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神隠しの庭  作者: シルフェまたさぶろう
第二章 予見者と勇者様
45/77

その二十一


 静かな客間。寝室として貸し出されたその部屋で、仁太は一人座り込む。

 陽の沈みかけた空。窓から差し込む橙色の光が、窓辺に置かれた花の影を床に映している。呆然とその形を眺めて、どれほどの時間が経っただろう? 空洞にでもなったような錯覚を覚える頭でゆったりと考えた結果、島将邸を後にした時の空の色もまた橙色であったことを思い出し、それほど時間が経過していないという結論を出した。

 キィーシスを出てから、たった数時間の間に色々なことがあった。

 青の層に来て以来常に傍らにいてくれた少女によって一人救われ、自身の無力さに泣き喚き、挙句には島の大人たちの前でみっともなく駄々をこねてしまった。

 一連の出来事を経て、遂に自分には価値がないという事実を思い知った仁太の心は、どうしようもない無気力感に支配されていた。

 結局のところ、セナリアラ・イアラという少女なくして、青の層における仁太の存在には何ら価値がないのだ。勇者などという気恥ずかしいあだ名も、全て彼女から派生した価値にすぎない。彼女が友人として必要としてくれたことは否定しないが、他の人にとっての仁太はやはりセナという人物あってこそのものだ。リーマットも徳郎も、誰もがセナを通じて知り得た、関係を保てた人たちだ。

 今の仁太は、ただひたすらに無価値である。それを自覚することがどれほど辛いことか。

 閉めきった窓の隙間から会話が聞こえてくる。家の前の通りでうわさ話をする島民たちの声だ。話題は当然、とある少女が拐われたという内容。

 正常な思考であったなら、無遠慮な噂話に耐えられるほど仁太は我慢強くはなかっただろう。だが、放心状態となった今の頭では、それを不愉快だと判断することすら億劫で、ただ片耳で捉えてもう一方の耳へ素通りさせるように聞き流していた。

 ぼんやりと、仁太はいま自分にできることを考え始めた。例えセナ救出作戦に仁太の居場所はなかったとしても、彼は少女の帰りを待って生きていなければならない。

 食事をしようか? 無理だった。そんな気分にはなれない。物を噛む気力も、喉を通す気力も起きない。

 主不在の家を預かる身として洗濯でもしようか? 夕刻から洗濯を始める馬鹿がどこにいる。

 では掃除? しかし部屋には一片の埃さえ見当たらない。あの少女が入念に掃除してくれているからだ。

 やることがなにもない。何も見つからない。

 それは今の仁太にはちょっとした恐怖だった。

 することがない、できることがないとは、すなわち無価値であること。戦闘方面に限らず、自分には価値がないのだと、そんな風に考えてしまう。これが恐怖以外のなにものでもないことは、動きを鈍らせた仁太の頭でも理解できた。

 黙考して、仕事を探す。些細なことでも、今は気晴らしになるなら何だって良かった。

 ふと、仁太の頭にセナの言葉が再生された。

『島に着いたら私の部屋のベッドの下を覗いてみて。そこにあるから』

 何があるかまでかは明言していなかったが、仁太に見せたい何かがあることは間違いない。

 見なくてはいけない。

 緩慢な動作で仁太は立ち上がった。


 客間を出て、廊下を少し進んだところにセナの部屋はある。

 少しおかしなところがあろうと、見た目は子供だろうと、セナも一人の女性に違いない。そう考えていた仁太は、今まで彼女の部屋には一歩も踏み入れたことはなかった。

 許可をもらったとはいえ、異性の部屋に入ることには少なからず緊張した。あれだけの無気力感に襲われながらも緊張するだけの理性が残っていたことに、仁太は内心苦笑した。

 扉に手を掛け、一思いに開く。

 視界に飛び込んできた少女の部屋は、思ったよりも質素なものだった。壁紙もなく、人形の類も見当たらない。仁太の想像する同年代女性の部屋は、もっとアイドルのポスターやら、雑誌やら、ファンシーな小物があるものだが、当然ここにはそんなものはない。

 机、椅子、ベッド、タンス。必要最低限のものだけが置いてある。強いて言えば、窓辺に置かれた綺麗な花の植木鉢は女性らしい小物か。

 これは幸いなことだった。異性を感じさせない簡素な部屋だったからこそ、気後れすることなく踏み入ることができた。

 特に感慨も何もなかった。人生で初めて入る異性の部屋だというのに。その異性の家に住まわせてもらってもう数日経つが、それでも異性の部屋に入るという行為は、もっと新鮮な感じがすると思っていたのだが。

 部屋の中を注意深く観察……などということもなく、仁太の足は一直線にベッドへと向かった。片膝をついて、床を見る。埃一つない、綺麗な床だった。一思いに顔を床につけ、ベッドの下を覗き込む。やはり埃のない綺麗なベッドの下に、一冊の本が見えた。

 ベッド下の書籍。一瞬、思春期男子の常識になぞらえて考えてしまった仁太は、すぐにそれが現状に不釣合なふざけた考えであることと気づき、自分を律する。

 手を伸ばして引きずりだす。本の正体は日記帳だった。

「これが、セナの見せたかったもの……?」

 思わず、そんな言葉を漏らしてしまった。

 少しだけ意外だった。あの危機的な状況で、仁太に見ろと頼んだものが日記帳とは。

 神聖不可侵な領域。それが、普段日記を付けない仁太が日記に対して抱いているイメージだ。

 口に出すことのない、他者に聞かれたくない、そんな行き場のない思いが綴られたものこそ日記帳。これを他人に見られるということは心中を覗き見されるも同然であり、他人のものを見るということは他者の心へ踏み入ることと同義だ。それほどまでに、特に年頃の少年少女の日記は危険極まりないものと仁太は認識していた。

 それを他人に託すという行為が持つ意味は、決して軽くはない。

 書いてある内容にはよるが、下手をすればこれまでの関係を破綻させかねない行為だ。まして、日記の見せ合いではなく、片方がもう一方に見せるだけというのは、なおのこと危険な行為に思えてならない。

 だが。それでも、これを託された以上、仁太には中を見る義務がある。これを仁太が読むことをセナが願っているならば、助けられた恩に報いるためにも、見なくてはならない。

 正直、気はあまり進まなかった。他人の心中など、本来ならば見たくもないものと仁太は考えているからだ。世の中には他人の秘密を暴くことに喜びを感じる人間もいるのだろうが、仁太はそうはなれなかった。

 日記の表紙に手を掛ける。

 気づけば、先ほどまで停止しかけていた思考は、少しずつだが正常に戻りつつあるように思えた。部屋に入る時よりも緊張しているのが自覚できる。

 一呼吸置いてから、仁太は思い切って日記帳をめくった。


 辺り一面、白を基調とした世界。雪ではなく、色のない世界が、そこには広がっていた。

 突如として謎の世界へと放り込まれたセナは、わけもわからずその世界を歩きまわった。

 時間という感覚は失われていた。太陽も、月もない世界では調べようもないからだ。

 しばらくして、彼女は一冊の本と出会う。たくさんのイラストと、見たこともない文字。セナにとって、初めて見るタイプの本だった。色のない世界で、その本は不思議なくらいカラフルで、白すぎる世界には不釣合なものだった。

 その本を拾い、またしばらく歩くと、今度は浜辺に出た。透明な水が押し寄せる、真っ白な海岸。海岸沿いを少し歩いたところで、彼女のエルヴィンとしての頭脳が、ここが島であるという結論を出した。同時に、人の痕跡がないことも。

 無人島。途端に、探索する気力は失せてしまった。することのなくなった彼女は、浜辺に腰掛けてさっき拾った本を読むことにした。

 言葉の意味はわからなかったが、イラストだけでも話の内容は十分に理解できた。それは初めて手にした娯楽品。一瞬で虜になった彼女は、あっという間に読み終えてしまった。

 ちょうどその頃、彼女は自分の後ろに人の気配を感じ取った。振り返ると、そこにいたのは見たこともない格好をした女性だった。

 知らない言葉で二、三言発した女性。ところが、セナの記憶はここで途切れてしまう。


 日記の冒頭に書かれていたのは、セナが転移してきた直後のことについてだった。

 仁太の脳が認識しているのは実際に紙に書かれている文字ではなく、言語魔術によって日本語に置換された幻覚なのだが、面白いことに筆跡はそのまま認識できるようだ。紙面に踊る、可愛らしい少女の字。丸っこくて、不思議と暖かさを感じる、仁太の世界の少女のものと似た字体。

 それを微笑ましく思いながら、仁太はページをめくる。


 いつの間にか青の層に転移していたセナは、ベルザルクたちに保護され、言語魔術と世界の説明を受ける。

 その説明の中に、白い世界のことは出てこなかった。不思議に思い、彼女がそれを尋ねると、周囲の大人たちはひどく残念なものを見るような目付きに変わったという。

 誰も信じてくれなかったのだ。皆が皆、この娘は錯乱しているのだと、そう判断した。必至に訴えれば訴えるほど、同情の視線が注がれる。屈辱的な状況だった。

 元来の引っ込み思案な性格に加え、周囲の理解ない反応は、次第に彼女の中にトラウマを形成していった。それゆえ、彼女はこの世界の住人達と自分の間に、無意識下に壁を設けることにしたのだ。

 自分を引き取ってくれたリーマットにさえ、セナは心を開けずにいた。どんなに優しく接してくれようと、彼はセナの言葉を信じてくれなかった一人だ。それでも優しく接してくれるということは、すなわちこの優しさが同情から来るものだと、そう彼女は考えた。

 訳ありの優しさ。純粋ではない、派生物としての優しさ。ここにも、彼女は壁を感じてしまう。

 そうして一日目は過ぎていった。パニック状態が収まらない振りをして、誰とも口を効かずに過ごしたが、こんな一時しのぎの策はいつまでも続かないことはわかっていた。

 ところで、寝床につかされた彼女は一つ、奇妙な符合に気がついた。

 服の中に隠していた本を取り出し、月明かりを便りにページをめくる。その中に出てくる、一人の少女。

『金髪、長い耳、透き通るような青い目。どことなく、自分に似た少女』

 問題はこのあとだ。その少女は海賊(言語魔術によって言葉は読めるようになっていた)に拐われるのだ。

 海賊。そう、この青の層には、海賊が、いるのだ。そんな世界に、自分は迷い込んだ。

 奇妙な一致だった。だが、どうしても、彼女にはそれが偶然には思えなかった。

 知らない技術で作られた本。そこに登場する自分に似た少女。少女に迫る、悪の海賊。そして、そして、それを救いに現れる、一人の、少年……勇者!

『この少女は、私だ』

 セナはそう確信した。確信、したかった。

 だが、現実には違う。この少女は、明るく、人懐っこく、誰にでも優しい、そんな理想的な少女。暗く沈んだ人見知りのセナとは、真逆の存在。

『私は、この少女でなくてはならない』

 逆転の発想。あるいは、決意。

 自分と似つかないと諦めるのではなく、自分を作り替えることで、その場所へ自分を押し込む。これがセナの下した決断だ。

 かくして、彼女は自分を変える決意を、一晩の内に結果に変えた。というより、リミットは一晩しかなかった。落ち着きを取り戻した自分は、こういう明るい少女なのだと、周囲に思わせるには、今を置いて他になかったのだ。

 日が昇るころ、彼女は"自分自身"を、彼女が思い描く"理想の少女"へと入れ替えた。

 一晩中心の内側でつぶやき続けた自己暗示によって、彼女は理想の少女を生成することに成功した。そう、生成しただけなのだ。自分を変えたのではない。

 今いる自分を押し殺し、新たに創りだした仮面を心に無理やりに固定しただけのこと。二重人格というほど立派なものではなく、演技よりは少し踏み込んだだけの、その程度のものだった。

 明るく立ち振る舞うセナの姿を、島民たちは疑いもせずに受け入れてくれた。

 ただし、突貫作業で創りだした仮初の"理想的少女"には欠陥もあった。人の名前を呼ぶことだけは、どうしても出来たなかったのだ。他人との間に壁を作るという彼女の心は、どうしてもそれを拒んでしまい、結果、他者に対してあだ名で呼びかけることしかできなくなった。もっとも、島民たちはそれすらも個性として受け取ってくれたようだったのだが。

 そしてもう一つ。彼女が理想的な少女でありたがる、理由。本に書かれた、いつか来たる勇者の存在。彼女の心の支えとも言うべきそれを、彼女はあえて公言した。

『いつか私は悪しき者に拐われる。しかし、それを救ってくれる、勇者が、きっとくる』

 こればかりは周囲もあきれ果て、やはりセナリアラ・イアラはおかしな少女だ、と口をそろえて言った。だが、それでいい。島民との間に存在する壁は、これくらいで丁度いい。

 彼女の心をつなぎ止める勇者の存在を信じれば信じるほど、彼女はどこまでも孤立していくのだった。

 それでも、表面上は島民とも上手くやっていけたと彼女自身自負していた。

 リーマットから教わった魔術は、師が驚くほどの速度で上達し、半年と経たずに一端の魔術師を名乗れるだけの実力が身についた。これはエルヴィンという種族の特性が大きかった。優れた頭脳と人一倍の魔力量は、神話的生物エルフの特徴でもあり、エルヴィンが魔術師に向いた種族であることを示している。

 魔術を使うことで、並の大人よりも優れた仕事ができるセナは一躍島の人気者となった。

 ある時、島に訪れた怪しい価値観を持つ少年が、島民のセナに対する評価を少しばかり変えてくれたことも追い風だった。同情の視線は和らぎ、かといって完全にはなくならない、そんな理想的な加減に変化した。このことについて、彼女は徳郎に感謝していた。

 しかし、待てども待てども、セナは機海賊に拐われることはなかった。

 理由は簡単だ。島には守護者たる島将と、彼をサポートする大勢の兵士がいるのだから、機海賊たちは容易には攻め込めない。加えて、機海賊を撃退するための防衛術式も日に日に完成度を高めていっている。師にして迎撃術式の開発者であるリーマットの言によれば、この進歩は例の少年、徳郎とのいたちごっこの産物であるという。正直に言えば、この時セナは徳郎に怒りすら覚えたほどであったが、それがセナの身勝手な考えからくるものだと思い直し、理想的な少女を目指す彼女はこの怒りを日記に書いた後はきっぱりと捨てたという。

 その後の日々は、ただただ機海賊に拐われることを願うだけの日々だった。

 暇な時間はなるべく海岸沿いを歩いて、防衛網を抜けてきた機海賊の登場を願った。

 七島同盟の中で防衛設備が最も弱いのは新参であるパステパスだということを知ってからは、別の島に移住するという考えも捨てた。それどころか、パステパスから一歩も外に出ようとは考えなかった。自分が留守にしているときにパステパスが襲われたら、きっと悔しい思いをする。そう考えたからだ。

 数年の月日が流れた。ある時には防衛術式をセナの手で破壊してみるのも良いとすら考えたほどだ。

 そんな時、彼女に好機が訪れた。防衛術式を成す核の一つが損壊し、しかもそれにリーマットが気づいていなかった。

 島民には、それを島将へ報告する義務があるのだが、セナは当然のようにそれを無視した。

 防衛網の穴が出来た海岸線。セナは毎日のようにここへ通い、本来招いてはならないはずの悪人たちを、今か今かと待ちわびた。雨の日のほうが襲撃しやすいかと考えて傘を持って一人海岸へ行き、月明かりだけのほうが隠密行動ができるのではと思って深夜に浜辺に一人立つ。島民たちは、またセナが何か怪しげな電波を受信したのだろうと言って面白がっていたが、誰一人としてセナの真意に気づくものなどいない。

 そして、ある晴れた日の朝。襲撃するにはこれほど不利な状況はないと思えたそんな時、彼らは現れた。まるで世界がセナを応援するかのように、彼女が拐われる光景は誰の目にも止まらず、ひっそりと行われた。

 救出部隊など来ない、絶体絶命の状況。これこそ、彼女が待ち望んで止まなかった状況だった。

 そして、彼女の前に、一人の少年が現れる……。


 日記の内容は、大体こんな感じだった。

「これが、本当のセナ……」

 既に頭は平常運転へと戻っていた。正常になった思考力で、仁太はこの日記に書かれた内容について考える。

 明るく見えた少女は、しかしその裏で相当の無理をしていたのだという。

 周囲に真に心を許せる者はなく、壁を作り距離を置き、そんな気の置けない状況の中で、彼女は必死に"理想的な少女"であり続けようと努力した。来るかどうかもわからない勇者などという幻想を、ただひたすらに信じて。

「これじゃあまるで夢見る少女じゃないか……」

 白馬の王子様を信じる無邪気な少女が連想された。違うことといえば、仁太の世界の少女はたいてい何の努力もせずに白馬の王子様とやらを信じるのに対し、セナは自分の心を騙し、抑え、削って……そんな努力をもって、幻想を信じ続けた。

 普段ならば、こんな子供じみた夢を、仁太は一笑に付したかもしれない。いい歳して、何考えてんだ、と。ただし、この日記を読んだ今の仁太には、これは決して笑えるものではなかった。決して彼女の努力を、笑ってはいけない。

 いや、それどころか。

 この時、仁太は気づいてしまった。やっと、気づいた。異世界で特別になる自分を夢見たのは、何もセナだけではない。他ならぬ仁太もまた、同じではないか、ということに。

 子供じみた夢。なぜ、一瞬でもこんなことをセナに対して思ってしまったのだろう。仁太とて、赤の層に来た直後に、そして数時間前にも同じような夢を抱いていたではないか。しかも、セナと仁太とでは決定的な違いもある。

 彼女は夢と諦めず努力をした。対する仁太は、どうだ?

 努力と呼べるだけのことを、したのか?

 急速に湧き上がる後悔。

 ふと日記へと目を戻すと、そこには仁太という勇者が訪れた後の、セナの喜びに満ちた言葉が綴られていた。

 詳しく読む気にはなれなかった。その文はあまりにまぶしすぎたのだ。

 そう思い、日記を閉じようとした時。一つの文が目に留まった。

『彼が勇者でないことは一目でわかった』

 心臓が、ドクンと、一際大きく波打った。

 続く文へと、視線を走らせる。

『偶発転移のいたずらが、彼を私の元へ導いたみたいだった。ただの偶然に巻き込まれただけの、なんでもない男の子。でも、私の中では彼こそが勇者で間違いない。そう決めた』

 身勝手な、彼女らしい文章。初対面のあの瞬間から、彼女は仁太が紛い物の、ただの一般人であることを見抜いていたのだという。それなのに、彼女は強引に仁太の手を引いた。

『無理やり手を引くと、強引な私に付いてきてくれた。念のため、悪い人でないことを確かめることにした。試しに目の前で服を脱いでみると、顔を真赤にして逃げていった。悪い人間でないことは、その時に確信した』

「試してやがったのか、あいつ……」

 あの時のことを思い出し、仁太は顔が赤くなるのを感じた。だが、あの時の判断は間違っていなかったようだ。

『あの人は善意だけで私に付いてきてくれた。私のようなおかしな女を疑いもせず、下心もなく、ただ信じて付いてきてくれた。それがたまらなく嬉しかった。だから、決めた。彼を友達として……壁のない、距離を置かない、本当の友達として迎え入れると、そう決めた』

 友達。勇者だなんだという"ごっこ遊び"など無くても話し合える、本当の友達。

『そうして、いつか呼んであげるんだ。彼の名前を。あだ名ではない、彼自身の名前を』

 仁太は静かに日記を閉じた。そして、

「……言えたじゃないか、名前」

 小さくつぶやいた。

 仁太から見ればなんてことはない、名前を呼ぶという行為。しかし、長い間それが出来ずに苦悩していた少女からすれば、とてつもなく難しく、覚悟のいる行為だったのだろう。セナは、遂にそれをやってのけたのだ。

 それに、もう一つ。忘れてはならないことがあった。

 セナは、まだ本当の勇者と出会っていないのだ。

 そして彼女は再び、海賊の魔手に捕らえられるという自体に陥った。

 彼女が信じた予見の書はまだ終わっていない。

 否、これから始まる。今から始まろうとしているのだ。

 恐らく、救出に向かう兵士の中にでもいるのだろう。真に彼女が待ちわびていた、本物の勇者様が。

 もし本当の勇者に出会ったなら、セナはこれからどうするのだろう? この家から仁太は追い出されてしまうかもしれない。仁太とセナは友人ではあっても恋仲ではないのだから、働き口を見つけた仁太をこれ以上家に置いておく必要はない。仁太としても、これ以上セナの世話になるのは申し訳なく思えた。

 これに気づき、遂に仁太は自分のすべきことを見つけることが出来た。まずは、帰ってきたセナに余計な心配をかけないように、今すぐにでも移住先を見つけることが、仁太の今からするべき仕事だ。

 そうと決まれば座ってはいられない。まずは日記を片付けて、適当な下宿先か、安い家を買いに行こう。外はすっかり暗くなってしまったが、確か不動産屋はまだやっていたはずだから。

 そう考えて、日記を元あった場所へと戻そうとした仁太は、日記の裏に書かれた小さな文字に気がついた。

『窓際の床』

 意味は分かりかねたが、とりあえず視線を窓際のほうへと向ける。注意深く見た結果、床の一部に切れ込みがあることに気がついた。

 日記をベッドの下へと戻し、仁太は問題の床を探ってみると、その部分は持ち上がることが判明した。

 不思議と仁太にためらいはなかった。外れる床板を持ち上げる。

 中にあったのは、一冊の

「漫画…か、これ?」

 手に取ると、たしかにそれは一冊のコミック、少年漫画だった。

「光勇者物語…って、どう見ても俺の世界の本じゃん」

 なぜこんなものがここにあるんだ? そう思いつつ、ページを捲って中身を確かめる。

 日記の時と違って抵抗はなかった。が、嫌な予感は少なからずあった。

 嫌な予感は、あったのだ。

「なんだよこれ……」

 驚愕のあまり、そんな声が漏れた。

 コミックスに描かれていたのは、一人の勇者がお姫様を救う勧善懲悪の冒険譚。直球勝負の王道すぎる内容だった。

 その中に出てくるヒロインが問題だった。

『金髪、長い耳、透き通るような青い目』

 先ほどまで眺めていた日記のなかに出てきた一節が脳裏をかすめる。予見の書と彼女が信じて止まない一冊の絵本に出てきた、ヒロインの特徴だ。

「じゃあ、つまり、これって……そんな」

 震える指でページをめくる。

 ヒロイン、エルフの少女は、海賊によって拐われる。そこへ、光をまとった一人の少年、光勇者が、さっそうと現れて、エルフの少女を救い出す。驚くほどご都合主義、驚くほど王道。今日日ここまで真っ直ぐな作品は珍しい。

 珍しすぎるがゆえに、疑いようの余地はなかった。

「これが、予見の書……? ふ、ふざけんな!」

 思わずコミックを床に叩きつけそうになり、すんでのところで思いとどまる。嫌な汗が頬を伝って、床へと落下していくのが見えた。

 このコミックこそ、この少年漫画こそが、セナリアラ・イアラが予見の書と信じた一冊。

 こんな、何の力も持たない、ただの娯楽品が。セナが、そして仁太が期待した予見の書の正体だった。

 仁太が想像していた予見の書とは、もっと重々しい雰囲気を纏い、壁画のような絵が描かれた、"いかにも"な感じのハードカバーのような本だった。カラフルというのも、もっと毒々しく禍々しい色使いのものを想像していた。

 それだけに、この結末は仁太にとってあまりにも意外なものだった。

 いくら待とうと、彼女のもとに真の勇者が来ることは、ない。

 ───まだだ、まだ可能性はある。

 すがるような気持ちで、仁太はコミックを隅々まで確認し始めた。一見、仁太の知るコミックに見えるこれが、本当に仁太の世界の漫画かどうかは、まだ確定してはいない。

 例えば未来に印刷されたものであるとか。例えば魔法の術式に見られるような、怪しい魔方陣が書いてあるとか。何か、何かあるかもしれない。いいや、あるはずだ。

「あるはず……なんだ……」

 消え入りそうな声。

 どこにも見当たらないのだ。これが異能の代物であると証明できる痕跡が。

 これではいけないのだ。これが本物でなくては、セナの努力は水泡に帰してしまう。彼女が数年間、自分の心に負担をかけてまで信じてきたものが、無意味だと確定してしまう。

 どこか、どこかに、どこかに絶対───

「光勇者物語。カミマチ元弘が少年ザンザンで連載していた熱血王道漫画」

 突然、背後から声がした。聞いてもいない漫画の知識をひけらかすその声は、死神のものかと思われたほどで、仁太は大きく肩を震わせた。

「ザンザンいこうぜ、を語源とする熱血路線の漫画雑誌でありながら、誌の方針を忠実に守ったカミマチ先生に編集部が下した判断は、打ち切り。当時、萌え路線へ切り替えつつあったザンザンは、本来最優先で保護すべき作家に無情にも方針転換を迫ったんだ。最も、雑誌はその後難航、最後は廃刊になっちまったけどな」

 振り返ると、そこには汗だくの巨漢……森部徳郎が立っていた。

「よう。人の家なんだ、借りるならせめて鍵くらい締めとけよ」

「何しに来たんだお前……。いや、それよりも今の説明……」

「ん? ああ、光勇者物語ね。俺もファンだからな」

「そうじゃない!お前、知ってたのか? セナが、この本持ってるって……」

「なんとなく、そんな気はしてた。お前が勇者じゃないってのも。そもそも、その漫画本がセナちゃんの言う予見の書だってんなら、勇者なんてものそれ自体が存在しないことになるからな」

 言いながら、徳郎は部屋の中に入ってきた。首に下げたタオルで額の汗をぬぐいつつ、話を続ける。

「で、どうなんだ?」

「どうなんだって、なにが」

「セナちゃんが信じる予見の書は偽物だとわかったってことは、これからも、未来永劫セナちゃんの元に勇者が現れることがないってことも、わかってんだろ?」

「……ああ」

「セナちゃんが自分を偽ってきたことも、全て無駄になっちまうってことも」

「……ッ! お前、そんなことまで……」

「当然だっての。お前だってもうわかってんだろ? 平行世界の住人つっても、中身は俺らと変わらない、普通の人間なんだって。多少の違いはあっても、基本的に考えてることは一緒。セナちゃんみたいに良い子なんて、いるわけないだろ。常識的に考えて」

 実に夢のない理由で、徳郎はセナの演技をあっさり見破っていた。

「一度疑ってしまえば後は簡単だ。行動、言動を注意して見ていれば、セナちゃんがどういう人間か見えてくる。無理をしてるのはすぐにわかった。それが何のためなのか、正しく理解したのはついさっきだったけどな。俺はてっきり、ただのぶりっ子だと思ってたくらいだ。だが、そうじゃないとわかった。あの子は、夢見る少女として、出来うる限りの努力をしてきたんだ」

 徳郎の言葉を、仁太は黙って聞いていた。

 窓際にへたり込む仁太を見下ろす徳郎は、言葉を続ける。

「俺はさあ、仁太。あの子の努力を無駄にしたくない。絶対にだ。お前はどうなんだ?」

「それは……、俺も同じだ。同じに決まってんだろ」

「そうだな、よく言った。だったら、なんでお前はそんなところに座っているんだ?」

「なんでって……そりゃ、俺にできることがないから……俺に力がないから、ここでこうして待ってることしかできない……」

「ハッ」

 仁太の言葉を聞いた徳郎は、それを鼻で笑って一蹴した。

「お前さぁ、俺が前に言ったこと、もう忘れちまったのか?」

「え……」

 突然の質問に、仁太は黙考する。徳郎と交わした会話は実はそれほど多くはない。記憶の糸を辿っていくと、一つの言葉が思い当たった。

「"開き直っていいんだよ"……?」

「正解だ」

 徳郎がニッと笑う。そして身を翻すと、芝居がかった動作で歩き出した。

「俺は、健気な少女の偽りの夢をこの手で守りたい。彼女が信じた夢が、夢幻のまま霧散していく様を決して見たくないんだ。なあ仁太、お前もそうだろう? セナちゃんの信じた勇者様ってやつを、嘘のままで終わらせるんじゃあ、あんまりじゃないか」

 まるで演劇の舞台にでも立っているかのような動作を交えながら、徳郎は語る。

「もし、お前に命を賭すだけの気概があるのなら、俺には、いいや、俺たちには、お前を勇者にしてやる用意がある」

「命を、賭す……」

「そうだ。お前がその命を張るというのなら、俺たちはお前を支えてやる。全力でだ。

 今、セナちゃんの夢を守ることができる手段はたった一つしかない。わかるだろ? "お前が勇者であること"が、結果としてセナちゃんの夢を守ることとイコールなんだよ。

 お前が勇者じゃないことは百も承知だ。そもそも、勇者の定義からして俺にはさっぱりわかりゃしない。"予見の書"に準じるならば、この世に存在しもしない光魔法とやらを習得しなくちゃならねえからな。

 ならば! お前が助けるほかにないだろう? 囚われのエルフを……セナリアラ・イアラをな。もう一度再現するんだ。勇者によって救われる、エルフの少女という図を、今度はお前の意思で!」

「俺がセナを助ける……。いや、だが……」

「力のない自分では無理だ、と?」

「……ああ。俺には、ただの人間だって殺せやしない。力も、覚悟もない。機械人間なんて、なおさらだ」

「そのために、俺達がいる。保証してやるよ。お前に人を殺さず倒すための方法を授けてやる」

「それだけじゃない。俺の同行は副将直々に禁じられて……」

「厳密に言えば、この島に住むにあたって守るべきルールはたったの一つしかない。すなわち"反逆を禁ず"、これのみだ。それ以外であるならば"全て"が許容される。許されて然るべきなのだ。わかるか? 生きるも死ぬも、全て自由。何人たりとも、それが島の安全を脅かすものでないかぎり、自由意志は尊重されるんだ。もうわかるだろう? お前が命懸けの行動に出ることは、たとえ島将であっても"止めることはできない"」

「なっ……。ベルザルクさんたちに喧嘩売れって言ってんのか? そんな無茶苦茶な!」

 驚く仁太に、徳郎は向き直る。 

「開き直っちまえって言っただろう、仁太。この世界で、なんで我慢なんてしなくちゃならない? したいようにすりゃあいいじゃねーか。なあ、仁太! もう一度聞く。"お前はセナを助けに行きたい"のか、"行きたくない"のか? 今重要なのはそれだけだ。他のことは俺たちがサポートしてやるから、お前はただ、何をしたいかだけを考えろ。

 命を落とすことでセナちゃんが悲しむ、なんてくだらねえこと吹き込まれて尻込みしてんなら、いますぐそんな言葉忘れちまえ。お前、客船から逃してもらう時、セナちゃんにそうしてくれって頼んだか? セナちゃんのわがままで、無理やり脱出させられたんだろ!? だったら、今度はお前の番だ。お前のわがままを通す番だ! そうだろ!?」

「俺の、わがまま……!」

「そうだ! お前の正直な気持ちで、お前が望むとおりに行動しろ。お前のわがままと、俺達のわがままで、お前を勇者に仕立ててやるっていってんだ! さあ言え、仁太! お前は、どうしたい!」

 力強く、徳郎はその腕を仁太の眼前に差し出してきた。

 この手を強く握り返すことは肯定の意。そうなれば、徳郎は全力で仁太をサポートし、セナの夢を守るために尽力してくれると誓ってくれた。

 代償は、仁太の命の危険。命を賭けろというくらいだ、徳郎たちのサポートは、全力ではあっても万全ではないのだろう。徳郎は包み隠さず、死の危険性があることを示している。その上で、この手を取るかどうか、仁太に問うている。

「たとえ命を失うとしても」

 今の仁太には、この手を取らぬ理由が見つからなかった。

 パンッ、と。

 手と手がぶつかり合う小気味良い音が、主の帰りを待つ少女の部屋に響いた。

「俺はセナを助けたい」



--------------------------次回予告-----------------------------

「SR-007。機体名、ファイナルコーサ」

「これが、俺の新しい力…!」

 パステパス、島将邸地下にて秘密裏に建造されていたヒトガタをした神に等しき力。

 全長20メートルの鋼の巨神象が今、仁太の目の前で膝をつき、火を灯される時を今か今かと待ちわびている。

「目には目を、機械には機械を、か。……面白ぇじゃねえか」

「その腕は海を割り、その足は地を砕く。紛れもなく、その力は神と同じ。乗れ、そして駆ってみせろ、楠木仁太!」

 巨神を造りし男……コーサの激励が地下格納庫に轟く。

「ああ、やってやる。やってやるとも!待っていろ機海賊団!人の女に手ぇ出したこと、地獄の底で後悔させてやるぜ!」

 翔べ、仁太!

 駆けよ、仁太!

 世界は今、お前の手の中にある!

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