その四
崖の下に見えた川を目指し、仁太とランジャは移動を再開した。崖に沿って移動していけばやがて川に着くことを先に把握したため、現在は崖が常に見える位置を保って移動している。
移動を続けながら、仁太は時々崖の方によって景色を見た。別に景色を堪能しようというわけではなく、眼下に広がる川や、その向こう側の森の様子を探るためだ。
生きるためには水がいる。人が生活していれば、火を使うこともある。ここからなら、森から煙がたてばすぐに見える。人か獣人が見つかれば次の目的ができる。
時折動物が水を飲みに来ているのが見えた。当然のように動物の知識も持ち合わせていない仁太だが、紫がかった6本角の鹿のような生き物や、茶色だがサイのような形状の頭を持つ生き物などは仁太の世界にはいない動物だとわかった。植物のことがわからない以上、人が見つからなければ魚か動物を食料にするしかないのだが、仁太としてはあの毒々しい鹿を食べることだけは避けたいとこだった。
他にも小動物らしきものが何度か見えたが、距離がありすぎるので詳しくはわからない。鳥もいるようで、水飲みに来たり、森から飛び立つのも見えた。森の中を探索しているときは獣人以外には遭遇したかったのだが、人型でない生き物も多くいるようだ。
仁太が川の下を観察している一方で、ランジャは森のほうばかりを気にしている様子だった。獣人なだけあって仁太よりも視力が良く、森の中がはっきりみえているのかも知れないし、案外視力は仁太よりも悪く、森を見ているのは植物に興味があるだけかも知れない。聴覚しかり、嗅覚しかり。会って半日経つかどうかの相手だ。仁太には、この獣人のことがさっぱりわからない。
森の様子を探るランジャの様子は真剣そのものだった。おそらくなにか考えがあるのだろう。だとすれば、仁太にできることはその逆側、川の下から得られる情報を集めることだけだ。
言葉は通じないながらも、二人の間には不思議な協力関係ができていた。
崖からの景色を観察しつつ移動を続けていた仁太は、辺りが暗くなりつつあることに気がついた。空が赤かったので気づかなかったが、どうやら陽が沈みかけているらしい。
まさか野宿をすることになるなど露程も思っていなかった仁太は、ここで初めて夜に対する備えの無さに気づいた。テントも無ければ、灯りもない。救いがあるとすれば、ここの気温が今もなお下がること無く暖かいままであることだ。寒さに震える心配がないのは大きい。
どんどん暗くなっていく森の中に戻るのは勇気が要る。崖の近くで休むことを身振り手振りで伝える仁太に、ランジャは頷いた。
陽が完全に沈み、森の中は真っ暗闇になった。空も赤色ではなく黒になっていたが、月と星が出ていた。火山は相変わらず赤く輝いている。これらの明かりが届くためか、森の外は比較的明るかった。
(しかし・・・)
移動していたときはあまり感じ無かったのだが、こうして無言で二人きりというのはなかなか辛いものがあった。娯楽の品を一切持っていなかったため、やることが全くない。言葉も通じないので会話をすることもできない。さらにランジャは相変わらず森のほうばかりを静かに睨んでいる。
崖の下を見てみるが、未だ距離もある上に昼間よりも暗くてよく見えなかった。いよいよやることがなくなった仁太は、改めてランジャを観察することにした。
ランジャの着ている服は仁太にとって馴染みの深い日本の私服とは違っていた。装飾の殆ど無い、簡素な作りの服で、袖は短い。上着とズボンの区切りはなく、腰にベルトを巻いて、脚のところはスカートのようになっている。中世ヨーロッパの平民ってこんな感じの服装だったような、と仁太は思った。重ね着はしておらず、生地も薄い。彼自身が寒さに強いということだろうか。右腰にはケースが着いており、先の戦闘で使用したナイフに収められている。
そんな服装の中で一際異彩を放つものがある。彼の左腰のポーチだ。もっと言うならば、彼のベルトも服と比べておかしい。というのも、服は古臭いを通り越して化石のような感じだというのに、ベルトとポーチは仁太の世界の物に近い。今はランジャが背を向けているため見えないが、あのベルトには確か金具が付いていた。ポーチのデザインも手が込んでいる。なんともちぐはぐな格好だ。
一通り観察を終えた仁太は、ランジャがほとんど動いていないことに気づいた。一定周期で肩が上下する。もしやと思い、ランジャの横顔を覗いてみると、彼は寝息を立てていた。疲れていたのだろう、座ったまま寝てしまっている。とても穏やかな寝顔だった。
再びやることのなくなった仁太は、リュックサックからペットボトルを取り出した。水を二口飲む。生ぬるかったが、この状況では文句を言ってはいられない。川から離れる際に水を補充したあと、移動途中にも少しずつ飲み、今ので残り半分となった。
茂みで用を足し、リュックサックを枕がわりにして寝転がる。寝相は悪い方ではないが、万が一に備えて崖からは十分な距離を取った。
一日中歩き続けた疲れがあったからだろう。仁太はすぐに眠りに落ちた。
仁太が寝静まってから数時間経った頃、ランジャの耳がピクリと動き、彼は急に飛び起きると腰のナイフに手を伸ばす。次にポーチを開け、中から布に包まれた物体を取り出すと、仁太に放ってよこした。
彼は森のほうへ視線を向けたまま仁太に近寄ると、彼を叩いて起こした。そして、驚いて跳ね起きた仁太に首を軽く振って無言で告げる。
囲まれているぞ、と。