その十四
サンダバが目を覚ましたのは見知らぬ部屋だった。
木製の天井を見るのは工房で眠りこけてしまった時以来だ。それももう昔の話。
まさか自分は帰還したのか?それとも、今までの出来事は全て夢幻だったのだろうか?そんなことを考えたが、彼のなかにぼんやりと蘇った記憶がその可能性を否定する。
仲間と共に人間とチャカストのコンビを襲撃した際、サンダバは偶発型の転移扉に巻き込まれ、別の層へと転移させられたのだ。
となると、ここは青の層か、緑の層か。青の層ならば以前に住んでいたが、緑の層は未知の世界だ。赤の層では大した情報を得られなかったし、知ろうと思ったこともない。
とにかく、今優先すべきことは赤の層への帰還手段の確保。ならばやるべきことはただ一つだ。交渉だ。
青の層の住人がそうだったように、この世界は基本的にお人好しが多い。自身らがそうされたように、見知らぬ人物にも優しく対応しようとする。余所者という理由では決して迫害しない。住人たちが牙を向くことがあるとすれば、それは彼らに害をなす存在だと認定された場合だ。これが緑の層でも共通であることは、サンダバも知っていた。
ただし、暴力によって支配された赤の層は別だ。常時疑心暗鬼に陥っている住人たちは余所者に対して攻撃的だ。仲間にする価値がありそうで、かつ赤の層に来たばかりの者のみが歓迎される。貧弱な人間など質の悪い食料程度の存在に過ぎない。
なにはともあれ、赤の層以外の常識を知っているサンダバにしてみれば現状はさしたる問題ではない。早々に赤の層へと戻り、親愛なる群れ仲間に心配を掛けた詫びをしなくては。
と、扉が開き、チャカストが部屋へ入ってきた。
「出やがったなこの腐れナイフ魔!イムケッタ一派を舐めたツケを払わせてやる!」
怒声と共になぐりかかるサンダバを、チャカストは驚きつつも見事にかわした。
しまった。
完全に無意識だった。目の前のチャカストが、赤の層で対峙したナイフ使いのチャカストに見えたのだ。
赤の層では、サンダバのような非力なゴブリムは先制攻撃なくして勝利なしと言われているほどに不利な存在だ。だから、彼は敵と認識するころには手を出している癖があった。
そして、自身の所属する群れの名前を宣言することで自分に手を出すことの愚かさを相手に教え、場合によってはそれだけで交戦を回避することができる。
だが、その癖が完全に裏目に出た。
「イムケッタ一派だと・・・?」
チャカストの表情に疑いの色が浮かぶ。サンダバが危険人物であることに気づいたのかも知れない。
「なんだなんだ、何を怒鳴ってるんだ」
向かいの部屋から犬の獣人種・ワーバウが一人出てきた。
敵は二人だ。それも身体能力に長けるチャカストとワーバウ・・・残念だがゴブリムでは太刀打ちができない。だが!
サンダバは出来る限り威圧的な声になるよう努力しつつ、叫んだ。
「くっ・・・!おい、そこのお前ら!俺はイムケッタ一派のサンダバ様だ!黙って俺の指示に従ってもらう!」
「こちらです」
ワーバウに案内され、問題のゴブリムがいるという部屋の前に着いた仁太たちを迎えたのは、呆れ顔のチャカストだった。ちょうど部屋から出てきたばかりの彼はお手上げといった感じで、ことの経緯を話した。
「部屋を開けるなり殴りかかられた・・・と。随分と血気盛んな客人だが、ゴブリムというのは少々感情的になりやすく思い込みも激しいからな。急なワープで錯乱しているのだろう」
「それと、イムケッタ一派という言葉を連呼しています。曰く、自分はその一員であると」
イムケッタ一派の一言にホルドラントの眉がぴくりと動いた。
「イムケッタ一派か・・・。人を喰らうことも厭わぬ危険な集団の名だな。タイラーン三人を擁し、赤の層でもそこそこ強力な連中だ」
タイラーンとはゴリラのような強靭な肉体を持った天然の獣人だと聞いた。武力と知力、両刀のまま進化を続けた種だが、激情に駆られることが多く、大変暴力的であるとも。
仁太は赤の層で自分たちを襲った集団を思い出した。タイラーン三人にゴブリム、そして包囲網に参加していたドワーフの特性を持つ亜人ドワフルたち。あれこそがイムケッタ一派だったのだろう。
転移扉が発生した際、仁太の近くに居たゴブリムも転移に巻き込まれてしまったのだろう。そして何の偶然か、ベッドが二つしかないということで仁太たちとは違う部屋で看病された、というところか。
仁太の顔を蹴り、ランジャを襲おうとした忌まわしきゴブリムが、今、目の前の部屋にいる。
「人を食すことは青の層でも、当然この緑の層でも禁じている。彼がイムケッタ一派だというなら、早急に処分しなくてはならないだろう」
ホルドラントが真顔で言った。恐らく、処分とは・・・。
「待ってください。もしかして、ゴブリムを・・・その・・・、殺す、ということですか?」
「うむ。奴らは今まで多くの人間を殺してきた。命からがら別の層へ逃げ延びた者が何人も報告されている。腕や目といった、体の一部を失いながら、な」
「そんな・・・」
「最も、赤の層の強力な群れはどこも似たようなものだがな。なんにせよ、危険は野放しにできん」
「・・・」
罪人は殺す。残酷なようだが、仁太の世界でも珍しいことではなかったはずだ。まして、今も尚聞こえてくる怒鳴り声の主は殺人集団の一人だったのだ。仁太の世界の法と照らしても、重い刑罰が課せられるのは間違いない。
だが、だからと言って殺人を肯定することができるほど、仁太は命を軽んじることができない。
現に仁太は五体満足でここにいる。あのゴブリンと真っ向から対峙して、だ。この世界でも特に戦闘力の低いと思われる仁太でさえ生き延びれたのだ。
嫌な奴だったのは確かだ。顔を蹴られた。おそらく、悪態も吐かれた。だが、だがしかし・・・。
部屋から響く声は耐えることを知らない。
「な、仲間を呼んだって無駄だぞ!俺の・・・俺達の長、イムケッタは仲間に危害を加えるものを決して許しはしない!」
惨めな声だった。必死さが伝わってくる。他人の名をかざすという行為が、こんなにも惨めに聞こえるとは。
「いいから黙って食料と、定期転移扉の場所を教えろ!俺は戻らなくちゃならないんだ!」
主張は続く。部屋の様子を見ていたチャカストが呆れと、少しの嘲笑の色に染まる。
「俺を殺す気なんだろ?無駄だぞ!いずれこの場所はバレて、お前らは皆殺しに合う!イムケッタは仲間の死のためならどんな奴にだって立ち向かえるんだ!」
それはもう、悲痛な叫びだ。その発言は、自身の非力さをアピールしているようなものである。にもかかわらず、本人はそれに気づいていない。
あのゴブリムは、驚くほど無力なのだ。それは同時に、彼には人を殺すだけの力がないことを示している。
無謀な殺人者であるならば、今この場でも戦いを挑んでくるはずだ。それをしないのは、つまりそういうことなのだ。
赤の層での戦いを思い出す。彼は仁太をいたぶるだけいたぶって、最後は殺さずに背を向けた。
殺さなかったのではない。殺せなかったのだ。
殺人の度胸は、そう簡単に付くものではない。仁太がそうであったように、あのゴブリムもまた、その度胸がないのだ。
ここまで思考してしまったら、取るべき行動は一つしか無いだろう。
「ホルドラントさん」
「ホルドラントで良い。なんだ?」
「彼を・・・あのゴブリムを、送り返すだけに留めるわけにはいかないのですか?」
「それはできない。十村の・・・いや、赤の層以外のあらゆる場所の掟だ。犯罪者を許すわけにはいかない」
「しかし・・・」
その言葉を口にすることは躊躇われた。
本当に良いのか。この決定に、間違いはないのか。良く考えろ仁太。この発言は、何と何を天秤にかけているものだ?
この発言は大きいはずだ。仁太の肩には、一つの命と、今後奪われるであろう命が掛かっている。ただし、前者には確かな死が待っているが、後者のそれはあくまで可能性に過ぎない。
一人の、つい昨日まで自身の敵だった者を信じるという決断だ。下手をすれば、仁太の今後をも危うくする決断。
その時、再びゴブリムの叫びが聞こえてきた。
「くそ!そこのチャカスト、今俺を笑ったな!?畜生・・・てめえなんか、イムケッタがいれば・・・畜生!」
それを聞いたチャカストは吹き出した。「殴る度胸一つないくせに」。嫌な笑い方だったが、チャカストの気持ちもわからないでもない。
だが、それで決心がついた。あのゴブリムは、元々赤の層にいるべきような奴などではない。
ホルドラントに向けて、出し渋った言葉を今度こそ放つ。
「しかし、彼は俺たちを逃がす手伝いをしてくれました」
真っ赤な大嘘だった。
「俺達はちょっとしたトラブルでイムケッタ一派のタイラーンをいざこざを起こしてしまい、彼らの怒りを買いました。しかし、ゴブリムの彼だけは、子供である俺たちを逃がすために一芝居売って・・・だから、一緒に緑の層まで来てしまったんです。だから」
驚きの表情で固まるホルドラントを真剣な顔で見つめる。真顔で嘘を吐く。慣れた演技だ。
「だから、彼を殺すことは義に反します。俺には、それを止める権利がある」
もう、後戻りはできない。