その十二
「勇者様、おはようございます」
「おはよ・・・」
セナの元気の良い挨拶とは対照的な覇気のない返事を返しながら、仁太はゆっくりと身体を起こした。
仁太たちがいるのはセナ宅の客間だ。先ほどまで仁太はここの床で寝ていた。
「昨晩は気を使っていただき申し訳ありませんでした。勇者様に床で寝ていただくことになってしまって・・・、その、よく寝られましたでしょうか?」
昨晩というのはベッドの件だ。一人暮らしのセナの家には当然ベッドは一つしかなく、それを仁太に譲ると言ってきたセナを、仁太は必死に説得した。女性を、家主を床に寝かせるのは仁太の中の良識が許さないからだ。
その後「では私と勇者様で半分ずつ使うというのは」などとセナが言い出したので猛ダッシュで寝室を後にして客間に逃げ込んだ。
「あー、うん。よく寝れたよ・・・」
「そうですか、それを聞いて安心しました。朝食の支度ができてますので、準備ができたら来てくださいね。あ、外に桶を用意してあるので、顔を洗うのでしたら使ってください」
そう言ってセナは客間を締めて去っていった。
窓から朝日が差し込んでいる。外はもう明るい。時間も時間だし、なにより仁太は客人の身である。二度寝をするわけにもいかない。
眠気まなこを擦りながら立ち上がり、伸びをする。直後にあくびが出て、いまいち眠気がなくならない。
無理もないことだ。仁太はろくに睡眠をとれていないのだから。理由は床で寝たからではない。
「ここが、女の子の家・・・」
ぼそりと呟く。そう、異世界の、異種族のものとはいえ、紛れもなくここはセナの、女の子の家だ。少年・楠仁太が初めて泊まった異性の家なのだ。
仁太本人にも、ましてセナにもその気はないとはいえ、意識してしまうのも無理はない話だ。なにせ初めての出来事なのだから。このことは仁太にとって初めてのテントなどよりもよほど刺激的だった。
横になって目を閉じたとき、急に聴覚が研ぎ澄まされるような錯覚に陥った。些細な物音が気になり、瞼の裏にセナの顔が浮かんでしまう。意識してそれを消そうとすればするほどドツボにはまる悪循環。
こうした心の中の戦いは夜通し続き、空が白んで来たかどうかというころになって、やっと疲労から来る睡魔が勝利し、仁太は眠りに落ちることが出来た。
が、すぐにこうしてセナに起こされてしまったというわけである。
「あ、それと」
仁太があくびをしていると、唐突にセナが戻ってきた。いきなりのことに、仁太は思わずビクリと肩を震わせてしまった。
「萌え豚さんから服をいただいたので、そこに置いておきました」
「徳郎が服を?」
「はい。先ほど萌え猫さんが届けてくれました。こちらに来たばかりで、着替えがなくて困っているのではないかと心配してくれたようです」
「へえ」
開放的な変態という欠点はあるが、徳郎はかなり気の利く男のようだ。代理でミアが届けてくれたところを見ると、昨日のトラップのダメージが抜けきっていないのだろう。少し同情しそうになった。
「脱いだ服はその辺りに置いておいてください。あとで私のものとまとめて洗っておきますので」
言って、セナは再び去っていった。年頃の少女は自分の衣服と家族の男の衣服を一緒に洗われるのが我慢ならないと話に聞いたが、セナはまったく気に停めていないようだ。これについては常識が違うというよりも、セナの性格によるものだと仁太には思えた。
知りあって一日だというのに、仁太にはセナの性格がわかってきたような気がしていた。
「それはそうと」
顔を洗う前にセナの言っていた徳郎の服に着替えることにした。セナの指していた方向に目を向けると、綺麗に畳まれた浴衣があった。ご丁寧に下駄まで付いている。さすがにこれはいらない。
緑の層、クーぜ村で支給されたのはRPGの田舎町のNPCが着ているような質素な服だったが、金の概念がある青の層では色々な服のバリエーションがあるようだ。とはいえ、まさか異世界に来てまで浴衣を着ることになるとは、思っても見なかった仁太だった。
旅館にでも来た気分になりつつ、仁太は着替えを始めた。
この浴衣の背中に美少女アニメキャラクターのイラストが描かれていると仁太が知るのはもう少し後になってからである。
裏口を出てすぐのところに桶を見つけた仁太がしゃがみ込んで顔を洗っていると、斜め後ろの家から出てきた白いキャルトの女性が「あら、あなたもそういうの好きなの?」などと意味深なことを呟いたのが聞こえたところで、仁太は自分が着ている服の正体に気づいた。
なぜ着るときに気づかなかったのか不思議なほどどでかく印刷されたそのイラストは、いわゆる魔法少女と呼ばれる人種のものに違いなかった。女児物コーナーに置いてあるようなキャピッとでも形容すれば良いであろうピンクで見を包んだ少女の絵は、仮に仁太の世界でこれを着て町を歩いたら翌日から近所のご婦人方に陰口を叩かれまくること間違い無しの危険極まりない代物だ。
顔を桶に浸けたらお湯になるに違いないと思うほどの勢いで顔が暑くなるのを感じた仁太は、素早く水を通りに捨てると、早足でセナの家へと逃げ込んだ。
実際のところ、様々な価値観が溢れ、さらにそれが可能な限り共存できているこの神隠しの層において、この程度のイラストで他人に嫌われることはないと思われたが、そこは仁太の価値観が許さなかった。・・・のだが、一度客間に戻ると仁太の服は既に片付けられたあとであったため、仕方なしに食事の席につくことにした。
すでにセナは席について仁太を待っていた。皿には盛られた料理からは湯気が出ていることから今しがた盛ったのだとわかる。仁太が顔を洗いに行っている間に服を片付け、さらに料理も盛りつけたらしい。この少女は恐ろしく手際が良いようだ。
仁太が席につくと、
「お口に合うと良いのですが・・・」
と彼女にしては珍しい・・・少なくとも、昨日のセナには見られなかった自信のなさそうな声で言った。
そのことが少し気掛かりだったが、仁太は食事を始めることにした。
「それじゃ、いただきます」
手近なスープを手に取り口に運ぶ。味は文句なしの美味しさだ。近くにあったパンも、緑の層で食べたものより美味しい。セナの料理の腕は昨日の時点でわかっていたが、改めて彼女が料理上手だと思い知らされる。
食事の手を進める仁太を、セナはじっと眺めていた。その視線に気づいた仁太が顔を上げると、そこには不安げな表情のセナの顔があった。が、すぐにまた笑顔に変わった。
一瞬の出来事だったので案外見間違いだったようにも思えるし、昨日一日ほぼ笑顔でいたセナから想像できない表情を見間違えるようなことなどあるだろうかとも思える。
「どうかした?」
一向に食事を付けず、こちらを見ていたセナに問いかけると、
「いえ、なんでもありません」
と返してきた。
「美味しいのに。早く食べないと冷めるぞ?」
「あ・・・、はい!」
今度の返事は少しボリュームが大きかった。セナの笑顔も、数段階ほど明るさが増したが、仁太にはその理由はわからなかった。
大半を笑顔で過ごすセナには笑顔のバリエーションが多い。明るい笑顔、暗い笑顔、と器用に笑顔で心情を表現しているように見える。今の笑顔は、仁太が見た中でも特に明るい部類に見えた。
その後、少しの間会話が見つからず、両者は黙々と食事を続けた。昨日は徳郎がいたためさほど緊張しなかった仁太だが、見た目少女とはいえ歳の近い女性と二人きりの静かな食事というのは物凄く気まずい。
セナはといえば、相変わらずの笑顔で黙々と食事を続けている。真顔で無言なのも気まずいが、笑顔で無言でいられるのもこれはこれで話しかけづらい。仁太のほうから切り出すのは困難に思えた。
食事に手をつけはじめてから、セナの表情は更に明るい笑顔へとシフトしているように見えた。自分の作った食事が思いの外上手くいって満足、といったところだろうと仁太は予想した。そして、セナに話しかけることがすなわち彼女が楽しんでいる食事の邪魔をすることになるのだと気づき、さらに話しかけづらくなった。
(まあ、セナが楽しんでいるなら静かに食べるのも悪くは・・・)
と思うことで、仁太が自分を言い聞かせていると、
「ところで」
とセナが切り出してきて、仁太の見当が大きく外れていたことが判明した。セナは別段食事に集中したいと思っていたわけでもないようだ。
「このあと、七将様の屋敷の方へ昨日の報告をしに行きたいのですが、勇者様も一緒に来てくれませんか?特に義務というわけではないのですが、七将様に勇者様の紹介をしたいのです」
嬉しそうな声音だった。昨日、この話をしたときもセナは同じような様子だった。七将様とやらに会うのが嬉しいのだろうか。ミアも相当の信頼を寄せているらしい、例の島将という島の実質的なリーダーに。
断る理由も見つからなかったため、仁太はこれを承諾することにした。というより、家主が行くというのに仁太が家に一人で残るわけにもいかないので、付いていかざるをえない。
「いいよ。・・いい、けど」
「けど?」
「この服、なんとかできないか?」
仁太の今着ている浴衣。親愛なる変態野郎・徳郎からの贈り物。
島のリーダー相手に、こんな恥ずかしいものを着ていけるわけがない。
「確か、勇者様や萌え豚さんの世界で流行ってる芸術ですよね?私は可愛いと思いますよ。良いじゃないですか」
「私は、って言葉が物凄く引っかかるし、一部の人に流行ってるだけで大衆芸術ではないぞ、これ」
「そうなんですか。萌え豚さんが熱心に皆に勧めていたので、てっきりそういうものなのだと思ってました」
いわゆる"布教"というやつだろう。異世界に来てまで美少女アニメの布教活動とは、徳郎も相当な物好きである。タルラの言う"導師"の意味が、なんとなくわかってきた。
セナが信じ込みやすい性分なのか、異文化に対して抵抗がないのか、そもそも徳郎以外に比較対象がいないから信じざるを得なかったのかは置いておくとして、セナの誤解を解く必要がある。
説得の末、この美少女ものの浴衣が仁太にとって恥ずかしい代物であることを理解したセナは、提案をしてきた。
「では、萌え豚さんには悪いのですが、これを売ってしまいましょう」
なかなか衝撃的な発言だった。思いの外、思い切りが良い少女だ。貰い物をためらいもなく即座に売っぱらおうという発想は、仁太には微塵もなかったが、反対すると話が進まないので素直に同意することにする。
「港近くの商店街には服屋さんもあります。そこでこれを売って、新しいのを買ってから七将様のもとへ行きます」
「売れるのか、これ」
「問題ありません。萌え豚さんの作った服ですから、新品の服の一着や二着くらいは買えるはずです」
これまた意外な発言だった。
「徳郎の作った服"だから"?」
「はい。萌え豚さんはこの近辺、例えばニッククやキィーシス、勿論このパステパスでは高い人気を誇ります。あ、その浴衣のようなイラストが書かれた物は珍しいです。普段はもっとふりふりの付いた可愛い服や、マントなどが付いたかっこいい服が多いです。その浴衣に描かれてる女の子が着ているような服もあります。ちなみにこの服も萌え豚さんのデザインしたものです」
ニッククは第五島、キィーシスは第六島のことらしい。
ふりふりにマントと言われてもあまりピンとこなかったが、最後の言葉で理解した。
「・・・あいつ、アニメキャラの服作ってるな」
徳郎の趣味であるアニメのキャラの服装を参考にデザインしているのだ。恐らく、コスチュームプレイとやれで培った技術を応用している。一方で、いまセナの着ている水色のワンピースのような、仁太たちの文明の一般的な服も作っているようで、この浴衣もその一つだろう。
趣味を仕事にする、という簡単そうで難しいことを、徳郎は見事にやってのけたのだ。
そしてそんな徳郎の趣味の一品を売ってしまおうということで話は決まったのだった。
何度か書きなおしてる内に仁太の服がドラゴンと名のつく割にラスボスは全然ドラゴンじゃなくなってしまった某RPGシリーズの勇者風な服から痛浴衣に変わりました