その十一
セナに促され、仁太は湯屋を後にすることにした。
落ち着きを取り戻せないミアの面倒は徳郎が買ってでてくれた。相変わらず地面に倒れ込んだままの情けない格好だったが、うまくミアをなだめてくれているようで、あの男が意外と面倒見が良いということに仁太は気付かされた。
湯屋を離れ登山道を降る途中、セナはミアの反応の理由を簡単に説明してくれた。正直言って、たったあれだけの会話でミアが震え上がったことが仁太には不可解だったが、セナの話を聞いてそれが無理からぬ事であることを知った。
あのサディストの気のある猫娘は、過去に機海賊の襲撃を受けて蹂躙された島に住んでいた時期があるのだという。そのトラウマを抑えこんでくれるのが島将らが保証してくれる島の安全だった。
本来、機海賊にとって自分たちと違う文明の人間は下等生物であり、生かす価値のない不要物なのだという。人肉を食す文化もなければ、人間の労働力なども必要としていない。故に、見れば殺す。セナを殺さずに拉致したのは、恐らくエルヴィンという希少種族に価値を見出しただけで、とりたてて珍しくもない獣人などは生かす必要がないと。
当然、ミアも殺される直前まで追い詰められたが、そこを救ったのが現七の島将ベルザルクその人だった。
「萌え猫さんにとって、七将様は命の恩人であると同時に"命"でもあるんです」
真剣な面持ちでセナが言った。
命。詩的な表現だったが、言わんとすることは仁太にも理解できる。いわば彼女の鎧であり、防火服であり、宇宙服。それなくしては生きていけないのだ。少なくとも、ミアはそう信じている。
先程の話は、例えるなら鎧に穴が開いていると指摘されたようなものだったのだろう。周囲に潜む敵が、いつその穴に刃を突き立ててくるか、そんな恐怖をミアは感じていた。
「初対面なのに悪いことしちゃったな・・・。もしかして、セナが捕まってたことってあんまり知られちゃいけないのか?さっき港で大勢に見られちゃったから手遅れかもしれないけど」
「確かに多くの島民が島の安全を心の支えにしていますが、問題を隠すのはかえって良くないです。萌え猫さんもそれはわかってくれているはず。それと、港のいる人達は常にセキュリティ外である海上を仕事場にしているので、この手の話題はむしろ興味津々のはずです」
セナの顔には微笑が戻っていた。仁太が思いつめないように気を使っているようだ。
「問題のありそうな箇所はどこか、どれくらいの規模の部隊が来たのか、などいくつか訊かれたほどです。あ、これらの情報は既に七将様に届いているはずです。明日の報告は、形だけですね。勇者様を紹介するのも兼ねてます」
セナが大事のあとだというのにのんびりしている理由の一つのようだ。既に報告が言っているからこそ、こうして仁太たちと湯屋に来る余裕がある。もっとも、ここまでのんびりしていられるのは彼女の性格によるところも少なくないだろう。
七の島将に報告するという件について、セナが嬉しそうに話すことに仁太は気づいていた。島のヒーローであるベルザルクに会う口実ができたことが嬉しいのか、あるいは別の用件かは仁太の知るところではない。
少なくとも、セナの様子から読み取れる彼女の感情は、仁太とは真逆のものであることは、確かだった。
山頂、樹上。第七島パステパスの最も高い位置に、男はいた。
無精髭にぼさぼさの髪、しかしその服装は貴族を思わせる豪奢なもので、この男の地位が如何に高く、しかし成り上がって手に入れたものであることが伺える。
湯屋を取り囲む様に生えている木々の上。下からの灯りも届いてはいるが、男の姿を湯屋周辺から見ることは難しいはずだ。そういう位置を選んだのは、誰かに姿を見られた際に覗きの疑いをかけられる可能性を考慮してだ。今回、彼がこの場にやってきたのは別件だ。覗き疑惑などという間抜けな、もといやっかいな事態になるのは彼の望むところではない。
既に彼の目的は達成されていた。後はこの場を立ち去るだけだが、ふと空を見れば美しい星々が見えた。よくよく考えればここは特等席なのだ。そういったわけで、彼は未だ立ち去らずにこうして夜風に当たりながら暗い樹上で夜を楽しんでいた。
男は星に詳しくない。どれがどういう星なのか、この星空は元居た世界とどう違うのか、そういったものはさっぱりだった。
そもそも男は星に詳しくない。星座どころか、星の名前一つ知らない。強いて言うなら、月と太陽くらいのものだ。にもかかわらず、彼には空を見上げる趣味があるのだった。
男がこうして興味もない星を見あげてしまう状況は決まっていた。
「また面白いものを見つけたのですね、コーサ」
突然の発言。しかし、男・・・コーサは驚きはしない。そろそろ来る頃合いだと思っていたところだったからだ。
空気以外は何もないはずの樹上の空間。そこに音もなく空いた穴から、新たに男が一人現れた。
穴の向こうに見えるのは豪邸の一室。今現れた男の部屋だ。男もまた、さらりと伸びる綺麗な長髪に、コーサ同様豪奢な服装をまとうなど、部屋に見合うだけの整った風貌をしている。
空間と空間を繋ぐ穴は程なくして消滅した。発動地点と特定の座標を結ぶ"穴"を開く術式。世界を構築する"式"を狂わせ、座標と座標の位置関係を一時的に入れ替えるワープ術式。
紛れもない、魔法。操る者は必然的に魔法使い。
「あなたが空を見上げるのは、きまって気分が高ぶっている時です。今度は何を見つけたのです?」
「"勇者様"だ」
「ほう、勇者様?」
コーサは頷いた。楽しげに、口元を緩ませながら。
一方で、勇者という単語を聞いた魔法使いの方は少し驚いた様子だ。
「セナリアラが連れていたという少年の話は聞いていましたが、彼が勇者である、と?」
「信じられないか?島の連中もそんな反応をしただろうな。当然だ、誰もセナリアラの話は信じていなかった。予見者というのも、不可解な言動を繰り返す彼女を気遣って付けたあだ名なのだから」
「彼女が拐われ、それを助けに来てくれる人間がいる、というやつですか。しかし、現にこうして船も無しに海賊船の中に捕らわれた彼女を救えたということは…」
「勇者…楠仁太は出現位置未定の偶発転移で直接海賊船上に出現したか、あるいはお前のように魔法使いや精霊術師か。だが、名前から考えるに、彼は術法文明の出身ではない」
「つまり…」
楠仁太は偶発転移というランダム要素によって、セナリアラの元へ現れたということになる。ゆえに興味深い。
術法文明にさえ存在しなかった予見者の可能性を持つセナリアラ、出来過ぎた転移で青の層に出現した仁太。この両名は、観察に価する。
魔法使いもこのことに気づき、コーサの心情を理解したようだ。
「なるほど、これは確かにあなた好みだ。私もすこしばかり興味が出てきました」
言って、魔法使い自嘲気味に笑う。
「あなたが意図的に開けておいた島の死角が、まさかこんなふうに機能するとは」
機海賊が島に侵入できたのは、コーサが気まぐれで放置していた防衛網の穴からなのだ。コーサ自身も、このことには気づいていた。如何に機械文明の力をもってしても、この島の防衛網はそう簡単には突破できず、苦労してこじ開けた頃には島の守備隊の知るところになっているはずだ。事を起こさずに島に侵入できるとすれば、この"死角"以外にはない。
「お前が見逃してくれたおかげでもある」
「あれはあなたがどうしてもと言うからでしょう?・・・まさか、こうなることを見越して」
「いや、単なる気まぐれだ。穴に気づいた機械連中が何を考えるか、侵入するにはどれほどの規模か、そして侵入された場合にどれほどの被害が生じるか。それを知りたかった」
結果、ステルス機能を持った船一隻がエルヴィンの少女を一人誘拐したというもの。機海賊にしてみれば思わぬ収穫だっただろう。エルヴィンの雌の生け捕りは、金銀財宝に匹敵する。
「副将ともあろうものが、島民を実験動物扱いとは。これが知れたらこの島から追放されますよ」
魔法使いは呆れ気味だ。
しかし、副将コーサは反省した様子もなく、
「だったらお前も同罪だろう。確認はとったのだからな」
ククッと笑い、挑むような目で魔法使いを見た。
「なあ、島将ベルザルク様」
それを聞いた魔法使いベルザルクは頭の掻き、ため息をついた。コーサのわがままを聞くとき、この魔法使いは決まってこの動きをする。今回も許してもらえたと見るべきだろう。
コーサは視線を眼下へと映す。遥か彼方、常人の視力では到底視認できないであろう距離に、並んで歩く予見者と勇者の姿が見える。
彼らは本物か、偽物か。人間観察を趣味とするコーサの興味は尽きるところを知らない。
静かな木々の上、コーサはひっそりと笑みを浮かべた。
コーサのイメージは野性的なおホモ、ベルザルクは紳士的な優おホモです。
もちろん嘘です。
同性愛者か異性愛者かまでは設定してませんが、R-18設定にしていないので濃厚なホモキッスとかそういうのないんで、そこらへんは些細なことですよね。