その二
進路の調整をすると言ってセナが術式の調整作業に入ると、ボートには再び静寂が訪れた。終始押し黙っているサンダバは不機嫌そうで、とても話しかけられるような雰囲気ではなかった。
青の層に来て以来、初めて手にした静かな時間に、仁太は落ち着きを取り戻す。転移直後からどたばたと騒がしかったために忘れられていた、暗い気持ちが再び首を持ち上げるのを感じる。
緑の層で出会った昌司という少年は、楠木仁太のもう一つの可能性を語った。仁太が本当になりたかった仁太が、そこにはあった。それを聞いた仁太は自暴自棄になり、胸のうちにずっと隠していようと誓っていたはずの"望んで転移してきたという事実"をランジャにぶちまけた。
運命のいたずらとも言うべき不慮の事故に巻き込まれた人々の中へ、自ら飛び込んできた愚か者、それが自分。
ランジャにそれを告げ、あえて嫌われる道を選び取ったのは、昌司がいる緑の層への退路を断つという意味合いがあった。
昌司がいるあの世界は、自分が可能性に負けた惨めな存在であることを自覚させてくる。もはや赤の層よりも居心地の悪い世界となったが、ランジャという存在が未練になった。しかし唯一の心残りさえ絶ち切ってしまえば、もう緑の層へ戻ろうと思うこともないだろう。
我ながら後ろ向きな考えで、なによりもランジャに迷惑をかける最悪の考え方だ。だが、これでよかったのだ。純真無垢なランジャは、仁太のことを勘違いしているようだった。何を思ってか、彼は仁太を信頼しているような様子でもある。仁太という人間がいかに駄目な人間であるか、思い知らせておく必要があった。
幸運にも緑の層から転移できた今、仁太が欲しているのは一人きりで自己嫌悪に浸れる空間。・・・なのだが、不幸にも厄介ごとに巻き込まれしまったこの現状を、どのようにして打開するべきか。
何を思ってセナは勇者などと呼んでくるのか。最大の疑問はこれだ。転移という現象は神隠しの庭では別段珍しいものでもないだろう。
仁太には覚えが無いのだが、どうやら彼女の繋がれていた鎖を転移扉で切ったらしい。確かに見事な偶然だが、所詮偶然の域を出ないのも事実だ。
なによりも、仁太には特殊な能力が無いというのが問題だ。手から火が出るわけでもなく、空を飛ぶこともできず、人一倍撃たれ強いということもない。大体、剣すらまともに振るえないのに、どうやって勇者を演じろというのだ。これではスライム一匹倒せやしない。せめて特殊な武器か道具でもあればと思うが、やはりそんなものはない。
人並みに漫画を読む少年だった仁太だが、ここまで能力のない勇者は拝んだことがなかった。そこいらの高校生でも異世界に召喚された時点で何かしらの特殊能力を得るものだが、非情な現実が仁太に何かを与えてくれた様子はない。
いずれにせよ、勇者などという大層な存在ではないことを、セナという少女に理解してもらう必要がある。・・・いや、本当はそんな必要はない。得体のしれない少女など無視してしまえば良いだけだ。
だけなのだが。仁太には、それができなかった。一途に人を信じるセナの姿に、ランジャを重ねてしまったのだ。
それだけではない。今この瞬間、仁太は確かにセナに助けられている。セナがいようがいまいが、仁太の転移した場所があのならず者の船の中だったなら、仁太はあの場所から逃げ出す術を持っていない。つまり、仁太がこうして生きていられるのはセナのおかげなのだ。
いくら自暴自棄になっていたとしても、恩を仇で返すようなことをこれ以上行う気にはなれなかった。彼女には、誠意を持って応える必要があるように思う。
だとすれば、勇者でないことの証明は果たしてセナを喜ばすことになるだろうか。いや、喜ばす必要などない。彼女がショックを受けようがなんだろうが、それが彼女のためである。が、それではランジャの時と同じではないか。先ほど自分で"最悪の考え方"などと吐き捨てたことを、また繰り返すのか。
(・・・駄目だ、思考がこんがらがってきた)
絡まり、混乱する思考に仁太は頭を抱えた。自分が本当にしたいことが分からない。
と、ボートが揺れ、海上へと浮上した。
「着きました」
セナは立ち上がると、船を覆う空気バリアを解除する。パンッという風船が割れるような音とともにボートの周りに小さな波が立つ。
少女の指差す先にあったのは島だった。端から端が見えるところから考えて、大陸というわけではない、ちょっと大きい程度の島のようだ。港、そして建物があるのが見える。船も何隻かある。
「第七島パステパス。私がお世話になっている島です」
「申し訳ありません、魔力が切れたようです」
島を目視してから3分くらい経った時点で、セナが唐突に言った。
まもなく動きを止めるボート。セナの心底申し訳なさそうな顔と、サンダバの面倒くさそうな顔に挟まれ、仁太はこの状況を打破するのが自分の役目であることに気付かされた。
モーターなどという便利なものもなく、こうなればバタ足しかあるまいとシャツに手を掛けた仁太だが、サンダバが足元にあったオールを拾いあげて仁太を突付くことで阻止した。
魔法も魔術もあるこの世界で、よもやゴムボートを人力で漕ぐことになろうとは、と半べその仁太がボートを漕ぐこと30分ほど。やっとのことで島に着いた一行は、港で作業をしていた数名の島民によって迎え入れられた。
転移の疲れも重なって疲労困憊の仁太は陸に上がるとそうそうに倒れこみ、少女とゴブリム、そして島民たちの様子を横目で伺った。
人間の他、鳥型の獣人や猫型獣人が見受けられた。彼らは口々に「拐われてたのか」「怪我はないか」などと言ってセナの相手をしている。それに笑顔で応えるセナ。サンダバは相変わらず不機嫌そうな顔で、どこかに立ち去ろうとしていた。
「おい、お前もしかしてサンダバじゃないのか?」
島民の一人、金髪の男がサンダバに声をかけた。そして、その次の言葉に、仁太は驚いた。
「帰ってきたのか?」
舌打ちをしながら、サンダバが振り返る。
どういうことだろう、と耳を傾ける仁太だが、しかしそれを阻むように別の島民がセナに言った。
「この少年は誰なんだ?」
よくぞ聞いてくれました、という風にセナが目を輝かせる。
「この方は勇者様です」
一同がざわついた。島民に囲まれ、仁太の視界にサンダバが入らなくなる。
仕方なく仁太は自分を囲む島民に視線を移すが、彼らの顔は決して勇者に対する驚きや、まして憧れではなく、どことなく面白がるようで、またあるいは憐れむような視線だった。その分かりすぎる表情から察するに、さしずめ「セナの新しい友だちか」や「セナに捕まってしまった不運な奴」とか、大体そんな感じだろう。
この反応だけでも、島民のセナに対する認識が見えてきた。
「この方が、私を機海賊団から救い出してくれたのです」
またも誤解を生みそうな発言に、たまらず仁太は反論する。
「いや、ほとんど君が・・・」
「救い出してくれたのです」
押し込まれしまった。
そのやりとりを
「すげーな兄ちゃん」
「さすがは勇者様!」
などと笑う島民もいたが、
「セナを助けてくれてありがとう」
と素直に感謝の言葉をくれる島民もいた。
「い、いえ・・・」
自分が恥ずかしさと照れくささに赤くなっているのがわかった。
その後、一通り島民たちと言葉を交わしたセナは、仁太の手を取ると島民に別れを告げ、歩き出した。
「さあ、勇者様もお疲れでしょうし、そろそろ参りましょうか」
相変わらず強引な少女だ。
「参りましょうって、どこへ?」
「決まってます」
何を当たり前のことを、といった表情で、少女は言った。
「私の家ですよ」
「・・・え!?」
「だって他に行く宛もないでしょう?」
「そりゃそうだけど・・・。そ、そうだ、緑の層の村みたいに、新参者の滞在用の施設とか・・・」
「そういうのもありますけど・・・青の層は基本的にお金が命です。新参の方が寝泊まりするのは、カビと埃が満載の小屋で、もう何年も使われてませんが良いんですか?」
今の身体では掃除をする気力も起きないし、汚い小屋で一夜を過ごす気にもなれない。疲れを取るためにも一晩だけでもしっかりとしたところで過ごしたいところだった。
「・・・すみません、滞在させてください」
「わかればよろしいんです」
これは勇者様に対する対応ではないんじゃなかろうか、と首を傾げる仁太。
一方、セナな笑顔を浮かべ、鼻歌まじりで仁太を手を引いた。