仁太は自分が泣いていることに気づいた。
恐怖を感じることは正常。ドウヴィーに掛けられた言葉が思い出される。この涙は、きっと正常な証。でも、それがこの状況で何の役に立つというのだ。惨めさを強調した所で、目の前の外道は決して手心を加えてはくれないだろうに。
岩の転がる音が聞こえる。続いて、それを掴む音。おそらくセナが足元の石を浮かせ、手に持ったのだ。先と同じような床から直接射出するようなことはせず、じっくりと狙いを定めるつもりなのだろう。
観念して仁太は顔を上げた。せめて無事な内にセナの顔をよく見ておこうと、そう考えたのだ。
そこで仁太は気づいた。
「さ、よく狙って。外したらおしおきだよ?」
「はい! がんばります!」
バカップルのようにベタベタとくっつく二人の姿。だが、問題なのはそこではない。仁太に向けて突き出された、岩石を握るセナの手でもない。まして嗜虐に満ちたライティルの顔でも、ない。
脚だ。セナの脚が、震えている。
あの震えの正体は、仁太にもすぐにわかった。
「撃ちます。勇者様、お覚悟!」
無音で加速した岩石が射出される。
それは一直線に目標へと迫り──
部屋に響く、岩と岩のぶつかる鈍い音。撃ちだされた岩石が射ぬいたのは、ただの空。それは初速を保ったままに、床をえぐりとる結果に終わった。
「えっ……、どうして避けるんですか?」
「あれ? 避けないでよ、萎えるなあ」
口々に勝手なことをぬかす二人。その視線の先には、元いた場所から右へと転がって岩石を回避した仁太の姿があった。
「──見つけた」
「はい?」
「見つけたぞ、セナ! お前の"正常"!」
「何を、言ってるんです……?」
喜びに打ち震える仁太の言葉を、セナは理解できていないようだった。ライティルもまた、不思議そうな顔をしている。
恐怖。彼女はたしかに恐怖している。人を殺すという重圧に、恐怖しているのだ。それは例え、服従という形であっても、セナの中からは拭えない感情。たしかにライティルの言うとおり、セナの人格そのものは変わらずにいるようだ。
すなわち虚勢。彼女は植えつけられた忠誠心のために、無理を押して仁太を殺そうとしている。二度に渡る警告まがいの岩石弾も、仁太を殺せないセナの良心の現れだったのだ。
ならば、手段はある。セナを元の生活へ戻す手段が。決して綺麗な手段ではないが、それでも彼女を諦める理由はもはやない。
「しまった。先に壊れてしまったみたいだね」
「言ってろ。俺は正常だ」
それを聞いたライティルは、心底うんざりしたようにため息を吐いた。
「はぁ。余計な手間掛けさせないでよ。これだから無能な奴って嫌いなんだ。セナ、悪いけど、作業から狩りに変更みたい。まずは脚から撃って動きを止めよう」
そう言って、ライティルはセナから距離を取った。セナの邪魔になるまいという配慮だ。
「わかりました。……勇者様、あまりご主人様に迷惑かけないでください」
苛立ちをあらわに、セナは足元から岩石を射出した。が、仁太には当たらない。
横っ飛びに回避。事前に来ると予測していれば、その弾はただ直線に飛ぶだけで、弾速も銃弾に比べればずっと遅い。回避は不可能ではない。
「……決めたよセナ」
「何をです?」
「俺はお前を連れ戻す」
「私はそれを望みませんよ?」
「だろうな。でも、知ったことじゃない。覚えてるか、昨日お前が俺にしたこと」
「……」
「俺は助けてくれなんて言ってなかったよな? それをお前が勝手に助けてくれた」
「……それがどうしたって言うんです?」
セナの低い声と共に岩石が飛来。これも容易く回避。
「貸しが一つ。このまま死ぬには、この貸しはでかい。だからプラスマイナスゼロにしようと思う」
「何が言いたいんですか」
「お前が望もうが望ままいが関係なしに、お前を助けるってことだ!」
仁太が前方に駆け出す。咄嗟のできごとに、セナは一歩後へたじろいだ。
「くっ!」
セナの足元から小さめの石が複数飛び出す。最も、その狙いはあまりに正確すぎた。大きく横に動くことで、難なく回避。
「こ、この!こっちに来ないで!!」
続いて大きめの岩がセナの背後から3発。曲線を描き、セナを避けるようにして現れたそれは、セナなりの工夫。愚直に足元から打ち出すよりも、死角から打ち出すことにより仁太が対応できないことを期待したものだ。彼女が使う術式は、何も対象物を直線に打ち出すだけではない。
だが、仁太には通じない。あの術式が直線以外の軌道を実現可能なことは、事前に知っていたからだ。セナもそれを利用すると先読みすることは簡単だ。そしてなにより、最後は仁太を狙って飛ぶだけの攻撃。
回避に成功。セナの顔に焦燥が浮かぶのが見て取れる。
じぐざくに走ることで、セナの攻撃は一気に命中精度を下げることになる。牢屋が広いことも幸いし、接近こそ遅いが、次第に距離は詰まっていった。
「ひっ……来ないで……来ないでよ! いやぁ!!」
仁太の接近に気圧され、再びセナが後ずさる。
セナは明らかに動揺していた。魔術師である自分が、ただの人間である仁太に押されている。勇者様と呼びつつ、仁太がただの人間だと知っているからこそ、自分の技が通用しないことが、恐怖を煽る。ただでさえ感じていた恐怖を、膨れ上がらせるのだ。
だから彼女はミスをした。
「……ッ!?」
後ずさった足の先には、拳大のくぼみ。先ほどの背後からの攻撃で、弾となった岩石があった場所だ。
これもまた仁太の読み通りだ。隙を逃さず、一気に接近。と、同時に仁太は防具の内側から"それ"を取り出した。それを見たライティルの顔が驚きの色に染まる。
「ナイフだと!?」
一振りのナイフ。10センチちょっとの刃を金属の鞘で覆った、短めのナイフだ。
手首の動きで鞘を外す。床に落ちた鞘が、小気味良い音を立てる。
「死体を連れて帰るつもりなのか!?」
「く……、だ、大丈夫です、私は死にません!!」
なんとか体勢を立てなおしたセナ。その顔の前には、地面から魔術によって床から浮かび上がった岩石が並んでいる。姿勢を崩しながらも、その後を見据えて用意したものだ。
仁太とセナの距離はほとんどなかったが、ナイフの届く距離ではない。そして、セナにはこの次の弾がある。
「終わりです!!」
セナが手を振るう。その手に触れられた岩石達が、一斉に斜め下へと飛ぶ。いずれも正確に仁太の足を狙っての攻撃。さらに念のために次の弾を地面から生成、浮かび上がらせる。隙のない行動だ。
しかし、狙いが正確すぎた。仁太は目一杯の力を込めて、跳躍する。すると、たったのそれだけで岩石の弾は当たらない。
「すまん、セナ!」
跳躍と謝罪、そして仁太は右の手に持つナイフを突き出した。届くはずのない、この距離で。
もちろん、届くのだ。突き出すと共に仁太はナイフの"ロックスイッチ"を押しこむ。
と、みね側の柄の一部分から針が射出された。細いワイヤーに繋がれたそれは、勢い良く前方に飛ぶと、振るわれて伸びたままになっていたセナの腕に刺さり、
「な、なにを──ヒグゥ!?」
続いて少女の悲鳴。ワイヤーから流れた高圧電流がセナを襲ったのだ。
サンダバ製、スタンガンナイフ。意表を突くことだけを主眼に置いた、まるでジョークグッズかのようなものだが、内蔵の魔留鋼にセットされた電撃術式が繰り出す高圧電流は、大の大人さえ気絶させられる十分な威力を持っている。
「ご…しゅじ……さ……」
ほどなくして、それだけ呟いた後、セナはその場に崩れ落ちた。それを確認すると、仁太はロックスイッチを解除し、ワイヤーと針を巻きとる。針を収納し、ナイフは元の状態に戻った。
魔術師セナが、一般人の仁太に敗北した瞬間だった。
一気に噴き出す疲れに膝を折りたくなるが、仁太は気合でそれを抑え込んだ。それでも、こらえきれず大きなため息が漏れた。
不意に、手を叩く音が響いた。
「……いやあ、驚いた。まさか勝っちゃうなんて」
牢屋の奥で戦いを見守っていたライティルが、拍手をしながら近づいてきた。
「まさかスタンガンとはね。これは一本取られちゃったかな」
「……」
「おっと、そんな睨まないでよ。俺は素直に感心して、褒めてるんだって。それにしても、あの速度で飛来する岩石を良く避けられたね」
「足を狙え」
「ん?」
「てめぇがそう言ったんだろ。セナは素直にそれを守った。馬鹿正直に言いつけを守った結果が、これだ。どこに飛ぶかわかってるんだ、避けるのは難しい話じゃない」
「たしかに、ちょっと愚直すぎたなぁ。ま、そんな単純なことに気づかなかった俺にも責任はあるんだけど」
自嘲気味にライティルが笑う。
「それで、君はこれからどうする気?」
「セナを連れて帰る」
「嫌がってる女の子を無理やり拐うのか。意外と大胆な事を言うねぇ」
「それでも、てめぇみたいな奴のところには置いておけない」
「でも、どうするの? その子はかたくなに俺のところへ戻りたがるはず。仮に俺を殺したって、忠誠心は変わらない。もう以前の生活には戻れないよ?」
「それこそ催眠術でもなんでも使って、元のセナに戻すまでだ。お前への忠誠心以外は変えてないなら、不可能じゃないはずだ」
「うわぁ……君、自分が何言ってるかわかってんの? 催眠術だなんて外道の極みだ」
「てめぇ!」
「あはは、怒らないで。それにさ、連れて帰れたらって話でしょ、それ。もしかして君、俺に勝てるつもりなのかな」
「……なに?」
「俺は確かに科学者だけど、それでも装甲人間だからね。生身の人間ごときに遅れを取るほど弱くはないよ」
言うなり、ライティルが左手を仁太に向ける。
機械の左手が展開。ゴッ、という音と共に衝撃波のような突風が吹き荒れた。
為す術もなく、仁太の身体は後方へと吹き飛ばされた。
「がっ……」
後頭部をぶつけ、めまいを感じる。それを見たライティルの笑い声が牢屋に反響する。
「ハハハハハハッ! ね、言ったでしょ。セナに勝ったくらいで、何勝ったつもりになってるの? やっぱり、後進文明人は無能だなぁ、ははっ!」
「く……そ…‥ッ」
「立ち上がらないでいいよ。安心して、殺したりはしないから。気が変わった。君、意外と頭が回るみたいだからさ、俺の奴隷にしてあげる。セナと組ませれば、良い戦力になりそうだからね」
「断る……!」
「だから、無理だって。もう忘れたの? 俺の右手」
仁太に歩み寄りながら、ライティルは右手を見せつける。洗脳装置。セナを縛る、悪夢の装置は、当然仁太にも効力があるはずなのだ。
逃げなければ、と思う心に、しかし身体が反応しない。吹き飛ばされた際の衝撃で、立ち上がることさえも困難だった。
悪魔のような笑みを浮かべた外道は、着実に迫ってきている。
「さあさあ、せっかくだから少しくらいの抵抗は許してあげるよ」
余裕を見せつけるようなライティルの言葉に、仁太は歯噛みした。
この外道に隷属することは、死よりも恐ろしい罰だった。いっそ舌を噛み切って死ねたらと思うのに、実際に行動に移す勇気もない。ただ座して、迫り来る脅威を受け入れるしかない現状が、悔しくて仕方ない。
これだけの騒ぎだというのに、ラストタイガが現れる気配はない。もはや救援に期待するのは無理だ。
「なんだ、つまらないなぁ。抵抗しないの?」
「く……! この糞野郎!」
「ははっ、罵るのが限界か。やはり生身は脆いなぁ。それじゃあ……」
「い、嫌だ……」
ライティルの手が伸びる。仁太に向けられる、悪魔の腕。
涙を浮かべ、仁太は目を瞑る。こらえ切れない恐怖が、溢れかえる。
「誰か助け──」
「援軍登場ーッ!!」
仁太の声をかき消すように、女性の叫び声が響いた。
「な──ブッ!?」
唐突に横から響いたその声に驚いたライティルの顔面を、一本の足が捉えた。ドガァッと強烈な打撃音、続いて吹き飛んだライティルの金属ボディが床とぶつかって立てる音。先の仁太よりも無様な姿を晒して転がる外道。
あっけに取られた仁太は、見た。横前方に、謎の現象が起きている。まるでその空間を切り取ったかのように、円形に別の景色、草木と見覚えのある建物──あれは湯屋だ──が現れている。その蹴りの主、援軍の女性は、その切り抜かれた空間から身を乗り出す用にして立っていた。
女性が振り返る。見覚えのある顔だった。
「あ……」
「はろー。久しぶりねぇ仁太」
「アルミラさん!?」
緑の層クーゼ村で出会った魔法使いが、そこにいた。
続いて、切り抜かれた"向こう側"から男が現れる。
「よっ」
「ダムダさんまで!?」
同じくクーゼ村の魔術師、ダムダだ。彼が出てきた直後、繰り抜かれていた景色は消滅、もとの何の変哲もない空間へと戻った。
ダムダが仁太を抱き起こし、アルミラは吹き飛んだライティルへ向かって仁王立ちの姿勢をとっていた。
「さあ起きなさい、このド腐れ小僧!」
起き上がりかけのライティルに向けて、アルミラは大声を上げた。
「選手交代の時間よ、試合再開といこうじゃないの!」
*修正箇所:以下の文章が、仁太が石弾を避けるくだりに追加されてます。
ならば、手段はある。セナを元の生活へ戻す手段が。決して綺麗な手段ではないが、それでも彼女を諦める理由はもはやない。
過去最長の更新となります。
嘘みたいだろ、俺、試験のど真ん中なんだぜ。
二章のラストスパートに入りました。なんか凄く前に折り返し地点とかほざいた記憶がありますが、こんどこそ終盤です。
あと何回で終わる、とか書くとまとまらなかった時に困るので、とりあえず最低二回、とでも。
その後はまた外章を挟んで三章になります。
ちょっと前に気づいたんですが、ウキマ、ヘーント、ジマの三人のカラーがアレですね、アレ。
信号機のつもりで考えたので他意はまったくないのですが、なんか、気づいてしまうとなんとも言えない気分。
でもそれを理由に毛の色変えるのも軽率すぎるので、まあ、他意はないということだけは明示して、このまま行きます。
ちなみに今回のスタンガンナイフについては、サンダバが作ったとは書きましたが…