その十二
その料理の味は極めて普通だった。
味付けは比較的薄目で、格別に美味しいというわけでもなければ、飛び抜けて不味いというものでもなく、そもそも薄すぎるせいで味があまり気にならない、というのが仁太の感想だった。
嬉しいような悲しいような、そんな微妙な感覚に包まれた。ここは異世界だ。食べられる事に越したことはないだろう。だが、何もない味というのは味気ないというものだ。これならばいっそ不味かったほうが良かったのではないか。などと考えても見たが、やはり不味くないに越したことはない、ということで諦めることにした。
少し腹も膨れてきたところで、仁太は、魔術の説明を聞くという本来の目的を思い出した。
「ダムダさん、魔術や魔法の違いって、どんなところなんですか?」
「んー、違いも何も、魔術と魔法は全くの別モンなんだぜ。魔術は魔力を使って不可思議な現象を起こす術だ。わかるよな、魔力。身体の中で精製される不思議エネルギー。俺たち魔術師はこの魔力を組み替えて・・・よっと」
ダムダの人差し指に火が灯る。小さな火だ。まるでライターのように。
「とまあ、こんな感じに、身体から火を出したりもできる。お前の足を治した時に使ったのは肉体強化魔術っつって、身体の機能をサポートできるように魔力を変換するんだ。回復機能を上昇させるタイプから、肉体の強度を上げて通常時にはできない動きをできるようにするタイプまで、色々なものがある。かゆいところに手が届く、そんな万能な存在。それが魔術だ」
「魔力を使って・・・ですか。詠唱とか、杖とか、そういうのは無いんですか?」
「詠唱は要らないな。俺たち魔術師は自分の魔力を身体の中で練って、魔術という現象を起こせる"形"へと作り直すだけだ。魔力の作り替えは身体の中で行われるから、何かを口に出す必要はない。ああ、でも、中には術の名前を口に出して使う奴もいるけどな。それと杖だが、あれは術の指向性を高めるための道具であって、熟練の魔術師には不要だ」
「なるほど。俺の世界の作り話によく出てくる魔法が、まさにそんな感じでした。じゃあ魔法ってどんなものなんですか?」
待ってました、とアルミラが反応を示した。
「ふっふーん、よくぞ聞いてくれました。魔法っていうのはね、魔力を使わないで不可思議な現象を起こせるのよ」
そう言って、アルミラは小さな紙片を二枚ほど取り出した。半円状に文字がびっしりと書き込まれた、不思議な紙だ。
「魔法に使うのはこれ。魔方陣って言葉、聞いたことあるかな。この二枚の紙にはそれが半分ずつ書いてあるの」
「半分ずつ?」
「そう。ここに書いてある文字は世界を崩す方程式。世界とは情報の塊、世界を構築するのは無数の構築式。私たち魔法使いは、この構築式に干渉する式を使って世界を部分的に歪ませるの。でも歪ませただけでは効果はない。世界がこの歪みを自動的に正そうとする、その時に超常現象が起こる。これが、世界の法をねじ曲げる力、魔法よ」
弾力のようなものよ、とアルミラは付け加えた。仁太は引っ張った輪ゴムをぶつけられたときの痛みを想像した。魔法というのは、輪ゴムの代わりに世界を、手で引っ張る代わりに干渉式で歪ませるのだ。
「でも、なんで半分なんですか?」
「世界を歪ませる式は、存在するだけで世界が歪んでしまうのよ。だからこうして二つに分けておくの。魔法を使いたいときは、この二つを合わせて式を作る。ちなみに、魔法の威力は魔術の桁違いよ。世界と個人、規模が違うから。今ここでこの魔法を発動させたら、あなたたちが消し飛んでしまう。魔法の説明はこんなところかしら」
「魔力要らずで世界を歪ませる・・・魔法って凄いですね」
「そう、凄いのよ。魔力の代わりに、別の才能が必要だけどね」
満足気に話を終えたアルミラだが、彼女が説明するあいだ黙って食事をしていたダムダが小馬鹿にするように笑った。
「おいおい、大切な事を説明し忘れてるんじゃないか?」
「な、何のことよ」
「使用制限があるだろう?いけないなー、最大の欠点を隠すなんて。さすが魔法使いは汚いな」
「使用制限?」
「そそ。魔法ってのはよ、世界を歪ませる術法だけど、一度歪ませた構築式は耐性を持つんだわ。その効果は役一日。つまり、同じ魔法は一日一度までってこと」
「くっ・・・、黙ってなさいよダムダ!私が説明してるのよ!」
「おっと、これは悪いことをしたな。意図的な説明不足を正してしてやったんだが、要らん世話だったようだな」
「チッ・・・、何よ、先人が作った術式を借りるだけの魔力タンクの分際で。ええそうよ、魔法には制限がある。でも、いいえ、だからこそ、私たち魔法使いは世界の構築式を学び、独自の術式を開発する。誰とも被ることのない自分だけの魔法をね。そしてこの魔法を墓まで持っていく。魔法使いになれるのは、才能と努力の合計点が合格ラインに達した、真に選ばれた人間のみ。あなたたち魔術師みたいに、他人の借り物で満足するような連中とは大違いよ。天才のおこぼれにあずかってご満悦・・・程度が知れるわ」
「おう・・・言ってくれるじゃねーか。選民思想に凝り固まった天才様は汎用性という言葉をご存じないようだ。本当に優れた道具ってのは、誰にでも使える物を言う。魔術は複数の人間が使うことで、たった一つの術式の色々な使い道が発見され、大勢の役に立っている。自分だけが使える特別な道具に酔いしれてるような人間には、わかんねーだろうけどよ」
「言わせておけば・・・」
「なんだ、やる気か?」
ダムダの腕から火花が散る。比喩ではなく、本当にバチバチと音を立てて火花が出ている。
アルミラのほうは先ほど取り出した紙とは違う、大きめの紙を出し、今すぐにでも魔方陣として完成できるような位置で構えている。
今にも食卓を爆破しそうな二人の様子に仁太はあたふたとした。不穏な空気にホルドラントも食事の手を止め、二人の仲裁に入ろうと席をたとうとした。ランジャは我関さずと言わんばかりに食事に没頭している。
その時。
「いい加減におし、このバカ共が」
シルムーの一喝が響く。
それと同時に、グン、と。魔術師と魔法使いの両腕が見えない力によってねじられる。
「ぐっ・・・!」
「いたっ!」
ダムダの腕から出ていた火花は消え、アルミラの手から紙片が落ちる。
「食事中に見苦しいわ。それも客人二人の前で・・・まったく、ちったぁ仲良くしたらどうだい。ベッドの中みたいにさ」
シルムーの言葉にホルドラントがブッと吹き出した。何か言いたげなダムダとアルミラだが、その口をふさぐような力が働いたのだろう、うまく喋れずにいる。
呆れたようにぶつぶつ言いながらもシルムーは食事を続けていた。状況から考えて、呻く二人の腕をねじ曲げているのはこのシルムーのようだ。しかし、彼女にはダムダのように魔力を放出したような様子も、かといって魔方陣を作った様子もない。
スープを飲み干したシルムーは、一息つくと自身の左上に向かって言った。
「もういいわよ」
すると、それに応えるかのように二人の腕が開放される。
「いっつー・・・」
「うう・・・」
アレだけ威勢の良かったダムダは大人しくなり、アルミラにいたっては半泣き気味だ。
懲りた様子の二人を見てため息を吐くと、シルムーは申し訳なさそうな顔をした。
「二度もみっともないところを見せちまって悪いね仁太」
「い、いえ・・・。今の、あなたが?」
「そうよ。これが私の精霊術。そしてこの子が私の契約精霊」
そう言ってシルムーは顎で自身の左上を差した。すると、何もなかったはずの空間に、すっと小さな子供の姿をした光の塊が浮き出てきた。
「エルメリテだ。エルって呼んでくれ」
「う、うわ!?なんか出た!?」
「失敬な餓鬼だなお前。俺っちは偉大な精霊様だぞ。お前も腕を捻ってやろうか」
「わ、悪い・・・。アレはアンタの仕業だったのか」
「こ、このヤロー、俺が子供の姿してっからタメ口かぁ!?ちくしょー!おい、シルムー、説明してやれよ」
駄々をこねる子供のようなエルメリテの要求に、悪ガキのわがままに仕方なく付き合ってやる母親のような感じでシルムーが応える。
「あはは。こいつね、こんなナリでも一応世界を構成している式の具現化なのよ」
突拍子も無いことを言い出すシルムーに、仁太は思わず「へ?」と間抜けな声を出してしまった。
「精霊術はね、世界の構築式の具現化である精霊を使役する術法なのよ」
「こ、これが・・・世界の一部・・・?」
「そういうことだ。わかったかー、糞ガキ仁太くん。俺っちが具現化されて早1000年。お前の百倍は生きているんだぞ」
得意げに胸を張る姿はダムダよりもはるかに幼く見え、この妙ちくりんな精霊に敬意を払う事だけは絶対に無理だと仁太は思った。