その三十
走れ。そう言われ、一人洞窟を走る仁太であったが、彼は光源になるものを一切持ち合わせていなかった。
グワンが放つ光もすぐに届かなくなり、次第に周囲は真っ暗闇へと変わる。道も直線ばかりではなく、危うく壁に激突するすんでのところで仁太は走ることを諦めた。
目が慣れるまではとにかく壁伝いで進むしかない。ひんやりとした岩の感触を頼りに、ゆっくりと、しかし確実に前進を続ける。
暗闇は不安をかきたてるものではあったが、そんな中で仁太の心の支えとなることがあった。つい先程遭遇した機械人間の内一人が松明を持っていたのを見逃さなかった。
いかに機械人間とは言え、四肢を機械に付け替えただけの強化人間程度では暗視機能を持っていないということだろう。そもそも、そんなものを持っている機械人間がいるのかさえ怪しいところだ。
こちらが光を持たないこの状況では、敵の持つ明かりはあまりにも目立つ。万が一、協力者と合流するよりも先に機械人間と出会うようなことになっても、こちらのほうが先に気づく可能性が大きい。
(そうなれば───)
左手を壁に添えながら、空いた右の手で懐にしまった"武器"に触れる。サンダバの作ったこれが、これだけが今の仁太のボディーガード。玩具などでは決して無い、確かな重みが頼もしい。
(───大丈夫、明かりを持った相手なんてただの的だ)
「ほほっ、怖い顔をしているな勇者くん」
不意に声を掛けられた。
「いっ!?」
予期せぬ声に、緊張していた仁太は思わず小さな悲鳴を上げた。
洞窟の中を反響していく悲鳴に、嫌な汗が頬を伝う。今ので機械人間にバレたら? いや、それ以前にこの声の主が暗視機能を搭載した機械人間のものでは?
などと嫌な予感に身を強張らせる仁太の前方から、
「おや、驚かせてしまったようですまない」
再び声がした。
やっと慣れ始めた仁太の目が、前方の空間の歪みを捉える。
何もないと思われた空間がゆらめき、次第に形を成し、色を変え───最後には一人の老人と思しき影が立っていた。恐らくは魔術による擬態。さしずめ擬態術式とでもいったところだろう。
暗闇の中、老人が手を前に出す。ボッ、という音とともに、老人の手のひらの上に小さな炎が生まれた。そうして、仁太はやっと老人の姿がはっきりと見ることができた。
白髪の、ひょろ長い身体をした老齢の男性。獣人ではない、普通の人間。その姿に見覚えがあった。
「あっ、湯屋で会った……」
「おお…、わしのことを覚えていたくれたか」
優しい声で答え、老人は柔和な笑顔を浮かべた。
「また会える日を楽しみに待っていたよ、勇者君」
「俺もです。でも、あなたのことを知ってる人がいなくて。魔術師だったんですね」
「知らないのも無理はない。あの島でわしのことを知る人間は多くないからのう」
言いながら、老人は向きを変え、歩き出した。
「さあ、先を急ごう。君を待つ人がいるのだろう」
「あ、はい」
仁太も遅れないように続く。見た目はひょろりとして弱々しい印象を受ける老人だったが、思いのほか足は早かった。
「ところで、名前をまだ聞いてませんでした。俺、仁太です」
「君の名は知ってるよ、勇者くん。わしの名前か……そうだな、ラストタイガとでも呼びなさい」
「……は?」
少しの間を置いて、老人が名乗った名に仁太は驚いた。偽名も偽名、
(これはいわゆる"中二病"というやつじゃないのか……?)
呆れ顔の仁太に、ラストタイガはただ笑うだけだった。
洞窟内の進行は続く。
グワンが言っていたとおり、ラストタイガは名前こそふざけているが相当な使い手のようだった。
唐突に足を止めて手の炎を消したかと思うと少しした後に遠くの十字路をパステパス兵達が通りすぎていくのが見えたり、あるいは急に早足になったかと思うと背後から機械人間たちの怒鳴る声が聞こえてきたりなど、敵味方問わずあらゆる接触を回避している。
ラストタイガが何らかの手段──恐らく索敵術式──でかなりの広範囲の状況を把握しているのは間違いない。
曲がり、下り、道は続く。来た道を戻ることすら困難と感じるほどに複雑な岩の迷路を、ラストタイガは難なく突破している。仁太はただただ、目の前の老人の技量に感服するばかりだった。
「出会わなければ、戦わなければ、誰も殺さずに済むからのう」
道中、敵をやり過ごしながらラストタイガが振り返らずにそう言った。
この言葉は仁太がこの老人に親近感を抱くのには十分すぎるものだった。
「殺すのが嫌なんですか」
「いやいや、この老体に戦闘はこたえる。それだけだよ」
謙遜とも事実とも取れる言葉だったが、とにかく殺し合いを回避するという思考はありがたかった。
時間の経過と共にだいぶ落ち着いてはきているが、もう一度目の前で人が死ぬところを見せられては今度こそ心が折れかねない。
理由はどうアレ、戦闘を回避してくれるラストタイガの存在は心強い。セナの位置を知るのが彼だけである以上、ここからは彼と行動を共に出来る。さらに、セナの救出時のみ仁太の単独行動となるが、その後は偶然を装って協力者──この場合はラストタイガ──と合流する。つまり帰還するまではラストタイガの護衛付きということとなる。
今の仁太にとって、これほど頼もしいことはない。
ラストタイガのありがたいところは敵との戦闘回避だけではなかった。周囲に敵の危険がない時、彼はきまって何かの話題を振ってきた。
「休憩は必要か?」
であるとか、
「怪我はないか?」
であるとか。
またある時は、青の層に来てからの仁太に起きたことを聞いてきたりもした。
つい昨日の話、帰島途中の船を機海賊団に襲撃され、何も出来ないままセナに逃がされた苦い経験をラストタイガに話すことに、不思議と抵抗はなかった。親身になってくれる老人に心を許し始めていたというのもあるが、それ以上に、あと少しでセナを助けられるのだという確かな安堵が、仁太の心を軽くしていた原因の一つだろう。
敵地だというのに不思議と安心感に満ちた心地で洞窟を進みながら、仁太は語る。
「──それで落ち込んでた俺を、徳郎が立ち上がらせてくれた……いや、担ぎ上げられた、って方が正しいかもしれません」
「ほう、担ぎ上げられたとな。それはどういう意味かね?」
「徳郎にとって大事なのはセナが喜ぶことであって、俺のためではないんです。セナが俺を勇者と呼んだ……俺が勇者っぽいことをすることで、彼女の見た幻想を守る。ただの役者ですよ。勇者役の、ね」
「なるほど、よくわかっているようだのう。君はそれで満足なのかね。利用されて、利用して、他力本願の果てに彼女を救って」
「いいんです。利用し合うなら貸し借りはないし、自分だけの力でセナを助けるなんてできやしない。俺にもできることがあるのが、ただ嬉しい」
「しかし、勇者役とやらを引き受けてしまったら、君はこれからも彼女を騙す必要が出てくるではないか。それすらも、君は満足と言うのかね?」
「いや、それなんですけど……」
仁太は言い淀んだ。
目の前の老人は協力者。彼もまた、徳郎に唆され、セナのために立ち上がった一人だ。その彼に、この言葉の続きを話すのは軽率なような気もした。
「どうしたのかね? 大丈夫、言ってごらん」
「い、いえ、なんでもないんです」
「ふむ……」
ラストタイガは考えこむような仕草をして、
「どうやら言いづらいことのようだのう。理由は見当がつく。だから……いや、だったら、一つ教えてあげよう」
「なんです?」
「わしは別にセナのために協力しているわけではない。君のためだよ、勇者くん」
「え」
予想外の言葉に、仁太は驚いた。目の前の老人とは過去に一度、それもごく短い間しか会っていない。彼が仁太に協力するだけの理由を持ち合わせているとは思えなかった。
驚く仁太の様子が楽しいのか、ラストタイガは小さく笑いをこぼした。
「そんなに驚くことかね?」
「だって、理由がないじゃないですか」
「どうしてそう思う?」
「え……それは、だって、ラストタイガさんとは湯屋で少し会っただけで……」
「それは理由ができない理由にはならないよ。人が他人に興味を持つのに多くの時間は必須ではない。わしは興味さえあれば、それが火中の栗であっても躊躇わずに拾う……そういう生き方を楽しんでいる」
その言葉で、仁太は理解した。この老人の本質は徳郎と似ているのだと。
「正確に言えば、わしの世界とは異なる別な可能性世界から来た君の考え方に興味がある。君が何を考え、何を想い、行動するのか、それが知りたいのだよ。君が今、言葉を言い淀んだ言葉、理由、それさえもがわしの興味の対象になる」
──好奇心。この老人の根底にあるのは、それだけのようだった。聞く限りでは、彼は徳郎同様に好きに生きている。
「今回も、君がセナを助けに行こうと思った経緯、そして助けてどうするのかと気になった。協力したのも、結末が見たかったからだよ」
ただただ自分のしたいことをする。遠慮はなく、躊躇もなく、年老いたその身に鞭を打ってこんな敵の島にまで来ることを、彼は生き甲斐の様に平然とやってのける。そういう人物なのだと理解した。
それは同時に仁太にとって、気兼ねなく話せる相手であるということでもあった。
「変わった人……、ですね」
「ほっほ。正直な子だ。自覚はあるよ」
「わかりました。あなたの好奇心に応えられるものかどうかはわかりませんが、先の質問に答えます」
これは徳郎にも言っていない。否、徳郎にだからこそ、言っていないこと。
と苦労に言った場合、作戦を変更させられるか、あるいは素直に受け入れられるか。その二択のどちらなのかを読めず、仁太は秘匿を選んだ。
「俺は彼女を騙し続けることはしません」
「では、どうするのかね」
「正直に話しますよ。話す必要すらありません。セナは既に気づいていますから。俺が勇者でもなんでもなく、ただ偶然目の前に転移してきただけなんだってことを。……彼女の夢は既に壊れているんです」
このことを徳郎は知っているが、他の協力者たちは知らない。隣を歩くラストタイガから、驚いた様子が伝わってくる。
「協力者たちの多くは俺を勇者だと信じている。この状況を利用すれば、セナの夢を復元し守れるから、徳郎はそのために俺を立たせた。だけど、俺は彼女を助けた後、俺の口から勇者じゃないと告げるつもりです」
仁太が勇者であることの否定は、即ちセナから予見者という評価を剥奪することに等しい。勇者の存在があるおかげで島民たちは彼女を予見者と認め、同時に負の評価を撤回した。これは意外とデリケートな問題なのだ。
再び周囲のセナへの評価を"おかしな子"に戻すことは仁太にとっても不本意なことだった。方法はどうあれ、セナがパステパスで生きていこうと重ねた努力は本物であり、それを台無しにする権利など仁太にはない。
誰よりも早く、単独でセナと話し合う機会。現状を壊さず、かつ仁太の言葉をセナに伝えられる機会が必要を仁太は欲していた。
「今の状況を捨てるというのかね。悪い話ではないと思うのだが」
「勇者じゃないのは事実ですから。それに、こうして協力してもらったことも話します」
「……ふむ。君は何がしたい?」
「勇者と予見者ではなく、ただの友達になりたい……のかもしれません」
そう言いながら仁太は苦笑した。
「でも、俺が勇者じゃないってこともその内島民にバレるだろうし、やっぱり島を出なくちゃいけないんですよね……はは、俺何やってんだろ」
昨日の昼まで、こんなことになるなんて思っても見なかった。よくわからない少女に、よくわからないあだ名で懐かれて、ずるずると青の層で生きていくだけだと、そう思っていた。
「君も大概変な子だ。だが、後悔はないのだろう?」
「今のところは、ですね。これからも、したくない。そう思ってます」
「ほほ。成長したな、勇者くん……いや、仁太。以前よりも図太くなっている」
「それ、褒めてるんですか?」
「褒めているとも。自信を持てといっただろう? まずは自分の行いに自信を持てたことを誇りなさい。これは紛れも無く成長なのだから」
ラストタイガは教師のように、諭すように言った。
「君が自己犠牲の精神でこの島を出ることを選ぶならば、わしは反対しないよ。君の言葉、考え、しかと聞かせてもらった。わしはもう満足している。ところで、ここを出た後どこへ行くつもりかね?」
「まだ考えてません。青の層……七島同盟のどこか、俺でも暮らせる場所を探してみるつもりです」
「何も青の層にこだわることはないと思うがのう」
「と言うと?」
「緑の層に帰るのも一つの選択肢、ということだ」
「帰れるんですか、緑の層に!?」
「しっ。声が大きい」
指を立て、ラストタイガが仁太を諌める。
「わ、す、すいません……」
あまりに何事もなく進んでいたため忘れてしまいそうになるが、ここは敵地のど真ん中なのだ。
依然として暗い洞窟は続く。道は直線ではなく曲がりくねるようで、二人が話す間も分かれ道を何度も何度も曲がって奥に進んでいる。少し前からは足を止めるなどで機械人間たちをやり過ごすようなこともなくなり、ただの洞窟探検のような錯覚すら覚えるほどに平穏だった。
「定期転移ゲート、というものは聞いたことがあるね? 各層には、必ず一定周期で転移ゲートが発生する場所がある。それは海上だったり、火山の中腹だったり、あるいは海中や地の底、空中にあったりもする。未発見のものもたくさんあるだろう。その幾つかを、七島同盟が管理している。緑の層のゲートは交流のために近くに村を作り、赤の層のゲートは攻め込まれないように監視をつける。緑の層のゲートは許可さえ貰えば使うことが許されている」
「そうなんですか。でも、俺が緑の層に帰るのは……」
「これも言ったはずだ。君の友人は、きっと君のことを恨んでなどいない。向き合ってみるのも、解決策の一つだよ」
「そう……なんですか? 俺にはやっぱり、まだわからない」
「あくまで選択肢の一つだよ。ゆっくり考えてみるといい」
「……」
「終わった後に選ぶこと。まずは目の前の仕事を片付けなさい。もうすぐそこだ」
ラストタイガに言われ、洞窟の様子が変わり始めたことに仁太は気づいた。
先程まで、周囲は手がほとんど加えられていない様子だったが、いま二人がいる場所は雰囲気がガラリと変わり、明らかに人の手によって整備されている。それは、ここが敵の拠点の中心部に近いということを示していた。
少しして、簡素な灯りがちらほら見え始めた。神隠しの庭に来てから初めて見る電球だった。
自然と仁太の緊張も高まるが、対照的にラストタイガは落ち着いていた。
「そう身構えることもないよ。大方の機械人間は上に出払っている。この階層に繋がる道の巡回兵も、話をしながら迂回してやり過ごしたしのう。広い迷路が仇となってるのだから、実に滑稽だよ」
こともなげにラストタイガが言う。敵の警備を回避するために遠回りしながら仁太を諭し、さらに会話も丁度良く終わらせたこの老人の底の知れない実力は頼もしいのを通り越し、仁太は畏怖の念すら抱いた。
「トラップも警報もない。資材不足というよりも、ここまで侵入されることをそもそも考えられていない。つくづく、戦いというものに疎い連中だ」
「疎い? あんなに好戦的な連中なのに?」
一人でぶつぶつと呟くラストタイガの雰囲気は、さきほどまでの優しげな老人とはうってかわっていた。が、仁太に尋ねられると、彼はすぐに元の柔和な表所を取り戻した。
「高価な道具を持って強がることは強さの保証にはならないよ、仁太」
「えーと……どういう意味です?」
「奴らの技術は優れているが、それを戦いに活かす術を知らない。もっとも、それは術法文明人にも言えることだけどのう」
「なるほど……」
わかったような、わからないような話に、仁太は適当に相槌を打っておいた。
「さて、ここまで来れば左側3つ目の道を曲って直進でゴールだ。わしは少々足を休ませたい、すまんがここで待たせてもらうよ」
「わかりました。……敵、いませんよね?」
「そんな意地悪はせんよ」
ラストタイガは小さく笑う。
「さあ、行きなさい」
「はい!」
威勢よく返事をすると、仁太は駈け出した。
電球に照らされた、坑道のような道ならば、もう仁太ひとりでも大丈夫だ。
道を曲がる前に、最後に仁太が後ろへ振り返ると、既にラストタイガの姿は無かった。岩陰にでも隠れたのか、あるいは先程のように岩壁に擬態する術式でも使ったのか。姿の見えない老人に、仁太は小さく御礼の言葉を呟き、再び走りだした。
くどい台詞になる傾向を改善するのが当面の目標です
あと、いつもは1増えてすぐに1減るお気に入り数が今回はまだ減ってないので喜んでたりします