その二十七
セナ救出部隊が発ち、第七島パステパスに残されたのは非戦闘員と防衛に当たる少数の兵士のみとなった。
機海賊団拠点への直接攻撃及び島将ベルザルク以外の兵が直接戦闘に参加することの二点は第七島始まって以来、初めての出来事である。しかし、残された島民たちの多くはベルザルクを信頼しきっている者たちであり、そうでない兵たちも同僚たちの実力が機械人間に勝るものであると確信しているため、島には別段変わった様子はなく、有事だというにも関わらず普段と同じ空気が流れていた。
そんな昼下がりのパステパス。島中央にある小高い山の上にある湯屋、その近辺の茂みの中に森部徳郎はいた。
わなわなと震える手。抑え切れない期待、そこから来る興奮が、滲み出していた。
なにゆえ彼がこの様な場所で身を隠しているかと言うと、
「あ!徳郎、アンタそんなとこで何やってんの!」
と、この様に湯屋の娘ミア・ケルト嬢に発見されることを恐れていたから、というのが理由の一つだ。
「げぇッ!? なんで背後からミアちゃんが……!」
「向こうにある木の実を採ってきただけよ。で、そんなことよりも、なんでアンタがここにいるかってことを教えなさいよ」
「そ、そんなもん俺の勝手だろ!それともなんだ、俺がここにいちゃいけない理由でもあるってのか!」
「あるわよ。アンタがいるその場所は本来関係者以外立ち入り禁止の場所なの。覗き魔防止のために立入禁止にしたって前にも言ったと思うけど?」
「ぐぬ……確かにそんなことを言われた気が……」
「それに、アンタみたいな名実ともに島一番の変態が茂みの中に隠れてるなんてこと自体、女性客に不安感を抱かせるわ。これは立派な営業妨害よ」
「くっ……酷い言われようだが否定できねえ……」
「さ、負けを認めたんならさっさと口を割りなさい。さもないと、」
ダンッ、とミアがすぐ近くの地面を強く踏み付ける。
直後、徳郎の前方の地面から一本の金属棒が飛び出した。鼻先数センチの位置を突き上げるそれが魔留鋼を含んだ合金であることは、棒に触れた髪から漂う焦げた臭いですぐにわかった。徳郎の額に冷や汗が浮かぶ。
なるほど、次の覗き防止システムは敷地内にカラクリを仕込むタイプのようだ。
「私、今夜は焼けた豚の抱きまくらで寝ることになるわ」
「わかった、わかったから、これ仕舞って、お願いだから、なんか凄く焦げ臭いから、早く!」
凶器を突きつけながらニコリと笑う恋人に、徳郎は男らしい潔さを見せてやることにした。
自身の大人げなさに気づいたのだろう、ミアは張り付いた笑顔を解き、呆れ顔で再び地面を力強く踏む。すると金属棒は勢い良く引っ込み、地面には小さな穴が残るのみとなった。まったく、度の過ぎたツンデレは笑い事ではないというのに。困った娘だ。
やれやれ、と徳郎が肩をすくめ、得られた安全に安堵していると、その穴を消すように、徳郎の前まで歩いてきたミアが足で土を掛け始めた。この様にして隠されたトラップがこの一体にはまだまだあるのだろう。
と、トラップの穴を隠すために伸ばされたミアの足が、そのまま急上昇を始めた。
容赦無い奇襲。
「このバカ郎が!」
「ギャプゥッ!?」
一撃は、男性最大の弱点へ叩き込まれる。猫の獣人であるミアのそれは、加減した上でも並の成人男性以上の威力を秘めた危険なものだ。
まったく予測していなかった無防備な徳郎は全身を駆け巡る激痛に耐えることができず、短い悲鳴と共に膝を着くと、息も絶え絶えになりながら患部を両手で抑え、その場にうずくまるしかなかった。
「な……にを……」
「本当は聞かなくてもわかってるわよ。どうせ"客人"が目当てなんでしょ」
「そ……、の…通り……。で、も……わかって…るなら……な……にも……蹴ら…なくても……」
「だからこそ蹴るのよ。素人をそそのかして戦場に送り出した張本人なんだから、ちょっとは心配したらどうなの」
「な、なぜ……それを……」
ミアが言っているのは仁太のことだ。しかし、この話はミアやベルザルクを崇拝する島民には内緒で徳郎が進行させたものであり、そもそも準備期間から数えても一日と経っていないため、漏えいする可能性は低いものと考えていた。
「善意の協力者からのタレコミよ。私を見るなり目を逸して"隠し事してます"なんてアピールするから、追っかけて頼んだのよ。口と、拳で」
「くそっ、タルラか……!あの馬鹿!」
痛みが引いてきた徳郎は、不出来な弟子の不始末を罵り、大地に怒りの拳を振り下ろした。
昨晩、徳郎からメッセンジャーを頼まれ、ドーナ兄弟に要件を伝えた後、タルラは夜食の買い出しに出たまま帰って来なかったのだ。まさか、こんなヘマをしていたとは思っても見なかった。
「はぁ……。アンタの"いっそ好きに生きろ"って考え方は嫌いじゃないわ。それに、人のやりたいことを見抜く目を持っていることも否定しない。でも、今回は酷すぎない?」
「何がだ。煮え切らない後輩の背中をどんと押してやった、それだけじゃないか。きちんとサポートも付けた。それに第五部隊は元々研究チームだって話だろ。数で勝る時か、非武装船舶ばかりを襲う腰抜けの集まり、いうなれば武器を持った悪ガキみたいなもんだ。最悪大怪我はしても死にゃあしねーよ」
「そう言う問題じゃないでしょ!っていうか大怪我したら大問題よ、このバカ!」
「ぬぐぅ!?」
地面で踞るような姿勢の徳郎は尻を突き出すような下品な格好になっている。その巨大な尻肉をミアの平手が容赦無くひっぱたいた。
ズボン越しとはいえ獣人の腕力は十分な威力を持っている。スパァンッ!と爽快な音と共に徳郎の口から悲鳴が搾り出される。この痛みは重度のマゾっけがなければ、口が裂けてもご褒美などとは言えないだろう。
「友達が友達を助けに行ってんのよ? それも、大なり小なり危険の伴う場所に!そんな時に、アンタは……」
「待て、待って、なんで拳を握る? なぜその拳が震えている!?」
「言ってもわからないバカ郎にはこれが一番聞くからよ!」
「落ち着け、いや落ち着いてくださいミアさん!暴力で解決するのは野蛮な獣の世界での話です!我々人間は言葉という画期的な解決手段を持っているではありませんか!話し合いましょう、わかりあえるはずです!言ってもわからないんじゃない、言葉が心に届いてないだけなんです。それはとても悲しい事ですが、暴力はもっと悲しいこと!言葉に想いを込めて飛ばしてご覧なさい、きっとあなたの言葉は私にとどどわぁッ!? 先に拳が届きそう!?」
「残念ね、今のアンタの言葉は私の心に届かなかったみたいよ。でも諦めてはいけないわ。さあ息を吸って、大きく口を開けて自慢の言葉を並べ立てなさい。それが私の心に届くか、私の拳がアンタの顔面に届くか競争しましょう?」
ラノベのような無駄に遠まわしで情報量が少ない長文を噛まずに言い切る猫獣人を前に、徳郎は自身の弟子がオタクとして順調に育っていることに感激すると同時に、あの猫パンチをもろに受けたら頭蓋骨はどのように変形するのかを想像して嫌な汗を垂らした。
煙に巻く作戦は既にミアには通用しないようだ。もう一人の弟子であるタルラならば大粒の涙を浮かべて「導師、ああ、導師!」と上手い具合に騙されてくれるのだが……。
もはやプランBに移行するほか、愛しい頭蓋を守る方法はない。
「き、聞いてくれミアちゃん!お前は勘違いしてるんだ!」
「作戦を変えてきたわけね。何を考えたか知らないけど……いいわ、聞いてあげる」
「う、うむ。お前は俺が下心からあの人を待っていると思っているようだが……それは間違っている!俺は弟子入りしたいんだ。この湯屋を支える術式を作った、あの魔法使いに!」
湯屋で使われているお湯は、かつてパステパスを訪れた魔法使いから寄与された術式で生成されている。
強力な効果を持つ反面、一日一度限りの使用制限を持つ魔法の術式は、その性質上一つにつき一人の所有者を定めておくのが基本だ。複数人が所持した場合、二人以上が同じ日に発動しようとすると二人目以降は失敗に終わってしまい、戦闘中であれば隙を晒すことになってしまう。そのため、術式を寄与するということは、術者がその術式を諦めることと同義である。
また、魔法は理論上無限に存在可能だが、一つの術式を発見するには偶然の要素が必要となる。無論、膨大な知識というベースがあって初めて、偶然を求める段階に到達できる。ただでさえ狭き門の魔法使いになれたとて、生涯に十つの術式を発見できれば良いほうだ。
それほど価値のある術式を無償で提供した上、その魔法使いは定期的に点検にまで来てくれるというのだから、優秀な人間の考えることはわからない。
点検といっても、術式の書かれた紙が傷んでないか、などを見る程度だが、魔法の書かれた紙というものは迂闊に複製しようとして誤って術式を発動させると一大事になりかねないため、意外と侮れなかったりする。
この日は、定期点検があるため、この魔法使いが訪れることになっていた。
「俺は力が欲しい……この島を守れるだけの力が、みんなを守れる力が。だから、頼むんだ。何度だって、諦めること無く頼み続ける。前回も、前々回も断られはしたが、俺のこの想いは決して折れることはない」
「……で、具体的にどんな術式が欲しいのよ」
「武装解除術式だ。以前読んだマンガからヒントを得たもので、周囲の生物から非生物を弾き飛ばす!必然、機械人間は機械化されたパーツを例外なく外され、無様にも隙を晒すことになるだろう!街中にまで攻めこまれても一発逆転まちがいなし!」
「街中で使って女の子をひん剥きたいだけじゃないの、このバカ郎!」
「ふんがぁっ!?」
打ち出された拳は、インパクトの直前で加減されはしたものの強力な衝撃を徳郎の顔面に与える。耐え切れず、不自然な大勢で地面を転がる巨体。
「大体、弟子入りしたいならなんでこんな所に隠れてるのよ!湯屋の入口前にでもいればいいじゃない?」
「だってミアちゃんにバレると怖いし……」
「嘘ね。アンタ、仁太が救出に行ったことをあたしが知ってるとは思ってなかったんでしょ? だったら私から隠れる必要はないはずよ」
「ふ、ふふふ……よくぞ気づいたな、ミアちゃんよ」
「誰でも気づくわよ、バカ。さ、観念しなさい。それとも、痛いのがお好き?」
「わかった、素直に言うから、痛いのやめて!」
拳を構えるミアを前に、徳郎の肩が恐怖に震える。
観念して、正直に言うほか無いだろう。
「それは……」
「それは?」
「あの人のヒップラインはぜっぴヒィッ!?」
獣人特有の反射神経だからこそできる早業。徳郎の言葉の終わりを待たず、ミアは再び地面を、先ほどとは違う三箇所に足を踏み下ろす。それと同時に、徳郎を囲むように三本の金属棒が出現する。
「あ、アンタって人は……」
「そんな!正直に言ったんだ、そりゃないだろ!!」
「わかったわ……。命だけは助けたげる」
「もう一声!」
「仕方ないわね。五体満足を保証するわ」
「どれか失う予定だったのか!?」
「だってそうでしょ? 強化人間クラスの主武装は刃物や鈍器よ。仁太が四肢のどれかを失う可能性だってあるのに、そそのかした張本人が元気にヒップウォッチングなんて問屋がおろさないわ」
「くそっ……どなたかー!この凶暴なレディを抑えつけられる方はいませんかー!抑えつけるフリして合法的に胸をつかむチャンスですよー!」
「ば、バカ!何叫んでんのよ!アンタ本当に死にたいの!?」
しまった墓穴を掘った、と徳郎が口にしようとしたその時。
「おい、君たち!」
茂みの向こうの歩道から声がした。徳郎達が騒いでいる間に人が来ていたのだ。
助け舟来たり、と徳郎は勢い良く振り向き、急に声を掛けられてクールダウンしたミアも顔を上げる。
そこには二人の男と一人の女声がいた。いずれもこの島の住民ではない。
恥ずかしいところを見られた、と顔を赤らめるミア。が、声をかけてきた男性は特に気にした様子もなく言葉を続けた。
「今、仁太と言ったか?」
やっと二章の終わりが見えてきました
折り返し地点と宣言したのはいつだったか…