その十八
クーぜ村が管理している湖の役割の一つは魚の育成がある。
とはいっても、養殖というほど立派なものではなく、ただ単に魚が自然に育つのを待つだけである。乱獲を防ぐための監視は湖管理小屋担当者の仕事だ。
今回、仁太が任されたのは湖の管理ではなく、魚を取ることだった。しかし、釣り道具のないクーゼ村では、魚を捕るために使うのは網と己の肉体だ。
「無理です」とハッキリ断った仁太を、しかしアルミラは容赦なく湖に突き落とした。
着衣のまま落とされたこともあり、仁太はほどなくして湖底へと沈んでいった。最初はケタケタと笑いこけていたアルミラも、仁太の様子が演技でも何でもないことに気づくと血相を変えて救出した。
一度湖底へ沈んだ仁太を海面へと押し上げたのは不自然な水の流だった。後に仁太が尋ねたところ、もしものために組んでおいた水魔法で水流を操作したのだという。自称天才魔法使いアルミラの引き出しの多さに仁太はただただ驚いた。
「ごめんなさい!まさか本当に泳げないとは思わなくて」
アルミラが頭を下げてきた。
「こ、殺す気ですか・・・!着衣水泳なんて泳ぎ慣れてない人間には無理ですよ!」
「私泳いだことないからわからないのよ、そういうの。前に連れてきたチャカストは普通に泳げたしー」
「無能力の一般人を、獣人と一緒にしないでくださいよ・・・」
溺れながらも、仁太はこの女が腹をかかえて笑い転げていたのをしっかりと見ている。以前会ったときはダムダと張り合う以外はまともなお姉さんに見えたが、実際のところはけっこう適当な性格をしているようだ。
そんなダメ人間もといダメ魔法使いの言葉に、仁太は一つ気がかりな部分を見つけた。
「ところで、今、泳いだことないって」
この仕事は湖の中に網を持って潜り、魚を捕まえる仕事だと聞いている。泳げないのでは話にならないのではないだろうか。
するとアルミラは「見てて」と言うと、袖の下から縦長の二枚の札を取り出し、それを合わせた。合わさった紙はちょうど正方形となり、各紙に描かれていた半円の魔方陣はこれにより完全な円となる。
と、紙そのものが発光を始めた。アルミラは紙を持っていた両手を離すが、二枚の紙はその場で静止し光を放ち続けている。アルミラがそれを軽くはたいてやると、紙はそのまま正方形を保ちながら湖の方へ向かって直線に進んでいく。
まるで空中を滑るように、なめらかに加速しながら進む紙が湖に到達したとき、ゴバッと音を立てながら水が収束を始めた。紙を中心に収束を続けた湖水は、やがて小さな水の球体となり、核たる紙を中心に据えたまま空中に固定された。
すべての水が球体となった今、元湖だった場所はただ巨大なだけの窪みとかした。かつての湖底、今はぬかるんでいるだけの地面とかした場所で魚がぴちぴちと跳ねている。
「さ、時間切れになるまえに集めましょ」
そういうと、アルミラは網を持ってさっさと行ってしまった。時間切れという言葉を聞いて不安になった仁太も、遅れまいとその後に続く。
アルミラは慣れた手つきで魚をポイポイと仁太の持つバケツに放り入れてきた。決められた種類の、一定以上育った魚を、決められた数だけ。
バケツを持って立っているだけの仕事に早くも飽きてきた仁太は頭上に浮かぶ球体のことが気になってきたので、尋ねてみることにした。
「時間切れって、あの球体、時限爆弾みたいなものなんですか?」
「そうよ。水だけを指定して一時的に空間を歪めたの。時間が来ると札が消滅して、水がバッシャーン!ってなるわ」
手を休めず、アルミラが答えた。
「ちなみにあと2,3分ってとこかしら。魚は・・・ほいっと、これであと3匹かな。走れば間に合いそうね」
「走ればって・・・。もし間に合わなかったら?」
「水圧でもみくちゃにされるか、それを耐えても溺れるかのどっちか・・・かしら。試したことないからわからないわね。っと、これであと2匹」
次はあっちよー、とさらに前に進むアルミラ。さらりと恐ろしいことを言っていただけに、仁太としては今すぐ回れ右して全力で逃げたいところだが、アルミラの余裕を見るに、彼女なりに計算してあるのだろう。そうでなくては困る。
そんなこんなでアルミラが最後の一匹をバケツに収めたところで彼女は球体を見上げ、
「あ、やばいかも」
と不穏な言葉を呟くと、「走って!」と言うが早いか全力で走りだし、「えっ!?」と動きを止めた仁太とあっという間に差が開いてしまった。
「ちょ、ちょっと!アルミラさん!?」
必死で後を追う仁太だが、先を行く魔法使いの足は思いの外早い。肉体を強化する魔法はないという話を以前聞いたので、これは彼女自身の身体能力らしい。
バケツを持っているとは言え、現役高校生の仁太よりも早いのに仁太は驚いたが、今はそんな状況ではなかった。
岸へ避難を終えたアルミラが急かしているのが聞こえる。あんなに足が早いなら、すれ違いざまにバケツを持ってくれても良かったろうにと心のなかで悪態を吐く。
岸まで目測5メートル。そこで、背後からドバッという音が響いてきた。目の前のアルミラが「あちゃー」という顔をしている。
ゴッ!という衝撃。巨大な水の壁が、仁太を突き飛ばした。
一瞬だった。一瞬で、仁太の身体は岸まで運ばれてしまった。ただ、そこに大きな痛みはなく、軽く背中を殴られた様な痛みを感じる程度で、あとは服が一部濡れたこと以外は特に何もなかった。
予想に反して大したダメージもなく、別段痛みを期待していたわけではないが、仁太は拍子抜けしてしまった。
「空間を戻す過程で異物はちょっと押し出されるみたいね。魚はもともといたからそうはならないみたいだけど」
ぽかんと半放心状態の仁太のよこで、ふむふむとアルミラが一人で納得していた。
「良かったわね、無事で。あなたが水に飲まれるのを見て、もうダメかと思った」
「・・・アルミラさん?」
「な、なによ・・・」
「俺に言うべき言葉はそれですか?」
「・・・ごめんなさい」
ダムダといい、アルミラといい、術法使いはろくな連中ではないなと、仁太はこの時確信した。
イライラの収まらない仁太だったが、ふとバケツとその中身が無事であることに気づいた。思えばなぜこれを最後まで持っていたのだろう。さっさと離して逃げれば良かったのに。
同じくバケツの無事に気づいたアルミラは、話をそらそうとしたのだろう、バケツを持つと「早く行きましょう」とさっさと帰路についた。
なにはともあれ、仕事は達成された。あとはこれを村に届けるだけだった。
仁太も立ち上がり、アルミラのあとを追う。
仁太たちが管理小屋の前を通りかかった時だった。村の外へ繋がる森の道から、声がした。
「仁太・・・?おい、お前、もしかして仁太か!」
その声は、たしかに仁太の名を呼んだ。しかし、その声に聞き覚えはない。
仁太が振り返ると、こちらに駆けてくる少年がいた。その後ろには、仁太がまだ見たことのない鳥の獣人の姿がいくつか見える。
「やっぱり!お前もこっちに来てたのかよ、仁太!」
仁太に駆け寄った少年は、仁太の手を取ると大いにはしゃいだ。まるで半年ぶりに再会した旧友を前にしたかのような喜びようだが、しかし仁太はこの少年のことを知らなかった。
「・・・誰?」
その言葉に、少年の顔に驚きの色が浮かんだ。まるで信じられないものでも見るように。
「・・・あれ、仁太じゃない?」
「いや、俺は仁太だ、楠木仁太。でも、俺はお前のことを知らない」
「またまた、冗談きついぜ。俺だよ、朝海だよ。朝海昌司。忘れたなんて言わせないぞ」
「・・・ごめん、知らない」
まるで信じられないものでも見たかのような顔をし、続いて首を傾げる昌司。だが、仁太としても知らないものは知らないのだ。
と、そこへ鳥獣人たちが追いついた。
「やあアルミラ、久しぶり。それと、君は初めて見る顔だ。昌司の知り合い・・・というわけではなさそうだな」
一人の鳥獣人が言った。
「私はコルドス。ジルベ村の者だ、よろしく頼む」
内容を変えるべきか否かで悩んだ結果、描写を減らすことにしました。
へたに意識しすぎるほうがかえって失礼な気もしますが、一応念のため…。